蒔島家の事情

JUN

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期待 のち がっかり

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 練習する部屋はただの音楽室で、防音ではない。なので、練習する音も聞こえているだろうが、外のいろんな音も入ってくる。吹奏楽部や軽音楽部の楽器の音、運動部のかけ声、球を打つ金属バットの音。それから、廊下の声。
「どれが蒔島春弥の双子の兄?」
「いねえぞ、そんなかわいいの」
「おかしいな。ここに入部したって聞いたのに」
 ひそひそと小声で囁いているつもりだろうが、数が多ければ普通に聞こえる。
 弦楽部の皆は、うんざりしたような顔や苦笑を浮かべたりがほとんどだが、いたずらが成功したみたいな顔をしている者もいる。
 そしてたまりかねたように部長が立ち上がると、一気にドアを開け放った。
 驚いたのは俺たちだけでなく、外の連中もだった。当然だ。
「クラブ活動の見学なら中へどうぞ。蒔島の見学なら今見てくれ」
 そういう言い方はどうなんだと思ったが、これもまあ、新入学の時には毎回あった行事だと俺も認識している。
 俺は部長に目で促されて立ち上がった。
「どうも。蒔島柊弥です」
 途端に、期待に満ちていた見学者たちの顔つきが絶望に変わる。
「え、うそだ……」
「双子だろ?」
「なんだ。かわいくてバイオリンもできるやつがいるって聞いてたのに、だまされた」
 肩を落とす彼らには気の毒だが、早く現実を把握してもらいたい。
「わかったな。見物が済んだら帰ってくれ。練習の邪魔だ」
 部長が冷たく言うと、廊下の彼らはしょぼんと肩を落として帰って行った。
 いや、見学がもはや見物と、オブラートがどこかに行っている。
「ご迷惑をおかけしました。すみませんでした」
 俺にも迷惑だったが、そこはもう仕方がないのでそう言って頭を下げる。
 すると先輩たちは苦笑を浮かべた。
「気にするな」
「そうそう。三枝を見にああいうのが来たもんだし、慣れっこだよ」
 ああ、三枝クリスね。
 当の三枝先輩は今日は休みだった。
「もう一度今のところから」
 部長は何事もなかったように言って楽器を構え、それで俺たちも気を引き締めた。

 練習が終わると、グループ毎の当番で片付けをする。
 今日は俺のグループで、イスを並べ直し、譜面台を片付け、先輩たちと教室を出る。
「いやあ、今日のあいつら、見物人の顔は見物だったな」
 吹き出して、先輩が笑った。
 それを、部長が短くとがめる。
「飯田」
「あ、悪い」
 俺は気にしていないと笑った。
「後は鍵を返しに行くだけだが、蒔島も来い。場所を覚えておけ」
「はい」
 部長について2人で職員室へ向かいながら、部長は改めて謝った。クールで他人に冷たいのかと思いきや、気を使える人だったようだ。
「済まなかったな。面白い事ではなかっただろうに」
「いえ、慣れてますから。毎年新学期は多かれ少なかれああでしたし、入学直後は特に酷いので。
 いやあ、弟と違ってこっちは地味で、せっかく見に来た人に悪い気がしますね」
 笑ったが、部長は怒り出した。
「失礼な事を言われてるんだぞ。怒れ」
「え、ああ、済みません」
 部長はやや俯き、心なしか早口になって言う。
「蒔島は相当上手いだろう。技術的なものはもちろん、表現も。
 実は、お前がコンクールに出ていたことは知っている。ジュニアのコンクールではトップクラスだったはずだ。それがいつの間にか出なくなっていて、てっきりやめたのかと思っていた。その、続けてくれていて、俺は嬉しかった」
 どうも、励まそうとしてくれているらしい。
「ありがとうございます。華がないんで、趣味にしようかと」
 部長は不機嫌そうに眉を寄せてから、
「俺は蒔島の音はいいと思う。俺は好きだ」
といった。
「はあ、えっと、ありがとうございます」
 しかし俺がそう応えると、はっとしたように顔をそらし、
「職員室は行ったことはあるか。ここだ。入ってすぐのここにキーボックスがあるから、休日の練習日や早朝練習のと時には、鍵当番がここに鍵を取りに来ることにもなっている」
と説明を始めた。
 照れ屋のようだが、いい人らしかった。



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