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第八章 王都動乱なう
193話 気づきと笑顔と剣
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遠くから魔物の咆哮が聞こえる。ここは戦場のど真ん中、ボーっとしている暇なんて無い。それは二人とも理解していた。
でも、桔梗はグッと袖を掴んで離さない。目も離さない。
逃がすつもりはないようだ。
「…………」
天川はそんな彼女の瞳を見つめる。桔梗に言われたことを反芻しながら。
自分は強がっているだけ。
勇者なんて押し付けられただけ。
両方とも、天川の脳内に一切なかった考え方だ。
自分の実力が圧倒的ではないこと、それはしっかりと自覚していた。あの日、清田京助に見せつけられてから。
ラノールさんに師事し、この力を磨いてきた。仲間を守るため、勇者としての責任を果たすため、神器と託された期待に応えるため、救世主としての使命を全うするため、そして――清田に自分を認めさせるため。
清田に自分を認めさせ、戦力に加えれば『勇者』として活動するためにも『救世主』として活動するためにも有用だと思っていた。
そういった様々な理由があって強くなりたかった。
……でも。
言われてみれば、一度たりとも戦いたいと思ったことは無かった。救世主として、勇者として、神器を持つにふさわしい者として、選ばれた責任感が天川明綺羅に『戦い』という選択肢を選ばせていた。
自分が勇者であり救世主である、そうして人から選ばれた存在であるということは天川明綺羅の誇り、ともすれば戦う全ての理由だった。
勇者であるという確固たる信念が――
(……あ)
――ふと、思い出す。
それはかつて志村に言われた言葉。
『楽な戦いっていうのは、確固たる信念に基づく戦いだ。しかしそれは、思考を放棄した戦いと等しくなる恐れがある。……狂信者たちは迷わず、躊躇わず、神に仇なすものを殺すぞ。楽な戦いというのはそういうことだ。そういう奴らは命すら使い潰す。厄介でしかない』
つまり、今の自分は。
そうなっていたということだ。
勇者だから『戦う』。
救世主だから『戦う』。
神器に選ばれたから『戦う』。
皆のためになるから『戦う』。
そして戦うということは死者が出るということ。
さっきだってそうだった。死者が出ても『戦いだからしょうがない』と蓋をした。
自分の選択肢を他者に委ねていたのだ。
それを『覚悟』と勘違いしていた。
「ああ、そうか」
「……? 明綺羅君?」
天川の呟きにキョトンと小首をかしげる桔梗。
しかしそれに構わず、天川は思考を重ねる。
(戦う理由、か。いやその前に……)
本当に戦う必要があるのか。
結局、自分は思考を止めていたということだ。勇者だからと。
思考を止め、やるべきことが『強く』なることだけだと勘違いして。
考えるのをやめてしまえば、それはただの機械でしかない。
いつの間にか勇者であることが誇りであると同時に『言い訳』になっていた。
「そんなのは……強さじゃない、よな」
天川はいつの間にか『勇者』という『職』を持つだけの存在になっていた。思考を止めて蓋をしていた。
そんな人間、『強く』無い。
桔梗の言う通り『強がって』いるだけだったのだ。
「なぁ、桔梗」
「……なんですか?」
「『強い』って、何だと思う?」
天川明綺羅は幼い頃からずっと『強』かった。
勉強はずっと一番。スポーツだって自分より凄い人間はほとんどいない。
何故『強』いと思うようになったのかと言われれば、それは他ならぬ父に言われたからだ。
以降、それは天川にとってのアイデンティティとなった。自分は強いということが。
強いから人に頼られる。
だから異世界でもずっと剣を振るった。
何故なら、自分は強いから。
召喚された時に聞いた『ステータス』についての話。アレを聞いた時に既に心は決まっていた。
自分は異世界でも『強い』のだと。
その後、『勇者』となり神器を手に入れ――最強になったと思い上がっていた。
でも、デネブの塔で。
炎を纏った槍使いはそんな天川を一刀両断した。
『調子に乗るな』
そんな己を恥じ入り、改めて世界の広さを感じ取った天川は一から修行しなおした。ラノールさんに師事し、実力を高めていった。
勇者としての自覚を持ち、戦ってきたつもりだ。
……だが。
結局これは『戦闘力』でしかない。
強いとは何なのか。
いや、そもそも。
喧嘩が強ければ強いのか?
魔物が倒せれば強いのか?
例えば、難波政人。彼と百回戦えば百回勝つだろう。神器を使わなくても勝つ自信がある。
だが、彼は強い。少なくとも最近の彼は。
そうでなければ、先ほどだって彼を一人残したりなんてしなかっただろう。難波なら任せられると思えたから残してきたのだ。
では逆に。
例えば、阿辺裕哉。やはり彼と百回戦えば百回勝だろう。
だが、彼は強いのか?
仮にさっきの状況になって――絶対にありえないだろうが――阿辺が一人残ると言ったら任せただろうか。
恐らく、否だ。能力の性質上難波よりも生き残る可能性はあるだろうが、それでも任せられない。
両者の違いはなんだろうか。
天川はそんなことを考えながら桔梗にもう一度「強いって何だと思う?」と問う。彼女はやや困惑した表情で口を開く。
「なんていうか、こう……やっぱり、凄い力、じゃないですか? 魔物をやっつけたり出来る……凄い力」
そこまで言ってから、桔梗は首を振った。
「ごめんなさい、明綺羅君。たぶん、そうじゃないんですよね。明綺羅君が聞きたいのは」
「いや、そうでもない」
天川はそう言ってぼんやりと桔梗の顔を見つめる。
強さとは。
自分は『本当に戦うべきなのか』。
天川のやりたいこととは。
まず一つずつ自分の中で整理していきたい。
「……なんで、桔梗は俺に頼ってくれたんだ?」
天川が守ってくれるなら戦いに出てもいい。
パーティーに入ってくれるように説得した時の彼女の言葉だ。この言葉からして、彼女に頼られていたと考えて差し支えないだろう。
この問いに対する桔梗の返答は非常にシンプルだった。
「好きだからです」
あっさりと。
そうだ、桔梗に告られていたんだった。
苦笑いをしそうになって、止める。それは流石に彼女に失礼だ。
「それは嬉しいんだが、それだけじゃないだろう?」
再び問うと、桔梗は少しだけ考えてから口を開いた。
「……やっぱり、明綺羅君が真摯だったから。こちらの言うことを受け止めて、いい方に導こうとしてくれてると思ったから、です」
真摯だったから。
確かに天川は真正面から人と接するようにしている。というか、そうするのが当たり前だと思っていた。
だが、彼女からこう言われるということは一般的ではないのかもしれない。
「明綺羅君は優しくって、真摯で……だから、つい頼ってしまいます」
だけどそれじゃいけない。
だから――もう戦わないで欲しい。
責任なんて感じないで、自分のやりたいことをやって欲しい。
桔梗はそう言って、天川の胸の中でまた静かに涙を流し出した。
天川は彼女を抱きしめようとして……ふと、考える。
今、また安易な方に流れそうになった。
(……ああ、何となくわかってきた)
そもそも、何故『強さ』に憧れるようになったのか。それは言わずもがな『強い』父の背を見ていたから。父に憧れた、ああなりたかった。だから、『強い』人でありたかった。
なんで父に憧れるようになったのか。
……父の周囲には笑顔があふれていた。
自分も含めて、父の周囲にいる人間は皆幸せそうだった。母も、自分も、父の友人たちも、祖父母も。皆、父といると笑顔だった。
昔、皆が自分を頼ってくるのが『重たい』と感じて父に相談した。でも何故『重たい』と思ったのか。それは自分がちゃんと皆の悩みを解決出来なかったからだと今なら分かる。
そんな自分が不甲斐なくて、でも自分の不甲斐なさを認められなくて――だから父に訊いたのだ。皆が自分を頼る理由を。
ただ、父の言葉にもどこかで納得しきれなかった。
そのせいでえらく遠回りしてしまったが、やっと見えてきた。
『強さ』とは何なのか。
自分が戦うべきなのか。
そして――天川がやりたいことは何か。
「桔梗。やっとわかってきた気がするよ」
『強さ』とは、決して『実力』のことではない。
『強い』人というのは父のような人である。そう仮定すれば様々なことが見えてくる。
優しく、真摯で、困りごとを解決する力を持つ人。
それこそが『強い』人。
……そして。
天川が異世界で出会ったラノール。彼女もまた『強い』人だと思う。
女性として騎士団の中で戦い続ける気高さ、そして根性。そういった心根を『強い』と感じる。
一方で、難波政人。彼の強さはいい意味での割り切り。自分に出来ること、最善を常に考え続ける思考。それが彼から感じる『強さ』だ。
ヘリアラス。彼女の『強さ』は言わずもがな圧倒的な実力。人を高みから見下ろす分かりやすい『強さ』だろう。
呼心は計算高さや演技力、それに加えて内に秘めた熱い闘志。それが彼女の『強さ』を根幹から支えている。
ティアー王女は、政治の世界に身を置いてきたこともあって芯がある。何より我を通す意思。それに『強さ』を感じる。
そして桔梗は――
「俺の見まいとしていた欠点を見抜いて、伝えてくれた。絵を描いてるからか? 観察力が凄いんだな」
「……?」
唐突に褒められて、涙目のまま顔を上げる桔梗。
そんな彼女の涙を拭い、笑みを向ける。
「相手のことを想って言葉を紡げる。気持ちを伝えられる。……俺は、桔梗のそんなところが『強い』と思う」
そう、『強さ』とは相対的なものじゃない。
『強さ』とは絶対的なもの。人それぞれにある『心』や『生き方』。それこそが『強さ』なのだ。
そして『強い』人には一つ共通点がある。皆、今を全力で前を向いて生きているということだ。
「『強い』っていうのは、人それぞれ……なんて、ちょっと狡い答えな気もするな。でも、やっと分かったよ。俺のやりたいことが」
そんな天川の表情で、何かを悟ったのか桔梗がまた泣きそうな顔になる。
でも、これは天川明綺羅の決めたこと。彼女が泣いても譲れそうにない。
「俺は、父のような『強い』人になりたい。周囲の人を笑顔にして……誰もかれも、救えるような。そんな『強い』人に」
それが天川明綺羅のやりたいこと。
「じゃあ……また、まだ、戦うんですか? 力があって魔物を倒せる人はたくさんいるのに。明綺羅君が戦う理由なんて無いのに……」
「そうだな。……こんな状況になってしまったらな」
ぐるりと周囲を見る。魔物だらけの戦場、きっとたくさんの人が泣いている。
こうなってしまえば戦うしかない。
「本当は、戦わないで解決できるのが一番いいんだ。戦うのは最後の手段だ。でも、もしも戦わなくちゃ解決出来なくなった時に逃げるような男でいたくない。だから俺は戦う。それが皆を笑顔にする手段なら。俺は、その痛みも引き受ける」
「……結局、皆のために、戦うんですか……? それで、明綺羅君に何が残るんですか……?」
「仲間と笑顔だ」
これからもきっと悩むし、完全な正解なんて無いのだろう。
でも、この二つだけは絶やしたくない。それが天川の願い、望み。
一緒に仲間と笑える。それが天川の思う『強い』人だから。
「一緒に笑顔になりたいって思う仲間、それが残るよ」
もう何を言っても無駄だと悟ったのか、桔梗は少しだけ口を開いて……止める。
その代わり、ギュッと天川の胸元を握りしめた。
「また辛い思いをするかもしれないんですよ……?」
「そしたらまたその時悩んで、最善の答えを模索するよ」
「きっと痛くて苦しいこともあるんですよ……?」
「そのために今、実力をつけてるんだ」
力強くそう宣言すると、桔梗は天川から一歩離れ……背を向けて立ち上がった。
「……どうしても、戦うんですよね」
「少なくとも今日は。いや……この王都が戦禍に巻かれている限りは」
「戦いに行ったら……私が、泣いちゃうとしてもですか?」
「ああ。その分、手の届く全員を救って――桔梗が流した涙の倍以上の笑顔を、君に届ける」
具体的な案はまだ思いつかないが。
天川のその答えを聞いた桔梗の身体が、淡く青く光り出す。それは紛れもなく『職』が進化する時の光。
「私は、明綺羅君ほど強くないんです。それまで……ちょっと待てるか、分かりません」
「……?」
「だから……『祈りを捧げよ、この命に。我が身全ての生よ! ありとあらゆる魔を打ち払う極限の翼となりて、彼の者の剣に宿りたまえ!』」
魔力が膨れ上がる。それは彼女の持つ魔力量を遥かに超えるもので――かつてデネブの塔で見たそれにそっくりだった。
呼心が新井を治した時や、ゴーレムドラゴンとの決戦で皆が魔法を使った時に見た――清田が捨て身の魔力と呼んだそれ。
「何を……っ!」
「『ブレイクスルー・エクシーズリミット』!」
尋常じゃない魔力が膨れ上がり、桔梗の身体を包み込む。そしてその魔力が彼女の指に集まり……勢いよく天川に射出された。
天川にぶつかった瞬間、眩い光が辺りに満ちる。天川自身がまるで黄金のように光り輝いていた。
「これ、は……?」
「だから……次、目が覚めたら……私を、笑って……迎えて……」
「桔梗!」
ドサリと地面に倒れこむ桔梗。咄嗟に駆け寄って彼女を抱き起す。
桔梗は真っ青な顔になり気絶していたが、容態は安定している。ただの魔力切れのようだ。
それにホッとすると同時に、自分に尋常じゃない力が満ちていることに気づいた。今なら倍の速度で動けそうな、尋常じゃない力が。
「……すまな、いや」
謝罪の言葉を口にしかけて、やめる。
彼女は天川の想いに託してくれた。というか、折れてくれた。
天川なら大丈夫と、信じてくれた。
「ありがとう」
であれば、謝罪ではなく感謝を。
天川は彼女をお姫様抱っこしたまま、空を見上げる。
「俺は……天川明綺羅だ!」
決意の言葉を述べて走り出す。
どうすればこの街を救えるのか、走りながら考えよう。
自分も含めた、皆にとっての最善を。
ただの天川明綺羅として。
「行くぞ!」
叫ぶ。
吠える。
両手は塞がっているが問題ない。
守る者が天川に力を与えてくれるのだから。
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「うおおおおおおおおおお!」
斬斬斬!
三筋の斬撃が地面を抉り、その衝撃波で周囲の魔物を吹き飛ばした。
後ろに子供を庇っているが故にあまり前には出られないが、それでも問題ない。『飛斬撃』で遠くの魔物を牽制する。
「難波、その子たちを頼んだ!」
「人使いが荒いって、天川!」
笑いながら、子どもたちを守る位置に立つ難波。
――彼はあの魔物の群れから生き延びただけではなく、殲滅していた。
それもなんでもないことのように、天川たちを迎えに来たのだ。
「頼もしくなった難波が悪い」
「いやその言い分はおかしいだろ!」
笑いながら魔物の攻撃から子供たちを守る難波。まさか難波に背中を預けて戦う日が来るとは思わなかったが……今はそれが頼もしい。
「ってか、追花はお前に守ってもらいたいと思うぜ!?」
「仕方ないだろう。取りあえずこの魔物の群れを突破する。はぁっ!」
ドッッッッッ!
天川が気合を入れると、周囲に『力』が迸る。この金色のオーラを受けている間は負ける気がしない。
押し潰そうと突進してくるアラクネゴーレムを拳の一撃で吹き飛ばす。
右からソードコボルト、左からアックスオークが同時に武器を振り下ろしてきたが、剣を右手で掴みアックスオークを『飛斬撃』で斬り捨てた。
掴んだソードコボルトを引き寄せ、その胸部を剣で貫きトドメを刺す。
「上もか」
息を薄く吐き出しながら野球の構えを取る。左足を上げ、腰の回転を利用しながら強く踏み込んだ。
「はぁぁぁぁ! 『飛斬撃』! 『飛斬撃』! 『飛斬撃』!」
尋常じゃない勢いで飛び出した連続の『飛斬撃』は、あまりの連射速度によって放射状に広がる光線のようになる。
ビカァァァアァッァァ!
眩い輝きが空に広がり、一縷の抵抗すら許さず魔物を消滅させてしまった。
『職スキル』、『扇斬光撃』を習得しました。
「はー……たーまやー……」
「お、お兄ちゃん……た、たまやって?」
「すげぇって意味だ」
「そ、そうなんだ。た、たまや! たまや!」
「た、たーまやー!」
後ろでそんな気の抜ける声が聞こえる。難波は嘘を教えるんじゃない。
一旦魔物の波も収まったか……と思いきや、ぞろぞろとカノンウルフ、アックスオーク、ウィングラビット、ハンマーオーガ、ガトリングミノタウロスが出てきた。
どれもこれも普段見るそれとは一回り大きく、生半な魔物ではないことが分かる。
ハンマーオーガが一歩前に出ると、右腕のハンマーをこちらに向けてきた。
「……くっくっく。勇者の首が獲れるとはオレたちも運がいい」
魔物、ではない。
魔族だ。
そのことを理解すると同時に脳が冷えていく。
「がはは! 五人に勝てるわけないだろう!」
「あいにく魔王の血族にはなれなかったが……それでも勇者程度ならわけねえぜ!」
「五分で終わらせようぜ、皆ぁ!」
「「「「おお!」」」」
げらげらと楽しそうに笑いだす魔族たち。
天川は少しだけ顔を伏せ……申しわけない気持ちでいっぱいになる。
「悪いが、五分ももちそうにない」
「あ? 怖気づいたのかテメ――」
ドッ!
嘲笑しようとしたハンマーオーガの首が一瞬で消え去った。天川がやったことはごく単純、近づいて首を刎ねただけだ。
――目視出来ないレベルの超高速でやっただけで。
「お前たち程度なら、一分で終わる」
「な、舐めやがって……!」
四体の魔物、いや四人の魔族が武器を構える。
天川は冷静に武器を構え直し、堂々と叫んだ。
「魔族ども。悪いが――俺の守りたい笑顔のため、お前たちには泣いてもらう!」
少なくとも。
守りたい者のためならば、もう天川はぶれない。
勇者でも、救世主でもない。
天川明綺羅としての戦いが始まる。
でも、桔梗はグッと袖を掴んで離さない。目も離さない。
逃がすつもりはないようだ。
「…………」
天川はそんな彼女の瞳を見つめる。桔梗に言われたことを反芻しながら。
自分は強がっているだけ。
勇者なんて押し付けられただけ。
両方とも、天川の脳内に一切なかった考え方だ。
自分の実力が圧倒的ではないこと、それはしっかりと自覚していた。あの日、清田京助に見せつけられてから。
ラノールさんに師事し、この力を磨いてきた。仲間を守るため、勇者としての責任を果たすため、神器と託された期待に応えるため、救世主としての使命を全うするため、そして――清田に自分を認めさせるため。
清田に自分を認めさせ、戦力に加えれば『勇者』として活動するためにも『救世主』として活動するためにも有用だと思っていた。
そういった様々な理由があって強くなりたかった。
……でも。
言われてみれば、一度たりとも戦いたいと思ったことは無かった。救世主として、勇者として、神器を持つにふさわしい者として、選ばれた責任感が天川明綺羅に『戦い』という選択肢を選ばせていた。
自分が勇者であり救世主である、そうして人から選ばれた存在であるということは天川明綺羅の誇り、ともすれば戦う全ての理由だった。
勇者であるという確固たる信念が――
(……あ)
――ふと、思い出す。
それはかつて志村に言われた言葉。
『楽な戦いっていうのは、確固たる信念に基づく戦いだ。しかしそれは、思考を放棄した戦いと等しくなる恐れがある。……狂信者たちは迷わず、躊躇わず、神に仇なすものを殺すぞ。楽な戦いというのはそういうことだ。そういう奴らは命すら使い潰す。厄介でしかない』
つまり、今の自分は。
そうなっていたということだ。
勇者だから『戦う』。
救世主だから『戦う』。
神器に選ばれたから『戦う』。
皆のためになるから『戦う』。
そして戦うということは死者が出るということ。
さっきだってそうだった。死者が出ても『戦いだからしょうがない』と蓋をした。
自分の選択肢を他者に委ねていたのだ。
それを『覚悟』と勘違いしていた。
「ああ、そうか」
「……? 明綺羅君?」
天川の呟きにキョトンと小首をかしげる桔梗。
しかしそれに構わず、天川は思考を重ねる。
(戦う理由、か。いやその前に……)
本当に戦う必要があるのか。
結局、自分は思考を止めていたということだ。勇者だからと。
思考を止め、やるべきことが『強く』なることだけだと勘違いして。
考えるのをやめてしまえば、それはただの機械でしかない。
いつの間にか勇者であることが誇りであると同時に『言い訳』になっていた。
「そんなのは……強さじゃない、よな」
天川はいつの間にか『勇者』という『職』を持つだけの存在になっていた。思考を止めて蓋をしていた。
そんな人間、『強く』無い。
桔梗の言う通り『強がって』いるだけだったのだ。
「なぁ、桔梗」
「……なんですか?」
「『強い』って、何だと思う?」
天川明綺羅は幼い頃からずっと『強』かった。
勉強はずっと一番。スポーツだって自分より凄い人間はほとんどいない。
何故『強』いと思うようになったのかと言われれば、それは他ならぬ父に言われたからだ。
以降、それは天川にとってのアイデンティティとなった。自分は強いということが。
強いから人に頼られる。
だから異世界でもずっと剣を振るった。
何故なら、自分は強いから。
召喚された時に聞いた『ステータス』についての話。アレを聞いた時に既に心は決まっていた。
自分は異世界でも『強い』のだと。
その後、『勇者』となり神器を手に入れ――最強になったと思い上がっていた。
でも、デネブの塔で。
炎を纏った槍使いはそんな天川を一刀両断した。
『調子に乗るな』
そんな己を恥じ入り、改めて世界の広さを感じ取った天川は一から修行しなおした。ラノールさんに師事し、実力を高めていった。
勇者としての自覚を持ち、戦ってきたつもりだ。
……だが。
結局これは『戦闘力』でしかない。
強いとは何なのか。
いや、そもそも。
喧嘩が強ければ強いのか?
魔物が倒せれば強いのか?
例えば、難波政人。彼と百回戦えば百回勝つだろう。神器を使わなくても勝つ自信がある。
だが、彼は強い。少なくとも最近の彼は。
そうでなければ、先ほどだって彼を一人残したりなんてしなかっただろう。難波なら任せられると思えたから残してきたのだ。
では逆に。
例えば、阿辺裕哉。やはり彼と百回戦えば百回勝だろう。
だが、彼は強いのか?
仮にさっきの状況になって――絶対にありえないだろうが――阿辺が一人残ると言ったら任せただろうか。
恐らく、否だ。能力の性質上難波よりも生き残る可能性はあるだろうが、それでも任せられない。
両者の違いはなんだろうか。
天川はそんなことを考えながら桔梗にもう一度「強いって何だと思う?」と問う。彼女はやや困惑した表情で口を開く。
「なんていうか、こう……やっぱり、凄い力、じゃないですか? 魔物をやっつけたり出来る……凄い力」
そこまで言ってから、桔梗は首を振った。
「ごめんなさい、明綺羅君。たぶん、そうじゃないんですよね。明綺羅君が聞きたいのは」
「いや、そうでもない」
天川はそう言ってぼんやりと桔梗の顔を見つめる。
強さとは。
自分は『本当に戦うべきなのか』。
天川のやりたいこととは。
まず一つずつ自分の中で整理していきたい。
「……なんで、桔梗は俺に頼ってくれたんだ?」
天川が守ってくれるなら戦いに出てもいい。
パーティーに入ってくれるように説得した時の彼女の言葉だ。この言葉からして、彼女に頼られていたと考えて差し支えないだろう。
この問いに対する桔梗の返答は非常にシンプルだった。
「好きだからです」
あっさりと。
そうだ、桔梗に告られていたんだった。
苦笑いをしそうになって、止める。それは流石に彼女に失礼だ。
「それは嬉しいんだが、それだけじゃないだろう?」
再び問うと、桔梗は少しだけ考えてから口を開いた。
「……やっぱり、明綺羅君が真摯だったから。こちらの言うことを受け止めて、いい方に導こうとしてくれてると思ったから、です」
真摯だったから。
確かに天川は真正面から人と接するようにしている。というか、そうするのが当たり前だと思っていた。
だが、彼女からこう言われるということは一般的ではないのかもしれない。
「明綺羅君は優しくって、真摯で……だから、つい頼ってしまいます」
だけどそれじゃいけない。
だから――もう戦わないで欲しい。
責任なんて感じないで、自分のやりたいことをやって欲しい。
桔梗はそう言って、天川の胸の中でまた静かに涙を流し出した。
天川は彼女を抱きしめようとして……ふと、考える。
今、また安易な方に流れそうになった。
(……ああ、何となくわかってきた)
そもそも、何故『強さ』に憧れるようになったのか。それは言わずもがな『強い』父の背を見ていたから。父に憧れた、ああなりたかった。だから、『強い』人でありたかった。
なんで父に憧れるようになったのか。
……父の周囲には笑顔があふれていた。
自分も含めて、父の周囲にいる人間は皆幸せそうだった。母も、自分も、父の友人たちも、祖父母も。皆、父といると笑顔だった。
昔、皆が自分を頼ってくるのが『重たい』と感じて父に相談した。でも何故『重たい』と思ったのか。それは自分がちゃんと皆の悩みを解決出来なかったからだと今なら分かる。
そんな自分が不甲斐なくて、でも自分の不甲斐なさを認められなくて――だから父に訊いたのだ。皆が自分を頼る理由を。
ただ、父の言葉にもどこかで納得しきれなかった。
そのせいでえらく遠回りしてしまったが、やっと見えてきた。
『強さ』とは何なのか。
自分が戦うべきなのか。
そして――天川がやりたいことは何か。
「桔梗。やっとわかってきた気がするよ」
『強さ』とは、決して『実力』のことではない。
『強い』人というのは父のような人である。そう仮定すれば様々なことが見えてくる。
優しく、真摯で、困りごとを解決する力を持つ人。
それこそが『強い』人。
……そして。
天川が異世界で出会ったラノール。彼女もまた『強い』人だと思う。
女性として騎士団の中で戦い続ける気高さ、そして根性。そういった心根を『強い』と感じる。
一方で、難波政人。彼の強さはいい意味での割り切り。自分に出来ること、最善を常に考え続ける思考。それが彼から感じる『強さ』だ。
ヘリアラス。彼女の『強さ』は言わずもがな圧倒的な実力。人を高みから見下ろす分かりやすい『強さ』だろう。
呼心は計算高さや演技力、それに加えて内に秘めた熱い闘志。それが彼女の『強さ』を根幹から支えている。
ティアー王女は、政治の世界に身を置いてきたこともあって芯がある。何より我を通す意思。それに『強さ』を感じる。
そして桔梗は――
「俺の見まいとしていた欠点を見抜いて、伝えてくれた。絵を描いてるからか? 観察力が凄いんだな」
「……?」
唐突に褒められて、涙目のまま顔を上げる桔梗。
そんな彼女の涙を拭い、笑みを向ける。
「相手のことを想って言葉を紡げる。気持ちを伝えられる。……俺は、桔梗のそんなところが『強い』と思う」
そう、『強さ』とは相対的なものじゃない。
『強さ』とは絶対的なもの。人それぞれにある『心』や『生き方』。それこそが『強さ』なのだ。
そして『強い』人には一つ共通点がある。皆、今を全力で前を向いて生きているということだ。
「『強い』っていうのは、人それぞれ……なんて、ちょっと狡い答えな気もするな。でも、やっと分かったよ。俺のやりたいことが」
そんな天川の表情で、何かを悟ったのか桔梗がまた泣きそうな顔になる。
でも、これは天川明綺羅の決めたこと。彼女が泣いても譲れそうにない。
「俺は、父のような『強い』人になりたい。周囲の人を笑顔にして……誰もかれも、救えるような。そんな『強い』人に」
それが天川明綺羅のやりたいこと。
「じゃあ……また、まだ、戦うんですか? 力があって魔物を倒せる人はたくさんいるのに。明綺羅君が戦う理由なんて無いのに……」
「そうだな。……こんな状況になってしまったらな」
ぐるりと周囲を見る。魔物だらけの戦場、きっとたくさんの人が泣いている。
こうなってしまえば戦うしかない。
「本当は、戦わないで解決できるのが一番いいんだ。戦うのは最後の手段だ。でも、もしも戦わなくちゃ解決出来なくなった時に逃げるような男でいたくない。だから俺は戦う。それが皆を笑顔にする手段なら。俺は、その痛みも引き受ける」
「……結局、皆のために、戦うんですか……? それで、明綺羅君に何が残るんですか……?」
「仲間と笑顔だ」
これからもきっと悩むし、完全な正解なんて無いのだろう。
でも、この二つだけは絶やしたくない。それが天川の願い、望み。
一緒に仲間と笑える。それが天川の思う『強い』人だから。
「一緒に笑顔になりたいって思う仲間、それが残るよ」
もう何を言っても無駄だと悟ったのか、桔梗は少しだけ口を開いて……止める。
その代わり、ギュッと天川の胸元を握りしめた。
「また辛い思いをするかもしれないんですよ……?」
「そしたらまたその時悩んで、最善の答えを模索するよ」
「きっと痛くて苦しいこともあるんですよ……?」
「そのために今、実力をつけてるんだ」
力強くそう宣言すると、桔梗は天川から一歩離れ……背を向けて立ち上がった。
「……どうしても、戦うんですよね」
「少なくとも今日は。いや……この王都が戦禍に巻かれている限りは」
「戦いに行ったら……私が、泣いちゃうとしてもですか?」
「ああ。その分、手の届く全員を救って――桔梗が流した涙の倍以上の笑顔を、君に届ける」
具体的な案はまだ思いつかないが。
天川のその答えを聞いた桔梗の身体が、淡く青く光り出す。それは紛れもなく『職』が進化する時の光。
「私は、明綺羅君ほど強くないんです。それまで……ちょっと待てるか、分かりません」
「……?」
「だから……『祈りを捧げよ、この命に。我が身全ての生よ! ありとあらゆる魔を打ち払う極限の翼となりて、彼の者の剣に宿りたまえ!』」
魔力が膨れ上がる。それは彼女の持つ魔力量を遥かに超えるもので――かつてデネブの塔で見たそれにそっくりだった。
呼心が新井を治した時や、ゴーレムドラゴンとの決戦で皆が魔法を使った時に見た――清田が捨て身の魔力と呼んだそれ。
「何を……っ!」
「『ブレイクスルー・エクシーズリミット』!」
尋常じゃない魔力が膨れ上がり、桔梗の身体を包み込む。そしてその魔力が彼女の指に集まり……勢いよく天川に射出された。
天川にぶつかった瞬間、眩い光が辺りに満ちる。天川自身がまるで黄金のように光り輝いていた。
「これ、は……?」
「だから……次、目が覚めたら……私を、笑って……迎えて……」
「桔梗!」
ドサリと地面に倒れこむ桔梗。咄嗟に駆け寄って彼女を抱き起す。
桔梗は真っ青な顔になり気絶していたが、容態は安定している。ただの魔力切れのようだ。
それにホッとすると同時に、自分に尋常じゃない力が満ちていることに気づいた。今なら倍の速度で動けそうな、尋常じゃない力が。
「……すまな、いや」
謝罪の言葉を口にしかけて、やめる。
彼女は天川の想いに託してくれた。というか、折れてくれた。
天川なら大丈夫と、信じてくれた。
「ありがとう」
であれば、謝罪ではなく感謝を。
天川は彼女をお姫様抱っこしたまま、空を見上げる。
「俺は……天川明綺羅だ!」
決意の言葉を述べて走り出す。
どうすればこの街を救えるのか、走りながら考えよう。
自分も含めた、皆にとっての最善を。
ただの天川明綺羅として。
「行くぞ!」
叫ぶ。
吠える。
両手は塞がっているが問題ない。
守る者が天川に力を与えてくれるのだから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「うおおおおおおおおおお!」
斬斬斬!
三筋の斬撃が地面を抉り、その衝撃波で周囲の魔物を吹き飛ばした。
後ろに子供を庇っているが故にあまり前には出られないが、それでも問題ない。『飛斬撃』で遠くの魔物を牽制する。
「難波、その子たちを頼んだ!」
「人使いが荒いって、天川!」
笑いながら、子どもたちを守る位置に立つ難波。
――彼はあの魔物の群れから生き延びただけではなく、殲滅していた。
それもなんでもないことのように、天川たちを迎えに来たのだ。
「頼もしくなった難波が悪い」
「いやその言い分はおかしいだろ!」
笑いながら魔物の攻撃から子供たちを守る難波。まさか難波に背中を預けて戦う日が来るとは思わなかったが……今はそれが頼もしい。
「ってか、追花はお前に守ってもらいたいと思うぜ!?」
「仕方ないだろう。取りあえずこの魔物の群れを突破する。はぁっ!」
ドッッッッッ!
天川が気合を入れると、周囲に『力』が迸る。この金色のオーラを受けている間は負ける気がしない。
押し潰そうと突進してくるアラクネゴーレムを拳の一撃で吹き飛ばす。
右からソードコボルト、左からアックスオークが同時に武器を振り下ろしてきたが、剣を右手で掴みアックスオークを『飛斬撃』で斬り捨てた。
掴んだソードコボルトを引き寄せ、その胸部を剣で貫きトドメを刺す。
「上もか」
息を薄く吐き出しながら野球の構えを取る。左足を上げ、腰の回転を利用しながら強く踏み込んだ。
「はぁぁぁぁ! 『飛斬撃』! 『飛斬撃』! 『飛斬撃』!」
尋常じゃない勢いで飛び出した連続の『飛斬撃』は、あまりの連射速度によって放射状に広がる光線のようになる。
ビカァァァアァッァァ!
眩い輝きが空に広がり、一縷の抵抗すら許さず魔物を消滅させてしまった。
『職スキル』、『扇斬光撃』を習得しました。
「はー……たーまやー……」
「お、お兄ちゃん……た、たまやって?」
「すげぇって意味だ」
「そ、そうなんだ。た、たまや! たまや!」
「た、たーまやー!」
後ろでそんな気の抜ける声が聞こえる。難波は嘘を教えるんじゃない。
一旦魔物の波も収まったか……と思いきや、ぞろぞろとカノンウルフ、アックスオーク、ウィングラビット、ハンマーオーガ、ガトリングミノタウロスが出てきた。
どれもこれも普段見るそれとは一回り大きく、生半な魔物ではないことが分かる。
ハンマーオーガが一歩前に出ると、右腕のハンマーをこちらに向けてきた。
「……くっくっく。勇者の首が獲れるとはオレたちも運がいい」
魔物、ではない。
魔族だ。
そのことを理解すると同時に脳が冷えていく。
「がはは! 五人に勝てるわけないだろう!」
「あいにく魔王の血族にはなれなかったが……それでも勇者程度ならわけねえぜ!」
「五分で終わらせようぜ、皆ぁ!」
「「「「おお!」」」」
げらげらと楽しそうに笑いだす魔族たち。
天川は少しだけ顔を伏せ……申しわけない気持ちでいっぱいになる。
「悪いが、五分ももちそうにない」
「あ? 怖気づいたのかテメ――」
ドッ!
嘲笑しようとしたハンマーオーガの首が一瞬で消え去った。天川がやったことはごく単純、近づいて首を刎ねただけだ。
――目視出来ないレベルの超高速でやっただけで。
「お前たち程度なら、一分で終わる」
「な、舐めやがって……!」
四体の魔物、いや四人の魔族が武器を構える。
天川は冷静に武器を構え直し、堂々と叫んだ。
「魔族ども。悪いが――俺の守りたい笑顔のため、お前たちには泣いてもらう!」
少なくとも。
守りたい者のためならば、もう天川はぶれない。
勇者でも、救世主でもない。
天川明綺羅としての戦いが始まる。
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