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本編

22 インク切れのリボン

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 悪いヤツから守った、そのお礼で付き合ってるみたいなことを昨日は言われたけど、
 最初は鶴の恩返しかと思った。でもさ、あれって機織りのぞき見したら速攻離縁されるやつじゃん。俺ものぞき見しないように気を付けないとなー。とか、バカっぽいことを考えながら、
 インク切れのリボンみたいに、俺たちの関係もいずれ近い将来期限切れで終わる。彼女もそれはハッキリと分かっているはずだ。

 なのにホント、麗子さんよくOKしたよなー。と思いながらも、ちゃっかり誕生日プレゼントに「喫茶店の客がいない暇な時間に、コソッと恋人つなぎしたりしてみたい」そうリクエストした自分に呆れる。
 そのときも麗子さんは「調子に乗るな」と悪態をつきながら、OKしてくれた。そしてちゃんと約束したみたいに律儀りちぎに守ってくれている。

 サボりたがる俺とちがって、麗子さん基本、真面目だからなー。って、思っていたら、
 ──突然約束を破られた。

 まあ正確に言うと、約束してたわけじゃないし、ただのリクエストだし、
 そもそも破られたというより、今俺、猛烈もうれつに避けられているんだけど……




 夏の激しい日差しに、せみも暑さに負けて鳴くのを止めてしまいそうな午後、
 あまりに暑すぎる日が続くと、ベタつくクリームソーダよりも、人はさっぱり系を好むようだ。今日もよくアイスコーヒーが売れた。
 そんな忙しい昼の時間も終わって、休憩に入った後も俺はあることが気になっていた。

 麗子さんからやけに距離を取られている。いや、むしろ明らかに逃げられてるんだが。
 目を合わせただけでそそくさとグラスをきはじめたり、オーダーを取りに行く振りをして離れたり、突然調理棚の整理をはじめたり、
 ちなみに今は床をほうききはじめた。なかなかどうしてレパートリーが豊富で隙がない。

 何で今日はこんなに避けられてるんだ? と、うずく気持ちをおさえつつ、俺は考えた。そしたら一つどころか、まあいくつか心当たりが出てきた。

 一つ目は、昨日の奥野白蛇おくのしろへび神社で引いたおみくじ。俺は大吉で麗子さんは……大凶だったんだけど。まさかそれで落ち込んでる?
 真っ白なへび鱗柄うろこがらのおみくじを、麗子さんは神社の木の枝にしっかり結んでたけど、実はかなり気にしてるとか……

 そうじゃないならもしかしてアレか? 
 仕事中に俺が枕抱えて寝てるとき、青夢病せいむびょうで寝落ちしたんじゃなく、実は普通に昼寝してるだけのときもあるのがバレたのか、
 あるいは女性特有の日で麗子さん、具合が悪い? なんて、そんなデリカシーのないこと聞けないしな……。

 うーん、どれもあまりしっくりこないな。と悩んだ末、ほうきをしっかり握りしめて床掃除をしている麗子さんをチラッと見る。途端、手を隠された。そこで、えっ? となった。
 そういや今日は配膳はいぜんするの、妙に早かったよな? 早すぎて手、見えなかった。……ん? もしかして、不機嫌とか避けられてるんじゃなくて……麗子さん、手を隠そうとしてる?

 今朝方けさがたもカウンターで普通に寝てたのがバレたのかと思ったけど、そうじゃなさそうだ。
 ほうきごと手を背中に隠されたショックはさておき、俺は聞く。

「ねぇ、麗子さんさー、朝から何か落ち込んでる?」
「別に落ち込んでなんか……」
「──あと、さっきから手を隠してるのは何で?」

 話している間も距離をとろうと後退する彼女の話を途中でさえぎり、淡々とした調子で核心をつく。麗子さんは手をサッとそでの中に引っ込めてしまった。これはもう、手を隠してる線で当たりだな。
 ……てかさ、そうハッキリ隠されると余計に気になるじゃんか。あー、仕方ないよなこれは。

「ちょっ!? はじめ君っ!」

 ふぅ、と溜息ためいき混じりに彼女に近付いて、逃げようとする彼女の手を、俺は遠慮なくつかんだ。まじまじと見る。

「……え、どうしたの? これ」

 麗子さんの手は派手はでに色が付いていた。
 インクをぶちまけたのが丸分かりの、青いインクが青々と、出来立てのあざみたいに付いていた。洗ってもなかなか落ちなさそうだ。

「……家のプリンターがインク無くなったから、交換してたら付いちゃったのよ」

 渋々と説明しながら、手は振りほどかれる。「悪い?」って、ツンッと顔をらされた。いや、確かに悪くないけども。

「もしかして麗子さん、手が汚れてるから俺と手をつなぎたくなかったの?」
「……うるさい」

 そういえば前にも見た、この手を隠す反応。
 以前も同じように彼女が手を隠したのは、あれは確か……。春先の三月頃。

「まさか、前のときもそれだったとか……?」

 どうして手をつないでくれないのって話したけど、え、まさか、本当に? マジか。そんな理由で……? 嘘だろう? と、思わず目を丸くする俺に、麗子さんは「なんでそんな前のこと覚えてんのよ……」と少し驚きながら歯切れ悪く目をらす。

「こ、……今度は違う色のインクが切れちゃったのよ」

 でもって、二回連続でインクの交換失敗したと……不器用だなぁー……。
 そっか、嫌だからとかじゃなかったんだ。つーか、朝からずっとそれ隠してたとかって……不味い。可愛いが過ぎる。

「ぷっ、くくっ」
「っ!」

 麗子さんって、信じらんないくらい不器用だ。言ったら気を悪くするだろうから言わないけど。でも思わず吹き出したら、めちゃめちゃにらまれた。

「ははっんなこと気にする必要ないのにー」
「気にするわよ……馬鹿」
「じゃあさ、今日は俺が配膳はいぜんやるから、麗子さんは厨房ちゅうぼう手伝っててよ。俺できないときは三太とてっぺーにしてもらうよう頼んどくからさ」

 麗子さんが完全にへそを曲げてしまう前にフォローを入れる。あそこまでインクがついてたら、流石さすがに接客中も気になるだろうし。
 そこでようやく、麗子さんが表情をゆるめた。

「ん……分かった。それから……」
「それから?」
「……ありがとう」

 麗子さんは照れ屋だけど、お礼はちゃんと言ってくれる。だから好きなんだ。「良くできました」とばかりに彼女の頭を軽くポンポン叩く。
 そして最後にもう一つ、俺はあることに気が付いた。そっちの方は、麗子さんが不機嫌そうに見えた、おそらく本当の理由──

「もしかしてさ、明日一緒に花火大会行くときまでに消えてないかもって不安だった?」
「っ!」
「大丈夫。俺はそんなことで嫌になったりしないよ」

 信用してよ。笑って言う。麗子さんが俺のこと、少しずつ好きを増してくれていることは、何となく感じてる。

「あと、今日はまだしてないよね?」
「…………」

 手を差し出す。さっき振りほどいた手に手を重ねて、麗子さんは渋々と手をつないでくれた。
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