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序章 きみが灰になったとしても

第19話 小さな手でも、体温はそこにあって

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「……メフィスさ~ん、いらっしゃいますか?」

 いつかの反省を活かして、コンコンとノックをする。………返事はない。当然だろう。何度もノウトはここでこうしてノックをしては安否を確認しているが返事が返ってきたときは一度もない。

「何やってんのあなた」

「ちょっと用があって、ってわぁ!?」

「っ……! 急に大きな声出さないでよ。こっちがビックリするじゃない」

 そこにいたのはフィーユとシファナのメイド二人組だった。彼女らは魔皇城掃除隊の仲間で、もはや戦友と言っても過言ではない。この二年で一番長い時間を共にしているのはなんだかんだ彼女らかもしれない。チナチナとミャーナはここにはいないようだ。

「メフィス様に御用があるのですか?」

「そう、なんだけど。やっぱりノックしても返事がないんだ」

「ま、そこは相変わらずね」

「だからどうしようかなって思ってて……って何やってんの!?」

 シファナが黙ってその扉を開けていた。

「どうぞ」

「いや断りもなく入っちゃダメだろ!」

「……? 私はいつもこれで入ってますけど」

 ……なるほど。シファナがメフィスとどうやって会ってるかがようやく分かった。シファナの強引さにメフィスも断り切れないということなのだろう。フィーユは頭を振って少しだけ呆れているみたいだ。
 扉の向こうには薄暗くて、ごちゃごちゃとしたものが微かに見える。

「メフィス様は扉変えの魔法も施してますから、扉を開けた時にちゃんとメフィス様の部屋に繋がっていたら受け入れて下さってる証になります。ほら、行ってください」

「わ、分かったよ」

 ノウトはシファナに背中を押されて、メフィスの部屋に入った。後ろでゆっくりと扉が閉められる。着いてきてくれるわけじゃないのか。なんだか少し心細い。
 薄暗い部屋だ。
 奇妙な匂いと奇矯な音が仄かに部屋を満たしている。ノウトの背丈の二倍はありそうな本棚がずらぁっ、と並んでいて、歩いているうちに少しだけ開けている場所に出た。中央に机があって、その上に紙が散乱している。ノウトはそのうちひとつを手に取った。

「これは……」

 魔法陣だ。
 魔法は詠唱するほかに、文字や記号として書いてもその効果がある。ただその場合に必要になる莫大な魔力は詠唱の比ではない。また、魔法陣作成時にも魔力が必要だったりと色々と効率が悪く、技術者や科学者出ないと自由に使うことが出来ないのが、この魔法陣だが───

「これ、全部つくったのか……」

 ノウトは感嘆の言葉を漏らした。その時だった。視界の端に、もぞもぞと動く物体があった。ノウトは床に散らばる紙たちを踏まないように大股で歩いて、近付いた。
 もぞもぞと動いていたものの正体。それは女の子だった。
 クリーム色の長すぎるほどの髪が黒い毛布を彩るように伸びていた。その見た目はシファナやフィーユよりも幼く見える。
 頭には大きな角が生えていて、顔の小ささとなんだかアンバランスにも見えるし、そのアンバランスさが可愛らしくも見えた。真っ白で雪のような肌。まるで人形みたいだ、なんてノウトは思ってしまった。
 小足族フリング魔人族マギナのハーフとは聞いていたがここまで作り物じみた顔をしているとは想像出来なかった。
 そんな彼女は毛布に包まれながら気持ち良さそうに眠っている。
 声をかけるのははばかられるけど、魔皇に連れてこいと言われているから起こすしかない。

「あのー……すみませーん」

 声を掛けても起きる気配は全くない。ノウトはため息を吐いて、メフィスの身体を揺さぶった。

「んむにゃ……」

 ノウトの揺さぶりにメフィスは少しだけ反応した。この調子ならいけそうだ。

「………あのー」

 ゆさゆさと動かす。

「……んんぅ……シファナかぁ? 飯ならいつもみたいに卓上に置いといてくれんかのぅ………」

 ……あれ? なんか勘違いしてるな、この人。それに、喋り方もなんか普通じゃないような。

「メフィスさん。俺です、ノウトです。いつも小型神機をあなたから譲ってもらってる───」

 そこまで言うと、メフィスはぱちりと目を開けて、そしてがばっと飛び起きた。

「な、な、な、なぜ、おぬしがここに!?」

「いや、えっと、魔皇様にメフィスさんを呼べと言われて──」

「目的ではない! 手段を問うとる! ……いや、確かに扉は繋げてはいたがシファナと魔皇以外が開けた時は違う場所に繋がるようにしていたはず……」

 目の前の少女はぶつぶつとノウトに聞こえないような声で呟いてからノウトを見上げた。

「───おぬし」

 彼女は舌なめずりして、その眼光がノウトを捉えた。

「ここに来たということは覚悟はしているのじゃろうな……」

 ノウトはごくりと息を呑む。メフィスという幼い見た目の少女が放つ最大限の威圧にされたのだろう。背筋が自ずと伸びていた。

「……もちろん。俺はいつもメフィスさんにお世話になってますから」

 ノウトの持つ閃光弾も睡眠針も撒菱も彼女が作成したものだ。
 ノウトがミェルキアを倒せたのも彼女の力あってのことで、むしろ今まで会っていなかったのがおかしいくらいだ。

「そうか……。ならば──」

 メフィスは両手を毛布から離して、

「覚悟っ!!」

 ──飛び跳ねた。
 ノウトはなぜか目を瞑ってしまった。何か痛いことが待っているような気がしたのだ。
 でも、痛いことはなかった。
 その代わり、なんだか生暖かくて、少しざらざらしてて、ぬめぬめしてるものがノウトの左手に───

「何してんの!?」

「ぺろぺろぺろぺろ」

 なんと、メフィスはノウトの腕を掴んで手の甲を舐めていた。それはもう容赦なく舐めていた。

「いやいやなっ、にしてるんですか!?」

「見て分からぬのか? 舐めているれろれろ」

「手段じゃないよ! 目的を聞いてるんです!」

「れろれろれろ」

 やばい。完全に舐めるのに夢中になってる。でも、なんだか舐めたくて舐めてるわけだし、ノウトだって手の甲を舐められるのが別に嫌な訳じゃないから抵抗する必要もさして、ないような気もする。それに、メフィスは見た目が小さいからなんだか父性的なものに目覚めつつあるような、……いやいや流石におかしいだろ。

「あの、ちょっと……! 説明を所望しまっ! する!」

 「する!」のタイミングで手を引っ込めたからテンパって変な口調になってしまった。メフィスはお預けされた子供のように物寂しい顔をして、口を片手で拭った。

「じゅる……」

「メ、メフィスさん、あの、ほんとにどうしたんですか。俺の手に蜜でも塗られてました……か」

 ノウトは自らの左手甲を見た。メフィスの唾液でびしょびしょになっているが、そこには〈勇者の紋章エムブレム〉があった。

「わしは気になったものは絶対に確かめないといけなくなる性分でのぅ。おぬしが二年前に魔皇城に来てから、どうしても気になっていた事がひとつあったのじゃ」

 ノウトはごくりと唾を飲んだ。まさか──

「勇者の紋章はどんな味なんじゃろう、とな」

「あなたはアホなんですか!?」

「阿呆とはなんじゃ。こちとら二年間禁欲して、おぬしと会わないように気を使ってやっていたのに。こっちの身にもなって欲しいのじゃ」

「勝手に手の甲が他人に狙われてた俺の身にこそなって欲しいんですけど!」

「ふむ。助かったぞ。堪能させて貰ったおかげでスッキリしたのじゃ」

「それは、うん。何よりです……」

「なんじゃその顔は。どちらかと言えば勝手にわしの部屋に入ってきたおぬしが悪いのじゃぞ」

「うぐっ……。それは、確かに否定出来ませんけど」

 メフィスは唇をぺろりと舐めた。なんだろう。なんか複雑な気持ちだ。
 ノウトは黙ってびしょ濡れになったエムブレムを服で拭った。

「さてと……」

 メフィスは裾を払って、ノウトの横を通り過ぎては急に立ち止まると突然服を脱ぎ始めた。

「って何してるんですか!?」

 暗くても見えるもんは見える。
 下着とか履いてないのか、そう思ってしまった。

「おぬしは阿呆か? 寝巻きのまま魔皇の前に行けと?」

「いや、そうじゃなくて俺がいるんで! 恥とかないんですか!?」

「恥なんて考えてたら時間の無駄じゃ。他に労力を使った方がマシじゃな。あと敬語もやめろ。思考の無駄じゃ。あとメフィと呼べ」

「メフィ?」

「そうじゃ。一回呼んでみろ」

「えっと、メフィ?」

「それでよい」

 話しながらも彼女はそこら辺に落ちている服を拾い上げながらだんだんと服を着ていく。確かに色々と時間の無駄かもしれない。勉強になるなぁ。

「それで、興味本位で聞くんだけど、エムブレムを舐めて何か分かったのか?」

「いい質問じゃ」

 メフィは得意げに振り向いた。

「わしは特異体質でのぅ。魔法や遺物であるならばそれを舌下腺を通して、どんな性質を秘めているかがわかるのじゃ」

「へぇ! いや凄いな、それ」

 ノウトは少しだけ興奮してしまった。なにぶん、最近地下迷宮アンダーグラウンドについて個人的に調べているので中々便利だと思ってしまったのだ。

「それで、ぬしのを舐めた結果じゃが……」

 メフィは顎を片手で触った。

「それが非常に密度の濃い魔法遺物である事が分かった」

「……え?」

「つまり、《勇者の紋章》は魔法の類であるということじゃ」

「それって……」

「うむ。少し……いや、かなり奇妙な話じゃな」

 魔法を司る魔皇を倒す勇者。
 その図が正当であったはずなのに、勇者が使っていたのも魔法だったなんて。まぁ──

「そんな気はしてたよ。俺ら勇者の使う〈神技スキル〉も魔法の類いなんだろうなぁって」

「むしろその逆……なのかもしれんの……」

「それってどういう───」

「いや、なんでもないのじゃ」

 メフィは顔を背けた。そして、ノウトのエムブレムを見てからもう一度ノウトの顔を見た。

「今度はこちらから質問してよいか?」

「ああ、もちろん」

「その紋章に関してじゃが、以前勇者の姿を遠くから観察し、写し絵として保存した時の文献はあるのじゃが、おぬしの紋章と模様が少し違うのじゃ。何か理由があるのか?」

「それは多分、紋章の特性のせいだな。残りの勇者の生存数をエムブレムは教えてくれるんだ。もともとは五芒星だったんだけど、今はその角が二つになってるだろ? 五人いた勇者が今は二人だけになったってことだよ」

「なるほどなるほど。何分資料が少ないから、それは今まで知らなかったのぅ。して、生存している勇者はもうおぬしだけではないのか?」

「ああ、実は封魔結界を通ってないのが一人いるんだ。ベルフェゴールって言うんだけど」

「はぁ~。意気地無しな勇者もいたもんじゃのう。それを勇者と呼ぶのは皮肉じゃな」

「しょうがないよ。人は誰だって死にたくないだろ。それに、これを見る度にあいつがまだ生きてるって思うと生きる希望が少し湧いて来るんだ。結界があって、向こうに帰ることは出来ないけどね」

 ノウトが言うとメフィは「……そうか」と呟いて目を逸らしてしまった。なんだか少し気まずい。
 ふと、ノウトは視線をずらして部屋の隅を見た。
 そこにはどこか見覚えのあるものがあった。ガラクタのようにも見えるが、あれは確か……。

「ゴーレム……?」

 ノウトが小さな声で囁くと、メフィがぴくりと反応した。

「よく覚えておるの。確か、おぬしが初めて戦場に繰り出したとき出会でくわした強敵じゃったな」

「あれ、なんでメフィが知ってるんだ?」

「わしもあの場にいたからじゃよ」

「ああ、なるほど」

 一瞬、気を取られたが、考えてみたら当たり前の話だ。メフィも魔皇の直属護衛兵で、今はノウトと同じ四天王なのだから。

「それで、なんでゴーレムがここに?」

「長い間、独自にゴーレムについて研究を進めておるのじゃ。ただ、この二年間の研究がようやく実を結びそうでのぅ。もうすぐでゴーレムの秘密が解き明かせそうなのじゃ」

「ほんとか!? 良かったな凄いよ!」

「う、うむ。なんじゃおぬし、人のことを自分のことのように喜ぶんじゃな」

「当たり前だよ。メフィに俺はずっと救けられてきたから、だからもうメフィは俺の一部なんだ」

 メフィは口をぽかんと開けて、ふふっ、と笑い始めた。

「おかしなやつじゃな、ぬしは」

「よく言われるよ」

 ノウトも釣られて笑い出す。二人してひとしきり笑ったあと、顔を見合って、

「名前」ノウトが口を開いた。「言ってなかったよな」

 ノウトは片膝をついて、彼女の目線に合わせた。

「知ってると思うけど、俺はノウト。ノウト・キルシュタインだ」

 メフィは小さく笑って、それからノウトの顔を見た。

「わしはメフィス・フラウトス。魔帝国魔術研究所所長かつ、魔皇直属の魔法使いでもある。宜しくの、ノウト」

 メフィが手を差し出して、ノウトはそれを握った。

「ああ。宜しくな、メフィ」

 差し出された彼女の手は小さくて、でも暖かくて。
 この世界は広いけれど、確かにメフィはここにいるのだと、改めて感じられた。

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