できそこないの幸せ

さくら/黒桜

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第三章 たまにはお前も休めばいい

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鳥のさえずりと川のせせらぎに混じって、だんだん祭囃子が聴こえてくる。嬉しくなって駆け出すと、足元の砂利がいくつも蹴飛ばされて転がっていく。

「音、祭りの音が聴こえる」
「待ちな光、走ったら病み上がりの身体によくないって」

案内する勝行が暴走気味の光を引き留めようとその浴衣に手をかける。

「ほら、暴れたりするからはだけてる。もう少し締めるか。こっち向いて」
「う……」

和装の着付けに長けている勝行は、もぞもぞ落ち着かない光の襟を強引に引っ張り、帯を締めなおしていく。大人しく着せ替え人形になりながら、光は目の前にいる勝行をじっと見つめていた。
彼は白と青のさわやかな浴衣を綺麗に着こなし、前髪もサイドに流してワックスでまとめている。いつもとは違う、大人びた姿。洗練された清く正しい家柄の子息らしい雰囲気が全身から漂ってくる。時々落ちる髪を拭いながら手を耳にかけるその仕草が艶っぽくて、心臓がトクンと高鳴った。

「髪の毛もセットしたけど、汗かいて崩れちゃったね」

手を伸ばし、勝行は汗の垂れる光の頬をひと拭いした。それから同じ髪型で揃えた前髪を撫でつけながら「ゆっくり行こうな」と微笑む。それは本当に、大人が子どもの面倒をみるような仕草だった。



その手で自分の頬を——耳を、やんわり撫でられたい。もっと……触ってほしかった。
そんなもやもやした感情を慌てて打ち消し、光は勝行の後ろについて再び砂利道を歩き出した。

無事退院することができた光は、その日のうちに勝行の運転する新車に乗り込み、群馬の相羽邸別荘まで連れてきてもらった。見渡す限り緑と青の自然に囲まれたのどかな山道を二人で散歩しながら、ふもとの神社に向かっているところだ。
初心者マークのついた勝行の運転は見ていて新鮮だった。いつも以上に真剣に周りを見渡し、左手首で器用にギアを入れ替え右手でハンドルを切っていく。先日まで運転手付きの車で優雅に送迎されていた高校生だとは思えなかった。信号が赤になると時々こちらを振り返り、「酔わない?」と体調をしきりに確認する。運転が下手だと乗り物酔いしやすいらしい。光は勝行の運転さばきや見知らぬ風景を見ているだけで楽しくて何とも思わなかった。素直にそう答えると、勝行はほっと安心したようだった。

別荘に入るなり、相羽家の使用人たちが「お帰りなさいませ」と一斉に頭を垂れる。勝行は何食わぬ顔で彼らを顎で使い、浴衣に着替える光の面倒をみながら次々と業務指示を出していた。相羽本家に戻った時もだいたいこんな感じなのだが——何かが違う気がして、光は何度も首を傾げた。

(なんか勝行……急にめっちゃ大人になった気がする)

見た目だけでなく、態度や仕草、話す言葉。いつもと何も違わないはずなのに、妙に感じるこの違和感と焦燥感は、以前渋谷のライブ会場に連れて行ってもらった時にも感じた。そう、まるで自分だけが現在地点に置き去りにされているような不安。
一歩前をしなやかに歩く白いシルエットがいつの間にか手の届かない距離にある気がして、思わず手を伸ばす。けれど袖の裾を掴むと躓いてしまう気がして躊躇った。気づかない勝行は光の歩く足音と同じくらいのテンポでゆっくり前を進んで行く。いつの間にか、周りは沢山の露店と人だかりの騒がしい風景に変わっていた。入り口で立ち止まると勝行は振り返り、片方の手を光に差し伸べた。

「ここからは人が多いし、はぐれないように手を繋いでおこうか」
「……うん」

——全部気のせいだ。勝行は俺を置いて行ったりなんかしない。
光は急いで手汗を袖で拭い、差し出された勝行の手を掴んで隣を歩き出した。


**
りんご飴。たこ焼き。おにぎりにジュース。予定外のハプニングは多少あったけれど、食べたいものを食べることができて光は終始ご機嫌だった。逆に勝行は「あんまり遊べなくてごめんね」としきりに気遣う。

「しょーがない。ファンに追っかけられるのも囲まれるのも、お前の責任じゃねーもん」
「まさかあんなところで、WINGSのことを知ってる人たちに会うなんて」
「いいじゃん。知名度上がったってことだろ?」
「知名度……そうだね。お前が入院してる間に、保さんと事務所が新アルバムのプロモーションビデオを流したらしいんだ。それも、渋谷駅前のスクランブル交差点で」
「渋谷……?」

それはあの敵認定したライブ会場のすぐ近くではないのか。光は地名を聞いて眉をひそめたが、きっと保には何か思惑があってそういう宣伝をしたのだろうと思うことにした。敵地で流れた自分たちのCMが、皮肉にも知名度アップに繋がるとは、向こうも思っていないだろうし、いかにも置鮎保のやりそうな手口である。

「光はまだ見てないかもしれないね。春の間に頑張って作ったファーストアルバムの宣伝動画。すごかったよ……俺たちが別人みたいになってた」
「へーえ」
「特にラストシーンの光。とんでもなく色っぽい、扇情的な視線でさ。いつも通り気だるげにしてるのにものすごく惹かれるんだ。きっとあの動画を見た人たちが、光を見て気づいたんだと思う」
「俺そんなの、撮影した覚えないけど」
「だよな。保さんはどうやってあんな動画作ったんだろう……ほんとにすごかった。動画編集があの人の本業らしいんだけど」

口元に手を当て、悔しそうに呟きながら——それでも保の手腕を称賛する勝行の独り言を聞いていると、ああなるほどと笑ってしまう。前までは「あいつばっか褒めるなよ」と拗ねたくなったものだが、最強のライバルを蹴落とす夢の話を知ったおかげか、そうは思わなくなった。
そんな他愛のない会話を続けながら夜の山道を潜り抜け、駐車場まで戻ってくると、どこからともなく花火の打ちあがる音が聴こえてきた。刹那、ぱっと目の前が明るくなる。
大輪の黄金花が、すぐ近くで夜空に咲き乱れた。

「花火? すげえ……でかっ……」

次から次へと打ち上がる演出。しばし茫然と見入っていた光は咄嗟に走り出した。その足元までは見ていなくて崖から落ちそうになるも、勝行が手を引いて引き止めてくれる。「そっちは危ないって」と強引に連れられた場所は、相羽家別荘の裏側。目の前には低床の植え込みと花壇しかなく、あがった花火が綺麗に全部鑑賞できるところだった。
そこには他に誰もいないようだ。使用人は別の場所で鑑賞しているのだろうか。ともあれ二人しかいないこの快適空間で、しばし花火を見上げることに夢中になる。

「もしかして、花火観るの初めて?」
「いや……でもこんな近くてデカいの、見たことない。すっげー……」
「すごいだろ。ここ、相羽家だけの極秘スポットだからね」
「金持ち、ずるくね?」
「何言ってんだ。光だってもう相羽家の人間だろ。——義兄弟なんだから」
「あ、そっか」

隣で勝行がくすくすと笑いながら、じっと自分を見つめているのがわかった。
花火観ないのかな、何か用事かなと思って振り返ると、慌てたように空を見上げる。するとちょうど、ここ一番の大きさの花火がドォンという轟音より後に開花した。思わず光は手を伸ばしてみる。先日の一番星は指と指の間に収まったけれど、ここで観る花火は到底片手では収まらない大物サイズだ。

「見ろよ、手、届きそうっ!」
「……それはさすがに無理だよ」
「くっそ……こんだけ近いのに……」
「仮に触れたとしても、火の粉なんだから大やけどして危ないだろ。——なんだよ……かわいいなあ、もう……」

笑ってばかりの勝行の顔を振り返ると、カラフルな花火が頬や髪に映って勝行自身が虹色に輝いていた。——そう、観えた。

(勝行が花火みたいだ……)

何色にも煌めいた瞳。切なそうに空を見上げる姿はライブ会場のスポットライトを浴びた彼のそれと一緒で、美しい。けれど時折こちらを振り返っては、何か言いたそうにしている。

(言いたいことがあるなら、ちゃんと言えばいいのに。……まだなんか、重いもん抱えたままなのか)

でもきっと何か事情があって、どうしても何も言えなくなる時がある。つい先日までの自分のように。だから無理に聞いてはいけない気がして、光は文句をひとつ飲み込んだ。代わりに自分が今すぐしたいことで、両方の声に蓋をしようと決意する。ついでに視界も思考も、奪ってしまえばいい。

「ここ、誰もいないから……キスしたい放題だな」
「え……?」
「お前の顔に、花火映ってる。すっげー、きれい」

うっとりした声で囁きながら勝行の顔面をがっつり掴んで捕獲すると、光は花火の爆音をBGMにしたまま唇を何度も重ね合い、何度も愛しい人の頬や鼻を啄んだ。この場所に来てからずっとずっと、触れたくて我慢していた——重なり合ったままでいたかった気持ちが、一ミリでも伝わればいいと願いながら。

「しょうがないなあ、もう……」

それを呆れた顔で受け入れる勝行の声は、本当に甘くて優しいもので。
——出来の悪い弟をうんと甘やかす兄のような——音がした。

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