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第五章 畏怖と差別と偏見と
第六話 人間なんて
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脱衣所で部屋着からパンツスーツに着替え直してコートを羽織り、A4サイズのバックを持つ。
支度を済ませた麻子が玄関でパンプスを履き、ドアを押し開けるまで、圭吾は後ろからついて来た。
「何かあったら、電話しろよ」
「……うん」
「夜中でも朝でも全然いいから」
「わかってる」
これまでも圭吾は何かあったら、真っ先に駆けつけてくれていた。
真夜中の愚痴の長電話ですら、迷惑がられたことはない。
ひとしきり話し終えると、圭吾に「もう気が済んだか?」と尋ねられ、「うん」と答える。「もう切るぞ?」と尋ねられ、「うん」と頷く。
そして、ためらいがちに切られる通話。
「俺が部屋にも施術院にもいない時は、いつでも中に入ってろ」
「ありがとう」
互いの部屋の合鍵は持っている。
いつでも来いと言えるのは、やましさがないからだ。
代わりに他の女を連れ込んでなんかいないよと、念を押してくれている。
「うん。……じゃあ」
「気をつけて帰れよ」
「大丈夫。通りに出たらタクシーを拾うから」
玄関のドアノブに手をかけたまま、いつまでも会話が途切れない。麻子はふわりと微笑んだ。
そのくせ送っていくとは言わない圭吾。
気持ちの整理をつけるために、距離を置きたい。
半ば突き放した形でも、その意思を優先してくれる。
マンションに着き、エントランスを突っ切った。
嘆息してから、エレベーターに向かう麻子のヒールの音がこつこつ響いた。
誰もが寝静まり、閑散とした深夜のマンション。
麻子はエレベーターの前まで来た。
圭吾の家族が反対するなら、別れるしかないのだろうか。
圭吾ひとりの力では、納得させられない両親を、他人の自分が説き伏せられるのか。
エレベーターの下りのボタンを押してから、各階を示すランプを見続ける。
たとえどんなに愛してくれていても、 諍いの場に連れ出して、矢面に立たせようとしていた圭吾に失望した。
そもそも、どうして私は反対されるのか。
程なく着いたケージのドアが開かれる。中には誰もいなかった。
乗り込んだ麻子は昇降ボタンの閉じるのボタンを押してから、五階を押した。
ドアが閉まる間に、行く先ボタンを押した方が効率がいいからだ。
麻子は上るケージの壁にぐったりとして寄りかかる。
どちらかが心療内科に通院している、それだけで、仲を裂かれた恋人達がどれほどいるのか、想いを馳せる。
そして今回は両者ではなく、どちらか一方。分が悪いのは、言うまでもない。
心の病は忌むべき病だ。
人格破綻者の烙印を押されたら、どこに行っても爪はじきに合う人生だけが待ち受ける。
一階に到着したエレベーターのドアが開く。麻子はエントランスに踏み出した。
そういえば、羽藤と初めて会ったのも、エレベーターの中だった。人差し指に大きな吐きダコをこしらえた、良家の子息然とした美少年。
そして私もと、胸の中で言いかけて、麻子は止めた。
自己憐憫に浸っては、差別を受け入れたことになる。
エレベーターから外の共有廊下に出た途端、鋭い寒気が差し込んだ。
長澤さんの強いところは、人間なんてそんなものだと知ってるところなんだろうねと、院長の駒井が哀切を込めて評した言葉が蘇る。
人間なんて、そんなものだ。
支度を済ませた麻子が玄関でパンプスを履き、ドアを押し開けるまで、圭吾は後ろからついて来た。
「何かあったら、電話しろよ」
「……うん」
「夜中でも朝でも全然いいから」
「わかってる」
これまでも圭吾は何かあったら、真っ先に駆けつけてくれていた。
真夜中の愚痴の長電話ですら、迷惑がられたことはない。
ひとしきり話し終えると、圭吾に「もう気が済んだか?」と尋ねられ、「うん」と答える。「もう切るぞ?」と尋ねられ、「うん」と頷く。
そして、ためらいがちに切られる通話。
「俺が部屋にも施術院にもいない時は、いつでも中に入ってろ」
「ありがとう」
互いの部屋の合鍵は持っている。
いつでも来いと言えるのは、やましさがないからだ。
代わりに他の女を連れ込んでなんかいないよと、念を押してくれている。
「うん。……じゃあ」
「気をつけて帰れよ」
「大丈夫。通りに出たらタクシーを拾うから」
玄関のドアノブに手をかけたまま、いつまでも会話が途切れない。麻子はふわりと微笑んだ。
そのくせ送っていくとは言わない圭吾。
気持ちの整理をつけるために、距離を置きたい。
半ば突き放した形でも、その意思を優先してくれる。
マンションに着き、エントランスを突っ切った。
嘆息してから、エレベーターに向かう麻子のヒールの音がこつこつ響いた。
誰もが寝静まり、閑散とした深夜のマンション。
麻子はエレベーターの前まで来た。
圭吾の家族が反対するなら、別れるしかないのだろうか。
圭吾ひとりの力では、納得させられない両親を、他人の自分が説き伏せられるのか。
エレベーターの下りのボタンを押してから、各階を示すランプを見続ける。
たとえどんなに愛してくれていても、 諍いの場に連れ出して、矢面に立たせようとしていた圭吾に失望した。
そもそも、どうして私は反対されるのか。
程なく着いたケージのドアが開かれる。中には誰もいなかった。
乗り込んだ麻子は昇降ボタンの閉じるのボタンを押してから、五階を押した。
ドアが閉まる間に、行く先ボタンを押した方が効率がいいからだ。
麻子は上るケージの壁にぐったりとして寄りかかる。
どちらかが心療内科に通院している、それだけで、仲を裂かれた恋人達がどれほどいるのか、想いを馳せる。
そして今回は両者ではなく、どちらか一方。分が悪いのは、言うまでもない。
心の病は忌むべき病だ。
人格破綻者の烙印を押されたら、どこに行っても爪はじきに合う人生だけが待ち受ける。
一階に到着したエレベーターのドアが開く。麻子はエントランスに踏み出した。
そういえば、羽藤と初めて会ったのも、エレベーターの中だった。人差し指に大きな吐きダコをこしらえた、良家の子息然とした美少年。
そして私もと、胸の中で言いかけて、麻子は止めた。
自己憐憫に浸っては、差別を受け入れたことになる。
エレベーターから外の共有廊下に出た途端、鋭い寒気が差し込んだ。
長澤さんの強いところは、人間なんてそんなものだと知ってるところなんだろうねと、院長の駒井が哀切を込めて評した言葉が蘇る。
人間なんて、そんなものだ。
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