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第十章 Trust me,Trust you
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不快な音ばかりが耳につく。吐き気が止まらない。けれど逃げるわけにはいかないと必死に耳を澄ませていたが、気づけば意識がうっすら遠のいていた。
――ガン!
開いた扉の勢いで身体を強く押し倒され、光は転がりながら覚醒する。
「うあ、ひ、光さん!? 大丈夫ですか! こんな場所にいらっしゃるとは」
「いってて……」
部屋の扉を開けたのは片岡だった。ノックしても反応がなかったので、ベッドで寝ていると思ったらしい。片岡は急いで光の身体を抱き起こしながら、何度も謝ってきた。
それはどうやら扉で攻撃したことだけが原因ではないようだ。
「頼れる人間が誰もいない今、あなたを独りぼっちにさせてしまいました。光さんの護衛ともあろうものが、この体たらく……。申し訳ありません」
「……」
「勝行さんにバレたら、大目玉ものです」
「……なんだよ……オッサンもお仕置きが好きなんじゃねえの」
冗談半分で片岡を揶揄うと、光を腕に抱いたまま彼も苦笑した。
「あの方から受ける厳しい罰は、存在を無視されることです。その辛さを知っていながら、あなたを放置してしまってすみません。気が焦るあまり、若槻先生からお話を伺うまで気づけないままでした」
「……あいつ。なんて言ったの」
「あなたを今、一人にさせてはいけないと」
――俺のことは嫌いなくせして、ちゃんと仕事はするんだな……。光は改めてあのいけ好かない心療内科の存在に感謝しつつ、片岡の骨ばった頬をぐいと抓って苦言を零した。
「俺の事のけ者にしやがって。あとで勝行に言いつけてやるからな」
「すみません」
しょげる片岡の顔を見ていたら、なんだか失敗した時の勝行に似ている気がして、だんだん吐き気も収まってきた。そもそも仕方のないことだったのだ。片岡がわざと自分を遠ざけたわけではないことぐらい、頭の中では分かっている。ただそれを素直に受け入れることができなかった。それだけだ。
片岡の黒スーツは若干薄汚れていた。スラックスの裾には泥が跳ねたままだし、髪もぼさぼさだ。
「オッサン。俺も勝行の捜索に混ぜてくれ」
「ですが……」
「一人でやるとは言ってない。もし仮になんかあったって、絶対守ってくれる強い護衛がここにいるじゃん」
「……はは。確かにそうでした」
きっとまだ勝行のくだらない命令に縛られて、光を過保護に守らねばと思っているのだろう。片岡の返答は相変わらず歯切れが悪い。けれど光もここで引くわけにはいかなかった。
「ここにいる間、通りすがりの色んな声を拾って頭ん中で整理してた。だからだいたい状況は把握してきたぜ」
「流石です。私もボイスレコーダーをこの扉に仕込んでおりました。証拠になる何かがあればいいのですが」
「何だと。そういう便利アイテムがあるなら、先に電話で言っとけよ馬鹿!」
「すみません。ですがここは相羽家。電波も傍受されていては困りますから……」
勝行を救い出すはずの実家だというのに、片岡の警戒心は全く解けていない。つまり敵はこの中にいると片岡は読んでいる。光も同様だった。
「なら作戦会議といこうじゃないか」
一度部屋のドアを閉めて周囲を確認した後、光は脳内に記憶してきた事柄をひとつひとつ、思い出しながら紙に書いた。それを目で追いながら二人でボイスレコーダーをチェックし、記憶を証拠物件へと変えていく。更にその言葉は、片岡がレコーダーを介して人物特定した。
二人でこうして勝行を捜索する会議はこれで二度目。一人きりだった時は不安と絶望に駆られて落ち着けなかったのに、手を組む助っ人が現れただけで不思議と冷静さを取り戻せる。
「行方がわからなくなってから、今どれくらい経った?」
「一日半といったところでしょうか」
「ということは……もう水曜日か。試験は日曜だっけ。だから……あと三日だ」
指折り数え、チッと舌打ちする。
「もうすぐ大事な試験なのに……」
「受験の妨害目的であれば、相羽の差し金で間違いないと私は思ったのですが……当主は全く関与していないようでした」
「なら親父さんは今どうしてるんだ」
「一睡もしないで、勝行さんの捜索に奔走されてます。私はずっとあの方についておりましたので、嘘ではないと言いきれます」
「……」
光もやはりあの男を勝行の敵だとは思いたくない。寝ていないと聞いて、光は不安を覚えた。それを知っている片岡も、きっとそうだろう。
「それじゃ、あんたら全員倒れちまうぞ」
「ええ。当主は過労が祟って今は横になっています。ですが恐らく、まともに睡眠はとれていないでしょう……。あ、私はこういう時のために身体を鍛えているので大丈夫です」
ご心配ありがとうございますと微笑む片岡は、確かにまだ体力を温存していそうだ。光は書き出した紙に視線を戻し、ふうとため息をついた。
「勝行を狙った犯人が誰なのかも、何を目的で攫ったのかも未だにわからない。金か、恨みか、身体目的か。変な憶測がいっぱい飛び交ってたけど、これは全部ただの《予想》だな?」
「その通りです。犯人と思しき連中から犯行声明だけあり、誘拐の事実に間違いはないと思うのですが。その後の連絡がないまま……」
「……まさか。最悪の事態を考えたりしてないだろうな?」
「滅相もありません。あの勝行さんですよ、その辺のごろつきに捕まっておめおめとやられるような安い人間ではありません」
断固言い切るその姿が頼もしくて、光は思わずふはっと噴いた。
「確かに。あの《勝行》が、その辺のクズ相手に負けるわけねえわな」
不快な音ばかりが耳につく。吐き気が止まらない。けれど逃げるわけにはいかないと必死に耳を澄ませていたが、気づけば意識がうっすら遠のいていた。
――ガン!
開いた扉の勢いで身体を強く押し倒され、光は転がりながら覚醒する。
「うあ、ひ、光さん!? 大丈夫ですか! こんな場所にいらっしゃるとは」
「いってて……」
部屋の扉を開けたのは片岡だった。ノックしても反応がなかったので、ベッドで寝ていると思ったらしい。片岡は急いで光の身体を抱き起こしながら、何度も謝ってきた。
それはどうやら扉で攻撃したことだけが原因ではないようだ。
「頼れる人間が誰もいない今、あなたを独りぼっちにさせてしまいました。光さんの護衛ともあろうものが、この体たらく……。申し訳ありません」
「……」
「勝行さんにバレたら、大目玉ものです」
「……なんだよ……オッサンもお仕置きが好きなんじゃねえの」
冗談半分で片岡を揶揄うと、光を腕に抱いたまま彼も苦笑した。
「あの方から受ける厳しい罰は、存在を無視されることです。その辛さを知っていながら、あなたを放置してしまってすみません。気が焦るあまり、若槻先生からお話を伺うまで気づけないままでした」
「……あいつ。なんて言ったの」
「あなたを今、一人にさせてはいけないと」
――俺のことは嫌いなくせして、ちゃんと仕事はするんだな……。光は改めてあのいけ好かない心療内科の存在に感謝しつつ、片岡の骨ばった頬をぐいと抓って苦言を零した。
「俺の事のけ者にしやがって。あとで勝行に言いつけてやるからな」
「すみません」
しょげる片岡の顔を見ていたら、なんだか失敗した時の勝行に似ている気がして、だんだん吐き気も収まってきた。そもそも仕方のないことだったのだ。片岡がわざと自分を遠ざけたわけではないことぐらい、頭の中では分かっている。ただそれを素直に受け入れることができなかった。それだけだ。
片岡の黒スーツは若干薄汚れていた。スラックスの裾には泥が跳ねたままだし、髪もぼさぼさだ。
「オッサン。俺も勝行の捜索に混ぜてくれ」
「ですが……」
「一人でやるとは言ってない。もし仮になんかあったって、絶対守ってくれる強い護衛がここにいるじゃん」
「……はは。確かにそうでした」
きっとまだ勝行のくだらない命令に縛られて、光を過保護に守らねばと思っているのだろう。片岡の返答は相変わらず歯切れが悪い。けれど光もここで引くわけにはいかなかった。
「ここにいる間、通りすがりの色んな声を拾って頭ん中で整理してた。だからだいたい状況は把握してきたぜ」
「流石です。私もボイスレコーダーをこの扉に仕込んでおりました。証拠になる何かがあればいいのですが」
「何だと。そういう便利アイテムがあるなら、先に電話で言っとけよ馬鹿!」
「すみません。ですがここは相羽家。電波も傍受されていては困りますから……」
勝行を救い出すはずの実家だというのに、片岡の警戒心は全く解けていない。つまり敵はこの中にいると片岡は読んでいる。光も同様だった。
「なら作戦会議といこうじゃないか」
一度部屋のドアを閉めて周囲を確認した後、光は脳内に記憶してきた事柄をひとつひとつ、思い出しながら紙に書いた。それを目で追いながら二人でボイスレコーダーをチェックし、記憶を証拠物件へと変えていく。更にその言葉は、片岡がレコーダーを介して人物特定した。
二人でこうして勝行を捜索する会議はこれで二度目。一人きりだった時は不安と絶望に駆られて落ち着けなかったのに、手を組む助っ人が現れただけで不思議と冷静さを取り戻せる。
「行方がわからなくなってから、今どれくらい経った?」
「一日半といったところでしょうか」
「ということは……もう水曜日か。試験は日曜だっけ。だから……あと三日だ」
指折り数え、チッと舌打ちする。
「もうすぐ大事な試験なのに……」
「受験の妨害目的であれば、相羽の差し金で間違いないと私は思ったのですが……当主は全く関与していないようでした」
「なら親父さんは今どうしてるんだ」
「一睡もしないで、勝行さんの捜索に奔走されてます。私はずっとあの方についておりましたので、嘘ではないと言いきれます」
「……」
光もやはりあの男を勝行の敵だとは思いたくない。寝ていないと聞いて、光は不安を覚えた。それを知っている片岡も、きっとそうだろう。
「それじゃ、あんたら全員倒れちまうぞ」
「ええ。当主は過労が祟って今は横になっています。ですが恐らく、まともに睡眠はとれていないでしょう……。あ、私はこういう時のために身体を鍛えているので大丈夫です」
ご心配ありがとうございますと微笑む片岡は、確かにまだ体力を温存していそうだ。光は書き出した紙に視線を戻し、ふうとため息をついた。
「勝行を狙った犯人が誰なのかも、何を目的で攫ったのかも未だにわからない。金か、恨みか、身体目的か。変な憶測がいっぱい飛び交ってたけど、これは全部ただの《予想》だな?」
「その通りです。犯人と思しき連中から犯行声明だけあり、誘拐の事実に間違いはないと思うのですが。その後の連絡がないまま……」
「……まさか。最悪の事態を考えたりしてないだろうな?」
「滅相もありません。あの勝行さんですよ、その辺のごろつきに捕まっておめおめとやられるような安い人間ではありません」
断固言い切るその姿が頼もしくて、光は思わずふはっと噴いた。
「確かに。あの《勝行》が、その辺のクズ相手に負けるわけねえわな」
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