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第三章 争奪戦

第86話 わかっていない

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「……そんなの嫌だ」

 サリオンは声を詰まらせる。 

 トガの布地の胸の辺りを握り締め、血を吐くように言葉にした。掴んだトガを前後に激しく揺さぶった。彼の胸に飛び込んで、嗚咽しながら取りすがる。

「嫌だ……」

 と、うめいた。泣きながら拳で胸を何度も叩いてその胸に、熱い頬を押し当てた。

「そんなの嫌に決まっている……!」

 どうしてこんなことまで言わせるのかと、腹が立つ。

 公館の廻しとして、のらりくらりと断り続けてさえいれば、誰のことも抱かないと、分かっていたから拒絶した。

 帝国一の美男と謳われ、建国以来の賢帝と民人からも称えられ、その賞賛にふさわしい勇猛果敢な美貌の皇帝。
 この手の中から最愛のつがいを奪った憎むべき人。

 それなのに、恋してしまった自分がいた。
 あまりに近づきすぎたのだ。


 サリオンは怒りに任せて振り上げた拳で腕を、肩を、その胸を、駄々をこねる子供のように闇雲に、叩いて激しくむせび泣く。
 こんな怒りをぶつけることができるのは、こんなにも深く愛して求めてくれている彼しかいない。

 見つからない。

 サリオンは最後に彼の肩口に拳を当てると力尽き、くずおれそうになりかける。
 その瞬間、受け止められていだかれた。


「もういい。……わかった」
「あんたが誰かを孕ませるなんて考えたくない……」
「わかった。もう……いい」
「わかってないだろ。あんたは全然わかっていない」

 
 オリバーがダビデの子供を産んだなら、民人の目は世継ぎのいないアルベルトから、ダビデの方へと移るだろう。
 
 民人にとって帝国の存続を担う皇太子こそ、崇拝するべき『神』なのだ。

 そうともなれば、ダビデは必ず皇帝の座を奪いにかかる。
 世継ぎがいない皇帝は、存在意義がないからだ。

 
 だからこそ、いつかは誰かがアルベルトの子を産む。
 それが自分でないことぐらい、わかっていたはず。

 それなのに、こんなに早くその日が来るとは思わなかったと、上質な光沢を放つ絹のトガを失意の涙で湿らせる。

 たとえどんなに悔しくても、やりきれなくても悲しくても、窮地に立たされ、追い込まれている賢帝を救うことができるのは、子供を産めるオメガなのだ。


 アルベルトには、まだそれがわかっていない。
 彼は期待を賭けている。
 子供を産めないオメガの自分に、産ませることができると信じ込んでいる。

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