できそこないの幸せ

さくら怜音

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第七章 俺が欲しいのはお前だ

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その頃、相羽修行は長男・修一と親子水入らずのドライブを兼ねた視察に出かけていた。黒の高級セダンで県外まで赴き、相羽が便宜を図っている地域を地道に回る。修一は当面出馬の予定などないが、弁護士としての挨拶回りと顧客探しを兼ねていた。
運転手を勤める若手の護衛秘書一人と軽快なフットワークで移動する修行の背中を見つめながら、修一は分厚い眼鏡のリムを押した。

「父さんの護衛秘書、片岡じゃなくなったんだ」
「あれは未来の勝行のために雇った男だからな。護衛秘書としては文句なしの筆頭レベルになった。今は子どもの御守に夢中だ」
「……そう。昨日も見かけなかったし、もうクビになったのかと思ったよ。昔はよく年寄り連中に逆らって懲罰を受けていたし」
「よく覚えてるな。修一はああいうお人好しタイプが苦手だろう。忠実に主に従う、寡黙な奴が好みか」

男の好みを聞かれても答えに困るといった表情を零し、修一は鼻で軽く笑った。

「父さんに謝らねばならないことがあるんだ」
「なんだどうした」
「昨日、懲罰小屋の鍵を借りた。返しそびれたから、今ここで……」
「……なんだと。誰に使ったんだ」

小さな鍵を手渡しされ、修行は訝しげに振り向いた。

「勝行が悪いんだ。父さんがこんなに親身になってあいつの未来を考えているのに、自分は好き勝手やりやがって。スキャンダル一歩手前までやらかしたくせに、俺の経営に口出しするわ、懇親会からは逃げ出すわ。分家の機嫌を損ねることばかり。相羽の人間だという自覚がなさすぎる」
「お前ら、兄弟喧嘩でもしたのか。その結末が禁固刑?」

修行は察したようで、鍵を受け取りながら修一を厳しく睨みつけた。ぶつぶつと文句を零しながら、修一は何度も「あいつが悪いんだ」と繰り返す。

「母屋で見かけたから立ち振る舞いをアドバイスしたんだ。そうしたらキレて反抗されて。父さんや先代の悪口も軽々しく口にする上、受験もしないって言うし、懇親会をトンズラしようとしていたから……。逃げるぐらいなら幽閉で懲らしめた方がいいと思って捕まえた。後は父さんに処遇を任せるよ」
「その理由が真実かどうかはともかく、どうやって小屋まで連れ込んだ。勝行はあの小屋を見たら……」
「知ってるよ。昔のトラウマが蘇って小鳥のように脆く、弱くなることぐらい」
「……」
「少しだけ手荒に扱ったけど、今頃はきっと中で反省してるさ。たとえ次男であっても、相羽家の直系男子として当然の試練だろう?」

あの小屋の恐ろしさは相羽直系の男なら全員知っている。
当然修一も、修行も。だからこそ、耐えられない勝行が軟弱者だと叱咤される事もあったが、勝行は小屋での禁固を体験した年齢が低すぎた。児童虐待を疑われても致し方ない状況で、心に傷を負った息子の治療と社会復帰のために、修行は長い間まるで腫れ物を扱うようにやんわりと育ててきたのだ。つかず離れずの距離を保って。その結果、心穏やかに育ち自由を手に入れた勝行は、どんどん相羽家から遠ざかっていく。

「父さんは勝行を甘やかしすぎだ」
「……そうか。個人的には、お前も十分甘やかしてしまったなと思ってるがな」
「そ、そんなことは」
「ひとまずこの鍵を求めて片岡が連絡してくる。昨夜そういえば血相を変えて勝行の所在を聞いてきたな。もうあの男は気づいているだろう」
「昨日の勝行はひとりだったよ。護衛も発信機もつけず。片岡も役立たずだね。あいつの口達者なでまかせでいいようにこき使われて撒かれたんだろ」

鍵をジャケットのポケットにしまい込み、とにかく一旦本家に戻る時間を作れと護衛秘書に通達する。それから気持ちよさげに嘲笑う修一の背中をバチンと叩いた修行は「お前はその性格と言葉遣いをどうにかしろ、相羽の長男としてみっともない」と怒鳴った。
その時、修行のスマホがけたたましく鳴り響いた。本家の筆頭執事からの連絡だ。

『当主、すみません。勝行さんの弟だと名乗る金髪の男が、片岡荘介と一緒に本家に乱入してきました』
「ああ、光くんか。あの子は敏いな……小屋のカギを要求してきたか」
『お、お気づきですか。それでその……当主ご不在の件と、手元に鍵がないことをお伝えしましたら……』

小屋の前で武器を振るって大暴れ。ドアを無理やり壊そうとしています。
捕獲しようとすれば、片岡が邪魔をするのですでに裏庭はまるで組同士の抗争状態に……。

執事の焦った様子と、しどろもどろに語る現状説明があまりに稚拙で、修行はぽかんと口を開けてしまった。それから修一を振り返り、「あっはっは!」と大笑いし始めた。

「ど、どうした……父さん」
「修一、お前が勝行を『悪』だと言って処罰したのなら、いずれ復讐されるぞ。勝行の執念は父親の俺ですら恐ろしいからなぁ。せいぜい機嫌取って頑張れ」

言っている意味がわからず、修一は「何のこと」と首を傾げていたが、これ以上修行は何も教えてはくれなかった。そして運転手に「今すぐ本家に戻るぞ、予定変更だ」と叫び、修行は嬉々として車に乗り込んだ。


……
…… ……


勝行、歌って。
そこに居るんなら、小さい声でもいいから、聴かせて。

お前は俺が必ず見つける。
ケイも、勝行も、ブラックな方でもいい。お前ら全員ひっくるめて俺が助けにいく。

どこからか、そんな声が聴こえてきた気がする。冷えきった床に顔をつけたまま、勝行は必死に口を動かした。
声が出たかどうかもわからない。ただ、己の吐く息がぼんやりと白く映った。
咄嗟に零れた歌は、一番最初に光と歌った曲。光に出会って初めて聴いて、稚拙ながら歌詞をつけた……WINGSのはじまりのうた。親のいない家で、子どもだけで過ごして――それでも、とてつもなく楽しくて幸せだった、あの時間を。

(――最初に見つけたぼくの夢は、ひとりでは叶えられないと知った――)


「かつゆきぃいい!」

ドォオンという轟音が鳴り響き、何度も何度も小屋が揺れる。外が騒がしい。さっきまでシンと静まり返っていた時間が嘘のようだ。

「何をしている」
「誰だ貴様!」
「片岡、お前はなぜここにいる!」

頭が固い連中の怒鳴り声をかき消すように、ドアが再びガツン、ドカンと悲鳴をあげる。

「うるせえどけ! テメエら勝行の命をなんだと思ってんだ!」
「人命救助に協力してくださる方以外、ここを通すわけにはいきません」

(暴力的だなあ……鍵を壊すとか、もう少し脳みそ使えよ。……って……思いつくわけないか。光らしいや)

誰よりも一番最初に逢いたい人が、自分を助けに来てくれた。それだけで勝行は十分にうれしくて、思わず安堵の笑みを零す。やがて必死につなぎ留めていた意識を黒い闇の中に投げ入れた。
真っ暗だった小屋の中に光が差したのは、力尽きた勝行が目を閉じた後だった。

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