江戸の退魔師

ちゃいろ

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誠と晃毅

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 その後も、晃毅は用事を一つ一つ済ませながら、お菖の言葉と子犬のしてくれたことを幾度か考えに浮かべた。
 師に託された役目を果たす道は、まだ長く続く。
 誰にも言えぬまま抱えて過ごすには、長すぎることはわかっていた。
 だからといって、この役目を投げ出す気は毛頭ない。
 だからこそのお菖の言葉なのだろうが、やはり誰かに告げる気にはなれなかった。
 葉蓮は何事か知っているようでありながらも、黙って見守ってくれている。
 お菖は、葉蓮よりもさらに事情に通じる知識があるようで、晃毅の態度をもどかしく思っているのだろう。それでも無理に暴くことはしない。
 子どもたちや近隣の人たちとも、穏やかな関係を結べているし、昨日からは子犬たちもいる。
 晃毅が孤独かと問われるなら、そんなことはない。
 だから、今のまま、誰かに事情を告げることもなく、日々を過ごして役目をいかに果たすか考えていくのがいいと思った。
 ただ一人のことを除いて考えられるのなら。
 届け物をしてくれと葉蓮に頼まれて出た先で、晃毅はそんなことを思って溜息を吐いた。子犬たちもついて来たがったが、まだ外に出すのは早いだろうと葉蓮に止められたので、今は一人だ。
 誠のことを考えると、誠とどういう距離であればいいのか分からなくなる。
 何の使命もない、ただの出家者であれば、悩むこともなかったのだろう。
 昨日は、犬の後を追うことが、誠の助けになるかもしれないなどと思った。それは、そうすることで怪我人が増えることを止められると思ったからだ。
 けれど実際のところはどうだったのだろう。
 あれ以上犬が人を襲うことはないが、自分よりもなお酷く牙を立てられていたはずの人たちを、自分の素性が明らかにならないことを優先して置き去りにしてしまったのもまた事実だ。
 誠の助けになるようなことではなかっただろう。
 何より、今回は犬を操る男にも命が残っていたらしいとはいえ、いつ何時、本当に人の命を奪う必要に迫られるかもしれない。
 人でなくとも、人でなければ、なおのこと。
 それに、人の命であっても。
 それを誠に知られるのは、怖い。
 誠が医者の道を選んだからではない。
「そうか」
 晃毅は自分の考えに対して、分かった、と呟いた。
 誠を慕っているから。誠に拒絶されるかもしれないことが怖く、その理由に十分なるだろう自分の行いを知られるのが怖いのだ。
 なんだ、と声に出さずに唇を動かす。
 誠が江戸にいることは知っていたし、誠に見つかる前にすでに晃毅は誠の姿を見つけていた。
 それでも名乗り出ずにいたのは、兄と慕った彼に甘えてしまってはならないからだと思っていた。
 だが違うと分かったのだ。
 晃毅は、ある程度親しい相手には誰に対しても頼ってしまいそうになる自分を、今ははっきりと自覚していた。
 その中で、誠だけは、ほんの僅かなりとも嫌われたくないのだ。
 多分、葉蓮やお菖は、晃毅のしてきたことを知っても、距離を置かれることはあってもまだ平気だ。もし縁を切ることで葉蓮が楽になるというのなら、そうされることも厭いはしない。
 でも誠は、駄目だ。
 もし、恐れる目でも向けられたら。
 蔑む目を向けられたら。
 何の希望もなくなってしまうに違いない。
 晃毅は、気が付くとズキズキと痛む腕を押さえて道端にしゃがみ込んでいた。一度は子犬が吹き飛ばしてくれたはずの瘴気が、また溢れて来ている。
 痛みが落ち着いていたので、つい用事を済ますことを優先させて、包帯を解いて傷を確かめることを怠ってしまっていたが、瘴気は傷の奥に根を張っていたのかもしれない。
 今度こそ、どこかで正確な処置をしなくては、と体を起こして歩こうと考えたが、体は全く動きそうにない。
 右手の傷どころか、左手の傷、果ては頭の奥まで痛み出した気がする。
 お菖に、正直に菖蒲の葉が何に役立ったか言っておけばよかっただろうか。用事があると言っていたから、何も変わらなかったに違いないが、ついそんなことを考えていた。
 このままでは意識が飛んでしまいかねないことを理解しながら、どうにか抗おうとしていると、晃毅の名を呼ぶ声がした気がした。 
 そして、頭の後ろに、トンと軽く何かが触れる感触がする。
 その次の瞬間、脳天から足先まで、真っ二つに割られたような衝撃に、今度こそ本当に晃毅は意識を失った。
 意識を失ってまた取り戻したと分かったのは、晃毅が道端で誠に抱えられていたところだった。
「晃毅、大丈夫か?」
 額に手を当てたり、首筋で脈を確かめたりしながら、誠に尋ねられたが、一瞬、何が大丈夫と問われているのか分からないほど、取り戻した晃毅の意識は澄んでいた。
 体にも、何の痛みもない。
 そこでようやく自分が誠に抱えられていることに気が付いて、晃毅は体を起こした。
「すみません、わたしは、その、一体どうしていたんでしょうか」
 立ち上がる晃毅を、誠は止めはせず、ふらつく様子がないのを確かめると誠も立ち上がった。
「蹲っていただろう? 声を掛けた途端倒れたんだ。どうしたのか聞きたいのはこっちだぞ」
 そう言いながらも、誠の声には安心している様子がある。
 すでに脈や呼吸を確かめて、晃毅の状態は晃毅本人よりも分かっているのかもしれない。
「わたしは、その、頭が痛くて。もう痛くはないみたいですが」
 ふむ、と誠がうなずくのを見ながら、本当に何処も痛くない、と自分の体を見下ろしたところで、足元に落ちているものに気が付いた。
 たくさんの菖蒲の葉と、包帯が、二巻分。
「これは」
 慌てて自分の腕を見ると、両腕の包帯が解かれていた。
 その上、傷に根を張っていると思っていた瘴気の欠片も視ることが出来ない。
「ああ……。悪い。怪我から熱が出ているのかと思って、解かせてもらったんだ。その分だと大丈夫なようだが、消毒はした方がいいだろう。ちょっと寄って行ってくれないか」
 寄るという言葉を不思議に思ったが、改めて周囲を見ると、養安の住まいの近くだった。
 こんな場所で蹲っていたとは、不覚だったと唇を噛みしめる。
 誠は素早く菖蒲の葉と包帯を拾い上げると、晃毅の手を引いて歩き出した。
「あの、すみませんでした」
「いや、わたしの通りかかるところでいてくれてよかったよ。手当ても、してやれるからな」
 そんな風に言われると、泣きそうにさえなってしまった。
 だが迷惑を掛けているからなのか、気に掛けてもらったからなのか、晃毅自身にも判然としない。
 養安に頭を下げて上がらせてもらった一室で、晃毅は丁寧に傷を洗われ、薬を塗られ、包帯を巻きなおしてもらった。熱と脈、瞳の様子も確かめながら、誠は晃毅に聞いた。
「右手の傷も、葉蓮様には秘密なのか?」
 確かにその通りだったが、も、とはどういうことなのかと誠を見ると、誠は晃毅に向けていた目をふっと逸らした。
 申し訳なさそうに。
「……昨日、おまえを布団に運んだだろう。その時左手の傷を見て、どうしたのかと葉蓮様に尋ねてしまったんだ。隠していたんだろう?」
 それは知らなかったが、包帯の結びが違っている気がしたのは、勘違いではなかったようだ。
 それで、という晃毅のうなずきを、誠はどう受け取ったのか、改めて頭を下げられてしまった。
「すまないな。だが、こちらの傷は一層酷いな。隠しておくには、どうかと思うぞ。見たところ犬に噛まれたようだが、そういう傷は熱を出しやすいんだ。昨日おまえが案内してくれた侍も、今は熱を出している。包帯だけ巻いておけばいいというものではないんだぞ」
 誠は、晃毅に傷の手当てをどうするべきかを言い聞かせているつもりだったのだろうが、晃毅は別のところに意識が向いていた。
「昨日の方は、ご無事なんですか?」
 犬たちを追いかけた者たちよりも、彼らの主の方が酷い傷だったのは明らかだったが、熱が出ているのならまだ命に別状はないということだ。だがもう少しはっきり確かめたくて、晃毅はそれを聞いた。
「ああ。熱も下がるだろう。聞くと家臣の者たちも犬を追って重傷らしいが、犬の様子を聞けば、まあ、後も問題ないだろう。晃毅も、おまえを噛んだ犬は涎を垂らしたり震えたりはしていなかったか?」
「ええ、はい」
 あれを普通の犬として判断していいのかはよく分からなかったが、思い返す限りは、誠が言うようなことはなかったはずだ。
「なら、いい」 
 誠は手当としてするべきことは全部終えた。というよに、晃毅の肩をポンと軽く叩いた。
 そこに、患者が来たと誠を呼ぶ声がした。それなら自分が長居することは出来ない、晃毅が立ち上がると、誠も追うように立ち上がる。
「晃毅」
「え、はい」
 急ぐべきは誠だろうに、何故か晃毅の方が急がなくてはならない気がして、呼び止められたことに申し訳なくなりながら足を止めると、菖蒲の葉の束を差し出された。
「え、と。これは?」
 何故誠に菖蒲を差し出されるのか分からず戸惑うと、誠は肩を竦めた。
「おまえのところでも会っただろう。お菖さんには菖蒲の葉を薬草として分けていただいているんだ。今日はそれを取りに行っていたんだが、もしおまえに会うようなら、今日は来なくていいと言って渡してやって欲しいと言われてな」
 晃毅は今度こそ、泣いてしまいそうだった。
 だがどうにか歪む顔を抑えて菖蒲を受け取る。
「こういのが必要なら、いや」
 言いかけた誠は一つ息を吐いて、晃毅を見据えて言い直した。
「葉蓮様に隠さなくてはいけないような怪我や病でも、俺には言いに来い。いいか?」
 誠は晃毅の返事を待って、晃毅をじっと見た。
 だが、晃毅が返事を口にする前に、年若い見習いに大きく呼ばれた上に、背を押されるようにして連れて行かれてしまった。
 その後、どうにか養安の住まいを出た晃毅は、ぼろぼろと涙を流して泣いた。
 何も明らかに出来ないばかりの自分に、素直に頼ることも出来ない自分に、力を貸してくれる人たちがいるのだ。
 だからこそ、彼らに自分の成していることを知られることが怖いというのに、同時にどうしてもそれを喜んでいる自分がいる。
 どうしていいか分からずに、涙が止まらない。
 何一つ解決に向かってなどいないのに。どう向かっていいのかさえ分からないのに。
 それでも。
 役目を果たすために歩み続けることは、少しだけ、苦しいものではなくなりそうだった。 

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