”小説”震災のピアニスト

shiori

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第4章「錆び付いた対面」1

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 震災というものは人為的なものではない、誰も恨むことのできない偶発的な現象により、傷つき、不幸にも私は障害を負ってしまったのだ。
 
 だから、これを嫌でも受け入れなければならないことは、高校一年生にもなったのだから理解はしなければならないのだろうが、私の心労はそうそう前向きになれるものではなかった。

「晶子、今日も大人しくしているかしら」

 音も立てずに個室の扉を開き、入って来た桂式見かつらしきみ先生は親しい友人のような話しかけ方で私に声をかけた。
 文庫本を手に読書に耽っていた私は突然話しかけられ、すぐに慌てて机に手を伸ばしてタブレット端末の電源を起動させた。
 
 声を出して会話が出来ない私は、手話はおろか口話もまともに出来ないので手元に置いているタブレット端末の音声機能や筆談ひつだんボードを使ってなんとか会話をしている。
 高校生の私は文字の入力は人並みに素早くできてしまうので、メールももちろん使うが、コミュニケーションの手段としては入力した文字を音声読み上げソフトで再生するのが覚えることもなく、ジェスチャー以外では一番手っ取り早かったのだ。

「慌てなくていいわよ晶子、今日はゆっくりしていくつもりだから」

 私はその言葉を聞き、式見先生の顔色を見てから、恐縮しつつ頷いた。
 色んな人が大変な状況にあるのを目の当たりにしている中で式見先生はあまり動じることなく冷静に振舞っている。私は教師というのは凄いなと改めて式見先生を見ながら思った。

「病院って落ち着かないですね」

 私はタブレット端末に入力した文字を再生させた。
 私は生まれてこの方病気を患ったこともなく入院経験もなかった。

「そうね、あまり長く入れるような居心地のいい場所ではないわよね。私も腹痛で一回入院したことがあったくらいかしら」

 それは盲腸か何かだろうか? と私はそれを聞いて思ったが、あまり聞いていい話題にも思えなかったので追及しないことにした。

 思えば病院が快適すぎるとそれはそれで、退院して元の生活に戻ろうというモチベーションが喪失しかねないので、常識的には今の在り方に間違いはないのかもしれない。

「こうして一日過ごしていると、自分にはピアノにしかなかったんだなって実感します」

 文字を入力する時間分のタイムラグはありながらも、ゆっくりとした時が流れる二人きりの病室の中ではあまり気にせずに済んだ。
 非常時や学校の中だときっと凄くストレスを感じてしまうだろうから、あまりすぐに学校に戻りたいとは思えなかった。
 
 この先、仮設された学校に戻ってクラスメイト達に会ったとしても可哀想な目で見られてしまうだろう、その時に感じるであろうストレスを思うと憂鬱で仕方なかった。

「クラシックは、まだ聞けないのかしら?」

 式見先生が少し沈んだ声で私に聞く、私の気持ちを察しているからこそ、自然とそういう表情になってしまうのだと分かった。

「なかなか、それは難しいです。今の私に音楽は毒でしかないです。怖くなるんです……、今までの自分とは違うことを自覚させられることが。こうして一人で本を読んでいる限りは今までの自分とあまり変わらない感覚でいられますが、音楽を聞くのは怖いです」

 私は先生に対しては素直な気持ちを告げた。
 その場で入力した言葉だから、明日にはまた言葉は変わっているかもしれないけど。それでも、自発的に音楽を聞く気持ちになれない事はこの先も変わらないだろうと思う。


「そう……、今は身体を休めるのが先決よね。
 また、落ち着けるようになった時に考えればいいわ、時間はあるから。
 余震は平気かしら? キツイようなら県外に移るのも考えてみていいと思うけど」

 式見先生はどこまでも私のことを心配して接してくれている、その気持ちが痛いくらいに分かった。

「いいえ、大丈夫です。私は今のままで」

 ここから転院することになれば式見先生の負担も大きくなるだろう。
 これ以上、式見先生の暮らしている家から離れて不便をさせてしまうのは私の本意ではなかった。
 今でも十分に迷惑を掛けているというのに、私のわがままで今以上に負担を掛けさせたくなかった。
 それに、今の生活に耐えられないと告げて余計に心配を掛けてしまうのも罪悪感が強すぎると思った。

 先生はそれから私のベッドに一緒に座り、雑談をしながら入院して少し痛んだ髪を櫛で綺麗に整えてくれた。
 自慢というわけではないが、私のサラサラとしたツヤのある黒髪が先生はお気に入りのようで羨ましそうに見てくる。
 先生のしている茶色に染めたショートボブも似合っていると思うのだが、きっと若い学生が羨ましいだけなのだろうと私は勝手に思っている。

 頭半分くらい座高の高い先生との落ち着いた時間が続いた頃、先生は急に決心がついたように私の瞳を見つめて真剣な表情を浮かべた。

 私はそのピアノを演奏するときのような真剣な眼差しにドキっとさせられながら、次に発せられるであろう言葉に身構えた。
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