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三冊目 眠れない夜のジュークボックス ~不器用な少年を見守る大人たち

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 随分前の誕生日に買ってあげた音楽プレイヤーを握り締め、カナル型イヤホンを耳にかけたまま眠り続ける光のベッドの脇で、勝行は大きなため息を一つついた。
勉強しようと思って持ってきた参考書を睨んでも、頭に何も入ってこない。スケジュール帳にびっしりしたためた計画はすべて白紙になったし、読書でもと思ったが一文字たりとも読みたくなくて、ただずっと光を見つめていた。

手を握り締めれば、条件反射のように緩く握り返してくる。こんなに憔悴するほどの苦行を課してしまったのだろうか、と後悔と自責の念ばかりがぐるぐる脳内を駆け巡っていた勝行にとって、そのぬくもりは、己をいつでも許しながら叱咤激励してくれる大事な癒しだった。

(お前のためにと思って色々考えてみても、空回りばっかりだ。最近ほんとだめだなあ、俺)

本気で好きな人間ができてしまったら、こうもたやすく人はダメになってしまうのだろうか。ただただ彼の喜ぶ顔を見たかっただけの自分に反省の釘を打ちつつ、勝行はいつも愛情を欲しがるその唇に、自分のものを重ねた。

――――

 

目覚めた光は、すぐ傍に勝行がいることに気づいて嬉しそうにはにかんだ。
けれどまだその左腕には、太いチューブの繋がった点滴が刺さったままだ。喉がすっかり潰れたらしく、掠れた声を紡ごうとするも、苦し気に咳き込むので勝行は慌ててそれを止めた。
新しい不織布マスクを手に取り、顔にかけてやる。
「ごめん」と震える息遣いがマスク越しに伝わる。謝る必要なんてどこにもないよ、と勝行は穏やかな笑顔を作るとその髪をゆっくり撫でた。

「俺の方こそ、お前の体調が悪いことわかってたのに、あちこち連れ回してごめんな」

その言葉を聞いた途端、光は慌てたように首をぶんぶん横に振った。悔しそうに眉をひそめ、無言で何度も自分の足元の布団を殴りつける。きっと思い通りにならないこの身体を、歯がゆく思っているのだろう。また迷惑をかけたと思っているのだろうその拳を掌で包み込むと、大丈夫だよとベッドの上に座り込んだ。

「俺もちょっと疲れたんだ。たまには休めって怒られちゃった」
「……?」

驚いたように首を傾げながら、光は勝行の顔を覗き込んだ。そして掛布団をめくると、自分は左隅に身体を寄せ、右手でぽんぽんと敷布団を叩く。

「なに。ここで寝ろって?」

こくこくと嬉しそうに頷く光につられて布団の中に潜り込むと、細くて熱い光の肌が一センチの隙間もなく触れてくる。満足げに隣を見た光は、掛布団を元に戻し、おあつらえ向きに枕まで勝行側に差し出した。

「ちょ、さすがに本当に寝るわけには」
「いいから」

 枯れた声を咳き込みながら零すと、光は無理やり寝かされた勝行の身体にめいっぱい抱きついた。電動ベッドが揺れてギシギシと軋む。

「休めってそういう意味じゃないんだけどな……」
「……」
「光、いつもより身体あったかい。まだ熱があるからか?」
「……うん?」
「俺が隣に寝てて、狭くないの? 病院のベッドなんてシングルだよ。柵もあるし」
「へーき」

身体を摺り寄せてくる光の頭の下に腕を回せば、当たり前のようにそれを腕枕にした光が、勝行の背中をゆっくり撫でた。

「おまえ、いっぱいがんばってるから。――ケホッ……たまには、サボれ」
「……光……」

気づけば光はもう寝息を立てていた。寝落ちるの早すぎないか、と驚くも、撫でられた背中はこそばがゆくて、ほんのり暖かい。

(赤ちゃんかよ)

勝行も思わず目を閉じた。
考えすぎで寝不足が続いていたその身体は、光の寝息につられてあっという間に夢の世界へと誘われる。

(今だけ……ちょっとだけ、何もしなくても。いいかな)

失敗したことも、やりたかったことも、一度全部リセットして忘れてしまいたい。本当は彼に報告しなければいけないことも、未だきちんとは切り出せていない。けれど今だけは、何もしないで惰眠をむさぼっても許されるような気がした。
点滴がついたままの左手指を絡めたまま、勝行は光のベッドで眠りに落ちた。

明日また、二人で一緒に並んで飛ぶための戦略を立て直すために。

【END】

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