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商人見習い
14 二つの試験
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午前9時、よく分からないけど、俺は寮の教室で試験を受けていた。
新人教育担当のマルクさんが配った試験問題には、何故か【商会員試験問題】と書いてある。はて?と首を捻りながらも黙々と解答していく。
俺の記憶が正しければ、商会員になれるのは15歳の成人を迎えてからだったはずだ。
最終問題を記入し終えた俺は、何故に?と再び首を捻ったが、マルクさんは何も言わない。ああ、もしかしたら表紙には【商会員試験問題】と書いてあるけど、中身は【学卒見習い試験問題】なのかもしれない。
そういえば、皆は難しい試験を受けたと言っていた。
いや、でも、先日受けた授業内容が出題されている。まだ習っていないことも出ていた。全部書けなかったから合格は難しいかもしれない。
他の教室は定員オーバーになるから入れないし……困ったなぁ。
俺はもう一度見直しをしてから、解答用紙をマルクさんに手渡した。
「早いな。まだ制限時間まで20分あるぞ。難しかったか?」
「はい。知らない問題があったので全てを解答することが出来ませんでした」
俺はしょんぼりと下を向いて答えた。
「これから採点するので、寮の部屋で待っていなさい」
「すみません。今日から他の者が雑用係をしているので、自分の部屋が何処になるのか聞いていません」
またまたしょんぼりしながら答えると、中庭で待つように言われた。
そして15分後、王都支店の5階にある支店長室まで来るように指示された。
「アコル、君は中級学校には行ってなかったな?」
「はい、本当なら今年から行く予定でしたが、父が亡くなったので……」
「そ、そうか。試験の結果は合格だ。80点以上取れたら合格で、アコルは90点だった。よく学んでいるが、どうやって勉強したのかね?」
まだ半分信じられない支店長は、教わってもいない問題まで答えたアコルに、納得できないという表情をして質問した。
「はい、寮の雑用係をしていた時、ゴミ箱にノートが捨ててあったので拾って読みました。俺、いえ私は【学卒見習い1年】の分の勉強をしていません。ノートには1年から2年までの内容が書かれていたので勉強させていただきました。あっ!ゴミを拾うのは禁止されていたのでしょうか?」
「ゴミ箱・・・フッ、なるほど。いや、禁止じゃないよ」
やらかしてしまったかと冷えたけど、マルクさんがくすくす笑いながら禁止じゃないと言ってくれた。は~っ、良かった。実は他にもいろいろと拾っているけど大丈夫だろうか?
「商会員試験には合格したが、君はまだ10歳だ。だから商会員にはなれない。
そこで、本店で秘書見習いをしてもらうことにする。
見習いであることは変わらないが、本店で働く以上は服装や身だしなみに気を付けなければならない。今の服装ではダメだ。
事務職をしている商会員のような服が必要になる。お金が無いようなら特別に給金から差し引く方法で貸すこともできる」
今度は副支店長が、俺の今後の仕事説明と服装についての指導を始めた。
いやいや、服装指導の前に本店で秘書見習いってどういうことだ?
いやいやいや、そもそも俺だけ【商会員試験】を受けさせられたのは何でだ?
「お金は……金貨1枚あれば足りますか? 靴も買わなくちゃダメですよね?」
いろんな疑問はあるけど、決められてしまったものは仕方ない。今は目の前のことに集中して対応しよう。高い服の値段が分からないので訊いてみた。
「金貨1枚(10万円)? それだけあれば大丈夫だろう。今日は午後も試験を受けねばならない。明日の朝、私が店に連れていって選んでやろう。その後で本店に連れていく」
【曲者タイプ】で掴みどころのない人だと思っていたけど、マルクさんが優しい人に見えてきた。
ん? 待てよ。午後からまた試験?
「あのー、午後からは何の試験でしょうか?」
「あ、ああ、商会員3年目の者が受ける【昇格試験】だ。まあアコルは、腕試しだと思って受ければいい。合格するとは誰も思ってないから気負わなくて大丈夫だ」
「はい、精一杯頑張ります」
なんだか歯切れの悪い言い方の支店長が、困ったような顔をしてマルクさんに視線を向けるけど、マルクさんは無表情のままだ。午後1時半から試験開始だから、15分前には同じ5階の会議室に来るようにと指示を受けた。
やったー! 昼ご飯だ。今日からゆっくり食べられるぞ!
ウキウキしながら食堂に到着すると、物凄く怖い顔をしたカルーアに、突然胸倉を掴まれてしまった。
「アコル! 貴様どうやって雑用係をしていた!? お前のせいで俺は、俺は、怒鳴られてばかりだ」
カルーアは俺の顔を睨みつけて、訳の分からないことを大声で叫ぶ。
「まさかお前、先輩方に金でも渡していたのか? それとも別の特別なサービスでもしたのか? カルーアさんはな、俺たちの中で一番優秀なんだ。だいたいお前みたいなチビで間抜けなガキが、ひと月もの間、雑用係が務まるはずがないんだ!」
今度はカルーアの側近的なブルームが、汚らわしい者でも見ているような瞳で、俺を見下しながら罵倒してくる。
別にチビだとかガキだとか言われるのは構わない。でも、不正なことをしていたように言われるのは我慢できない。
「俺は真面目にお茶を淹れて、洗濯して掃除して、お使いに出かけたりしてただけだ。俺が不正なことをしていたと思うのなら、先輩方に聴けばいいだろう?」
「この生意気なガキが!」と叫んで、カルーアは俺の左頬を殴った。
カルーアの右手が上がった瞬間、俺は身体強化を掛けたけどパンチを食らってしまった。顔に掛けるのは苦手だけどダメージは半分くらいのはずだ。
「お前たち何をしている! 全員ここに整列しろ!」と、食堂に大声が響いた。
俺以外の者はびっくりして背中がピクリと動き、声の主を見て青い顔に変わる。
俺は殴られる寸前に、食堂に向かって歩いてくるマルクさんの姿を視界に捉えていたので平気だったけど、声の大きさには驚いた。
「カルーア、何故アコルを殴った?」
「えっ……いや、俺は悪くない。アコルは雑用係で不正を働いたから注意したんです。でも、不正を認めないから・・・」
低く凍るような声のマルクさんの問いに、カルーアはびくびくしながらも自分は悪くないと主張する。
「不正? それはどんな不正だブルーム」
「・・・・・」
「確かブルームは、先輩方にお金を渡したとか、特別なサービスをしたと言ってました。ん? 特別なサービスって何だろう? なあブルーム、特別なサービスってどんなサービスだ?」
こんな時だけど、俺の知りたい欲求が答えを求めてしまう。分からないことは直ぐに調べないと気が済まない。それが俺の長所であり短所だと母さんが言ってた。
「アコル、その質問は寮の2階で暮らす商会員を全員集めてからしなさい。不正があったかどうか確認することは必要だろう。アコルは午後の授業には出なくていい」
マルクさんは、午後の授業には出なくていいと不機嫌な声で言った。もしかしたら疑われているんだろうか?……でも、授業に出れないのは試験だからだよな?
「はいマルクさん。仕事が終わった時間に確認してください。私は不正をしていません」
俺はきっぱりと言い切り、疑いを晴らすためにもマルクさんの指示に従うことにした。疑った当事者であるカルーアとブルームも、当然立ち会うことになった。
カルーアとブルームは、勝ち誇ったような顔で俺を見て、フン!と悪態をついてから離れていく。
マルクさんは俺の側まで来ると、小声で秘書見習いの件は他言するなと注意した。
「大丈夫アコル? 頬が赤くなってるよ」
「ありがとうバジル。少し痛いけど大したことないよ。それよりご飯にしよう」
心配してくれる優しい友達のバジルに、俺は大丈夫だと笑って言った。
午後の試験開始15分前、5階会議室の中には30人くらいの人が集まっていた。
みんな教科書を開いて勉強している。年齢は17歳から25歳くらいだろうか、大人ばかりでとても居心地が悪い。
「あれ、アコル? 今日は試験の手伝いか? 勉強を手伝わせて悪かったな」
「いいえ、私も一緒に勉強できて嬉しかったです」
同じ寮の2階に住んでいるタイムさんが、俺を見付けて声を掛けてくれた。
雑用係で仲良くなった支店で働く寮の先輩3人は、今日の昇格試験を受けることになっていて、俺は先週3日間だけ3人の先輩の試験勉強の手伝いをしていた。
手伝いと言っても、3人が持っている教科書に、見本の教科書と同じように線を引くという作業をしただけだ。
見本の教科書は、商会員5年目の先輩が持っていたもので、勉強家の先輩は重要箇所と実際試験に出題された箇所に線を引いていた。それを知ったタイムさんが貸してくださいとお願いし、忙しい3人の先輩の代わりに、俺が線を引いたのだ。
「ん? アコル、その頬はどうした。誰に殴られた?」
「ええっと……カルーアです」
「カルーア? あの生意気なヤツか。ふ~ん。それより、もう直ぐ昇格試験が始まるぞ。ここにいて大丈夫か?」
「はあ・・・支店長の指示なので、私にもよく分かりません」
周囲の視線を痛いくらいに感じながら、俺はタイムさんと他の2人の先輩に頭を下げて、目立たないように一番後ろの席に座った。
「なんだあの子供は?」とか「支店長の指示らしい」とか「支店の見習いのようだぞ」って声が聞こえてくるけど、へらへら笑うこともできずハァと短い溜め息を吐いた。
開始5分前になって、マルクさんと副支店長が入室してきた。
副支店長は直ぐに試験問題を配り始め、マルクさんは採点結果の発表時間や注意事項を述べていく。
俺の机の上にも試験問題が置かれたのを見て、皆がざわざわと騒ぎだした。
「後ろに座っているアコルは、午前中に行った【商会員試験】に合格し、秘書見習いとして働くことになった。しかし見習いとはいえ本店で働く以上、それなりの素養を示さなければならない。今回の【昇格試験】は合格することを目的とはしていないが、点数は皆と同様に公表される」
マルクさんの説明を聞き、全員の視線が俺に向けられた。
「秘書見習い?」とか「商会員試験に合格した?」とか「あんな子供が答えられるのか?」とか「本店は何を考えているんだ!」とかって声があちこちから上がる。
……ああ、居たたまれない。早く始めて!
午後3時過ぎ、試験を終えた俺は疲れていた。
試験を一緒に受けた支店の3人から、秘書見習いとはどういうことだアコルと問われ回答に窮し、他の人からは奇異な目で見られた。
自分だって何も聞かされてなかったとしか説明できず、ほとほと困り果てた。
でも暫くして落ち着いたのか、他の受験者から俺のことを聴かれたタイムさんが、俺が如何に雑用係として優秀だったかという話を始めてしまった。
受験した3人の寮の先輩が、これまで1ヶ月間も雑用係を勤めた見習いは居なかったとか、お茶が美味しかったとか、洗濯が上手くて掃除も完璧だったとか、お使いも嫌な顔もせず頑張っていたと自慢気に話した。
その話を聞いた他の受験者たちは、優秀な雑用係だから秘書見習いという名目で、本店の雑用係をするのだろうと結論付けた。
ああ、そういうことなんだと俺も納得して、茶葉は支店と同じでいいのだろうかと考えたりする。
そして午後4時、模範解答と共に全員の解答用紙が貼り出された。
80点以上で合格した者は廊下の右側、不合格だった者は廊下の左側に貼られていく。
公平と公正を期し、モンブラン商会で行われる試験は、採点された解答用紙がそのまま貼り出されるらしい。
貼り出された途端、廊下の右側からワーッと大きな声が上がって、その直後、全員の視線が俺に向いた。
新人教育担当のマルクさんが配った試験問題には、何故か【商会員試験問題】と書いてある。はて?と首を捻りながらも黙々と解答していく。
俺の記憶が正しければ、商会員になれるのは15歳の成人を迎えてからだったはずだ。
最終問題を記入し終えた俺は、何故に?と再び首を捻ったが、マルクさんは何も言わない。ああ、もしかしたら表紙には【商会員試験問題】と書いてあるけど、中身は【学卒見習い試験問題】なのかもしれない。
そういえば、皆は難しい試験を受けたと言っていた。
いや、でも、先日受けた授業内容が出題されている。まだ習っていないことも出ていた。全部書けなかったから合格は難しいかもしれない。
他の教室は定員オーバーになるから入れないし……困ったなぁ。
俺はもう一度見直しをしてから、解答用紙をマルクさんに手渡した。
「早いな。まだ制限時間まで20分あるぞ。難しかったか?」
「はい。知らない問題があったので全てを解答することが出来ませんでした」
俺はしょんぼりと下を向いて答えた。
「これから採点するので、寮の部屋で待っていなさい」
「すみません。今日から他の者が雑用係をしているので、自分の部屋が何処になるのか聞いていません」
またまたしょんぼりしながら答えると、中庭で待つように言われた。
そして15分後、王都支店の5階にある支店長室まで来るように指示された。
「アコル、君は中級学校には行ってなかったな?」
「はい、本当なら今年から行く予定でしたが、父が亡くなったので……」
「そ、そうか。試験の結果は合格だ。80点以上取れたら合格で、アコルは90点だった。よく学んでいるが、どうやって勉強したのかね?」
まだ半分信じられない支店長は、教わってもいない問題まで答えたアコルに、納得できないという表情をして質問した。
「はい、寮の雑用係をしていた時、ゴミ箱にノートが捨ててあったので拾って読みました。俺、いえ私は【学卒見習い1年】の分の勉強をしていません。ノートには1年から2年までの内容が書かれていたので勉強させていただきました。あっ!ゴミを拾うのは禁止されていたのでしょうか?」
「ゴミ箱・・・フッ、なるほど。いや、禁止じゃないよ」
やらかしてしまったかと冷えたけど、マルクさんがくすくす笑いながら禁止じゃないと言ってくれた。は~っ、良かった。実は他にもいろいろと拾っているけど大丈夫だろうか?
「商会員試験には合格したが、君はまだ10歳だ。だから商会員にはなれない。
そこで、本店で秘書見習いをしてもらうことにする。
見習いであることは変わらないが、本店で働く以上は服装や身だしなみに気を付けなければならない。今の服装ではダメだ。
事務職をしている商会員のような服が必要になる。お金が無いようなら特別に給金から差し引く方法で貸すこともできる」
今度は副支店長が、俺の今後の仕事説明と服装についての指導を始めた。
いやいや、服装指導の前に本店で秘書見習いってどういうことだ?
いやいやいや、そもそも俺だけ【商会員試験】を受けさせられたのは何でだ?
「お金は……金貨1枚あれば足りますか? 靴も買わなくちゃダメですよね?」
いろんな疑問はあるけど、決められてしまったものは仕方ない。今は目の前のことに集中して対応しよう。高い服の値段が分からないので訊いてみた。
「金貨1枚(10万円)? それだけあれば大丈夫だろう。今日は午後も試験を受けねばならない。明日の朝、私が店に連れていって選んでやろう。その後で本店に連れていく」
【曲者タイプ】で掴みどころのない人だと思っていたけど、マルクさんが優しい人に見えてきた。
ん? 待てよ。午後からまた試験?
「あのー、午後からは何の試験でしょうか?」
「あ、ああ、商会員3年目の者が受ける【昇格試験】だ。まあアコルは、腕試しだと思って受ければいい。合格するとは誰も思ってないから気負わなくて大丈夫だ」
「はい、精一杯頑張ります」
なんだか歯切れの悪い言い方の支店長が、困ったような顔をしてマルクさんに視線を向けるけど、マルクさんは無表情のままだ。午後1時半から試験開始だから、15分前には同じ5階の会議室に来るようにと指示を受けた。
やったー! 昼ご飯だ。今日からゆっくり食べられるぞ!
ウキウキしながら食堂に到着すると、物凄く怖い顔をしたカルーアに、突然胸倉を掴まれてしまった。
「アコル! 貴様どうやって雑用係をしていた!? お前のせいで俺は、俺は、怒鳴られてばかりだ」
カルーアは俺の顔を睨みつけて、訳の分からないことを大声で叫ぶ。
「まさかお前、先輩方に金でも渡していたのか? それとも別の特別なサービスでもしたのか? カルーアさんはな、俺たちの中で一番優秀なんだ。だいたいお前みたいなチビで間抜けなガキが、ひと月もの間、雑用係が務まるはずがないんだ!」
今度はカルーアの側近的なブルームが、汚らわしい者でも見ているような瞳で、俺を見下しながら罵倒してくる。
別にチビだとかガキだとか言われるのは構わない。でも、不正なことをしていたように言われるのは我慢できない。
「俺は真面目にお茶を淹れて、洗濯して掃除して、お使いに出かけたりしてただけだ。俺が不正なことをしていたと思うのなら、先輩方に聴けばいいだろう?」
「この生意気なガキが!」と叫んで、カルーアは俺の左頬を殴った。
カルーアの右手が上がった瞬間、俺は身体強化を掛けたけどパンチを食らってしまった。顔に掛けるのは苦手だけどダメージは半分くらいのはずだ。
「お前たち何をしている! 全員ここに整列しろ!」と、食堂に大声が響いた。
俺以外の者はびっくりして背中がピクリと動き、声の主を見て青い顔に変わる。
俺は殴られる寸前に、食堂に向かって歩いてくるマルクさんの姿を視界に捉えていたので平気だったけど、声の大きさには驚いた。
「カルーア、何故アコルを殴った?」
「えっ……いや、俺は悪くない。アコルは雑用係で不正を働いたから注意したんです。でも、不正を認めないから・・・」
低く凍るような声のマルクさんの問いに、カルーアはびくびくしながらも自分は悪くないと主張する。
「不正? それはどんな不正だブルーム」
「・・・・・」
「確かブルームは、先輩方にお金を渡したとか、特別なサービスをしたと言ってました。ん? 特別なサービスって何だろう? なあブルーム、特別なサービスってどんなサービスだ?」
こんな時だけど、俺の知りたい欲求が答えを求めてしまう。分からないことは直ぐに調べないと気が済まない。それが俺の長所であり短所だと母さんが言ってた。
「アコル、その質問は寮の2階で暮らす商会員を全員集めてからしなさい。不正があったかどうか確認することは必要だろう。アコルは午後の授業には出なくていい」
マルクさんは、午後の授業には出なくていいと不機嫌な声で言った。もしかしたら疑われているんだろうか?……でも、授業に出れないのは試験だからだよな?
「はいマルクさん。仕事が終わった時間に確認してください。私は不正をしていません」
俺はきっぱりと言い切り、疑いを晴らすためにもマルクさんの指示に従うことにした。疑った当事者であるカルーアとブルームも、当然立ち会うことになった。
カルーアとブルームは、勝ち誇ったような顔で俺を見て、フン!と悪態をついてから離れていく。
マルクさんは俺の側まで来ると、小声で秘書見習いの件は他言するなと注意した。
「大丈夫アコル? 頬が赤くなってるよ」
「ありがとうバジル。少し痛いけど大したことないよ。それよりご飯にしよう」
心配してくれる優しい友達のバジルに、俺は大丈夫だと笑って言った。
午後の試験開始15分前、5階会議室の中には30人くらいの人が集まっていた。
みんな教科書を開いて勉強している。年齢は17歳から25歳くらいだろうか、大人ばかりでとても居心地が悪い。
「あれ、アコル? 今日は試験の手伝いか? 勉強を手伝わせて悪かったな」
「いいえ、私も一緒に勉強できて嬉しかったです」
同じ寮の2階に住んでいるタイムさんが、俺を見付けて声を掛けてくれた。
雑用係で仲良くなった支店で働く寮の先輩3人は、今日の昇格試験を受けることになっていて、俺は先週3日間だけ3人の先輩の試験勉強の手伝いをしていた。
手伝いと言っても、3人が持っている教科書に、見本の教科書と同じように線を引くという作業をしただけだ。
見本の教科書は、商会員5年目の先輩が持っていたもので、勉強家の先輩は重要箇所と実際試験に出題された箇所に線を引いていた。それを知ったタイムさんが貸してくださいとお願いし、忙しい3人の先輩の代わりに、俺が線を引いたのだ。
「ん? アコル、その頬はどうした。誰に殴られた?」
「ええっと……カルーアです」
「カルーア? あの生意気なヤツか。ふ~ん。それより、もう直ぐ昇格試験が始まるぞ。ここにいて大丈夫か?」
「はあ・・・支店長の指示なので、私にもよく分かりません」
周囲の視線を痛いくらいに感じながら、俺はタイムさんと他の2人の先輩に頭を下げて、目立たないように一番後ろの席に座った。
「なんだあの子供は?」とか「支店長の指示らしい」とか「支店の見習いのようだぞ」って声が聞こえてくるけど、へらへら笑うこともできずハァと短い溜め息を吐いた。
開始5分前になって、マルクさんと副支店長が入室してきた。
副支店長は直ぐに試験問題を配り始め、マルクさんは採点結果の発表時間や注意事項を述べていく。
俺の机の上にも試験問題が置かれたのを見て、皆がざわざわと騒ぎだした。
「後ろに座っているアコルは、午前中に行った【商会員試験】に合格し、秘書見習いとして働くことになった。しかし見習いとはいえ本店で働く以上、それなりの素養を示さなければならない。今回の【昇格試験】は合格することを目的とはしていないが、点数は皆と同様に公表される」
マルクさんの説明を聞き、全員の視線が俺に向けられた。
「秘書見習い?」とか「商会員試験に合格した?」とか「あんな子供が答えられるのか?」とか「本店は何を考えているんだ!」とかって声があちこちから上がる。
……ああ、居たたまれない。早く始めて!
午後3時過ぎ、試験を終えた俺は疲れていた。
試験を一緒に受けた支店の3人から、秘書見習いとはどういうことだアコルと問われ回答に窮し、他の人からは奇異な目で見られた。
自分だって何も聞かされてなかったとしか説明できず、ほとほと困り果てた。
でも暫くして落ち着いたのか、他の受験者から俺のことを聴かれたタイムさんが、俺が如何に雑用係として優秀だったかという話を始めてしまった。
受験した3人の寮の先輩が、これまで1ヶ月間も雑用係を勤めた見習いは居なかったとか、お茶が美味しかったとか、洗濯が上手くて掃除も完璧だったとか、お使いも嫌な顔もせず頑張っていたと自慢気に話した。
その話を聞いた他の受験者たちは、優秀な雑用係だから秘書見習いという名目で、本店の雑用係をするのだろうと結論付けた。
ああ、そういうことなんだと俺も納得して、茶葉は支店と同じでいいのだろうかと考えたりする。
そして午後4時、模範解答と共に全員の解答用紙が貼り出された。
80点以上で合格した者は廊下の右側、不合格だった者は廊下の左側に貼られていく。
公平と公正を期し、モンブラン商会で行われる試験は、採点された解答用紙がそのまま貼り出されるらしい。
貼り出された途端、廊下の右側からワーッと大きな声が上がって、その直後、全員の視線が俺に向いた。
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