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章間なう⑩

井川の決心と拳③

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 男三人と女性一人で焚火を囲う。異世界にいるはずなのに、魔物が闊歩する森の中のはずなのに――どこか気の抜けた、それこそキャンプのような空気が漂う。

「はい、コーヒー」

「ありがとう。……美味いな」

「美味しいよなー。俺、あんまコーヒーの味分かんねえけど、これは美味しいって分かる。あんま酸っぱくねえんだよ、冷めても」

「酸味って言って」

 苦みが濃いコーヒーは井川も好みだ。
 ゴリガルさんは一人ビールをかっ食らっているが……昼のようにべろんべろんという感じはしない。昼と違ってゴリゴリマッチョウーマンモードの方で飲んでいるから、お酒が回らないのかもしれない。
 そんな雰囲気の中、井川はコーヒーを地面に置く。地べたに座り、眺める夜空はどうにも物寂しい。

「長くなる。それと……聞いていて面白いもんじゃない」

 ぽつり、そう語り出した井川のセリフに……白鷺と加藤が笑う。

「自分で言うのもなんだけど、そこそこ修羅場は潜ってるつもりだから」

「おう! は〇しのゲンくらいの悲惨さまでなら経験済みだぜ!」

「茶化さないの。……こいつはマジの戦争を経験してきたんだから」

 ニカッと笑う白鷺にチョップを入れる加藤。白鷺なりにこちらの気持ちが沈み切らないようにしてくれたのだろう、その笑みが大分優しく、柔らかい。

「……そうか。アレは1945年、8月6日。戦争中だとは思えないほど穏やかな日だった。疎開先ということもありどこか気の抜けた空気の漂っていたあの街に――忌々しい爆弾が落ちてきた」

「それはだしの〇ンだよね」

「魔族の奴ら、爆弾なんて使って来たのか!」

「ダメだ井川、この馬鹿は文脈を読むことが出来ないみたい。気にしないで先に進めて」

 加藤が白鷺を思いっきりぶん殴り、白鷺がそれを受けて応戦する。こいつらは本当に仲がいいな。

「爆弾は冗談だ。……最も、爆弾なら天川が『終焉』で消し飛ばせていただろうからなんぼもマシだったがな」

 一発の爆弾が落ちてきただけならば、恐らく天川の一撃ならば消し飛ばせることだろう。何せあいつの最強魔法――『終焉』は、王都の端から端まで見えるような極大の一撃なのだから。

「話をしようと思うと王都で何があったか……からになるんだが、そもそも王都で何が起きたか、について知っているか?」

 井川が問うと、二人とも普通にコクリと頷く。

「AGギルドに会報みたいなの回ってくるんだよ。あと第三騎士団が書いた新聞」

「結構重要な情報源だぜ。そこそこ情報も早いしな。とはいえ、生身の人間に勝る情報源は無いからな。最初から聞かせてくれよ」

 ぐいっとカップを傾ける白鷺。タンッ! と勢いよく地面に置くと、ニヤッと笑った。

「この世界のチャンピオンになるにあたって――いずれはぶつかる相手だからな」

「これだから戦闘狂は」

 ため息をつく加藤。そんな彼に苦笑いを向け、井川は少し頭を整理する。

「……そうだな。じゃあそこから行くか。幹部格は四人。そして敵が導入してきた魔物はおよそ二万。幹部格の魔族は――オレじゃどれだけ強いのか力量を把握することが出来なかった。それほどまでに隔絶した実力差があったと考えてくれていい」

 そんな化け物を一対一で相手にしたのだから、天川や清田、志村は本当に凄いと思う。ある意味では彼らもまた人ではないと言うべきなのだろうが。

「その時の様子は?」

「空を魔物が埋め尽くしてたよ。……蝗害って分かるだろ?」

 頷く加藤。曖昧な感じで「知ってますけど?」みたいな顔をする白鷺。学校の理科か現代社会かで習った気もするが。

「……じゃあ、アレだ。大きい石をひっくり返したところ。どうなってる?」

「虫がやべーことになってるな」

「そう、それの魔物版だと思ってくれ」

 言ってから、白鷺がゾーッと背筋を震えさせる。

「何それ、キモッ!」

「馬鹿。それが全部人を殺せるんだよ? ぼくらみたいな戦える人間でも――二万は、体力が先に尽きる」

「そうか?」

 ガリガリと地面に絵を描く。絵というよりも図か。

「ここがミラーリンサークル……王都の中心。そこから円を描くように、結界が張られた。そしてその中をさっき言った……魔物が大量に」

 転移を使うにあたって、王都の地図は頭に叩き込んである。そうでなくても、初めて行く場所の地理は欠かさず頭にぶち込んでいる。それが転移魔法しか使えない井川が生きるために必要なことだからだ。
 王城、ミラーリンサークル、その他の建物の位置関係を地面に書いていく。

「青空が見えないくらい魔物がいたからな。ワイバーンの類なんかはブレスで地上を攻撃してきたから、文字通り空襲だ。最初の五分で三桁は人が死んだと思う」

 ゴクリと生唾を飲み込む二人。
 初動が一番ひどかった。ハッキリ言って、地獄絵図なんて言葉が生易しいと思ったほどだ。人が死ぬ、それも呆気なく。

「最初の接敵時は、混乱の極みだった。四対一、且つ空中に浮いている魔族に向かって天川が斬りかかったからな。皆で説得して撤退した。敗走と言って差し支えないな」

 あの時の天川はかなり焦っていた。焦っているというか、キレていたというか。

「王城に戻った後……温水先生が人質に取られたりして、ちょっと政争に巻き込まれた」

「……勇者は辛そうだね」

 実感の籠った言葉を呟く加藤。彼にも何かあったのだろうか。

「それに関しては志村が全部どうにかしてくれたんだけどな。……それで態勢を整えて、オレたちは魔物が跋扈する王都に繰り出していった」

「その時はどんな感じだったの?」

「正直、勝てる気はしていなかった」

 天川があの四人を倒してくれたら……と、縋るしかない。蜘蛛の糸よりもか細い勝ち筋だったんじゃなかろうか。

「後から聞いた話だが……その四人は『新造神器』と呼ばれる武器を持っていたらしい。神器のように魔力の消費が一切なく大魔法を連発する武器だ」

 四人全員が持っていたのかどうかは分からないが、二本の『新造神器』を鹵獲したということはつまり最低でも二人はそれを持っていたということだろう。

「詳細は分からないが、天川たちを結界の中に閉じ込めて縦横無尽に飛びながら攻め立ててきていたらしい。かなりの強敵だったと聞いている」

 魔族の話をすると、白鷺がニヤッと目の色を変えた。

「へぇ……どんだけ強かったんだ?」

「話しか知らないからな。特にブリーダっていうのは凄かったらしい。天川が神器を全力で使ってもとどめを刺しきれず、あろうことか超巨大な水の化け物に変身して襲い掛かって来たんだそうだ」

 ブリーダという魔族の説明をすると、白鷺が目をキラキラさせてから頷いている。なるほど、これは加藤が言うまでも無く――戦闘狂だ。

「ああ……マジか。魔族ってそんなに強いのか……ッ! 塔の時はあっさり終わっちまったから残念だったんだよ。ああ、魔族とかなら天候を変えたりとかできるんだろうな……ッ!」

「はいはい戦闘狂戦闘狂。――でも確かに、いずれ倒すとなると少し気にはなるね。今の話が終わったらそっちを詳しく頼むね」

 ――加藤も結構戦闘狂らしい。魔族の話をした途端にこの目の輝きだ。

「……魔族が出来るかどうかは知らないが、清田は王都全域に雨を降らせたぞ」

 一応そう言ってみると、白鷺と加藤がキラキラと目を輝かせる。お前ら本当に凄いな。

「ってことは清田は嵐とかも起こせるのかな……」

「王都全域に雨を降らせるってことは出来るかもね。日照り、大雨、嵐……自分の好きなように環境操作できるって……ゾクゾクするね」

 目をかっぴらいてノートを取り出す加藤。そこにカリカリと何かを書き込みだす。怖い。
 逆に白鷺はフッと目を閉じて……そして一気に青いオーラを噴出させた。『職スキル』なんだろうが、かなり怖い。

「あの頃に清田に天候操作の能力をプラスして、んで俺らと同じくらいの身体能力をプラスして……」

「ああ、そうだね。となると魔法の属性はあの時言ってた炎だけじゃないね。風、水……炎の三属性かな。それなら確かに雨を降らせる魔法があったはず。限定的な範囲でだけど……」

 ブツブツと二人で言いだす。ヤバい、怖い。
 ちょっとどうしたものか――と途方に暮れていると、ゴリガルさんが、二人にゴン! と拳骨を落とした。

「あんたらはアホか!? 今大事なのはそれじゃないだろうが!」

「はっ! ……しまった、つい」

「全く、この脳筋は……」

 いやお前もだ。
 と言いたいのをグッと堪え、井川はコーヒーを一口飲む。苦くて美味しい、彼らがこちらに引き戻されるまではこうして落ち着いて待っていよう。

「わ、悪い悪い!」

「ごめんね、つい夢中になって。続きをお願いしてもいい?」

「あ、ああ」

 一つ息を吐いてから、頭を切り替える。あの時の様子に。
 あの地獄絵図を見た時と同じように――。

「天川の指示で、オレたちはいくつかに分かれて王都に繰り出した。オレと真奈美は怪我人の救出、および非戦闘員の避難誘導がメインの仕事だった。魔物との戦闘は避けて、オレの転移でとにかく人を避難させていた」

 でも――あの時。

「オレと真奈美の前に、とある魔物が現れた。オレたちは怪我も無く、魔力も気力も十分残っていた。だから、楽に勝てると思った」

 背後にいたのは四人の子どもたち。恐らく兄なのだろう、小さい子が必死に皆を守ろうとしていた。

「オレも真奈美も、普通に勝てる相手だと思った。だってそうだろう? BランクどころかCランクの魔物たちだ。負けるわけが無い、そう思っていたよ。魔物たちが連携しだすまでは」

「魔物が連携?」

「あー……会報に書かれてた、アレか。魔族が変身するっていう……」

 白鷺が何かを思い出すように言うため、コクリと頷く。そう、後から考えればあの中に魔物魔族が混ざっていたのだろうと推測できるが……当時、戦っている時の混乱たるや相当なものだった。

「ぼくらが逆の状況になってたら、正直撤退してたと思う」

「あん? 強くなる分には願ったりかなったりじゃむぎゃっ」

「この馬鹿。スポーツじゃなくて戦争してるんだよ? 大勢を考えるなら退かなくちゃいけない場面なんていくらもある。『敵が今までの常識と外れた行動をしてきた』なんて――一事が万事、逃げの一手だよ」

 加藤の言っていることは正しい、のだろう。今でもあの時の正解が分かっていない井川としては……曖昧に彼の言うことに頷くことしか出来ないが。

「そもそも、お前とぼくだけならいざ知らず。背後に子どもたち、なんでしょ。常気がいくら戦闘狂って言っても――死にかけてる子ども放って戦える?」

「うぐ……」

 白鷺の性格を正確に把握しているわけでは無いが、確かにその状況下でなお戦闘を継続するメンタリティをしているとは思えない。
 井川は少し息を吐き、コーヒーを飲む。焚火もあるし、気温もそんなに低くないせいで冷めていない。ぬるいコーヒーだ。
 今はこれくらいがちょうどいい。

「ここから先の話は……天川たちにも言っていない。そもそも誰かに話すつもりも無かった」

 空を見上げる。星々が見えると言うことは、自分たちが今立っているこの世界も星の一つなのだろう。
 もしかしたら、異世界とは言っているが別の星と言うだけなのかもしれない。

「……どうして?」

 加藤が少しだけ困惑、というか不思議そうな顔をする。

「言ってない……というか、言えなかったと言うべきだろうな」

 言えなかった。
 言えるわけが無かった。
 井川と真奈美の秘密。あの時、何が起きたかを――

「オレも、真奈美も。人を……殺したからな」

「は?」

「へ?」

 キョトンとした顔になる二人。
 井川はそんな二人の顔を一瞥し、再び空を見上げる。

「『ギッギッギ』という笑い声が印象的だったよ。水の肉体を持ちながら、他の魔物を効率的に操り、連携して追い立てるんだ。上から下から、一切の暇も無く」

 子どもたちを庇いながら、戦った。途中でその子らが一度気絶したりもあったが……恐らく、十分以上粘っただろうか。

「恐怖、だった。あれは怖くて怖くて仕方が無かった。倒しても倒しても魔物が出てくるんだ。しかもオレが長距離転移をしようとしたら、必ず狙撃が来るんだ。確実に、オレの頭を撃ち抜く狙撃が」

 思い出すだけで震えてくる。真奈美がふさぎ込んでいる理由は――もちろん、子どもたちを守れなかったから。
 でも、部屋から出られない理由はそれじゃない。

「斬る、斬る……斬った。オレもいくつも魔物を殺した。真奈美の剣が弾き飛ばされ、体中怪我だらけになった。オレもだ。もうどうしようもない、あの魔物をどうにかしないと無理だ。そして……とうとう、統率している魔物に、迫った」

 転移を繰り返し、魔物の間を抜け……ウンディーネにたどり着いた。風の刃を生み出し、真奈美は剣を振り上げ、ウンディーネの核を狙った。その瞬間――

「ウンディーネの中から、人が出て来た。民間人を、奴は……腹の中に隠していた」

 ――二人の攻撃は、正確に中から出て来た老人の……体を切り裂いた。真奈美は分からない、しかし井川の手には何の感触も残らなかった。当然か、自分の手で斬ったわけじゃないのだから。
そして……その出来事に呆然とする暇も無かった。
 ウンディーネが嫌らしい笑みを浮かべ――

『ギッギッギ。いいデェェェタが取れたぜェ? しかしお前、悪い奴だなァ……守るべき人を、殺すなんてなァァァァァァァァアアアア!』

「高笑いしたその魔物は姿を消した。だが、もう持ちこたえられなかった。人を殺したショックでオレも真奈美も固まって……その隙にボコボコだよ。手足は潰れ、武器は折れた。奴の最後の命令だったのかな。徹底的に嬲られたよ」

 だから、もう、どうしようもなかった。
 真奈美を生かすために……最後の魔力を使って、短距離転移を繰り返して真奈美だけその場から逃がした。
 子どもたちを見捨て。
 無関係の民間人を自分の手で殺し。
 ただ、真奈美の命を救うために。

「そこからは、もう何も無かった。逃げて、城で真奈美を手当てに放り込み……疲労が限界だったから少し寝たんだ。目が覚めたらもう清田たちが助けに来ていて……志村から装備を受け取り、魔物の殲滅をした」

 魔物を殲滅すれば、自分の罪が濯がれるとでも思ったのだろうか。いや、あの時の自分はもっと別の感情に突き動かされていた気がする。
 罪悪感、恐怖。色んなものがごちゃごちゃになって。でも、それでも真奈美を守るためには魔物を殺さないといけなくて。
 だから、だから――

「オレ、は……真奈美を、まも、守れなかった。関係無い人を、殺した。あいつが、真奈美が、き、傷つく……姿を見ていることしか出来なかった」

 ――ツゥ、と涙が伝う。

「あ、あれ?」

 目にゴミでも入ったか。そう思ってぐしぐしと目をこするが、どうにも涙が止まらない。おかしい、おかしい。
 だって、ここでそんな、心が折れてる暇なんて無いから。

「そ、あ……その、目に、ゴミが、入った……みたい、で」

「そうだな」

「うん。……急がないし、ゴミを取りなよ」

 加藤はハンカチを井川に差し出し、白鷺はうんと伸びをしてからコーヒーを井川のカップに注いでくれた。

「……人間、何かをため込むと新しいものが入って来ないもんさ」

 そこまでずっと黙っていたゴリガルさんが、ポツリと口を開く。
 彼女は焚火に薪をくべ、グッと拳を握った。

「普通に生きてりゃ、ちょっとずつこぼれてちょっとずつそれが埋まっていく。そうして入れ替わっていくことで成長していく」

 ゴリガルさんが握った拳を、思いっきり振り上げる。それによって出来た上昇気流で炎が巻き上げられ……キラキラと夜闇に輝く。

「でもね、あんたは今パンッパンにため込んでる。それなのに一気にいろんなものが流れ込もうとしてる。――成長したいと思うならね。吐き出しちゃいな。全部、全部……あんたが抱え込んでるものをね」

 抱え込んでいるもの。

(オレが、抱え込んでいるもの)

 弱音だって吐いた。ちゃんと、ストレスは発散していたはずだ。
 それでもなお、抱え込んでいたのか。
 怖かった。
 辛かった。
 真奈美を守りたかった。
 真奈美だけを守りたいわけじゃない。出来ることなら、目の前で誰かが死ぬのを見たくなんか無かった。
 もう、何もかも嫌なんだ。
 人が死ぬのも、殺すのも。
 殺されるのも、魔物に襲われるのも。
 でも、でも。
 何より一番嫌なのは。
 真奈美を守り切れないのに、それをぐじぐじ言い訳しないと心を守れない、自分自身が嫌なんだ。

「……ッ。……ッ」

 滂沱、とは雨の降りしきる様を言うらしい。
 であれば、この涙はきっと。

「あたしはちょっと外すよ」

 ゴリガルさんはそう言って立ち上がる。そしてまるで転移のようにフッと消えた。

「あああ……ああああああ……ッ!」

 声が思わず出る。白鷺と加藤は何も言わず、ただ傍でコーヒーを飲んでいた。
 こんな姿真奈美には見せられない。
 でも、きっと。

「強がってこそ男だけどさ」

「親しい人には見せられないタイプなら、今が一番ベストだよ」

 二人は空を見上げながら、声をかける。
 三人でいるが、一人のようで。
 でもやっぱり、一人じゃない。

(ああ――)

 零れる。流れる。溢れ出る。
 全てを洗い流す、雨となって。
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