”小説”震災のピアニスト

shiori

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第8章「グラスレコード~君と過ごした最後の日~」3

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  感謝を込めた私の演奏が終わると、次に隆ちゃんが入れ替わる形でピアノの椅子にどっしりと座った。

「隆ちゃんのピアノをこうしてそばで聞くのも今日が最後なんだね……」

 私はこんなことを言いたくはないけど、でも、寂しさのあまりに言葉が零れていた。

「僕も寂しいよ……、晶ちゃんのピアノがしばらく聞けなくなるのは。
 でも、僕はもっとピアノが上手くなりたいから。だから寂しくても行くんだ」

「そうだよね、長い人生だもん、今を大切に生きる、そのための選択をするのは当たり前のことだと思う。

 それを決断できる隆ちゃんは、やっぱり立派だって思うよ。

 だから、いつまでも応援してる、遠くから見守ってるよ」

 私は今の私の気持ちを言葉にして、隆ちゃんに伝える。
 こうして目の前で伝えたい言葉を伝えられるのも、今日でしばらくできなくなるのだ。

「うん、それじゃあ、刻み込んでいってくれるかな?
 今、”僕がいる場所”を、覚えていてくれるかな?
 再会出来た時に、僕が成長したことを実感してほしいから」

 残酷な言い方をしているのに、優しさも込められているから、私は彼の気持ちを拒絶することは出来なかった。
 これからも時々でも会うようにして関係は続けられるはずなのに……、でも彼は言うのだ。

 ”自分が成長して帰ってくるまで待ってほしい”と

 それが男としての”けじめ”のようなものなのだと、私はなんとなく理解できたが、それでも、寂しさでいっぱいだった。
 
 いくら距離が離れていたって、いくらでも連絡は取れるはずなのに、お互いの音楽を披露する機会はあるはずなのに、彼はそれを望まないようだった。

 そのことを受け入れるのに、時間はかかったけど。けど、私は成長して彼が帰ってくることを信じて待つことに決めた。

 まだ、子どものままの私たちが早く大人になりたくて、こんなやり取りをしている……、そういう気持ちが何となくでも分かったから。
 だから、私は彼の決断を受け入れた。

「分かった、お願い……、私、全部受け止めるから。
 だから、刻み込んで、ずっと忘れないでいられるように。
 今の隆ちゃんに何が足りなくて学びたいのか、何を目指して学びに行くのか。
 その全部を私に、教えてください」

 彼がこの先に訪れる試練にも耐えようとする決意、その分だけの理由。
 それを彼は今から演奏で証明しようとしている、だから、私は真剣に受け止めようとしっかりと聞くことにした。

 私の言葉を噛みしめた様子の隆ちゃんは深呼吸をして、姿勢を正しながら鍵盤に指を添える。

 変わらないいつもの光景にも見えたが、いつもより彼は真剣な目をしていて、ゾクゾクさせられた。こんなに強いオーラを放つ男の子だっただろうか。
 
 精神統一するように目の前のピアノに意識を集中させた彼は、次の瞬間、瞳を強く輝かせ、軽快なテンポでピアノを弾き鳴らし始めた。

 耳を澄まさなくても彼の力強い演奏が私の身体の隅の隅まで澄み渡るように溶け込んでくる。

 『ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18』、セルゲイ・ラフマニノフの作曲した二番目のピアノ協奏曲。

 ロシアの代表的な音楽家の一人、ラフマニノフを好み、その代表的なピアノ協奏曲に挑んていく彼の姿を私は聞き逃さないように見守る。

 彼は私と違って度々、難解な曲を演奏したがる傾向があったが、私は驚かされた。
 彼の情熱は留まるところを知らない、まだ小学生を卒業したばかりの短い指を精一杯伸ばして、力強く、粘り強く演奏しようとしている。

 無謀と笑う人ももしかしたらいるかもしれないが、私は彼の姿を尊敬した。
 
 彼は無理にこんな曲にチャレンジしているのではない、これが、ピアニストの才能に根差した、彼が目指す音楽なのだ。

 だから、私は喜んだ、彼の才能が活かされる先があることに。

 これから成長していく、伸びしろがまだあることを。

 彼は次第に額に汗を滲ませながらも、第三楽章まで演奏を続けた。
 
 息を切らしながら、演奏を終えた彼の姿を私は記憶の奥深くまで刻み込んだ。

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