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第二章 蹉跌の涙と君の体温

第20話 ああ、会えるさ。

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 眩い光に目を瞑り、次に目を開けた時には薄暗い部屋の中にいた。

「………着いた、のか?」

「然り、じゃな」

 メフィはノウトとリアの間の空間を見てから呆れたように言った。

「……おぬしら、仲が良いのう」

 その言葉の意味がよく分からず、メフィが目線を向けた場所を見ると、ようやくその意味が分かった。
 ノウトとリアは手を繋いでいたのだ。しかも、指を絡ませるような形で。どちらからともなくいつの間にか手を繋いでしまったのだろう。

「うわあ!?」

 ノウトが喫驚して手を離すとリアは不服そうな顔をして、もう一度ノウトの手を掴もうとする。

「あの…ね……」

 リアが少しだけ頬を染めた。

「手……繋いだままでいい? ちょっと怖くって、わたし」

「へ、いや、それは、………なぁ」

 ノウトはその問に対する答えがはっきりと言えず、なぜかメフィに答えを求めに言ってしまった。メフィは小さく溜息を吐いてから、ずんずんと奥へ歩き出した。

「こっちじゃぞ」

 ノウトとリアは目配せしてから、メフィの後を着いて行った。ちなみにノウトの手はリアに掴まれていた。怖いと言っていたので流石に振り払うようなことは出来なかった。

 薄暗い部屋だった。
 燭台───ではないのだろう。火ではなく、光る石が壁に埋め込まれていて、部屋を最小限の明るさで照らしている。
 壁は石造りというより混凝土コンクリートに近い材質だ。専門家でもないし、記憶もないからなんとも言えないけど、人間領にあった建物とは何か違う気がした。
 部屋の中には自分達がここに着いた時に立っていた床にあった模様と同じような模様がそこかしこに描かれていた。
 ノウトが周りを見渡しているとメフィが「ここはターミナルじゃ」と補足してくれた。

「ターミナル……」

「様々な場所に繋がる転移魔法陣が設置されているところじゃな。と言ってもまだ実戦投入も真新しい魔術じゃからな。これを使えるのもわしとアガレスくらいじゃから、こんな狭い部屋に置かれているのじゃ」

 メフィは不満なそうな顔で言った。そして、ああそうじゃ、と口にしてから、

「わしとノウトが協力して作ったんじゃぞ、これは」

「お、俺が?」

「うむ、そうじゃ。神機をノウトが集めてわしが解読して複製したのがこの転移魔法陣じゃ」

 自らがそんな大業をしていたなんて、にわかには信じられなかった。

「ノウトくん、結構すごいことやってるね」

「……ああ」

 ノウトは頭が着いていかないまま曖昧に頷くしか無かった。
 部屋から出ると感じたのは仄かな酸性の刺激臭だった。と言っても鼻を抑えるほどの臭いではなく、臭いと言うより香りと言った方が正しいのかもしれない。
 その部屋も先ほどと同じくらいの暗さだった。最小限にしか光がない。この部屋では左手甲にある〈エムブレム〉の微かな光ですら光源になりうる。

「ここはわしの寝室じゃな」

「えっ……!? こ、ここが、メフィの?」

「なんじゃその顔は」

「い、いや、だってさ……」

 なんと言っても生活感が無さすぎる。生活必需品と言える類のものが何一つない。床には何かが書かれ、描かれている紙がばらまかれている。
 小さな机の上には蛍光色に輝く謎の液体が透明の容器に入っていて、それが酸性の香りを発しているのが分かった。それ以外にあるのは大きな本棚くらいだ。この場を寝室と言い放たれて驚かないわけがない。

「えっと、どこで寝てるの?」

 リアが聞くとメフィは指をある場所に向けた。

「あそこじゃ」

 メフィの向けた指の先には毛布の塊が乱雑に纏められていた。

「な、なるほど……?」

 ノウトは自分を無理やり納得させる方向に落ち着いた。リアはというと目を輝かせて「いいなぁ……」と関心していた。
 メフィが歩くのを急にやめてその背にぶつかりそうになってしまう。そして彼女はリアに向かって振り向いて、自らの顎を手で触った。

「おぬしがそのままここから出てしまうと混乱を招きかねんの」

「ノウトくんはみんなに存在を知られてるけど、勇者のわたしが突然出て行ったらみんなびっくりしちゃうよね」

「そういうことじゃ。ということで……」

 メフィはそう言うと懐をがさがさと漁り、リアにそれを手渡した。

「それは……」

「魔人に変装キットじゃ。ほれ被ってみい」

 魔人に変装キットと呼ばれたそれはカチューシャに魔人の角が着いたような代物だった。被れば確かに人間であるということはバレないかもしれない。
 リアはそれを受け取って、頭に被った。

「どうかな」

「うん。いいんじゃないか?」

「かわいい?」

「かわっ……いいと思うぞ」

「ふふっ」

 リアは嬉しそうに笑った。勇者としての付き合いは一番長いはずなのに全くと言っていいほど計れない。リアの心情の謎は深まるばかりだ。

「うむ。それならバレんじゃろな。あとほれ」

 そう言ってメフィがまたもや取り出したのは手袋だった。

「〈エムブレム〉を隠せるってわけだね」

 リアはそれを受け取ってから手につけた。〈エムブレム〉は見事に見えなくなっていた。

「うむ。それで少なくとも騒ぎは起きないの。では行くとするか」

 メフィはとことこと部屋の出口へと歩き出した。扉に手をかけて、それを開ける。光がその隙間から漏れだして、今まで暗い場所にいたからだろう、思わず目を瞑ってしまった。
 手庇を作りながら、扉の外へ足を踏み出す。
 そこは外ではなく、どこかの廊下のようだった。窓から光が差し込んでいる。
 扉の横に誰かが立っているのが分かった。
 背の高い、角の生えた男だった。如何にもなくらい真面目そうな顔をしている。

「ノウト、様……」

 その男はノウトの顔を見た瞬間、真面目そうな顔を崩して目を見開き、心の底から安心したよう顔になった。ノウトはその反応に対して戸惑ってしまう。

「ご無事でなによりです」

 ノウトに目を向けてその男は言った。どう対応したらいいのか分からない。ノウトにはこの男の記憶が一切ないのだ。

「えっと、こちらの方は……?」

 困ったノウトはメフィに助け舟を出した。

「こやつはアガレス。魔術研究所の副所長じゃ」

「そうでした……。ノウト様、記憶を失くしていらっしゃるのですよね。いきなり背の高い変な奴に絡まれたとお思いでしょう。失礼致しました」

「まぁ見ての通り、変なヤツじゃから、適当に対応していいぞ」

「はい、私と接する時は適当でいいですよ。ノウト様、改めて宜しく御願いします」

「お、おう。宜しく」

 真面目そうな顔からは予想出来ないような気安いキャラが飛び出してきて、さらにノウトは戸惑ってしまった。

「失礼ですが、こちらの方は」

 アガレスはリアを見て言った。

「こいつは勇者じゃ」

「いや、いきなりバラすのか」

「アガレスは大体の事情を知っておるからの。言っても問題はないのじゃ」

 メフィがそう言うとリアがアガレスに目をやり、

「わたしは〈生〉の勇者リアです。よろしくお願いします」

「ご丁寧にありがとうございます。ご存知かも知れませんが、魔術研究所副所長のアガレスです。こちらこそどうぞ宜しく御願いします」

 アガレスは胸に手を当てて腰を五十度に曲げた。リアは微笑んでそれに答えた。
 すると、メフィがノウトの目を見据えて口を開いた。

「アガレスは放っておいて……。ノウト、聞きたいことがある」

 今までになく真剣な眼差しだ。

「記憶を戻してから魔皇と会うか。それとも、魔皇と会ってから記憶を戻すか。どちらが良い?」

 ノウトがその選択肢の回答を選ぶのに、さして時間はかからなかった。

「一度会ってからにするよ。早く会いたいってのもあるけど、“今の俺”で一回会っておきたいんだ」

 ノウトが言うと、メフィは少女に似合うような、あどけない笑顔で笑った。

「おぬしならそう言うと思っておったのじゃ」

 隣に立つリアもノウトを見て微笑む。

「では行こうか。ここからはそう遠くないのからの」

 歩き出すメフィに着いていく。廊下の外には太陽が見える。廊下の意匠はターミナルやメフィの部屋よりも豪華絢爛だ。派手派手な感じ、というよりは厳かな豪華さ、と言った方がいいだろう。

「そうじゃ。魔皇がひとつおぬしに伝えそびれていたことがあったのう」

 メフィが歩きながら口を開いた。

「伝えそびれていたこと?」

「うむ。知っていることやもしれんが、既におぬしらの他に封魔結界を越えておる勇者がおってのう」

「もしかして、セルカちゃん達のパーティのことかな」

「絶対そうだろうな。メフィ、あいつらが今頃どこにいるとか分かるか?」

「もちろんじゃ。勇者が来るとわかっておったのでの、あの近辺に斥候兵を何人か忍ばせておる。そやつらは今、封魔結界を南に行った所にある、ガランティア連邦国のダアフォ付近におるとのことじゃ。その勇者の徒党がガランティア連邦国の魔人に手を出した、との情報が伝わってきての」

「それって、よく分からないけど、まずいんじゃないのか?」

「いえ、そうでもないんですよ」

 アガレスが行く手に目線を送りながらも答えた。

「封魔結界より北側と我が国マギアに手を出さなければ、極端な話、勇者様はなにをなされても問題ないと私は思っております」

「本当に極端な話じゃな。そやつら勇者がファガントを落としてくれれば、話は早いのじゃが」

 国政事情については全く知識がないので、ノウトは何も口を挟むことは出来なかった。しかし、フョードル達が魔人と一戦交えた、ということには驚いたが、少しだけ考えれば当たり前なことではある。勇者が封魔結界を抜けるということはそういうことなのだ。
 そして、歩きながら、ふと疑問に思ったことを口に出した。

「ここに来る途中でいきなりヴェロアの姿が見えなくなったんだけど、……何かあったのか?」

「ヴェロア……。ああ、魔皇様のことですね」

 その問いにアガレスが神妙な面持ちで答えた。

「ええ。お会いして頂ければお分かりになると思います」

 メフィは黙ったまま前を歩いている。
 ノウトの心臓が急に高鳴りだした。もしかして、命に関わるような何かがあったのだろうか。

「ノウトくん……」

 隣を歩くリアがノウトを気遣ってか、ノウトの手を握るその手をぎゅっと強めて握り直した。
 長い廊下を歩き、長い階段を上る。
 その途中何人もの魔人に「ノウト様」と声をかけられてその度に返答に窮して、なかなかに大変だった。「人気者だね~、ノウトくん」とリアに微笑まれる始末だ。
 しばらく歩いていると突き当たりにぶつかり、そこでメフィは足を止めた。

「ここじゃ」

「ここって……」

 その扉は途中で通ってきたような扉と同じような簡素な作りだった。要するに、ここは王のいる謁見室などではなく、ただの、それこそメフィの寝室のような部屋だということが扉を見るだけで分かった。

「じゃあ、わたしここで待ってるから」

 リアがノウトを見てそう言った。魔皇との再会を慮ってのことだろう。

「……それが良いじゃろうな。わしらもここで待っておるから、ほれ。扉を開けて中に入るのじゃ」

 メフィがノウトの背中を押して扉の前へと立たせる。

「………」

 ノウトは自らの鼓動が速くなるのを感じていた。どうしてか、嫌な予感がする。心のどこかでこの扉を開けてはいけないような、そんな警鐘が鳴っている。それが杞憂であることを今はこいねがうしかない。
 ドアをノックすると中からは声がしなかった。
 ノウトは振り返って、メフィの指示を仰ぐとメフィは黙ったまま、ただこくり頷いた。入っていい、ということだろう。
 ドアノブに手をかけて扉を開ける。後ろ手で扉を閉めてから、中を見回す。
 ほの暗い部屋の端に一つだけ照明があり、それのみが部屋を照らしていた。メフィの寝室とは違い、これこそが寝室と言えるような内装だった。調度品は落ち着いていて、自室というよりはまるで客人のような部屋だった。
 天蓋付きのベッドが照明によって明かされている。
 ノウトはそのベッドに吸い込まれるように歩いていき、ベッドの傍らに立つ。そして、そこに横たわる彼女の姿に目を奪われた。
 真っ白な肌に真っ黒な角。
 思わず見とれてしまうほどの整った顔立ち。
 ヴェロアだ。
 人間領で会った彼女と同じ容姿をしている。
 唯一違うのは、きちんと服を着ていたという事だ。薄手のキャミソールに下はドロワーズ。明らかに下着姿だったが、人間領で姿を見せていたヴェロアはほぼ全裸に近かったので、不思議と違和感はなかった。
 彼女はすーっ、すーっと寝息を立てながら眠っていた。

「………良かった……」

 意図せず、自分の口から安堵の声が漏れ出た。見た目には特に異変はない。メフィ達の態度からして何かがあったのかと思っていたが杞憂だったようだ。
 そして、ノウトが声を出したからだろう。もしくは足音が原因かもしれない。
 ヴェロアがぱちりと目を開けた。

「ん……」

 そして、ゆっくりと起き上がり、ノウトの方を見る。

「……ノウ……ト………?」

 一瞬、自分の目を疑ったのか、目を見開いた。そして───

「ノウト……っ!!」

 嬉しそうで、少し泣きそうな顔を見せたヴェロアはノウトの方によってベッドに座った状態でノウトの身体に手を回し、腹に顔をうずめた。頭の角がこつん、とノウトのへそ辺りに当たる。

「よかった………よかった……っ! ほんとうに……っ」

 涙声のヴェロアにつられて、ノウトも泣きそうになってしまう。というか、既に泣いていた。ここまでの道中のことが頭に過って、感慨深くて、感極まって。
 それが一筋の涙となって、頬を流れた。

「生きて、ここまで来れたんだな……」

「……うん」

 ノウトは自然に手をヴェロアの頭に乗せ、撫でた。魔皇に対して、こんなことをしてしまってはいけないのではという理性を、その時だけは無視した。

「もう、会えないかと……思っていたんだ……」

「……ごめん、ヴェロア」

 ノウトがそう言うとヴェロアは顔を埋めるのをやめて、顔を上げた。

「おかえり、ノウト」

 ヴェロアは涙を浮かべた瞳でにっと笑った。
 それに応えるように、ノウトは泣きそうな顔で笑ってみせた。

「ただいま、魔皇様」
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