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第八章 王都動乱なう

183話 自信と懸命と剣

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「離せ! 俺は阿辺だぞ! 阿辺裕也だぞ!」

 ギャーギャーと喧しい声が城下に響く。近所迷惑という言葉は彼のためにあるものだろう。
 天川は思いっきりため息をつきたい気持ちを抑え込みながら、騒ぎの中心に向かって走る。

「おい阿辺、何をしてるんだ」

「あ、天川! コイツラをどうにかしろ! この俺を捕まえようとするんだぞ!」

 血走った眼で叫ぶ阿辺。その足元には血まみれの男性が二人、そして阿辺を手荒に取り押さえているのは役人だ。

「これで何度目だ阿辺……あれほどやり過ぎるなと言っただろう」

「はぁ!? このバカどもが盗みを働いたのが悪いんだろうが!」

 話が通じない。相も変わらず、本当に同じ言語を用いているのか分からなくなってくる。
 やむなく、役人たちに離すように伝えてから阿辺の説得に入った。

「いいか、阿辺。普通……人間っていうのは、血を流し過ぎたら死ぬし、殴られても死ぬんだ」

「ああ!? 天川、テメェ俺のことを舐めてんのか!」

 舐めてはいない。呆れているが。
 そんな言葉が喉から出かかったがグッと堪え、阿辺の両肩を掴む。

「阿辺、今日のこれはやり過ぎだ。……お前も相応の実力を身に着けているなら、手加減というものを覚えろ」

「はぁ!? 犯罪者に慈悲なんか必要ねーだろ!」

「慈悲じゃない。……これでは私刑リンチだ」

「リンチぃ!? 俺は一人でやってんだからリンチなわけねえだろ!」

 何を言ってるんだこいつは。
 言語が通じていない確信を得た天川は、とにかく黙らせようと阿辺の腕を掴む。

「取りあえず行くぞ。……おい、阿辺。それは何の真似だ?」

 しかし、阿辺はにやにやとした笑みを浮かべると杖を構えた。前の世界で言うなら銃口を向けるのと同義のそれを、街中で平然とやる阿辺は……控えめに言って狂っているといえるだろう。
 一応、阿辺がその意味を知らずにやっている可能性を考慮して――天川は剣に手をかけず、もう一度口を開く。

「……阿辺、それは、何の真似だ?」

 噛んで含めるようにゆっくりと問うと、阿辺はにやにやと杖に魔力を集めていく。

「何の真似って、そりゃぁ……魔法を唱えようとしてるかな」

 ここでやっと、阿辺の様子がおかしいことに気づいた。
 明らかに魔力量が増大していること、ではない。
 何故か、
 虚勢じゃない、ハッタリでもない。根拠のない「選ばれている」という妄想からくる自信でもない。
 実力に裏打ちされた自信を感じる。

「……阿辺、杖を降ろせ」

「そういやぁ、天川。お前、空美とはもうヤったのか?」

「阿辺! 杖を降ろせ!」

「ほかにも色んな女がお前に惚れてるよな、いいよなぁ……お前」

「阿辺!」

 阿辺の手首を掴み、グッと引き寄せる。しかし阿辺は――やや狂気に満ちた笑みのまま、さらに杖に魔力を集中させる。

「なんで俺じゃねえんだろうな……でもそれも今日までだ、天川」

「阿辺、最後通告だ……杖を降ろせ!」

「うるせぇ」

 ドッ!
 超至近距離で阿辺の魔法が炸裂する。咄嗟に剣で弾き、腹を蹴飛ばして距離をとる。

「ひは、ヒヒハハハハハハァァァ!」

 連弾。小型の結界が尋常じゃない密度で飛んでくる。
 天川はそれらを冷静に弾こ――うとして、このままでは周囲に被害が出ると思い直した。やむなく、受け止めてなるべく自分へのダメージだけでそれをやり過ごす。
 煙が晴れた後、阿辺は不服そうな表情で舌打ちした。

「チッ、やっぱまだダメか。せめて本当の『力』が手に入ればなぁ」

「おい、阿辺?」

 阿辺はブツブツと何事か呟いた後、ニヤッと嫌らしい笑みを浮かべて天川の方へ近づいてくる。
 殺気の類いは、収まっていた。

「冗談だよ、冗談」

「……阿辺、冗談でやっていいことと悪いことが――」

「ああ? 冗談だっつってんだろ。なに真に受けてんだ?」

 今度は苛立ったような表情になる。相変わらずコロコロとルーレットのごとく感情が変わるせいで、まったく読めない。
 阿辺はぐるりと踵を返すと、ヒラヒラと手を振ってからその場を去ろうとする。

「お、おい阿辺! 待て!」

「んだよ。うるせぇな……俺は選ばれたんだぜ?」

 意味が分からない。意味が分からないが……これ以上奴を刺激するのはまずいかもしれない。
 かといって野放しにするわけにもいかない。
 どうすれば――と天川が判断に迷っていると、後ろから難波に声をかけられた。

「あー、天川。俺が行くわぁ」

「……助かる、が。難波」

 天川はやや面倒そうな顔をしつつも、どこか嬉し気な難波を見てつい声をかける。

「その……いつも、阿辺を宥めてくれるのは嬉しいんだが……だ、大丈夫なのか?」

 我ながら要領を得ない問い方だったが、難波は特に気にした様子も無く答えてくれる。

「んー、なんつーかさ。デネブの塔、覚えてるよな」

 デネブの塔。
 天川が自身の力不足を実感した場所であり、白鷺がパーティーを離脱することを決意した場所であり――清田が圧倒的な力量差を見せつけて去っていった場所である。
 最初は清田のことを『守るべき存在である』と思っていた。しかし戦いの中でそれが勘違いであることを見せつけられ……更に天川たちが弱かったから、何も対話せず去られてしまった。
 清田の目からすればさぞや滑稽に映ったことだろう。何せ自分より弱い人間が、自分を守ろうと躍起になっているのだから。
 それなら、あの言葉にも納得がいく。これほどまでに酷いとは思っていなかったという清田の言葉にも。
 だから強くなろうと思えた。
 そんな経験を得た塔、果たして難波はどんな想いを得たのか。

「もう一年くらい前になるのかな。アレに行ったの。そん時さ、俺……一回死んだだろ?」

「……ああ」

「実は死んでませんでした、ってなった後に思ったんだわ。生きるのって、何となくじゃ無理なんだって」

「……そう、だな。確かに皆、一生懸命生きている」

 なんて言っていいか分からず、月並みなことを言ってしまう。そんな天川を気遣ったのか、難波は曖昧な笑みを浮かべてわざと明るい声を出す。

「そりゃそうなんだよ、でもさ。俺、一回死ぬまで分からなかったんだわ。変かね」

 変かね、と問われても天川には分からない。何せ、自分はずっと一生懸命生きているつもりだからだ。
 難波は天川の反応というか答えにさして興味が無いのか、話を続ける。

「話が飛んで悪いんだけど、俺剣道やってたのよ。……っつっても、中学の三年間だけ。しかもサボりまくりのダメ部員だったけどな」

 今考えれば一生懸命やってりゃ良かったなぁ、と笑うその表情には……寂しさと、後悔が浮かんでいた。

「一回も公式戦で勝てないまんま三年間終わってな。引退試合の時、なんの感慨も沸かなかったんだよ。それがあまりにも虚し過ぎた……んだけど、かといってやる気も沸かなくて高校の時はぶらぶらしてたんだわ」

 ぶらぶら、何となく生きていた。
 難波はそう言った後、やはり声のトーンを無理矢理明るくする。

「んで、阿辺とつるむようになって……なんのかんのあって異世界に飛ばされただろ。だから最初は『好き勝手してやるぜ!』って思ってたんだわ」

 そういえば、最初は阿辺と難波はこそこそと夜中出ていくことが多かった。その時に何をしていたのかは……知らない。
 難波は気まずげに頬をかき「あー、それは置いといてさ」と話を進める。

「んで、ベガの塔でお前が神器手に入れて、勢いに乗って……デネブの塔で死んで生き返って。やっとその時さ、何かしなきゃって思えたんだ」

 何かしなきゃ。
 それもやはり、天川の心にはないものだった。何せ、ずっと自分のすべきことを考えながら生きてきたから。

「でもよー、俺って……お前より弱いし。木原みたいに素早くないし、勿論新井とか井川みたいな魔法も使えないし……俺の必殺スキルは防御系だからな。でもタンク出来るだけの技術もないし。俺に出来ること、何もねえのよ」

 諦念、とも違う。悟りと言えるほど高尚でもない。
 しかし……自己分析と言うにはあまりに悲しい。

「生きるためには、出来ることを精いっぱいやらないといけない。俺以外の人が出来ることも、俺にしか出来ないことも両方やらないといけない」

 なかなか生きるのって大変だなぁ、なんて笑う難波は……痛々しさは無く、どちらかというと清々しさがあった。

「だから俺に出来ることって、そりゃ阿辺と仲いいことだろ。……あんなんでも、やっぱいないと困るだろうからな。俺が上手いこと手綱握ってりゃぁいいかなと思ってよ」

「……それは、助かる」

 これは天川の本心だ。
 難波はニカッと笑い、天川の背を叩いた。

「言っとくけど、今! 俺にしか出来ないことは阿辺の相手ってだけだ。そのうちどんどん増やすぜ。そうだな……やっぱタンクの技術習うことかな。俺の『剣魂逸敵けんこんいってき』を上手く使えばドラゴンの攻撃だっていなせるんだぜ」

「……ああ、知ってる。頼りにしてるぞ」

「おう! っとと、早く行かねえと。んじゃな」

 難波はそう言って足早に駆けていく。きっとこのまま阿辺と合流したら、いつも通り宥めて一緒に城に戻ってくるのだろう。
 天川は、難波のことを『強い』と思っていなかった。仲間であることは間違いないが、彼のことも『守る対象』であった。
 しかしどうだろう。あんなにも『強い』。自分で考え、自分で進むべき道の答えを出し、自分の足で進んでいく。

「俺は、強いのか?」

 難波とは百回戦えば、百回勝てる。
 その確信がある。
 だが……強いと感じる。

「何故、だろうか」

 答えは出ない。
 虚空に消えた自分の声を拾う人はいない。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「というわけでこれが新しいアクセルブーツで御座る」

「……ありがとうございます、志村君」

 新しい発明品を持って新井の部屋に行くと、眠そうな彼女に出迎えられた。

「眠そうで御座るな。タイミングが悪かったで御座るか?」

「いえ……ちょっと昨夜、眠れなくって」

 今は午前十時ごろ。志村も前の世界であれば夢の中だが、こちらの世界だともう一仕事終えている時間だ。
 こんな時間まで寝ているほど、となると徹夜したくらいしか考えられない。

「その……徹夜をしたわけじゃないんですけど、夢が……」

「夢、で御座るか。夢見が悪いなら医務室で薬をもらってくるといいで御座るよ」

「ああいえ、そこまでじゃないんですけど……その、ここ最近ずっとなんです。おんなじ女の人に、『もっと自己主張しても良いのでございます』とか『もっと、貴方は選ばれるべきなのでございます』とかそういうことを言われる夢です」

 同じ人、ずっとというのが気になるところだ。何らかの魔法的な影響を受けているのかもしれない。
 ただ、志村は魔法に詳しくないので、彼女に何か影響が出ているのかは分からないが……ここ数日と言うことであれば空美と出会った時に彼女が何か気づくはずだ。

(もう一度、訊いておくべきかもしれないで御座るな)

 志村は心でそう思いつつ、彼女の表情を見る。

「んー、確かに顔色が悪いで御座るな。もう少し寝ていたらどうで御座るか? 今日はクエストもないで御座ろう」

 新井にそう言うが、彼女は首を振って「でもアクセルブーツの使い方を確認しないと」と言ってふらふらと準備を始める。
 仕方が無いので、志村は後ろからそっと近づき睡眠薬を嗅がせる。何も抵抗すること無く、するりと眠りにつく新井。

「これ誰かに見られたら、拙者明らかに犯罪者予備軍で御座るなぁ」

「んーん、犯罪者そのものでしょ。ロリコンでレイプ未遂って救いが無くない? 志村くん」

 声の主は新井のルームメイトである宇都宮。志村は一つ苦笑いしてから肩をすくめる。

「拙者はロリコンでもレイプ魔でも御座らんよ。……というか、新井殿はいつ頃からこんな調子で御座るか?」

「一週間くらい前からかな。日中は平気なんだけど、朝とか夜はツラそう」

 結構前からだ。それなのに気づかなかったのは志村の落ち度というよりは彼女が上手く隠していたんだろう。
 ふむ、と思いつつ志村は宇都宮に新井を渡す。

「取りあえず今日一日、寝かせといて欲しいで御座る」

「んー、了解。でも女の子にこんな荒っぽいやり方はダメだよ」

「言っても聞かなそうで御座ったからな」

 ため息交じりに言うと、宇都宮は「言えてる」と笑いながら言って、ちょいちょいと手招きした。

「君が十五歳以上の女の子に興味を示さないのは知ってるけど、美沙を寝かせてくれたお礼がしたいからお茶でもどう? せっかくだし、新作スイーツの味見もお願い」

「……だから拙者はロリコンでは御座らんというのに。しかしありがたくいただくで御座るよ」

 お邪魔します、と一言断って彼女らの部屋に入る。
 ……そういえば、同年代の女子の部屋に入るのは初めてだな、なんて思いながら。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「おーい、阿辺。なんで王都の端っこまで来てるんだよ。……聞いてるのか?」

 ズカズカと歩く阿辺。そろそろ王都の端――つまりは森と王都内を区切る塀付近に着く。そんなところ、魔物が出てくる以外特に何もない。

「あぁ!? うるせぇ、黙ってろよ難波! ……俺が本当の力を出すために必要なんだよ」

 何を言っているんだか。
 相変わらず自分の世界でイキリ散らしている阿辺にやれやれと思いながら、難波は彼の後ろをついていく。もう少しで晩飯の時間だ、そうなったら流石に宥めすかして連れて帰ろう。
 しかし異世界人の身体能力というのは凄いものだ。普段から訓練して、しかも戦闘職である難波はともかくとして、魔法師で碌に訓練の一つもしない阿辺すら息一つ切らさずこんな距離を走れるなんて。
 そんなことに感心しつつ……ふと、疑問が思い浮かぶ。

(でも阿辺って、前までこんなに体力あったか?)

 せいぜい魔法師にしては体力がある、程度だったはずだ。現に以前行ったクエストでは真っ先に音を上げて駄々をこね出したのは阿辺だった。しかし今の阿辺は明らかに戦闘職の人間ばりの体力がある。何せこれで四か所目だ、こうして王都の端に来て何やらやるのは。
 こんな一晩二晩で体力が増えるものか?

「よし……やっとついた。へっ、俺様にこんな雑用をやらせやがって……」

 とうとう森の中に少し入った阿辺は、にやりと笑ってアイテムボックスから太い杖を取り出す。これも四本目だ。女性の腰ほどありそうな太さのそれをドン! とその場に突き刺した。
 なんだろう、とは思うが深くは聞かない。後で天川に報告さえしておけばいいだろう。

「それで、終わったのかー? 阿辺」

「ああ!? ……ああ、終わったよ。帰るか」

「おう。……あ、今日の晩飯なんだと思う?」

「昨日魚だったから、肉だろ。んで、三日前は煮物だったから焼いたのが出てくるはずだ」

「おー、よく覚えてるな」

「当然だろうが」

 取りあえずおだてておく。実際、記憶力に関しては完敗だから。

「なぁ、阿辺。お前……前の世界に戻れたらどうするんだ?」

 なんとは無しに尋ねてみる。しかし阿辺は微塵も考える素振りすら見せず答えた。

「俺は帰らねえ。こっちの世界で生きていく」

「は? なんで?」

「……くくくっ、俺は選ばれたんだ。俺の価値を何も理解出来なかったクソ教師やクソ親しかいない世界なんざまっぴらだ。俺は、俺の世界で生きていく」

 若干逝っちゃった目になる阿辺。毎度毎度、こいつには何が見えているんだか。

「選ばれたねぇ……まあ、お前は強い『職』らしいしそうなのかもな」

 やはりあまり何も考えずにそう言うと、阿辺はギラリと眼光を鋭いものにして難波の胸倉を掴む。

「俺の……俺の選ばれた理由は。もっと、もっと凄いモンに選ばれたんだよ。天川とも違う、もっともっと凄いモンになぁ……っ!」

「え、は? ……なんだそれ」

 何言ってるんだこいつ、と思いつつ取りあえず阿辺の手を外す。
 阿辺は難波をジロジロ眺めたかと思うと……腹に軽くパンチしてきた。

「お前は使えそうなら雑用係くらいにしてやるよ」

「……よく分かんねえけど、そん時はよろしく頼むわ」

 テキトーにそう返すと、阿辺は満足そうにうなずいた。

(なーに言ってるんだか)

 前の世界から、阿辺は正直こんな風だった。
 勉強も運動もせいぜい中の上。しかし、とにかく選民意識が強くて一度『下』とみなした人間は徹底的に見下し、言うことを一切聞かない。自分が一番じゃないと気が済まないので、何かあるとすぐに自分が優れていると言いだす。
 そのくせ強い相手にはとことん弱く、例えば天川なんかには一切逆らわなかった。こっちの世界でも天川の言う事はよく聞いていたと思う。

「俺は選ばれたんだ……くくくっ、見てろよ天川……清田ァ……!」

 清田にはこっちの世界で説教されてからとことん敵意をむき出しにしているが、前の世界では歯牙にもかけていなかった。実際は成績も運動も負けていただろうが、オタクっていうだけで見下していた。
 逆に佐野のことは前の世界からずっと好きだったみたいで、あの凛とした顔を歪めてみたいと言っていた。

「志村も天川も清田も新井も全員俺の手下にしてやる……くくくっ、未来は明るいなぁ! 難波ぁ!」

 ……どうしてこうも能天気なのか。
 難波はため息をついて阿辺の後をついていくのだった。





 異変まであと――
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