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第1章 オークランド王国編

第3話 ウサギは初恋の人を見つける

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『あの人だ。間違いない』

 こっそりと向こうの世界を覗き、彼の姿を確認する。
 ずいぶん、大人っぽくなった。
 でも、あの人だ。
 男らしくなったな、そう思って、彼女はどきどきする。

 自分に優しく接してくれたあの人に、もう1度、会いたい。
 自分を助けてくれたあの人に、お礼をしたい。

 でも、彼女は優しい母の言いつけを破って、向こうの世界に行ってしまった。
 母に助けられて、無事帰って来れたが、もちろん母はかんかんに怒っていた。
 
 また脱走したら、母はどんなに怒り、悲しむだろうか……。

『我が子よ、そなたの気持ちはわかる。しかし、彼らが住んでいる世界と、わたくし達が住んでいる世界は違うのだ。そなたが向こうに行ってしまったら、わたくしがそなたを助けてやることは、できないのだぞ』

 優しい母にそう言われて、彼女はそうか、とため息をついた。

『でも……あの人はとてもいい人なの。あんな人に会ったことはないわ。それに、あの様子は、とても悲しいことがあったのよ。今度は、わたしが助けてあげたい、と思ったの』

『そなたが大人になったら、きっとなぜわたくしが止めるのか、わかるであろう。こうして、こちら側から向こうの世界を眺めているのとは違うのだ。もし、実際、向こうの世界に行ってしまったら、そなたはこの世界での記憶を失ってしまう。こちらの世界に帰ってくることはできないのだぞ?』

『お母様……』

『よいか、けっして境界線を超えてはいけない。人の国に入ったら最後、お前の名は失われ、精霊の国での記憶も封じられるであろう。そなたはお母様のことも忘れてしまうのだぞ』

 彼女は大好きな母にそう言われては、もう何も言えなかった。
 しかし、それからも向こうの世界のことを眺めていて、そして再び。

 彼女は脱走して、彼に会い、そしてまた助けられた。
 彼女はとても幸せだったが、母はやはりとても怒った。

 それでも、「また会いたい」、そう思ったのは。
 ただお礼を言いたかったからではなくーー恋。

 彼女は自分の中に芽生えた気持ちに気づいた。
 そしてある時。

 自分は、決断したのだろう。
 気が付いた時には、彼女は、会いたくてたまらなかった彼の前にいたのだから。

 * * *

 3度目の正直だ。

 白い毛並みのウサギは、耳をぴくぴくとさせながら、じっと彼を見つめた。

 この瞬間の前の出来事は、まるで夢のように消え去ってしまった。
 ウサギに優しく、諭すように語りかけてくれた誰かのことも、もう記憶にない。

 ウサギにわかるのは、自分が彼に会いに来た、ということ。
 彼が大好きだ、ということだけだった。


 目の前に、少し困ったような、そしてどこか呆れたような顔をした男が立っていた。
 彼は日に焼け、背はぐん、と伸び、体は鍛えられていた。
 男はもう、どこから見ても、大人の男だった。

 優しく両手を差し出されて、ウサギは迷うことなく、ぴょん、とその手の中に飛び込んだ。

 ウサギは、目の前に立っているこの男が、ずっと探していた彼だと、わかっていた。
 ずっと会いたかった。その気持ちは本当だ。
 ウサギの耳が、ぴくぴくと動いた。

 初めて彼に会ったのは、ウサギがまだ小さな子供だった時。
 どこかの村に辿り着いたのはよかったが、その村の子供達に追い回されて、ヘトヘトになっていた。
 その子達のうちの1人が小石を投げてきて、運悪く後足に当たってしまったのだ。
 ウサギは後足をびっこを引きながら歩き続けていた。

 お腹が空いて、畑の中で穴を掘ってニンジンを食べていた時に、また人間に見つかってしまった。
 男もまた、この時は子供だった。他にも2人の男の子が一緒で、優しい女の人がウサギを抱き上げてくれた。

 2度目に会った時には、男はもう、子供ではなくなっていた。
 まだちょっと線の細さが残る青年となっていて、懐かしいあの畑で、彼に会えた。
 タカに襲われて足にケガをしていたけれど、彼が家に連れ帰ってくれて、助けてくれたのだ。

 そして、3度目。
 彼は大人の男になっていた。
 会いたくて会いたくてたまらなかった人に、ウサギは会うことができた。
 自分は本当に、運が強い、ウサギはそう思った。

 ウサギの大好きな人は、大きな黒い竜と共に、立っていた。

「またウサギか……?」

 頭上から降ってきた声に、びくん、とウサギは体を震わせた。
 心臓がどきどきとうるさいくらいに音を立てている。

(はいっ! ウサギですよ。あなたに悪さはしません。無害なウサギですっ!)

 ウサギの前には大きな足が並んでいる。

「今度はケガはしていないな?」
(……覚えていてくれたのですか!?)

 そう言いながら、優しい手が、ウサギの体をゆっくりと触って確かめた。
 ウサギはくったりと男の胸にもたれて、お腹が空いて、もう動けません、と訴えてみる。
 男は微かに笑ったように感じられた。

「俺の部屋に来るか? お前がもし、竜が怖くないなら、連れ帰ってやろう」

 男の背後には、まるで気配を消すように、静かに黒の翼竜が佇んでいた。
 竜はウサギを見たが、特に反応する様子もなく、男の次の言葉を待っているようだった。
 ウサギはもそもそと男の胸をよじ登ると、革の胴衣の中に潜り込んだ。

 男は一瞬、驚いたように目を見開いたが、穏やかな表情で、胴衣の上から、ぽんぽん、と叩いた。

「お前を見ていると、母上を思い出すな」

 男は呟いた。

「母上が丁寧に手入れをしていたあの畑で、俺とユリウス、それにアルファイドは母上と一緒に歩いていた」

 男は誰に聞かせる、ということもなく、話し続けた。

「すると野菜の下から、お前みたいな小さな白ウサギが飛び出してきた。ユリウスは……あいつは、子供の頃から、まるで女のような綺麗な顔をしていたが、意外に乱暴なところがあるんだ。あいつは、ウサギは害獣だから、と言って、蹴り飛ばそうとした」


『ユリウス、ただのウサギだ。何も悪いことはしていない。放っておけ』
『ウサギは放っておけばあちこち穴だらけにして、野菜をかじるし、フンをあちこちに散らしていきます。害獣ですよ』
『畑を荒らすなら、畑に入れないようにするべきだ。ウサギには野原と畑の区別はつかないのだからな』

「アルファイドは言い合いを始めた俺達をおろおろしながら見ていたっけ。すると母上が言ったんだ」

『ウサギが穴を掘るのは本能。私達はもっとしっかりとした柵を作りましょう。さあ、ドレイク、アルファイド、ユリウス。みんなで協力して、設計図を作ってちょうだい』

 男は遠い目をした。

「あの白い手が、やんちゃ盛りだった俺達3人の頭をそっと順々に撫でてくれた」

(そうそう、同じ白い手が、優しくウサギを抱き上げて、まだ子供だったあなたの手に渡してくれたのです)

 ウサギはなんとか男に同意を伝えようと話しかけてみた。 

(覚えていますよ、忘れはしないんですから。あの女の人はもういないんでしょうか? あなたのお母様。とても優しい人でした……)

「アルファイドが、ウサギの耳に宝石が付いている、と言い出して、俺達3人はまた大騒ぎをした。普通のウサギではないのでは、と。母は笑って、『宝石が付いていても、この子は今、ウサギさんよ。ウサギとして可愛がってあげなさい』と言った」

 ウサギは胴衣の中から、そっと男を見上げた。

「頭を出すな。これから竜に乗るぞ。中でじっとしていろ」

 そう言われて、ウサギは慌てて頭を引っ込める。
 その様子を、男は面白そうに眺めていた。

「まるでお前は、俺の言葉がわかるかのようだ」
 
 男の声は、どこか嬉しそうでもあった。
 ウサギはひくひく、と鼻を動かした。

(……はい、わかりますよ。あなたも、わたしの言葉がわかるといいのに……。あなたのことが大好きです。何度もわたしを助けてくれて、ありがとう……)

 男の胴衣の中で、ぐん、と地上を離れ、空に急上昇していく感覚があった。
 ウサギは必死で男の胸にしがみつく。
 すると、男の右手が胴衣の外から、ぽんぽん、と叩くのを感じた。

(大丈夫、大丈夫。この人と一緒だったら、いつも大丈夫なのだから……)

 ウサギは、安心して、ピンク色の目を閉じたのだった。

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