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第45話 カイル到着

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「リオベルデまでは随分遠いものだな」
 カイルは馬車から出ると、大きく背伸びをした。

「帝国の領土が広大ですから。どうしたって時間はかかります」
 お供をしているエドアルドは困り顔だ。

「座ってばかりで腰が痛くなるから、少しは馬で走っても」
「ダメです」
 エドアルドがピシャリと返した。

「……皇帝陛下がもう2週間も帝都を空けているなんて、言語道断。さっさと中に入ってください。あなたは帝都にいることになっているんですからね。人目につかないようにしていただかないと。全く、アレシア様なら、私がお迎えに上がりましたのに」

「ダメだ」
 今度はカイルがピシャリと返す。

「ぜひ私の妃になってほしいとお願いしに行くのだぞ? 私が行かなくてどうする。そうでなくても、アレシアにはいささか……(こほん)、周囲に気が付かないところがある」

「おおらかというか、少々鈍いところがおあり、ということですよね?」
「エディ、主君の奥方の話だ。少しは遠慮しろ。大体、お前が同行するのを許してやったんだから、もっと感謝しないか」

 そう言われたエドアルドは肩をすくめる。

「お前の魂胆はわかっている。ネティに会いたいんだろう。心配しなくても、アレシアが輿入れすれば、ネティも同行するだろう」

「何を恩着せがましく。カイル様、あなたこそ、アレシア様の兄上にお会いするのに、私にそばにいて欲しかっただけのくせに。まあ、とてもお手紙を頂戴しましたからね。しかも、便で」

「ぐ」

 カイルはクルスから送られた中身がたった1行の手紙をもちろん、受け取っていた。

 未来の義兄の、そのあまりのそっけなさに心が挫けそうになっていた時に、エドアルドが「親族との友好関係を求めるには、まず貢物ですよ」と真顔で言うのに、藁をも掴む思いで同意したのだった。

 おかげで、別の馬車には、アレシアへの贈り物の他に、クルスを懐柔するために、さまざまな品物を詰め込んでいた。

「しかし、女性用のドレス生地やら扇まで必要でしたかね? クルス様はまだ独身でしょう。確か、婚約者の方もまだいなかったと」

「ふん。それは驚くに値しないな。何しろ、すぐ身近にアレシアがいるんだ。大抵の姫君では色褪せて見えるだろう。しかし、いずれは適当な姫君と結婚するはずだ。その時に帝国最高峰のドレス生地で点数を稼ぐことができるだろう。やがては私に感謝するぞ?」

「何なんですか、もう。そのおかしな自信は……」
 もはや、エドアルドは苦笑するしかなかった。

 * * *

「ネティさん、急ぎのお手紙が届いていますよ」

 リオベルデに戻ってから、王宮に5日ほど滞在した後は、クルスの手配でアレシアとネティは緑の谷にある女神神殿に戻っていた。

 そこで2人はよく知った人々に温かい歓迎を受け、少しずつ、平穏な日々を取り戻しつつあった。
 そんな中、ネティは顔なじみの神殿付きの騎士から、1通の封書を手渡された。

「わたしにですか……?」

 帝国の印が押された立派な手紙に、ネティが驚いていると、騎士はうなづいた。

「ええ、ほら、宛名にあなたのお名前が。差出人はこちらの……」
 ネティは指された箇所に目をやる。

 エドアルド・マーフィ。

 ネティの顔がぱっと赤く染まる。
 震える手で手紙を受け取ると、騎士にお礼を言って、急いで部屋に戻った。
 午前中は、アレシアは神殿での務めに入っている。

 ネティは部屋には誰もいないのに関わらず、きょろきょろと周囲を見回してから、そっと手紙を開いた。

 緊張しながら読み始めたが、エドアルドの手紙は、まるでエドアルド本人が目の前で喋っているような感じで、明るく、親しげで、そして優しい文章だった。

 まずはアレシアとネティが帝国を出た時には本当にびっくりして、心臓が止まりそうになった、しかし無事にリオベルデに着いたと聞き、心から安堵した、と書いていた。

 お互い、行動力のある主人に仕えると、心臓に響きますね、というくだりには、ネティは思わずクスリと笑ってしまった。

 それから、長い旅で体調を崩してはいないか、変わりはないか、とネティを労る文章が続いていた。
 ネティは読み進めて、ようやく、エドアルドの手紙の主旨を見つけた。

「カイル様がリオベルデに向かっています。アレシア様をお迎えに上がるつもりなのです。決して、カイル様が来ていることを、アレシア様に伝えないでください」

 ネティは目を丸くした。

 なんと。
 皇帝陛下は本気なのだ。
 ネティは困ったように、眉を下げた。

「ね……、アレシア様、わたしが申し上げた通りでしたでしょう……」

 そしてそっとため息をつくと、ネティは手紙を丁寧に折りたたみ、大切に懐にしまった。
 もちろん、ネティはアレシアに言うつもりは全くなかった。

 カイルとエドアルドがリオベルデ王国王都カスガルに入ったのは、それからさらに2週間経ってからだった。

 痺れを切らしたカイルが馬車を置いてきぼりにして、騎馬で飛び出したので、仕方なくエドアルドもまた馬に跨り、皇帝陛下を追った。

 途中ではもう宿屋にも泊まらず、野営でしのいだので、王宮に辿り着いた時には、カイルの肩に付くまでに伸びた黒髪は、埃まみれ。

 すっかり日焼けしたせいか、青みがかったグレーの瞳が一際印象的に見え、驚くほどワイルド系なイケメンへと心ならずも変貌していた。

 本当に皇帝自らがやってきたことに驚くとともに苦笑していたクルスだったが、カイルと顔を合わせて、風向きが変わる。

 直接言葉を交わしたことはない2人だったが、クルスとて、父王に付き添って外交的な行事に出席したことはある。
 その時にカイルの姿を見かけて、その容貌くらいは頭に入っていた。

 冷ややかにカイルを出迎えたクルスも、カイルの変わりっぷりには思わず仰天したのだった。

 まさか自分の容貌がそれほどインパクトを与えたとはつゆとも思わないカイルは、大事なアレシアの兄との初めての顔合わせにすっかり意気消沈してしまい、掠れ声で挨拶をするのが精一杯だった。

 大きな体を小さくした上に、ワイルド系なイケメンの顔をしょぼんとさせ、疲れ切って口上を述べるカイルの様子には、クルスもすっかり毒気を抜かれたようで、随分優しく丁寧な扱いに変わったのを、カイルの後ろで、エドアルドは苦笑しながら見ていたのだった。

「……まあ、皇帝陛下も長旅、さぞお疲れでしょう。まずは王宮にて数日滞在されて、疲れを癒されては」

「い、いえ、クルス殿、それより……!」
「はい?」

「あ、あの、どうぞカイルとお呼びください。願わくば、将来、我が義兄上ともなられるお方なのですから……その、もし、アレシアが、いや、アレシア様が、いや、姫巫女様が……受け入れて下さったなら、ですが……」
「……」

 カイルの口上は大混乱の上、だんだん自信なさげに語尾が小さくなる。

 クルスは穏やかに控えているエドアルドに目をやる。
 エドアルドは黙って首を振った。

 その様子は、「主君が色々ご面倒をおかけして申し訳ありません」と言っていた。

 クルスは大きく深呼吸をした。
 どうも、自分には体ばかり大きな弟ができそうだ。
 兄として、面倒を見なければいけない弟妹がもう1人増えてしまった。

「わかりました。カイル殿!」
「は、はっ!」

「まずは風呂をお使いなさい。埃だらけで美男も台無しです。それに、きったない手で我が妹に触れることなど、許しません。それから夕食を用意しますから、しっかり食べること。アレシアのことは心配しないように。ちゃんと神殿に戻っています。女神神殿のある緑の谷は小さな町です。神殿を中心とした門前町で、アレシアのことは町中の人が知っていますから、勝手にいなくなるなんてことはできません。安心してまずは体をお休めなさい。しっかり体調を整えて、妹を迎えに行けばよろしい」

 カイルはぽかんとして、クルスを見つめた。
 銀色の髪と青い瞳のアレシアとは、随分見た目は違う。
 クルスはブラウンの髪にヘイゼルの瞳なのだ。
 しかし、ふとした時の表情に、アレシアを思い起こさせるものがある。

 クルスは柔らかく微笑んだ。

「ご覧の通り、私は、父似なのですよ。アレシアは、姫巫女だった母そっくりです。明日にでも、ご興味があれば、家族の肖像画などをお見せしますよ。さあ、お部屋へご案内しましょう」

「ありがとうございます……!」
 カイルの元気良い返事に、クルスはふっと笑った。

「いやはや、妹は昔からあんな感じでね。全然変わっていないのです。ありがたいことにのびのびと育ちまして。皇帝陛下には、ご苦労をおかけしますね、ははは……」

 全然気の毒そうな様子もなく笑うと、クルスは侍女を呼んで、カイルとエドアルドを客室へと向かわせたのだった。

 翌日、クルスと朝食を共にしたカイルは、食後すぐに家族の肖像画を見たいとねだり、たくさんの肖像画の中に、カイルが初めてアレシアに出会った、3歳の頃のものを見つけて大喜びしたのだった。

 目を輝かせてアレシアの肖像画を見つめるカイルに、クルスは苦笑しながら「よろしければ差し上げましょう」と言い、それはカイルの宝物になった。
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