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第四節 ひと夏の陽炎とファンタジア

#41 夢を叶えるための作戦

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『将来の夢はなに?』

勝行はこの質問が嫌いで、授業も苦痛で仕方なかった。
みんなは好きな職業名を並べ、真っ白なキャンパス一面にキラキラの夢を描いていく。それはとても楽しそうな未来。
何も描けなかった自分は、黒いクレヨンで文字を書いた。
「総理大臣」と、一言。
そう書けば、父は喜び、祖父母には叱られずに済む。理由は単純だったが、自分の夢ではない。


幼い頃に一度だけ、祖父母に『とある願い』を述べた。すると突然知らぬ部屋に幽閉され、生死に関わるほどの恐ろしい目に遭った。

そこで一体どんな目に遭ったのか――肝心のそれは勝行の記憶にない。ただトラウマのように、恐怖心だけが体に沁みついて残っていた。おかげで暗闇の閉所と陰気な場所に湧く生き物が今でも大の苦手だ。

由緒ある相羽一族には時代錯誤としか言えない【しきたり】がある。優等生として過ごす学童時代から将来就く仕事まで、すべてが細やかに設定されていて、道を外れようものなら厳しい制裁が待っている。
勝行は大人の叱責が怖くて一度もそのレールから外れたことがない。勉強や習い事も、言われるがままにこなすだけだった。

だが祖父母が病で倒れ、転勤族の父親について全国を巡る生活に変わった頃。父は「子どものうちは好きなことをしろ」と言ってくれた。習い事の影響もあって音楽が好きだった勝行は中学校進学と同時に吹奏楽部に入り、楽器を集めた部屋で音楽に没頭する。それが唯一の癒しだった。
その頃に出会ったのが光のピアノだ。
今度はあのピアノを借りて何か成し遂げてみたい。もっと勉強以外の事に夢中になってみたい。気づけば昔ほど「希望」や「夢」という言葉に不快を感じなくなっていた。

今もしクレヨンと画用紙がここにあるなら、描いてみたい夢ができた。
叶わないかもしれないけれど、口にするぐらいは許されたい。

ギュイン、と小気味のいい音を立てて、相棒のストラトキャスターが唸った。




**

「え、吹奏楽部、やめないといけないんですか。どうして」

生活に困っているわけでもないし、中間試験の成績もはっきり言って悪くない。
なのに久しぶりに食事を共にした父親からの第一声が「部活をやめろ」だった。驚いた勝行は持っていたナイフとフォークを置いて思わず食い下がった。勝行の父親・修行のぶゆきは、すまんと申し訳程度に頭を掻いた。

「やはりこの夏の参院戦、出ることが決まったのでな。お前の受験が終わるまではと思っていたんだが、この夏には本家に戻らねば」
「ああ……そういうことですか」

それならば致し方ない。勝行は気を取り直して手元の料理に目を移した。
いつかこうなることは佐山中に来る前から聞かされていた。父親の政界デビューが今年になるのか、二年後になるか、ただそれだけの選択肢。前者になってしまえば、勝行の再転校は免れなかった。
父親もどちらかといえば相羽家のレールから逸脱した生き方を望んだ男だ。だが祖父母が亡くなり、親戚からの圧力が強く統率が取れなくなってきたため、一族の長として戻る決意を固めていた。むしろそうした方がいいと進言したのは勝行だ。

「おじい様もおばあ様も、父さんの晴れ舞台を拝見したかったでしょうね。ずっと望んでらっしゃいましたから」
「年寄り勢は勝行まごにそんな話してたのか?」

実家で利口な子どもを演じていた時、修行が社畜すぎて帰宅しないことを散々愚痴っていたことを思い出し、苦笑する。大人の事情はよくわからないが、祖父が誰よりも父の政界入りを望んでいたことだけは知っている。

「本当はお前が高校生になってからと思っていたんだがなあ」
「今移動したところで受験する高校は東京なんですから、大して変わりませんよ。まだ決めてなかったので、進学先調べるのが楽になります」
「そうか、それならいいんだが。お前が夏の大会で大活躍する姿をもう一度見たかった」
「お仕事ですから仕方ありません。そこは諦めてください」

寧ろ子ども以上にしょげる親を苛めるように言いながら、勝行は皿の上のステーキを口に含んだ。あと一か月と少しだけ。思えば非常に短い期間しか佐山中にいられなかったな、とぼんやり考える。

だがしかし、今回ばかりは心残りがある。いつもならこんなこと、すぐに忘れられるのに――。

「せめて七月いっぱいはあの家に住んでいてもいいですか」
「ああ。当確後は引きあげねばならないが、それまでは使えるぞ。だが儂はもうほとんど戻れなくなるが……」
「僕は大丈夫です。ああ、あと、もしかしたら友人が遊びに来るかもしれないのですが、構いませんか?」
「ほう、友人。仲のいい級友ができたのか」
「ええ。もうすぐテストですから、勉強を一緒にしたくて」

勿論いいぞ、晩御飯も一緒に食べればいいと気前よく許可してくれる甘い父親の言葉を笑顔で聴きながら、勝行は次の行動計画を検討していた。

あと残り一カ月半。
悠長なことは言っていられない。

今度こそ動き出そう――後悔する前に。
勝行の脳内にいくつも広がる色んなプランのスイッチが、次々とオンマークに変わっていった。

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