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章間なう⑫
恐怖心と医者と剣
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天川編 1話
酒とは恐ろしいもので――同窓会の後半の記憶が曖昧だ。
そんな翌朝、天川は若干の二日酔いになりながらぼんやりと目を覚ました。
「頭が……怠い」
そう呟きながら、ベッドの上に身を起こそうとして――右腕の上に呼心、左腕の上に桔梗、そして体の上にヘリアラスさんが寝ていることに気づいた。
「…………?」
まだ寝ぼけているらしい。
天川は一度目を閉じて、深呼吸をする。女の子の甘い香りが、肺の中いっぱいに広がる。
(……よし)
一度自分の頬を叩いた天川は、目を開ける。右腕を抱き枕にしているのは呼心。童顔でたれ目な彼女は、幸せそうにふにゃふにゃと笑いながら、天川の腕を胸の谷間に挟み込んでいる。
決して巨乳とは言えないサイズだが、それでもしっかりと柔らかさが感じられる。
「明綺羅君……」
何故か首筋に噛みつかれる。甘噛みだから痛くないが――彼女にマーキングされているようで、こそばゆい。
「もう食べられない……」
左手を抱き枕にしているのは、桔梗。呼心よりはある胸でやはり腕をホールドされており、楽しそうに天川の首筋をぺろぺろ舐めている。寝ぼけるにもほどがあるだろう。
ハリと弾力のある胸で、マシュマロに包まれているような感触の呼心とは対照的に、ゼリーに挟まれているような感覚だ。
「アキラぁ……」
最後に天川の体の上に乗っているヘリアラスさん。瑞々しくももちもちしている肌が、パンツ一丁の天川にぴったりと吸い付いて――
「ってなんで俺は裸なんだ!? そして何で皆も下着姿!?」
「あ、おはよ、明綺羅君」
「おはようございます、明綺羅君」
「あふ、ああ……おはよ、アキラ」
脳がバグりそうになりつつも――天川の灰色の脳細胞は、何故こんなことになっているかを模索する。
「えっと、昨日はあれから清田と飲み比べをして……」
「で、明綺羅君だけぶっつぶれたから、井川君が城まで運んでくれたんだよ」
「清田君に……その、張り合うのはいいんですけど、潰れるまで飲まれると……」
「お、俺としたことが……!」
まさか自分が酒で醜態をさらすことになるとは微塵も思っていなかった。ああいうのは、日ごろから自制出来ない人が陥るものだと。
しかし、なるほど。普通の人でもなる時はあるのか――次回以降気を付けよう。
「って、なんで皆下着姿なんだ!」
ようやく本格的に脳が動き出す。昨夜の記憶は無いが――無いが、まさか酔った勢いで彼女たちを下着姿にするような行為に及んでしまったのだろうか。
そのことに内心ビクビクしながら彼女らに問うと、三人とも朗らかに笑い出す。
「だって一緒に寝てる時、せっかくなんだからくっつきたいじゃん」
「そうよぉ。やましいことなんて何も無かったわぁ」
「…………な、何も無かったです。明綺羅くんの手を使ったりしてま――」
「「お黙り」」
「ひゃうっ!」
使う? 何に?
少し疑問を抱きつつも、彼女らに下心は無かったようなので一安心。天川は起き上がって、取り合えずシャツを羽織る。
「それでアキラぁ?」
「どうしました、ヘリアラスさん」
なんとなく皆の着替えが終わったタイミングで、ヘリアラスさんがこちらに問いかけてきた。
「昨日、うわ言みたいに言ってた『俺はハーレムなんか羨ましく無いぞ~……』って、どういう意味ぃ?」
なんてことを俺は。
天川は全身から汗が噴き出るのを感じるが――同時に、それだけであれば何のことか分からないだろうと思い直す。
「い、いや……清田が、ハーレムを作ったとか自慢をしていたから……そ、それでだと思いますよ」
「ふぅん……まぁ、そうねぇ。このメンバーをまとめ上げるのは大変よぉ?」
見通すような目で見てくるヘリアラスさん。
「……わ、分かってますよ」
「本当にぃ?」
…………分かってはいません。
しかし啖呵を切ってしまったので、そう言うわけにはいかない。天川はそれっぽい感じの顔を作る。
「ふぅ~ん……まあ、分かってるなら、いいわぁ」
にっこりと微笑むと――天川の上着の中にもそもそと入ろうとしてくるヘリアラスさん。慌てて呼心と桔梗が引っ張り出してベッドの下に投げ捨てた。
「あ、明綺羅君に何するんですかこのケダモノ!」
「そ、そうですよっ! あ、明綺羅君がケダモノになっちゃったらどうするんですか……!」
桔梗の心配は杞憂だから安心して欲しい。
「ヘリアラスさんは置いといて、あんまり飲み過ぎないでよ? 私が看病するんだから」
そう言って、呼心が魔法を唱えてくれる。途端に、二日酔いのムカムカする感じがスッと消えた。
「体調崩すと心配しちゃうよ」
「……すまない、呼心」
やれやれ、みたいに笑う呼心に笑みを返す。とりあえず、心配されてしまったことは反省せねばならない。
「今日は、予定ってあったか?」
「んー、ティアー王女がちょっと話があるって言ってたくらいじゃない?」
そういえばそうだった。
昨日、未だに動向がハッキリしない王家派と、決着をつけてくると言って彼女が息まいていたのは知っている。
結局、未だに王家派の――というか、国王の意図が読めない。天川達の敵では無いだろうが、かと言って完全に味方なのかと言われると疑問が残る。
「王家派はまだ分かるんだけどね」
呼心がそう言ってため息をつく。
彼女の言う通り、王家派の動きは理解できる。あくまで天川達を自派閥に取り込むことが目的だが――それはそれとして天川達のことを助けてくれている。
特に王都動乱で天川が実績を手にしてからは、他の異世界人たちへのサポートも手厚い。
「別に私たちに嫌われていいことも無いしね。だから、そっちは良いんだけど……問題は、他の子たちだよね」
彼女の言う通り、天川達が外に出ることに当たってそこが一番ネックだ。
「高校生だから、仕方がないと思うんだがな」
二か月前の王都動乱。人が死に、建物が壊れ、殺意と悪意が跋扈する――他国との戦争。
その時、戦うことを選ばなかった他の異世界人たちは――一部の王家派の裏切りにより、人質にされてしまった。
突然部屋に押し入られ、剣を突き付けて人質にされる。剣を提げている騎士が傍にいることが日常となった彼らでも、それが自分たちに向けられたのはその時が初めてだった。
もともと、戦いを拒否していた者たちだ。『職』が戦闘に向いているかどうか以上に、そういった荒事が苦手だったのだろう。
だというのに、あんな目にあってしまえば――
「そもそも、俺たちと戦っていた木原ですら……今は心神に不調をきたしている。俺達以上に『普通の高校生』な彼らが、そう耐えられるものでもない」
酷い者は、部屋にひきこもって外に出てこなくなっている。そうでなくても、今まで以上に警戒して、特定の使用人としか会わなくなった者もいる。
そこを反王家派や他の勢力に付け込まれたくないから、天川たちも動くに動けない。
「私が言えるようなことじゃないですけど……そんな人たちのために、明綺羅君が頑張らないといけないなんておかしいです」
ぽつりと桔梗が呟く。
「そう言うな。こちらの世界では、数少ない日本人だ。出来るなら、助けたい」
「明綺羅君は優しすぎます」
少し強い口調で言われてしまい、苦笑する。こればかりは性分だ。
「でもぉ、だからってなにも動かないのはどうなのよぉ」
「それはそうなんですが……」
未だに騎士団派は王都から天川達が出ることに反対している。王都動乱の時に、天川が勇者として場を収めてしまったことが余計に彼らを頑なにさせる結果となったらしい。
特にオーモーネル大臣は、いまだに難色を示している。
「異世界人の皆、どうすればいいのかなぁ」
守って欲しいと言う彼らを置いて、どこかへ行くことは出来ない。
彼らがそうなってしまった原因の一端は天川達にもあるわけで――
「いや無いでしょ」
「無いわねぇ」
「ゼロとは言い切れないけど……でも明綺羅君が全部背負うのは変だと思います」
――女性陣三名から突っぱねられてしまい、苦笑する。
「でも、彼らも俺が笑顔にしたいと思ってる人達なんだ」
そう言っても、どうすればいいのかは思いつかないのだが。
「俺たちにカウンセリングのノウハウなんかがあればいいんだがな」
臨床心理学なんかを学んでおくべきだっただろうか。
「……はぁ、明綺羅君。おいで」
何故か呆れたように言う呼心。言われた通り彼女に近づくと――がばっ、と思いっきり抱きしめられた。
「桔梗ちゃんもほら!」
「えっ? えっ? ……えっと、失礼します」
背中に感じる桔梗の感触。唐突に女性にサンドイッチにされてしまい、軽く混乱する。
「ふ、二人とも?」
「いやまぁ、うん。背負わせ過ぎたってのは、私も反省してるからさ」
「そうですよ。顔が怖いです、明綺羅君」
「あの子たちを救うのは、私もやりたいこと。だから、明綺羅君ばっかり気を張らないで」
呼心と桔梗に言われて……また、視野が狭まっていたなと自省する。これは性分などと言わずに、変えていかなければならない部分かもしれない。
「だが……彼らのメンタルをもう少し回復させないと俺たちも動けん。俺たちに出来ることは寄り添うことだけだし――」
――こんこん。
控え目なノック音。難波や井川は天川の部屋に来るときは一度電話をくれるし、それ以外の女性陣であればノックと同時に入ってくる。
であれば、城の人間か。いったん二人を降ろし、少し乱れた着衣を直してから扉の方へ。
「はい」
ガチャっと扉を開けると……そこには、長身の男が立っていた。
「なるほど、いい魂だ」
天川の顔を見て、ニヤッと笑うその男。髪はぼさぼさで、眼鏡をかけている。
衣服は……温水先生以外、滅多に着ている人を見ない白衣。ただし、彼の白衣はまるで新品おろしたてのように綺麗だ。いや、実際におろしたてなのかもしれない。
天川は背の高い方ではないが――彼とは頭一つ分くらい差がある。おそらく、百九十センチはあるんじゃなかろうか。
「……どちら様、ですか?」
敵意は感じないが、初めて見る顔なので警戒すると――その男は、眼鏡を押し上げてから口を開いた。
「ぼくはカインド。君は勇者、アキラだな?」
「そうですが」
「質問がある。もしも骨が折れたらどうする? ああ、回復魔法とか野暮なことは言うなよ」
唐突過ぎる質問に、天川は眉にしわを寄せる。しかし、目の前に立っている男がふざけているわけではないということは伝わって来るので……少しだけ考えて、天川はゆっくりと口を開いた。
「……添え木やギプスなどで固定して、安静にする」
「正解だ。それが分かっているなら話は早い。ついて来い」
そう言って歩き出すカインド。さすがに天川も意味が分からな過ぎて、彼の肩を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。どこに行くんですか――というか、貴方はなん何ですか」
「どこに? 残りの異世界人のところだ。ぼくが何か? 医者だ。分かったら行くぞ」
「いや、行くぞって……彼らに何をするつもりなんですか!」
この場にいる以上、城の関係者なのだろう。しかし、他の異世界人が面会謝絶になっていることは城内で共有されているはずだ。
それなのに、彼らのところに行きたがるなんて……。
「彼らは今、傷ついています。何か用があるなら、俺が伺います」
「…………さっきお前は、骨折したらギプスなどで固定して、安静にすると言ったな? では、風邪をひいたらどうする」
カインドは天川の質問に答えず、再び質問をぶつけてきた。
疑問文に疑問文で返すと、爆破されるぞ――と、志村が言っていたな。
そんなことを思い出しつつも、天川はちゃんと彼の目を見て答える。
「栄養のあるものを食べて、ひたすら寝て汗を出します。場合によっては薬を飲んで、悪化を防ぎます」
「正解だ。それが分かっていて、何故お前は他の異世界人に何もしないんだ」
少し強い口調になるカインド。何故初対面の男にいきなり怒られなければならないのか。
「何もって……彼らは心が傷ついているんです。そんな時に、無理にこちらから働きかけたって意味がありません。時間が解決してくれるまで……」
「ここまで言っても分からんのか……。ならば、もう一つ質問をしよう。朝起きたら、貴様の友人が『理由は分からないのに腹が痛い』と言い出したらどうする?」
さらなる質問。天川は眉根にしわを寄せて、少しだけ考える。
「……盲腸か、それとも……変な物を食べたか。いずれにせよ、本人に心当たりが無いなら医者に見せます」
「正解だ。病、怪我、心神喪失……すべて、正しく処置せねば正しく治らん」
そう言ったカインドは、大きくため息をついてから腕を組んだ。そして、眼鏡の下にある眼を鋭い物に変える。
「彼らにどうアプローチせねばならんのか分からんのだろう? ならば、専門家を頼れ。王家派も他の貴族も頼りがいが無いというのなら、お前の人脈でどうにかしろ」
唐突にやってきて、唐突に説教をする。
その理不尽さにイラっと来るものの、それを堪えてカインドを見た。
「……貴方なら、彼らをどうにか出来ると?」
「もちろん。頼られたら救う。そのためのプロだ」
しかもかなり癇に障る言い方だ。
とはいえ、言っていることが大きく間違っているわけでもないかもしれない。
「誰から頼まれたんですか」
「誰でもない。面子や派閥に拘って、こんな戦力を遊ばせる意味が無いからな。解決出来る問題は片付けて、さっさと働いてもらった方がいい」
カインドはそう言って、歩き出した。もう話は終わったとでも言わんばかりの雰囲気だ。
とはいえ、異世界人にそのまま会わせるわけにもいかない。やむを得ず、天川もその後ろからついていく。
「ね、ねぇ明綺羅君。……えーっと、大丈夫そう?」
「分からんが……呼心、桔梗、お前たちもあの人のことは知らないのか?」
後ろからついてきた二人にそう尋ねるが、申し訳なさそうに首を振るだけだ。
ヘリアラスさんにも聞こうと思ったが、彼女はついてきていない。部屋に残ったようだ。
「なんというか……コミュニケーションが雑な人ですね」
「正直、会話していて疲れた」
カインドの足取りに迷いはない。本当にこのまま皆のところへ突っ込むのだろう。
城内の一部、異世界人たちが暮らすスペース。王都動乱までは、天川達も過ごしていた区画だ。
「さて、ではどの部屋から始めていくか」
「待ってください、処置って何をするんですか?」
「真っ当に心的外傷後ストレス障害を治療するなら、認知行動療法の中でも暴露療法だろうな」
「暴露……なんですか、それ」
いきなり専門用語を出したカインドに、呼心が首を傾げる。
「暴露療法。もしくはエクスポージャー療法。簡単に説明すると……まず、エクスポージャーというのは、あくまで狭義的な意味だが……慣れ、あるいは消去による恐怖反応の減少を目的として、恐怖反応が生じなくなるまで不安惹起刺激に患者を長時間さらす治療法のことだ」
「不安ジャッキ……? あ、あのもう少しわかりやすく……してもらえると」
「専門用語の説明に専門用語を使わないで欲しい……頭が混乱する」
ぼそっと背後で呟く呼心。彼女の声が聞こえていたのかいないのか、天川の注文にカインドは少し残念そうな顔になり……口を開いた。
「もっと分かりやすく言うなら、辛い記憶となった場面をあえてイメージしたり、避けていた記憶をわざと呼び起こしたりして恐怖を乗り越えるというもので『思い出しても危険がない』、『怖いことはない』と感じられるようになるための訓練を行うことだ」
「もう少し短くしてください」
めんどくさい、という雰囲気をありありと出してそんなことを言う呼心。ちゃんと聞いていた天川は理解したので、長々と話されること自体が嫌なんだろう。
カインドは大きくため息をつくと、一つ咳ばらいをした。
「お前相手に教鞭を振るっていた奴はさぞ苦労しただろうな……。つまり、怖かったことを何度も思い出させて慣れさせるんだ」
少し馬鹿にした感じで呼心を睨むカインドと、睨み返す呼心。
「そ、それって……だいぶ辛くないですか?」
桔梗のセリフに、カインドは頷く。
「しかも時間がかかる。だから今回は、手っ取り早い方法でいく」
そう言ったカインドはノブに手をかけると、二度ノックをした。
「……誰、ですか」
硬く閉じた扉の向こうから、オドオドした声が聞こえてくる。ここは男子の一人、桐山の部屋だ。元々は元気いっぱいの男だったが――今では、引きこもってしまっている。
「カインド、医者だ」
「……天川達じゃ、無いんですか?」
警戒する声。カインドはそれを聞いて、ポケットから鍵の束を取り出した。
(なんで、こいつは鍵を――)
驚いて、目を見開く。そのせいで少しだけ、カインドの動きに反応が遅れた。
彼は鍵穴に鍵を挿入し、躊躇なく扉を開ける。当然、扉の前にいた桐山とバッチリ目が合うわけで――
「へっ、う、うわああ! ひぃっ! い、嫌だ! いやだ! 天川、助けてくれ!」
――取り乱し、部屋の中に逃げ込んでいく桐山。天川が咄嗟に駆け寄ろうとしたところを、カインドは手で制した。
「だいぶ魂の形が濁ってるな。|落ち着け(・・・・)」
そう言った彼の手のひらから、淡く黄色い波動が桐山に向かう。
それが当たった瞬間、がたがたと震えていた桐山が……すんっ、と落ち着いた。
「え? ……あれ?」
「お、おい桐山! 大丈夫か!」
今度こそ天川が駆け寄ると、桐山は呆然とした顔のまま……天川の方を向いた。憑き物が落ちたような、ニュートラルな目で。
「いや、えっと……あれ?」
困惑し、混乱した声。そして首を傾げてから……。
「いや……あれー? あ、あははは……」
から笑いする桐山。もはや情緒が仕事しているように見えないが……天川は、彼に声をかける。
「だ、大丈夫か?」
「えっと……あ、おう。大丈夫」
「せ、洗脳……されたのか?」
「するわけないだろう、ぼくがそんなこと」
心外だとばかりに睨みつけてくるカインド。長身から見下ろされると、若干怖い。
「じゃ、じゃあ……記憶を消された、のか?」
正直、考えられるのはそれくらいしかない。しかし桐山は首を振ると、天川の背後に立つカインドを見た。
「いや……記憶はあるよ。うん、怖いって思う。でも……」
「必要以上に気を張る必要は無い、そうだろう?」
「あ、そうそう。そうッス」
カインドの言葉に頷く桐山。そんな彼の体を、カインドはぺたぺたと触る。
「脈は平常、瞳孔は……うむ、問題ない。魂の形も安定しているな。一回でここまで落ち着くとはな。基本的には、二度、三度と繰り返すものなんだが……まぁ、良い誤算か。とはいえ経過観察は必要だ。来週、また来る」
「あ、はい」
「……何を、したんですか?」
桐山を診察しているカインドにそう問いかけると、彼はなんてことも無いように説明を始める。
「魂というのは、不定形なのが鉄則だ。それはぼくや父しか分からない感覚だろうが……まぁともかく、その魂は精神的に不安定になると非常に摩耗したり、もしくは歪になったりと様々な症状が――」
「す、すみません。端的にお願いします」
「またか……。まあいい。彼の魂を、心的外傷を受ける前の状態に戻した。後は数度のカウンセリングを行えば、以前の姿に戻るだろう」
魂を、精神的にまいる前の状態に戻した?
意味が分からない。
いや意味が分からないというか、一体どうやったらそんなことが出来るというのか――
「あああああああああああ! や、やっと見つけましたわぁぁぁ!」
――遠くの方から、聞きなれた大きな声。
聞きなれたっていうか、アトモスフィア王国第一王女こと、ティアー王女だ。
「てぃ、ティアー王女。見つけたって、俺を探してたんで――」
「アキラ様じゃありませんわっ!」
バンッ! と天川を押しのけ、カインドの前に立つティアー王女。かなりの剣幕で、彼の胸倉をつかんだ。
「やっっっっっっっっっっっと帰って来たと思ったら! なーに勝手なことやってるんですか! お兄様ぁあぁああ!」
…………………………。
「「「お兄様ぁ!?」」」
天川と呼心と桔梗の声が、異世界人居住スペースに響き渡った。
酒とは恐ろしいもので――同窓会の後半の記憶が曖昧だ。
そんな翌朝、天川は若干の二日酔いになりながらぼんやりと目を覚ました。
「頭が……怠い」
そう呟きながら、ベッドの上に身を起こそうとして――右腕の上に呼心、左腕の上に桔梗、そして体の上にヘリアラスさんが寝ていることに気づいた。
「…………?」
まだ寝ぼけているらしい。
天川は一度目を閉じて、深呼吸をする。女の子の甘い香りが、肺の中いっぱいに広がる。
(……よし)
一度自分の頬を叩いた天川は、目を開ける。右腕を抱き枕にしているのは呼心。童顔でたれ目な彼女は、幸せそうにふにゃふにゃと笑いながら、天川の腕を胸の谷間に挟み込んでいる。
決して巨乳とは言えないサイズだが、それでもしっかりと柔らかさが感じられる。
「明綺羅君……」
何故か首筋に噛みつかれる。甘噛みだから痛くないが――彼女にマーキングされているようで、こそばゆい。
「もう食べられない……」
左手を抱き枕にしているのは、桔梗。呼心よりはある胸でやはり腕をホールドされており、楽しそうに天川の首筋をぺろぺろ舐めている。寝ぼけるにもほどがあるだろう。
ハリと弾力のある胸で、マシュマロに包まれているような感触の呼心とは対照的に、ゼリーに挟まれているような感覚だ。
「アキラぁ……」
最後に天川の体の上に乗っているヘリアラスさん。瑞々しくももちもちしている肌が、パンツ一丁の天川にぴったりと吸い付いて――
「ってなんで俺は裸なんだ!? そして何で皆も下着姿!?」
「あ、おはよ、明綺羅君」
「おはようございます、明綺羅君」
「あふ、ああ……おはよ、アキラ」
脳がバグりそうになりつつも――天川の灰色の脳細胞は、何故こんなことになっているかを模索する。
「えっと、昨日はあれから清田と飲み比べをして……」
「で、明綺羅君だけぶっつぶれたから、井川君が城まで運んでくれたんだよ」
「清田君に……その、張り合うのはいいんですけど、潰れるまで飲まれると……」
「お、俺としたことが……!」
まさか自分が酒で醜態をさらすことになるとは微塵も思っていなかった。ああいうのは、日ごろから自制出来ない人が陥るものだと。
しかし、なるほど。普通の人でもなる時はあるのか――次回以降気を付けよう。
「って、なんで皆下着姿なんだ!」
ようやく本格的に脳が動き出す。昨夜の記憶は無いが――無いが、まさか酔った勢いで彼女たちを下着姿にするような行為に及んでしまったのだろうか。
そのことに内心ビクビクしながら彼女らに問うと、三人とも朗らかに笑い出す。
「だって一緒に寝てる時、せっかくなんだからくっつきたいじゃん」
「そうよぉ。やましいことなんて何も無かったわぁ」
「…………な、何も無かったです。明綺羅くんの手を使ったりしてま――」
「「お黙り」」
「ひゃうっ!」
使う? 何に?
少し疑問を抱きつつも、彼女らに下心は無かったようなので一安心。天川は起き上がって、取り合えずシャツを羽織る。
「それでアキラぁ?」
「どうしました、ヘリアラスさん」
なんとなく皆の着替えが終わったタイミングで、ヘリアラスさんがこちらに問いかけてきた。
「昨日、うわ言みたいに言ってた『俺はハーレムなんか羨ましく無いぞ~……』って、どういう意味ぃ?」
なんてことを俺は。
天川は全身から汗が噴き出るのを感じるが――同時に、それだけであれば何のことか分からないだろうと思い直す。
「い、いや……清田が、ハーレムを作ったとか自慢をしていたから……そ、それでだと思いますよ」
「ふぅん……まぁ、そうねぇ。このメンバーをまとめ上げるのは大変よぉ?」
見通すような目で見てくるヘリアラスさん。
「……わ、分かってますよ」
「本当にぃ?」
…………分かってはいません。
しかし啖呵を切ってしまったので、そう言うわけにはいかない。天川はそれっぽい感じの顔を作る。
「ふぅ~ん……まあ、分かってるなら、いいわぁ」
にっこりと微笑むと――天川の上着の中にもそもそと入ろうとしてくるヘリアラスさん。慌てて呼心と桔梗が引っ張り出してベッドの下に投げ捨てた。
「あ、明綺羅君に何するんですかこのケダモノ!」
「そ、そうですよっ! あ、明綺羅君がケダモノになっちゃったらどうするんですか……!」
桔梗の心配は杞憂だから安心して欲しい。
「ヘリアラスさんは置いといて、あんまり飲み過ぎないでよ? 私が看病するんだから」
そう言って、呼心が魔法を唱えてくれる。途端に、二日酔いのムカムカする感じがスッと消えた。
「体調崩すと心配しちゃうよ」
「……すまない、呼心」
やれやれ、みたいに笑う呼心に笑みを返す。とりあえず、心配されてしまったことは反省せねばならない。
「今日は、予定ってあったか?」
「んー、ティアー王女がちょっと話があるって言ってたくらいじゃない?」
そういえばそうだった。
昨日、未だに動向がハッキリしない王家派と、決着をつけてくると言って彼女が息まいていたのは知っている。
結局、未だに王家派の――というか、国王の意図が読めない。天川達の敵では無いだろうが、かと言って完全に味方なのかと言われると疑問が残る。
「王家派はまだ分かるんだけどね」
呼心がそう言ってため息をつく。
彼女の言う通り、王家派の動きは理解できる。あくまで天川達を自派閥に取り込むことが目的だが――それはそれとして天川達のことを助けてくれている。
特に王都動乱で天川が実績を手にしてからは、他の異世界人たちへのサポートも手厚い。
「別に私たちに嫌われていいことも無いしね。だから、そっちは良いんだけど……問題は、他の子たちだよね」
彼女の言う通り、天川達が外に出ることに当たってそこが一番ネックだ。
「高校生だから、仕方がないと思うんだがな」
二か月前の王都動乱。人が死に、建物が壊れ、殺意と悪意が跋扈する――他国との戦争。
その時、戦うことを選ばなかった他の異世界人たちは――一部の王家派の裏切りにより、人質にされてしまった。
突然部屋に押し入られ、剣を突き付けて人質にされる。剣を提げている騎士が傍にいることが日常となった彼らでも、それが自分たちに向けられたのはその時が初めてだった。
もともと、戦いを拒否していた者たちだ。『職』が戦闘に向いているかどうか以上に、そういった荒事が苦手だったのだろう。
だというのに、あんな目にあってしまえば――
「そもそも、俺たちと戦っていた木原ですら……今は心神に不調をきたしている。俺達以上に『普通の高校生』な彼らが、そう耐えられるものでもない」
酷い者は、部屋にひきこもって外に出てこなくなっている。そうでなくても、今まで以上に警戒して、特定の使用人としか会わなくなった者もいる。
そこを反王家派や他の勢力に付け込まれたくないから、天川たちも動くに動けない。
「私が言えるようなことじゃないですけど……そんな人たちのために、明綺羅君が頑張らないといけないなんておかしいです」
ぽつりと桔梗が呟く。
「そう言うな。こちらの世界では、数少ない日本人だ。出来るなら、助けたい」
「明綺羅君は優しすぎます」
少し強い口調で言われてしまい、苦笑する。こればかりは性分だ。
「でもぉ、だからってなにも動かないのはどうなのよぉ」
「それはそうなんですが……」
未だに騎士団派は王都から天川達が出ることに反対している。王都動乱の時に、天川が勇者として場を収めてしまったことが余計に彼らを頑なにさせる結果となったらしい。
特にオーモーネル大臣は、いまだに難色を示している。
「異世界人の皆、どうすればいいのかなぁ」
守って欲しいと言う彼らを置いて、どこかへ行くことは出来ない。
彼らがそうなってしまった原因の一端は天川達にもあるわけで――
「いや無いでしょ」
「無いわねぇ」
「ゼロとは言い切れないけど……でも明綺羅君が全部背負うのは変だと思います」
――女性陣三名から突っぱねられてしまい、苦笑する。
「でも、彼らも俺が笑顔にしたいと思ってる人達なんだ」
そう言っても、どうすればいいのかは思いつかないのだが。
「俺たちにカウンセリングのノウハウなんかがあればいいんだがな」
臨床心理学なんかを学んでおくべきだっただろうか。
「……はぁ、明綺羅君。おいで」
何故か呆れたように言う呼心。言われた通り彼女に近づくと――がばっ、と思いっきり抱きしめられた。
「桔梗ちゃんもほら!」
「えっ? えっ? ……えっと、失礼します」
背中に感じる桔梗の感触。唐突に女性にサンドイッチにされてしまい、軽く混乱する。
「ふ、二人とも?」
「いやまぁ、うん。背負わせ過ぎたってのは、私も反省してるからさ」
「そうですよ。顔が怖いです、明綺羅君」
「あの子たちを救うのは、私もやりたいこと。だから、明綺羅君ばっかり気を張らないで」
呼心と桔梗に言われて……また、視野が狭まっていたなと自省する。これは性分などと言わずに、変えていかなければならない部分かもしれない。
「だが……彼らのメンタルをもう少し回復させないと俺たちも動けん。俺たちに出来ることは寄り添うことだけだし――」
――こんこん。
控え目なノック音。難波や井川は天川の部屋に来るときは一度電話をくれるし、それ以外の女性陣であればノックと同時に入ってくる。
であれば、城の人間か。いったん二人を降ろし、少し乱れた着衣を直してから扉の方へ。
「はい」
ガチャっと扉を開けると……そこには、長身の男が立っていた。
「なるほど、いい魂だ」
天川の顔を見て、ニヤッと笑うその男。髪はぼさぼさで、眼鏡をかけている。
衣服は……温水先生以外、滅多に着ている人を見ない白衣。ただし、彼の白衣はまるで新品おろしたてのように綺麗だ。いや、実際におろしたてなのかもしれない。
天川は背の高い方ではないが――彼とは頭一つ分くらい差がある。おそらく、百九十センチはあるんじゃなかろうか。
「……どちら様、ですか?」
敵意は感じないが、初めて見る顔なので警戒すると――その男は、眼鏡を押し上げてから口を開いた。
「ぼくはカインド。君は勇者、アキラだな?」
「そうですが」
「質問がある。もしも骨が折れたらどうする? ああ、回復魔法とか野暮なことは言うなよ」
唐突過ぎる質問に、天川は眉にしわを寄せる。しかし、目の前に立っている男がふざけているわけではないということは伝わって来るので……少しだけ考えて、天川はゆっくりと口を開いた。
「……添え木やギプスなどで固定して、安静にする」
「正解だ。それが分かっているなら話は早い。ついて来い」
そう言って歩き出すカインド。さすがに天川も意味が分からな過ぎて、彼の肩を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。どこに行くんですか――というか、貴方はなん何ですか」
「どこに? 残りの異世界人のところだ。ぼくが何か? 医者だ。分かったら行くぞ」
「いや、行くぞって……彼らに何をするつもりなんですか!」
この場にいる以上、城の関係者なのだろう。しかし、他の異世界人が面会謝絶になっていることは城内で共有されているはずだ。
それなのに、彼らのところに行きたがるなんて……。
「彼らは今、傷ついています。何か用があるなら、俺が伺います」
「…………さっきお前は、骨折したらギプスなどで固定して、安静にすると言ったな? では、風邪をひいたらどうする」
カインドは天川の質問に答えず、再び質問をぶつけてきた。
疑問文に疑問文で返すと、爆破されるぞ――と、志村が言っていたな。
そんなことを思い出しつつも、天川はちゃんと彼の目を見て答える。
「栄養のあるものを食べて、ひたすら寝て汗を出します。場合によっては薬を飲んで、悪化を防ぎます」
「正解だ。それが分かっていて、何故お前は他の異世界人に何もしないんだ」
少し強い口調になるカインド。何故初対面の男にいきなり怒られなければならないのか。
「何もって……彼らは心が傷ついているんです。そんな時に、無理にこちらから働きかけたって意味がありません。時間が解決してくれるまで……」
「ここまで言っても分からんのか……。ならば、もう一つ質問をしよう。朝起きたら、貴様の友人が『理由は分からないのに腹が痛い』と言い出したらどうする?」
さらなる質問。天川は眉根にしわを寄せて、少しだけ考える。
「……盲腸か、それとも……変な物を食べたか。いずれにせよ、本人に心当たりが無いなら医者に見せます」
「正解だ。病、怪我、心神喪失……すべて、正しく処置せねば正しく治らん」
そう言ったカインドは、大きくため息をついてから腕を組んだ。そして、眼鏡の下にある眼を鋭い物に変える。
「彼らにどうアプローチせねばならんのか分からんのだろう? ならば、専門家を頼れ。王家派も他の貴族も頼りがいが無いというのなら、お前の人脈でどうにかしろ」
唐突にやってきて、唐突に説教をする。
その理不尽さにイラっと来るものの、それを堪えてカインドを見た。
「……貴方なら、彼らをどうにか出来ると?」
「もちろん。頼られたら救う。そのためのプロだ」
しかもかなり癇に障る言い方だ。
とはいえ、言っていることが大きく間違っているわけでもないかもしれない。
「誰から頼まれたんですか」
「誰でもない。面子や派閥に拘って、こんな戦力を遊ばせる意味が無いからな。解決出来る問題は片付けて、さっさと働いてもらった方がいい」
カインドはそう言って、歩き出した。もう話は終わったとでも言わんばかりの雰囲気だ。
とはいえ、異世界人にそのまま会わせるわけにもいかない。やむを得ず、天川もその後ろからついていく。
「ね、ねぇ明綺羅君。……えーっと、大丈夫そう?」
「分からんが……呼心、桔梗、お前たちもあの人のことは知らないのか?」
後ろからついてきた二人にそう尋ねるが、申し訳なさそうに首を振るだけだ。
ヘリアラスさんにも聞こうと思ったが、彼女はついてきていない。部屋に残ったようだ。
「なんというか……コミュニケーションが雑な人ですね」
「正直、会話していて疲れた」
カインドの足取りに迷いはない。本当にこのまま皆のところへ突っ込むのだろう。
城内の一部、異世界人たちが暮らすスペース。王都動乱までは、天川達も過ごしていた区画だ。
「さて、ではどの部屋から始めていくか」
「待ってください、処置って何をするんですか?」
「真っ当に心的外傷後ストレス障害を治療するなら、認知行動療法の中でも暴露療法だろうな」
「暴露……なんですか、それ」
いきなり専門用語を出したカインドに、呼心が首を傾げる。
「暴露療法。もしくはエクスポージャー療法。簡単に説明すると……まず、エクスポージャーというのは、あくまで狭義的な意味だが……慣れ、あるいは消去による恐怖反応の減少を目的として、恐怖反応が生じなくなるまで不安惹起刺激に患者を長時間さらす治療法のことだ」
「不安ジャッキ……? あ、あのもう少しわかりやすく……してもらえると」
「専門用語の説明に専門用語を使わないで欲しい……頭が混乱する」
ぼそっと背後で呟く呼心。彼女の声が聞こえていたのかいないのか、天川の注文にカインドは少し残念そうな顔になり……口を開いた。
「もっと分かりやすく言うなら、辛い記憶となった場面をあえてイメージしたり、避けていた記憶をわざと呼び起こしたりして恐怖を乗り越えるというもので『思い出しても危険がない』、『怖いことはない』と感じられるようになるための訓練を行うことだ」
「もう少し短くしてください」
めんどくさい、という雰囲気をありありと出してそんなことを言う呼心。ちゃんと聞いていた天川は理解したので、長々と話されること自体が嫌なんだろう。
カインドは大きくため息をつくと、一つ咳ばらいをした。
「お前相手に教鞭を振るっていた奴はさぞ苦労しただろうな……。つまり、怖かったことを何度も思い出させて慣れさせるんだ」
少し馬鹿にした感じで呼心を睨むカインドと、睨み返す呼心。
「そ、それって……だいぶ辛くないですか?」
桔梗のセリフに、カインドは頷く。
「しかも時間がかかる。だから今回は、手っ取り早い方法でいく」
そう言ったカインドはノブに手をかけると、二度ノックをした。
「……誰、ですか」
硬く閉じた扉の向こうから、オドオドした声が聞こえてくる。ここは男子の一人、桐山の部屋だ。元々は元気いっぱいの男だったが――今では、引きこもってしまっている。
「カインド、医者だ」
「……天川達じゃ、無いんですか?」
警戒する声。カインドはそれを聞いて、ポケットから鍵の束を取り出した。
(なんで、こいつは鍵を――)
驚いて、目を見開く。そのせいで少しだけ、カインドの動きに反応が遅れた。
彼は鍵穴に鍵を挿入し、躊躇なく扉を開ける。当然、扉の前にいた桐山とバッチリ目が合うわけで――
「へっ、う、うわああ! ひぃっ! い、嫌だ! いやだ! 天川、助けてくれ!」
――取り乱し、部屋の中に逃げ込んでいく桐山。天川が咄嗟に駆け寄ろうとしたところを、カインドは手で制した。
「だいぶ魂の形が濁ってるな。|落ち着け(・・・・)」
そう言った彼の手のひらから、淡く黄色い波動が桐山に向かう。
それが当たった瞬間、がたがたと震えていた桐山が……すんっ、と落ち着いた。
「え? ……あれ?」
「お、おい桐山! 大丈夫か!」
今度こそ天川が駆け寄ると、桐山は呆然とした顔のまま……天川の方を向いた。憑き物が落ちたような、ニュートラルな目で。
「いや、えっと……あれ?」
困惑し、混乱した声。そして首を傾げてから……。
「いや……あれー? あ、あははは……」
から笑いする桐山。もはや情緒が仕事しているように見えないが……天川は、彼に声をかける。
「だ、大丈夫か?」
「えっと……あ、おう。大丈夫」
「せ、洗脳……されたのか?」
「するわけないだろう、ぼくがそんなこと」
心外だとばかりに睨みつけてくるカインド。長身から見下ろされると、若干怖い。
「じゃ、じゃあ……記憶を消された、のか?」
正直、考えられるのはそれくらいしかない。しかし桐山は首を振ると、天川の背後に立つカインドを見た。
「いや……記憶はあるよ。うん、怖いって思う。でも……」
「必要以上に気を張る必要は無い、そうだろう?」
「あ、そうそう。そうッス」
カインドの言葉に頷く桐山。そんな彼の体を、カインドはぺたぺたと触る。
「脈は平常、瞳孔は……うむ、問題ない。魂の形も安定しているな。一回でここまで落ち着くとはな。基本的には、二度、三度と繰り返すものなんだが……まぁ、良い誤算か。とはいえ経過観察は必要だ。来週、また来る」
「あ、はい」
「……何を、したんですか?」
桐山を診察しているカインドにそう問いかけると、彼はなんてことも無いように説明を始める。
「魂というのは、不定形なのが鉄則だ。それはぼくや父しか分からない感覚だろうが……まぁともかく、その魂は精神的に不安定になると非常に摩耗したり、もしくは歪になったりと様々な症状が――」
「す、すみません。端的にお願いします」
「またか……。まあいい。彼の魂を、心的外傷を受ける前の状態に戻した。後は数度のカウンセリングを行えば、以前の姿に戻るだろう」
魂を、精神的にまいる前の状態に戻した?
意味が分からない。
いや意味が分からないというか、一体どうやったらそんなことが出来るというのか――
「あああああああああああ! や、やっと見つけましたわぁぁぁ!」
――遠くの方から、聞きなれた大きな声。
聞きなれたっていうか、アトモスフィア王国第一王女こと、ティアー王女だ。
「てぃ、ティアー王女。見つけたって、俺を探してたんで――」
「アキラ様じゃありませんわっ!」
バンッ! と天川を押しのけ、カインドの前に立つティアー王女。かなりの剣幕で、彼の胸倉をつかんだ。
「やっっっっっっっっっっっと帰って来たと思ったら! なーに勝手なことやってるんですか! お兄様ぁあぁああ!」
…………………………。
「「「お兄様ぁ!?」」」
天川と呼心と桔梗の声が、異世界人居住スペースに響き渡った。
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