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第九章 王都救援なう

212話 模造剣なう

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「あー、そういや温水先生印のポーション切れてたっけ……まずったなぁ、新井に貰っとけばよかった」

 難波はひとまず天川と合流しようと全力で走っていた。異世界に来て体力は増えたと実感しているが、普段の基礎トレーニングを怠っていたせいか前衛職の連中の中では一番体力が無い。
 井川の転移で一っ飛び、戦闘も軽く流す程度で敵を倒せるし強敵は全部天川任せ――そんな闘いをしていたら体力もつかないか。
 自嘲気味に笑いつつ、それでも足を止めず走っていると――ふと見慣れた風景が目に入った。いつも難波が通っている花屋の近くだ。
 花屋の看板娘にフられてからはその姉に会うため足繁く通っていた道だ、間違えるはずもない。

(……流石に、避難してる、よな)

 特に最近は結婚式の準備とかであのBランクAGのディファンとかいうのも一緒にいたのだ。まかり間違ってもBランクAGが簡単にやられるはずもないだろう。
 そう、やられるはずがないのだ。一般人の視点から見ればBランクというのは既に人間やめ人間の領域、自分が心配する必要などどこにもない。
 まして今は新井のピンチだ。あの新井すら阿辺を抑えられないかもしれないのだ。
 それならば、天川を呼びに行くことが優先のはずだ。そう、それが人族の利益となりひいては難波達がこの状況を打破するために必要なピースの一つのはずで――

「……悪い、新井」

 ――一目見るだけだ。そう自分に言い聞かせて方向転換。目指すはセシルさんとユラシルさんの住む花屋さんへ。
 一目見て、無事ならそれでいい。いや別に彼女らに会えずともそこにいないことを確認出来ればすぐに。
 走り、見つけた花屋は……魔物によって壊されてはいなかった。むしろこの区画は不自然に静かだ。
 討伐部位が少し落ちていることから、魔物がいなかったわけじゃなかろうが今のところ周囲に気配は無い。
 なんだ、大丈夫じゃないか。これなら心配する必要なんて微塵も無かった。
 難波はそう結論づけ、ホッと一息をつき――

「……っ! ……っ、……っ」

 ――うめき声のようなものを、聞いてしまう。別に誰の声だと分かった訳でもない、それどころか空耳かもしれない。
 でも、何故かそのうめき声が耳から離れない。嫌な予感が腹の中で膨れ上がる。
 はたと、足跡が花屋に向かってついていることに気づいた。血でできた足跡なのか、それが一つや二つじゃない。八……いや、十人分はありそうだ。
 何故一つの家屋にそれだけの足跡が?
 いや……そもそも、なんで入った分の足跡しかないんだ?

「……いやいやいやいや、考えすぎだって俺。はは、そ、そうだ。それか魔物から身を隠すために中に入ったんだ。きっとそうだ」

 そして怖くて出られていない。
 浮かび上がった不安を振り払うようにそう結論づけ、難波は扉の方へ向かう。
 逃げ遅れた人がいるのなら、避難所まで案内するのだ。避難所ならば騎士……それこそシローク長官がいるのだ。天川程じゃないにせよ彼も実力者、新井の助力はその人に頼めばいい。

「そう、だよな。そうだよな、だから生き残りがいるなら、そうしないと……」

 声が震えていた。膝が、手が震えていた。決して長距離走った疲れによるものじゃないことは理解していた。
 でも、それでも。
 嫌な予感を振り払うように扉の前に立ち、勢いよく開けた。

「……! ……っ、……っ!」

「こいつまだ暴れる元気がありやがるのか」

「妹の方はもう壊れてんのによぉ」

「壊した奴が言うんじゃねえよ、ぎゃははは!」

「マジでやんのか? なぁ、確かにディファインはムカついてたしコイツラは具合よさそうだけどよ」

「おいおい、今さら怖気づいたのかよ。ま、やんねぇんならどっか行っとけよ」

「いや、やんねぇとは言ってねぇって。ただよ……十人で回すのはなぁ。もう二人くらい欲しいだろ、女が」 

 脇に倒れているのは爽やかで涼やかな笑みを浮かべていた青年。名前を確か、ディファイン。背にナイフが突き刺さり、驚愕の表情のまま……ピクリとも動かない。
 そして奥ではセシルたちが丹誠込めて育てた花がある……のだが、それらは全て床に敷き詰められ、まるで布団のように。
 その上に覆い被さるようにして――

「な、に、を……」

 ズン!
 無意識に足を踏みしめており、地面に穴が開く。
 その音で難波が入ってきたことに気づいたのか、ユラシルさんに覆いかぶさっていた男が難波の方を振り向いた。

「あー? チッ、見られたか。テメーら見張りはどうしたんだよ」

「見張りも何もいきなり入ってきたんだから仕方ねぇだろ」

「まあいいや。混ざるか? それとも死ぬか?」

「混ざるなら順番は最後だけどなぁ。あ、でもこっちの反応ねー方なら先でもいいぜ?」

「マグロなんて抱いてもつまんねぇからなぁ。それか追加の女でも持ってきてくれてもいいんだぜ?」 

 ぎゃははは……。
 彼らの笑い声が遠くの方で聞こえる。自分の今立っている場所が現実かどうか分からなくなる――と、言うようなこともなく。
 ただひたすら脳内がふつふつと沸騰する。なるほど、これが怒りかと妙に冷静な自分がいる。そう、自分は冷静だ。
 そう、冷静だから。

「黙ってんなら、見張りでもしてろよ。魔物が入ってくるかもし」

 ゴッ! と、何かぐちゃぐちゃ言っていた男を殴り飛ばしていた。
 ぐしゃり、という肉が潰れる感触が拳に返ってくるが今はどうでもいい。

「て、テメェ! 何しやがる!」

「ぶはっ……ま、マサト! に、逃げて、お願い逃げて! こいつらはまともじゃないわ!」

 周囲の男どもが難波に殺気を放ち、今まで押さえつけられていたユラシルさんが殆ど悲鳴を上げるように叫ぶ。 
 しかし、退けない。ここでこいつらを放って逃げても何も状況は好転しないからだ。
 それに難波は非常に今冷静である。怒ると却って冷静になる――と言っている人がいたが、今まさにそんな感じだ。
 冷静だから――怒りに任せてコイツラを殺してはいけないということは分かる。
 冷静だから――素手で戦うのも愚策だと分かる。何せ十対一だ、実力に天地程の差があってもそのまま倒せるとは限らないから。
 冷静だから――しっかりと武器を取り出して構える。城で剣術を習っていた時に渡された、刃引きされた剣だ。

『刃引きされてる、いわゆる素振り用の剣、模造剣だ。ま、人に振るっても死にはしねぇとは思うが……大怪我はするから気をつけろよ』

 この剣を渡してくれた人はそう言っていた。
 そう、難波は冷静だからこの剣で相手を攻撃すれば死なないということが分かっている。フルスイングしても、死なないはずだ。何故なら模造剣なのだから。
 そう、だから今から難波はこいつらを制圧するために剣を振るうのだ。決して殺すためのものではない。
 ユラシルさんたちを救うため、振るうだけ。殺すつもりは、決して無い。

「な、にを……してんだ、テメェらぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 腹の底から声が出る。魔物が集まってくるかも、なんて考えは一切脳内に浮かばなかった。
 ただ、目の前の奴らをぶちのめし、二人を助けることしか頭に浮かばない。
 セシルさんの上に乗っかろうとしていた男の脳天に剣を振り下ろす。血は出るが、真っ二つにはなっていない。本気で振り下ろしたが、この剣は刃引きされているのだ。だから大丈夫。
 その男を蹴飛ばし、振り向きざまに胴。脇腹にミシリと難波の剣がめり込み――その場に崩れ落ちるその男。
 しかしこのままでは再び動き出すかもしれない。難波はすり足でもう一歩踏み込むと、下がった頭に面を叩きこんだ。
 ぐじゃ、という生々しい音が部屋の中に響き渡ると同時に――残りの奴らが剣を抜く、ナイフを構える、杖を持つ。
 あと七人、入ってきたドアの近くにいた杖を持った男――恐らく魔術師――に一歩で距離を詰めると、小手で杖を叩き落した。これで呪文は唱えられまい。
 顧問に怒られそうだな――なんて場違いなことを思いつつ左手で相手の襟を掴み、引き寄せて足をかけて転ばせる。
 そして頭の位置が下がったところにキッチリ面を入れてとどめを刺す。そういえば面は脳天に打つものでは無かったか。
 どうでもいいが。
 ずしゃりと杖を持った男が崩れ落ち、そこを狙うように短剣を持った男が踏み込んできた。難波は一歩下がり、短剣を透かしてからカウンター気味に膝を顎に決める。そしてがら空きになった喉に突き。嫌な感触が手に返ってくるが――刃引きされてるんだ、多分死んでない。仰け反り、血と共に口から飛んだ白い物は……歯、だろうか。
 低く、低く――まるで地を這うかのように襲いかかってくる二人の剣士。きっと相当練習したのだろう、実力もあるのだろう。動きに無駄が無い。
 一方、難波は結局三年の剣道と城の稽古しか積み上げたものがない。動きは無駄だらけで、きっと達人の域には到底届いていない。
 でも。

「ハッ!」

 高速で踏み込み、面を打つ。それだけで一人は地面とキスする羽目になり、その速度についてこられなかったもう片方は勢いあまって壁に激突してしまう。
 壁に激突した男が振り向くより早く、逆胴。ああ、また顧問に怒られる――そんな気持ちを抱きながら別の壁に叩きつけられるその男をぼんやりと眺めた。
 首が変な方向に曲がり、折れた骨が突き出ているが、気にしている暇は無い。
 残り、三人。ここが花屋で――つまり商店で良かった。普通の家なら天井がもっと低くて剣なんて振るえなかったし、踏み込み出来るスペースも無かった。

「……ッ! て、テメェ! 動くなよ、こいつがどうなっても――」

「『飛斬撃』!!!」

 ゴッ!
 空気が震える音と共に、ユラシルさんを人質にしようとした男の右腕が吹き飛ぶ。片腕が無いくらいなら死にはしないだろう。
 難波は踏み込み、面でそいつを打ち倒す。あと二人だ、もう少しだ。
 もう少しで、ユラシルさんとセシルさんをたすけられる。
 再び人質に取られたらたまらないので、ユラシルさんとセシルさんを抱き上げて部屋の隅へ。そして再び向き合ったところで――その二人はいなくなっていた。

「……あ、れ? ……あっ、逃がし、いや、それよ、あっ、ゆ、ユラシルさん! セシルさん! だ、大丈夫ッスか!?」

 状況が飲み込めず一瞬呆けたが――すぐさま二人の方を向く。一糸まとわぬユラシルさんは気が動転しいてるのかその辺に落ちていた向日葵(のような花)で大事なところを隠し、セシルさんは呆けた眼でずっとブツブツ言っている。

「……あっ、えっ……だ、大丈夫……ッス、か?」

 彼女の身体に傷らしい傷はない。セシルさんの方も同様だ。だが傷が無かろうとあの状況で何もされなかったとは考えにくいが――

「……二人とも、服を剥かれただけよ。安心してちょうだい、外傷も無いし……まだ、何もされていなかったから。セシルは……その、ディファインがああなったショックでこうなっちゃったけど、ね」

 言葉を濁してそう言うユラシルさん。そんな彼女を見て難波の心臓がドクンと跳ねる。ドクドクと鼓動が早鐘を打つ。
 それは決して恋だからとか、目の前に女体があるからとかそう言うことではない。この胸にある感情は抑えきれない程の――罪悪感。
 押し潰される、涙が出そうになる。そんな、無茶苦茶な感情に心を支配され……ただ立ち尽くすことしか出来ない。
 目を伏せ、黙り込んだユラシルさんに……アイテムボックスからコートを取り出してかけてあげる。それに気づいた彼女は黄色いショートカットを揺らし、その綺麗な髪色と同じ色の瞳を難波に向ける。
 体感で一時間くらい、実際には一分程だろう。見つめ合って……難波はぽつりと口を開いた。

「なん、で……なんも、言わないん、ッスか?」

「? ……あ、ああ。確かにお礼も言わなくてごめんなさい。気が、その、動転していて。……助けてくれて、ありがとう」

 ペコリと頭を下げるユラシルさん。彼女はセシルさんを抱きしめ、頭を撫でながら……薄っすらと、笑みを浮かべる。

「強いのね、マサト。驚いたわ? まるで勇者みたいだった」

 穏やかな、それでいて……はかなげな笑みを浮かべるユラシルさん。難波はその表情を見て余計に胸を締め付けられる。

「あ、天川は……こんなもんじゃねぇッスよ。って、いや、違う、くて……」

 誤魔化すように変な笑顔を浮かべ……それをすぐに消し、たまらなくなって膝をつく。うなだれ、口をパクパクと開く。
 なんで、彼女はこんなに穏やかなのか。
 なんで、何も言わず笑っているのか。
 なんで、難波に礼なんて言えるのか――

「なん、で……責めないん、すか」

「……何を? マサト」

 ユラシルさんは弱り切った眼で難波を見つめる。責めるでも、泣くでも喚くでもなく、ただただ見つめてくる。
 それが堪らなく心地悪かった。ひどくいたたまれなかった。
 なんで責めないのか。

「もっと、俺が、早く……来てれば……」

「な、何を言ってるの……? 助けられて、感謝しこそすれ……責めるなんてありえないでしょう? 人として」

 本気で不思議そうな顔をするユラシルさん。でもそれが逆に難波は意味が分からなかった。
 全部、難波のせいでこうなったのに――

「だって、だって俺がもっと早かったら、お店はこんなにぐちゃぐちゃにされてないんスよ! ディファインは死んでないし、ユラシルさんだってこんな怖い目にあってないッス! そんで、そんで……! セシルさんだって! ぶっ壊れなかった!!!!」

 なんだかもう一杯いっぱいになってしまいそう叫ぶと、ユラシルさんがゆっくりと手を伸ばし――難波の頬に触れた。

「マサト」

 酷く優しい声音。もはや残酷な程。
 ユラシルさんはただ難波の頬を撫でたまま、逆の手を難波の頭に回す。
 そしてぼすっ、とその胸にダイブさせられた。何も着ていない、向日葵だけが乗っているユラシルさんの胸に。

「~~~~~~~~~~~っ!?」

 混乱し、声なき声をあげてしまう。女性の裸体は、ふにふにして柔らかいのだと初めて知った。

「貴方は、優しいのね」

「なんっ、いやっ、ちがっ」

 違う、優しくなんかない。今だってそう言ったのは、ただ自分が堪らなく許せなくて――誰かに叱って欲しかったから。
 ユラシルさんはそんな難波の想いを知ってか知らずか、そのままただただ撫で続ける。

「私は、今……余裕が、無いの。だからごめんなさい、貴方のことを怒ってあげられないの。ただただ……悲しくって」

「ユラシルさん……」

「だけど……助けてくれて、ありがとう。貴方が来てくれなかったら、きっとこうして無事に話せてない」

 無事じゃない。
 そう言うのは簡単なのかもしれないが、難波も弱い。今はただ流されていたい。自分は悪くないのだと思いたい。

(情けねぇ……)

 人肌の暖かさをじっくりと堪能したいのはやまやまだし、もっとここで悲嘆に暮れていたいのだが――いつまでもここにいるわけにはいかないだろう。避難所まで彼女らを連れていかねば。
 難波は彼女の胸から顔を上げると、セシルさんを担いだ。彼女にもコートをかけてあげたかったが、手持ちに無いので仕方なくキャンプ用の毛布でくるむ。

「マサト?」

「あー……その、避難所まで案内するッス。……お、男の人が怖かったら俺がついてるんで。その、ここより安心ッスから。そんで、その。目のやり場に困るんで……」

「……その前に着替えて欲しい、と」 

「ッス」

「そう。……そうね。こっちよ、私たちの部屋は」

 ユラシルさんの言う通り二階に行くと、一つ結界の張ってある部屋があった。弱い結界だが、ゴブリン程度なら入ってこれないだろう。

「そこは私の工房よ。私が薬剤師なのは話したわよね? 危ない薬も中にはあるから、簡単に人が入れないように軽く結界を張ってあるの。副次的に魔物も弾けるわ」 

「そうなんすね」

「と、ここよ。ちょっと待ってて」

 セシルさんをユラシルさんに預け、五分程待つと……中から呼ばれたので部屋の戸を開けた。

「セシルさんは……俺が、おぶるッス」

「……助かるわ」

 ユラシルさんはいつも通りの格好――七分丈のズボンに何かポンチョみたいなやつを着ている。そしてセシルさんはワンピースだ。
 虚ろな目のまま……何事かブツブツと呟き、生気を失っている彼女はまるでクスリをやった人のよう。
 難波はギリッと奥歯を噛みしめてから……彼女をおぶった。

「マサト。道中で魔物が出てきたら……その、どうするの?」

「あー、そん時は俺が全部ぶっ飛ばすんで安心してくださいッス」

「いえ、セシルをおぶったままでは困るでしょう? 私がおぶりましょうか」

「……そん時だけ、そのお願いしますッス」

「そう、か」

 どうにも彼女の眼を見れなくてそっけなくなってしまう。
 難波とユラシルさんはそのまま階段を降り、店の方を通ってから外に出ようとしたところで――

「ぐっ!?」

 ――ドンッ、という衝撃と共に脳まで痺れる痛みが走った。
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