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第三章 アンタレスの事件なう

55話 決意の白鷺なう

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 ダンッ! と地面を蹴って、ヘリアラスさんに肉薄する。
 ホントはでかい声を出して気合を入れたいところだったが、今は夜中だ。静かにしないと後で怒られてしまう。
 左ジャブで、牽制する。ジャブというのは、基本的に躱されない攻撃――軽いが、最速が故、モーションが少ないが故、躱すことができないボクシングにおける最強の、必殺パンチ。鷲村さんが最初に教えてくれたパンチ。
 しかしそれをヘリアラスさんは、首を傾けるだけであっさりと躱した。

(躱しやがった!)

 しかし、ここまでは想定の範囲内。
 白鷺は右のフェイントを挟んでから、左のダブル――今度はボディへのフックだが、これも簡単に躱される。

(距離感の掴み方が異常だぜ、おい……)

 一切こちらへ攻撃する気がないのが見て取れるというのに、自分の攻撃が当たらない。この光景には、うすら寒いものを感じてしまう。
 さらに踏み込んで、ジャブ、ストレート、左ボディ、右ボディ、左フック、右フックと連打を重ねるが、一向に当たらない。こちらの踏み込んだ分だけ、ヘリアラスさんは離れている。
 鷲村さんが言っていた。相手からのパンチが当たらないで、自分のパンチだけが当たるところに居れば、必ず勝てる、と。
 言うは易し、行うは難し――それを、ヘリアラスさんはやってのけている。

「ねぇ」

「……なんす、かっ?」

 白鷺の攻撃を躱しながら、ヘリアラスさんが話しかけてきた。

「なんで、さっきから攻撃がパンチだけなのぉ?」

 体は、軽い。
 こっちの世界に来てからというものの、前の世界とは段違いなほどの速度で動くことができる。
 なのに――この人には、当たらない。

「なんでって、そりゃ……」

 思いっきり地面を踏みしめ、体ごとたたきるけるようなアッパーを繰り出す。
 白鷺に話しかけてきていたからか、一瞬反応が遅れたヘリアラスさんの髪に、彼の拳が掠った。

「俺は、ボクサーっすからね!」

 掠った白鷺の拳を見て、若干ヘリアラスさんの表情が変わる。
 そこにあるのは驚きと、少しの困惑。
 もしかすると、まさか拳が掠るとは思っていなかったのかもしれない。
 ヘリアラスさんの予想を外すことが出来た気がして、白鷺はニヤリと笑う。
 頭を振って、体勢を低くしてから、伸びあがる反動を利用して右ボディを打つ。
 風を切る音が、元の世界の数倍もあるようなそれを、ヘリアラスさんはそれもまた簡単に躱す。

(やっぱヘリアラスさん、つえー……)

 ボディから、顔を狙う――清田の時にもやったコンビネーションだが、ガードすらしてくれない。反射と距離感だけで全て躱されてしまう。

「ボクサーって……随分、面倒なのねぇ」

「え?」

 ヘリアラスさんが、いつもの眠そうな目を向けて、ぼそりと呟いてきた。

「わざわざ拳だけで戦わなくちゃいけないなんて……不完全な武術よねぇ」

 不完全な武術――
 その言葉に、少しムッときて白鷺は語気を荒げる。

「不完全な武術? 何言ってるんすか!」

 三つ、四つとフェイントを入れてから、相手の視線が一瞬だけ右に行った刹那を狙い、左ボディを放つ。
 ヘリアラスさんは右足を軸にして、回転することで白鷺の攻撃を躱す。化け物め。
 とはいえ、そんな躱し方をしたせいで無理な体勢になったからか、片足で跳躍して少し距離をとられた。
 だが――そういった逃げる敵を仕留めるのも、ボクシングでは得意分野。
 足の親指の付け根に力を入れて、一歩でその距離を詰める。

「シッ!」

 風を切る音すら置き去りにする三連打。
 それすら踊るような動きで躱すヘリアラスさんだが、顔からは余裕の色は消えている。

「ボクシングは、拳だけで戦うことで、完結してるんすよ。拳しか使えない武術なんじゃなくて、拳だけで攻撃する武術なんすよ!」

「ふぅん……あながち、その言葉も間違ってないかもねぇ」

 左手を前に、右手を右頬の前にもってくる。
 ボクシングではオーソドックスな構え。白鷺はボクサーファイター。離れても、近づいても戦えるボクサーだ。実は、身長の割にリーチも長い。
 だけど、グッと前傾姿勢になって――インファイターとして戦う方が、好きだ。

「だけどアンタ、スキルは使わないのねぇ」

「俺のスキルはどれもタメが長くて。ありゃ対魔物用のスキルばっかッスね」

 それも、『拳々轟々』くらいしか使わない。

「せっかく、人族として『職スキル』があるのよぉ? 活用したらどう?」

「あー……確かに他の皆は使ってましたけど、俺の場合は、前の世界で培ってきた技術ばっかしか使わなくて充分なんすよ」

 さらに一撃。
 ガシッと手ごたえがある。当たったか――? と思ったのもつかの間、それが木だったことに気づく。
 ……ギリギリで躱して、まるで当たったように見せるとか。

(ガチでこの人やべぇ)

 自然と、口元に笑みがこぼれる。
 そう言えば、初めて鷲村さんと戦った時も、こんなに楽しかったか。
 自分より強い人に挑む瞬間は、楽しい。
 そして、それを倒すことが出来たらなおのこと楽しい!

「ッラァ!」

 伸びあがるような姿勢から、右を振り下ろす。
 本来はリーチのあるボクサーがする技だが、捨て技だから関係ない。
 当然ヘリアラスさんは躱すが、上からの攻撃を躱したから少し重心が上がった。そのタイミングを狙い、下からのアッパー。
 だが、

「惜しいわねぇ」

 それすら、ジャンプして躱される。

「惜しくねぇッスよ!」

 ――ジャンプした瞬間ってのは、空中では自由に動けない。
 その隙は、大きい。
 上にいるヘリアラスさんをめがけ、体を伸びあがる力を利用して、スクリュー気味に――腕を回転させ、ねじりこみながらフックを放つ。いわゆるガゼルパンチと言われる必殺パンチ。


『職スキル』、『スクリューガゼルパンチ』を習得しました。


 頭にシステムメッセージが響き、拳が青く光る。
 これなら――

「やるわねぇ」

 その刹那、何が起きたのかは見えなかった。
 ただ、腕が一瞬動かなくなり――
 白鷺の意識が闇に落ちた。


~~~~~~~~~~~~~~


「はっ」

「あぁ、起きたのねぇ」

 切り株に座っているヘリアラスさんから見下ろされている。

(……綺麗な足だな、じゃなくて)

 やっぱり、負けたのか。
 白鷺はふぅ~……と大きくため息をついてから、立ち上がった。

「サーセン、ありがとうございました」

「別にいいわよぉ? ……というか、アンタ、対人戦はアキラよりも強いわねぇ」

「そりゃそうっすよ。場数が違いますから」

 こともなげに言って、白鷺は天を仰ぐ。

「だけど……清田には勝てなかった」

 ギリッ、と歯を食いしばる。
 ヘリアラスさんのように、圧倒的に強い人と戦えば、このモヤモヤも晴れるかもしれないと思ったが、そんなことは無かった。
 負けた悔しさが、倍増するだけだ。

「あの子に、負けるのは仕方ないと思うわよぉ? はっきり言って、天才よあの子は」

「あの子って……清田のことっすか?」

「えぇ」

 清田が、天才。
 be動詞で繋ぐにはあまりしっくりくる形容詞ではないが――しかし、同時に納得する部分もある。

「潜ってきた、死線の数も、違うと思うわぁ。才能もあるし。才能だけならぁ、アキラと遜色ないわねぇ。あ、顔はアキラの方が圧倒的にいいけどぉ」

 顔かよ、と。

「それでぇ? アンタはどうしたいのぉ?」

 ヘリアラスさんの眠そうな目が、こちらを射抜く。

「どうしたらって」

 ヘリアラスさんに、稽古をつけてもらいたいです。
 そう言おうとした白鷺の心持を察したのか、先回りするようにヘリアラスさんはため息をついてきた。

「言っておくけど、あたしじゃ稽古はつけられないわよぉ?」

「えっ……な、なんでっすか?」

「単純な話よぉ。アンタの戦い方と、あたしの戦い方じゃ差がありすぎるし。何より、あたしはアキラを鍛えるので忙しいしねぇ」

 確かに、ヘリアラスさんは闘う時には足技で戦っている。美脚戦士だ。

「今、変なコト考えたでしょぉ?」

「滅相ないです」

「……アンタ、いっつもあたしの足見るからわかりやすすぎるわよぉ? あと、胸も。女は敏感だから気を付けなさいねぇ?」

 ぐっ、と言葉を詰まらせるが、反論ができない。
 ……今度からもっとばれないように覗こう。

「じゃあ、稽古つけてもらえないんすねー……」

 はぁー……とため息をついて、地面に座り込む。

「なんであんたはぁ、あたしに稽古をつけて欲しいのぉ?」

「え? そりゃー……負けりゃ、強くなりたいって思うもんでしょう」

 白鷺が当たり障りのないことを言うが、ヘリアラスさんはそれでは納得してくれないらしい。答えを聞いても、ジッとこちらを見つめている。
 その無言の圧力に負けて、少しそっぽを向きながら語り始める。

「あー……俺、異世界人の中では、一番強いつもりだったんすよ、ここに来た時は。……んで、今もその認識はあんまり変わってない。対魔物――デカい威力が必要になってくる戦いはまだしも、こと対人戦に関しては負けることなんてないって思ってるんすね?」

「……まあ、あながち間違いじゃないでしょうねぇ」


 達人クラスのヘリアラスさんに言われ、少しうれしい気持ちになる。

「……そうだ、ヘリアラスさん、俺のステータス見たこと無いっすよね。見ます?」

「少し興味はあるわぁ」

 ヘリアラスさんが少しこちらへとやってきたので、アイテムボックスからステータスプレートを取り出して、ヘリアラスさんの方へ投げる。

「へぇ……」


  -------------------

名 前:白鷺 常気
『職』:チャンピオン
職 業:王室付き剣士
攻 撃:1100
防 御:1500
敏 捷:2000
体 力:1200
魔 力:500

職スキル:飛拳激、剛力拳、分拳、爆拳、飛拳激・二連、飛拳激・三連、拳々轟々、激剛腕
使用魔法:なし

  -------------------


「なかなかじゃなぁい? だけど……気になるのは、『職』ねぇ」

「みんなには内緒ッスよ?」

「……こんな『職』は見たことないわねぇ。アキラの勇者はごくまれにいるけど、こんな『職』は初めて見たわぁ」

 そう――白鷺の『職』、は『チャンピオン』。
 誰にも言っていない、白鷺の秘密だ。

「チャンピオンって、最強の称号なんすよ、俺の中では。だからってわけじゃないけど、俺としては『みんなを守ろう』って思ってたんすよ。特に、対人では。みんな――人なんか、殺せないでしょうから」

「ふぅん……アンタは、違うって?」

 少し目を細めたヘリアラスさん。それに、多少苦笑しながら、白鷺は返す。

「いや、まあ……殺すのは、怖いッスよ。そりゃ。だけど、俺しかいないッスから。覚悟を持って戦っていた経験があるのは。ボクシングって、実は死亡事故って割とあるんすよ。だから、鷲村さん――俺の、兄弟子っつか、尊敬する人からよく言われてたんすね。『』って」

 ステータスプレートを放り投げてくれたヘリアラスさんからそれをキャッチし、アイテムボックスにしまう。

「だから、みんなのことを守ろうって。そのために強くなろうって。……だけど、まだ無理っぽくて。だから、強くなりたいんすよね」

 馬鹿っぽい論法になってしまう。

「魔物からは天川が守ってくれると思います。だけど、これからは魔族とか亜人族とかと戦うことが増えていくと思うんすよね。その時に、俺が弱いまんまじゃダメだと思ったんす。確かに、俺はボクサーとしては強いのかもしれない。だけど、みんなを守るにはまだ足りない。だから――鍛えてもらおうって」

「なんで?」

「俺は、チャンピオンになりたいから。そんで、チャンピオンってのは、一番強いもんだから。だから――誰かに鍛えてもらう。そうすれば、みんなを、守れる」

「もう、チャンピオンじゃない」

「チャンピオンってのは、自分から名乗るもんじゃない。チャンピオンと呼ばれる人を倒して、人からそう呼ばれるようになるもんなんすよ」

「ふぅん……」

 ヘリアラスさんには、いまいち伝わらないようだ。
 仕方ないかな――と苦笑していると、ヘリアラスさんは、何かを思い出すような仕草をしてから、指を一本立てた。

「それならぁ……確か、アルタイルの塔に、そういう戦い方が得意な枝神がいるわよぉ? 凄く強い枝神で……普通に、肉弾戦ならあたしも敵わないわねぇ」

「え……?」

「そいつに師事すればいいわよぉ? 強くなれるはずだわぁ」

 ヘリアラスさんは、気だるげに言うが、しかしこちらのことを考えてくれていることは分かる。

「若干……というか、かなり脳筋なところがあるから、塔の中は厳しいものになるでしょうけど……まぁ、頑張ってねぇ」

 そう言うと、んー、と伸びをしてから、欠伸をしつつテントに戻って行った。

「……なるほど」

 白鷺は、少しため息をつく。
 そして、少し俯いてから、顔を上げた。

「よし」

 まずは、テントを仕舞う。
 次に、アイテムボックスの中身を確認。……これなら、次の街に行くくらいはもつだろう。清田のやっているというAGとやらになれば、日銭くらいは稼げるかもしれない。
 すべては自分次第――。

「……なるほど、清田はこんな気持ちでいたわけか。そりゃタフにもなるわけだ」

 ガラにもなく緊張する。
 けれど、自分で決めたことだ。

「強くなる……だけど、それにみんなをついてこさせるわけにはいかない」

 それに、古来より武者修行は一人でやるものと相場が決まっている。
 何より――人は追い込まれないと成長しない。
 清田の姿を見て確信した。
 このままじゃダメだ。

「強くならないと。そんで、魔物なんかをぶっ倒すのは天川に任せて、覇王と魔王は俺がぶっ倒して英雄になってやんよ!」

 小声で叫ぶという器用なことをやってのけ、白鷺はいろいろしまってから、もう一度深呼吸する。

「……よし」

「こんな真夜中にどこに行くの? 白鷺君」

「げっ、加藤」

「げっ、て何さ。げっ、て」

 加藤が肩をすくめながら、こちらの方へ歩いてくる。

「いや……その……ほら、ちょっと腹が減って」

「そう、僕もお腹空いたから一緒に行こうか」

「あー……い、いや、その。ホントはHなお店に行こうと思ってよ。やっぱこんな生活しているとたまっちまうだろ?」

「何言ってるのエターナル童貞」

「誰がエターナル童貞だ!」

「で、永久名誉童貞」

「だから永久名誉童貞ってなんだよ! 未来のことは分かんねえだろ!」

「――全部聞いてたよ。ヘリアラスさんとの会話」

 ピタッと、空気が止まった。

「アルタイルの塔に行くんでしょ? ……確かに、天川君たちは一度王城に戻って、鍛え直すって言っているからね。そんな回り道をしないで強くなりたいって気持ちは分かるよ。だけど、一人で行くのは危険すぎる。白鷺君、収入とかはどうするの?」

「あー……ほら、AGになれば日銭くらいは稼げるかなって」

「まあ、僕らはなんだかんだ言って異世界人。あんまりこの世界の人と交流を持っていないからわからないけど、王様の言い分では能力が高いらしいからね。そりゃあ稼げるだろうさ。じゃあ、宿は?」

「……普通に、宿屋とかに泊まればいいだろ」

 加藤は、はぁ……とかなり大きなため息をついた。

「白鷺君、君はそんなに頭がよくないだろ?」

「いきなり失礼だなお前は」

「――目の前で倒れ伏した女の子がいます。その子が『助けてください! 村がピンチなんです!』とかなんとか言ってきました。君はどうする?」

「んなもん。助けに行くに決まってるだろ」

「そこがバカなんだよ君は。人の言葉を疑わない。その辺は天川君と一緒だよね。……まあ、裏切られたらその瞬間から切り替えられる頭のアホさはなかなかだと思うけど」

「お前は褒めてるのかけなしてるのかどっちなんだ」

「無論、けなしてるけど」

「けなしてんのかよ!」

 そうやって大声を出したら、シーッと口に人差し指を当てられた。そう言えば、大きな声を出し過ぎていたかもしれない。
 かなりイラッとしたものを感じながら、というかイライラしながら、白鷺は加藤に話の続きを促す。

「で?」

「簡単な話。僕もついていくよ? ってこと」

「は?」

 ポカンとして、口を開けてしまう。

「あ、ちなみに拒否権は無いから」

「いやいやいやいや! 理由は!?」

「秘密」

「なんで!?」

「そんなに大きな声を出すとみんな起きちゃうよ?」

 グッ……と口をつぐむ。
 どうにも、こいつとはやりにくい。

「……つまり、俺はお前に何も聞かず、それでいて二人で行こうと?」

「そういうことになるね。……というか、そもそも君は前衛でしょ? 後衛の僕がいなくてどうするのさ」

「……そりゃ、それもそうか」

 なんか納得してしまった。

「じゃ、行くよ」

「え、なんでお前が仕切ってるの」

「君じゃ頼りないからだよ」

「ひでえ!」

 ……だけど、なんだか心が軽くなった。
 自分でも思っているよりも、緊張していたのかもしれない。

「強くなるんでしょ?」

「そりゃな」

「じゃあ、まあ頑張ろうよ。僕も頑張るからさ」

「そうだな」

「ほら行くよ、エターナル童貞」

「だから未来は分かんねえだろ!?」

 やっぱこいつは嫌いだ!
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