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第四節 ひと夏の陽炎とファンタジア
#53 雨に流すリグレット③ - 光 side -
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また他人を信じて、また裏切られて、また意味もなく全てを失った。
だから言ったんだ。友だちなんかいらないって。
もう家族以外何もいらないって……思っていたはずなのに。期待した自分が、一番バカなんだ。どうせただ金で雇われただけのバイトと雇用主だったのに、うっかり何を期待してたんだ。
咄嗟に相羽家を飛び出した光は、小雨の降り続く中をふらふら歩きながら家に向かった。毎日のように車窓で見た記憶の景色を頼りに、感覚だけでさ迷い歩く。
勝行が引き留めようと何度も名前を呼んでいた。だがもう振り返りたくなかった。
(どうせいなくなるんじゃないか、あいつも)
時計の針を巻き戻して全部やり直せるのなら。最初から、あの男と一緒になんかいなければよかった。
こんな風にまた捨て置かれる結末は、もう何度も心の楔に深く打ち込まれている。だから選択肢の分岐点で、このルートの結末は警告してあったはず。ひと時だけの幸せを選ばずに、ずっと独りでいることを選ぶべきだったのに。何度も間違える自分が馬鹿なのだ。
後悔ばかりが涙を誘う。こんなもの、雨で全部流れてしまえばいい。光は濡れた頬を拭うことなく、歩き続けた。
(きっとまたバチが当たったんだ。家族ほったらかして、ひとりだけ幸せになろうとしたから)
小さい頃からずっとこんな結末ばかりだった。
入院がちだった病院で仲良くなった同じ病気の友だちは、知らない間にいなくなった。
同じ血を分け合った弟は、他人の家の子になっていた。
父親は時々お土産を買って帰ってきたけれど、今はもう何年も帰ってこない。
学校に行ったって、誰も相手にしてくれない。
母親は――。
ドン、と誰かにぶつかった気がした。
目の前の視界の殆どがぐにゃぐにゃに曲がっていて、よく見えない。魑魅魍魎のような、気持ち悪い塊が奇妙に動きながら自分を引っ張って行こうとしているようだ。それは光がいつも、病院や自宅で視る、嫌いな白昼夢。いなくなった人間たちが、変わり果てた姿で己を誘う、悪夢。
「さわ……さわんな」
必死に虚勢を張って、掴まれた腕を振り払う。幻想のくせに、身体にリアルに感じる奇妙な物体感が、たまらなく恐ろしい。またへんな奴に絡まれたのかもしれない。けれど光の目に、『人間』は何一つ映らなかった。
「お前……今西じゃ」
「……さわんなっつってんだろ! どけ!」
奇妙な黒い塊はなぜか自分の名を呼ぶ。だが余計に不安が募る。誰だ。だれだ。
また暗い路地に連れ込まれて、金目当てに殴ってくるゴロツキか。服を引っぺがして、卑猥な悪戯をしてくる魔物か。今度こそ死の世界へと誘う、血まみれの怪物なのか。
自分の周りにいる生き物なんてそんなものばかりだ。そんな闇の世界から引っ張ってくれる音楽のような優しい存在を、やっと見つけたと思ったのに。
目の前の黒い塊を無理やり突き飛ばして、光は逃げ出した。
「どうかしたの、真也兄」
小雨の中、傘もささずにフラフラ歩く光にぶつかった男は、しばし呆然とその姿を見つめていた。後ろからピンクの可愛い傘をさした女の子――中司藍が、コンビニの袋をぶら下げて店から出てくる。
「なあ、ラン」
「なにー」
「今日、稲葉サン出勤してるか」
「え、病院のシフトなんてわかるわけないじゃん。直接行ってみないと」
「……だよな」
「だからどうかしたのって聞いたんだけど?」
「…………」
「ねえ、真也兄ってば。きいてる?」
真也兄と呼ばれた男――中司真也は、黙ったまま闇夜の道に溶けて消えた光から視線を外し、違う方向に足を進めた。
また他人を信じて、また裏切られて、また意味もなく全てを失った。
だから言ったんだ。友だちなんかいらないって。
もう家族以外何もいらないって……思っていたはずなのに。期待した自分が、一番バカなんだ。どうせただ金で雇われただけのバイトと雇用主だったのに、うっかり何を期待してたんだ。
咄嗟に相羽家を飛び出した光は、小雨の降り続く中をふらふら歩きながら家に向かった。毎日のように車窓で見た記憶の景色を頼りに、感覚だけでさ迷い歩く。
勝行が引き留めようと何度も名前を呼んでいた。だがもう振り返りたくなかった。
(どうせいなくなるんじゃないか、あいつも)
時計の針を巻き戻して全部やり直せるのなら。最初から、あの男と一緒になんかいなければよかった。
こんな風にまた捨て置かれる結末は、もう何度も心の楔に深く打ち込まれている。だから選択肢の分岐点で、このルートの結末は警告してあったはず。ひと時だけの幸せを選ばずに、ずっと独りでいることを選ぶべきだったのに。何度も間違える自分が馬鹿なのだ。
後悔ばかりが涙を誘う。こんなもの、雨で全部流れてしまえばいい。光は濡れた頬を拭うことなく、歩き続けた。
(きっとまたバチが当たったんだ。家族ほったらかして、ひとりだけ幸せになろうとしたから)
小さい頃からずっとこんな結末ばかりだった。
入院がちだった病院で仲良くなった同じ病気の友だちは、知らない間にいなくなった。
同じ血を分け合った弟は、他人の家の子になっていた。
父親は時々お土産を買って帰ってきたけれど、今はもう何年も帰ってこない。
学校に行ったって、誰も相手にしてくれない。
母親は――。
ドン、と誰かにぶつかった気がした。
目の前の視界の殆どがぐにゃぐにゃに曲がっていて、よく見えない。魑魅魍魎のような、気持ち悪い塊が奇妙に動きながら自分を引っ張って行こうとしているようだ。それは光がいつも、病院や自宅で視る、嫌いな白昼夢。いなくなった人間たちが、変わり果てた姿で己を誘う、悪夢。
「さわ……さわんな」
必死に虚勢を張って、掴まれた腕を振り払う。幻想のくせに、身体にリアルに感じる奇妙な物体感が、たまらなく恐ろしい。またへんな奴に絡まれたのかもしれない。けれど光の目に、『人間』は何一つ映らなかった。
「お前……今西じゃ」
「……さわんなっつってんだろ! どけ!」
奇妙な黒い塊はなぜか自分の名を呼ぶ。だが余計に不安が募る。誰だ。だれだ。
また暗い路地に連れ込まれて、金目当てに殴ってくるゴロツキか。服を引っぺがして、卑猥な悪戯をしてくる魔物か。今度こそ死の世界へと誘う、血まみれの怪物なのか。
自分の周りにいる生き物なんてそんなものばかりだ。そんな闇の世界から引っ張ってくれる音楽のような優しい存在を、やっと見つけたと思ったのに。
目の前の黒い塊を無理やり突き飛ばして、光は逃げ出した。
「どうかしたの、真也兄」
小雨の中、傘もささずにフラフラ歩く光にぶつかった男は、しばし呆然とその姿を見つめていた。後ろからピンクの可愛い傘をさした女の子――中司藍が、コンビニの袋をぶら下げて店から出てくる。
「なあ、ラン」
「なにー」
「今日、稲葉サン出勤してるか」
「え、病院のシフトなんてわかるわけないじゃん。直接行ってみないと」
「……だよな」
「だからどうかしたのって聞いたんだけど?」
「…………」
「ねえ、真也兄ってば。きいてる?」
真也兄と呼ばれた男――中司真也は、黙ったまま闇夜の道に溶けて消えた光から視線を外し、違う方向に足を進めた。
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