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96 青い彼方へ(2)

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 車が到着したのは、商業施設の上がマンションになっているビルの地下で、関係者以外は駐車できない入場制限のついた駐車場だった。
 エレベーターは2基あって、商業施設内10階までのエレベーターと、マンションスペース直通のエレベーターで、当然俺たちは直通のエレベーターに乗った。
 エレベーターを降りるとフロントがあって、副社長は宅配物を受け取っていた。

「俺はここで待っています」
「荷物が多い。この宅配物は君にも関係のあるものだ。荷物運びくらいできるだろう」

 フロントで待ちたかった俺に、副社長は有無を言わせず荷物運びを命じる。
 この男の態度が、明らかに今までとは違うことに戸惑いながら、渋々荷物を持って後ろに続く。ふと見ると、荷物の送り主は野上監督だった。
 嫌で堪らないが、車を降りる寸前に聞いた話の意味を知りたい気もする。

 ……あの春樹が理性を失いかけるほどに妖艶? 
 ……やっぱり副社長と春樹の間に何かあったんだ。初めて会った時にこの男に感じた違和感と、春樹に向けられていた視線や態度はおかしかった。

 春樹がホテル代わりに副社長の家に泊まっていたのは知っているし、何の心配もいらないと笑っていたから信用していたのに、今になってのあの発言はどういうつもりなんだ?
 春樹が泊まることを咎めたら、春樹を信じられないのかと逆に問われたはずだ。

 ……俺を愛していると、愛する君に嫌われるようなことをするほど愚者ではないと言っていたのに……もうどうでもいいということなのか?

 到着した玄関を開け中に入るよう促されるが、俺は春樹のビデオレターを受け取りに来たのであって、お茶しに来たわけではない。荷物を玄関に置きその場で待機する。

「仕事の依頼もある。その箱の中には、野上監督が撮った貴重な春樹の映像が入っている。ラルカンドの一周忌に新しいDVDを出す予定だ。ショートストーリーのドラマ仕立てにして、リゼットルのライブに出演した映像も使う」

「新しいDVD発売? 俺にまだ仕事をしろと?」

 春樹が亡くなった傷心から立ち直っていないと知っているのに、俺に現実を突き付けるつもりらしい男を憎しみを込めて睨む。

「当然だ。まだ契約を解除した覚えもないし、ラルカンドに関する映像は、殆ど君が関係している。・・・なんだ、上がったら俺に押し倒されるとでも思っているのか?」

「なっ、バカなことを言うな!」

腹が立って、俺を上から見下すような言葉に腹が立って、つい怒鳴ってしまった。
 ラルカンドの映像関連の仕事をしている時も、度々口論になることはあったが、それでも俺の意見をきちんと聞いて、学生だけど一人の人間として認めてくれていた。なのに、まるで子ども扱い・・・
 多忙なのにイギリスに来てくれた時は、正直嬉しかったのに……大事にされていると思っていたのに、この態度の豹変はなんだ?

「分かった。30、いや20分だけ話を聞こう」

 なんだかいいように操られている気もするが、ビデオレターは持って帰りたい。
「はあ」と大きなため息を吐き、嫌々ながら靴を脱いで上がった。


「ここは書斎だったが、春樹が使っていた部屋だ。最初は毛布だけだったが、いつの間にかベッドまで買う羽目になった。春樹いわく、勝ったってことらしい」

 廊下の最初の部屋のドアを開けて、副社長はそんな説明をした。
 春樹が使っていたままの状態で手を付けていないという部屋は、まるで春樹のセカンドハウスのようだった。ベッドの側の棚には、春樹の着替えが数着畳んで入れてあり、第2回歌うクリスマス会の時に撮った集合写真が飾ってあった。

 ああ、これが春樹が言っていた人をダメにする毛布か……って思ったら、体が自然と動いていく。
 その感触を確かめるように毛布をそっと触ると、次の瞬間には我慢できずに「春樹」と呟いて毛布を抱きしめていた。

「持って帰るか? いや……暫くここに置いておこう。伯だって欲しがるかもしれないしな」

 欲しい!と思ったら、持って帰るかと言われて気分が上がった。なのに、直ぐにその言葉を否定するなんて酷い男だ。
 再び睨みつけようと視線を向けたが、副社長はさっさと部屋を出ていく。思わず溢れてきた涙を引っ込めて後を追うと、そこはリビングだった。
 部屋の配置、家具類、カーテンに至るまで、自分の理想に近いリビングに驚き、春樹の言葉を思い出した。
「副社長と悠希先輩の家具の好みって、似ているような気がします」って。

「座って待ってろ。ソファーでもカウンターでも好きな方に座れ。ちなみに春樹は、いつもカウンターの左側の椅子に座っていた」

 そう言いながら、副社長は買ってきた惣菜をカウンターテーブルの上に置き、キッチンから皿を数枚とワイングラスを3脚持ってきて、適当に皿に取り分けてくれと頼んできた。
 どうして三人分あるんだ?って首を捻っていると、「春樹の誕生日だ。乾杯くらいして帰ればいい」と当たり前のように言った。
 言葉の一つ一つが頭に来るが、ビデオレターを受け取るまでの我慢だと自分に言い聞かせて、いい匂いのする惣菜を皿に盛っていく。

「春樹は一度だけ、その席でワインを飲んだことがある。
 たった一杯のワインで酔うとは思っていなかったから驚いた。驚いたと同時に、笑いながら泣いて、泣いているのに明るく自分の夢を語る春樹が不憫で……絶対に誰にも病気のことを知られたくないと言う春樹の願いを、私は守ると約束した。
 あれは確か去年の4月、リゼットルのライブの日の夜だった。
 出来上がったばかりの限界突破を歌いながら踊って……酔った春樹に私は、アルバム発売の契約書にサインさせた」

 スーツの上着を脱ぎソファーに置くとネクタイを緩めながら、気のせいか寂しそうな表情で春樹の話を始めた。俺の知らない春樹を、この男は知っている。

「酔った春樹に、酔った状態で契約させたのか?」
「ああ、この機会を逃したら、一生後悔すると思った。春樹の想いを、春樹の心を残してやりたい。ラルカンドという才能あふれる若者の歌を、たくさんの人に聴いて欲しいと思ったんだ」

 そう言えば、春樹のアルバムを作ると連絡が来たのは、リゼットルの春のライブの後だった。
 副社長は俺の隣に座ると、用意していたらしいワインを開け、3つのグラスに注いでいく。あの日春樹が飲んだワインと同じものだと言いながら。

「春樹、誕生日おめでとう。私はもっと……してやれることがあったんじゃないかと今でも思う。だが君は、思い残すことなく逝くと言ったから、後悔でいっぱいの気持ちを今日で封印する。ビデオレターの君は、また逢おうと言って笑ってた。期待して待ってるぞ。乾杯」

 見たこともない優しい顔をして、副社長は春樹に語り掛け、春樹用に注がれたグラスに自分のグラスを合わせた。
 早い段階で春樹の病気を知っていた副社長が、後悔でいっぱいだと言ったことは意外だった。考えてみれば、副社長はラルカンドの才能に惚れ込んでいた。そして、同じ前世の記憶を持つ仲間でもあった。

 ……この男も、春樹が居なくなって寂しいと泣くことがあるのだろうか?

「春樹、さっき伯と誕生会をしたけど、改めておめでとう。今夜は、勇気を出してビデオレターを見るよ」

 春樹にそう報告しながら、俺も春樹のグラスに自分のグラスを軽く合わせた。
 美味しい・・・きっといいワインなんだろう。
 遅い朝御飯と、伯が持ってきた缶詰しか食べてなかったから、正直お腹が空いてきた。癪だけど並べられた惣菜に箸を伸ばした。

 それから副社長は、ここに泊まっていた頃の春樹の話をしながら、まるで水のようにワインをグイグイ空けていく。
 いつの間にか30分が過ぎていて、副社長はようやく俺の前に春樹のビデオレターを持ってきた。

「帰る前に、野上監督の映像を確認するぞ。悠希がDVDに使いたい場面があれば言ってくれ。シーン別に記録する」

 帰ろうとした俺の肩を押さえて、副社長はテーブルの上でパソコンを開いた。



 ◇◇ 九竜 惺 ◇◇

 今日こそは悠希を誘おう。春樹の誕生日にかこつけて誘えばいい。
 覚悟を決めてビデオレターを見ろと言うのもありだ。
 昨日啓太くんが「何だかがっかりですね、俺は大事な先輩を託したのにって、春樹ならそう言うでしょうね」と言った。あれは凄い衝撃だった。

 悠希とは最近連絡を取っていない。年末までは一方的にラインを送ったりもしていたが、既読がつくことさえなくなり、嫌われるのが怖くて連絡をしていなかった。
 悠希の情報はリゼットルの一俊や蒼空から貰っていたので、普通に生活していると分かっていた。だから無理に会うことを避けていた。
 もちろん会いたい。会いたくて大学の周辺を車でうろついたことも一度や二度じゃない。
 情けなくて自分が嫌になるが、悠希はきっと私を許さない。

 会えないことが辛くて酒の量は増えたし、前世の夢を見ることも増えた。
 だが、どんなに辛くても、最愛の春樹を失った悠希の辛さと比べれば、私の辛さなど比べるべくもない。

 ……そうやって言い訳をして逃げていた。

 春樹の好きだったコーンクリームコロッケを買ったら悠希に電話を掛けよう。
 そう思ってデパ地下惣菜売り場を歩いていると、悠希の方からラインがきた。内容は春樹のビデオレターを持ってきて欲しいというものだった。

 ……これは、春樹が与えてくれたチャンスなのだろうか? 悠希の幸せを真剣に祈っていた春樹が、しっかりしろと私の背中を押しているのかもしれない。

 直ぐにラインではなく電話を掛けて、久し振りに悠希の声を聞いた。
 最寄りの駅まで迎えに行くと言って電話を切り、頭の中でどうすれば家に連れてこれるかを考える。
 副社長である九竜惺として会う? それとも悠希を愛する一人の男として会う? 春樹なら何て言うだろう?

『悠希先輩を独りにしないって、絶対に幸せにするって約束しましたよね! 鬱陶しいくらいに好きだ!愛してるって言わないと、先輩は信じてくれませんよ』

 ……そうだな春樹。自分の気持ちに素直になればいいんだな。いつもの私、いつものやり方、大人の余裕で悠希をリードすればいいんだな。


 車に乗った悠希は不機嫌だった。
 それならそれでいい。時間はたっぷりとある。これからは大人の時間だ悠希。
 前世とは違う11歳年上の男、実力で成り上がった実業家としての実績、男同士の恋愛経験値の違い、大人と子供の違いを見せてやろう。

 先ずは悠希が興味を引く春樹の話を、悠希の知らない春樹の話をしよう。
 家にさえ上げてしまえば逃がしたりしない。
 きっと眠れない夜を過ごし、前世の夢を見て後悔しているだろう。悲しくても辛くても、プライドの高い悠希は上手く泣けていないはずだ。
 今夜こそ、俺の腕の中で思いっ切り泣かせてやる。
 最愛の春樹を思って、涙が枯れるまで泣けばいい。受け止めてやる。包んでやる。

 マンションに到着するまでの20分、俺は自制というタガを外した。 
 
  
 悠希が2杯目のワインを飲み干したところで、春樹のビデオレターの入った袋とパソコンをテーブルの上に置いた。
 悠希が席を立つのを阻止しつつ、野上監督から送られてきた映像を映し出す。

「これは、野上監督がラルカンドのドキュメンタリー番組用に編集したものだ。入院中の春樹と一緒に学校に行ったり、病室で対談したりしている場面や、啓太くんと原条くんが撮ったビデを基に作られている」

 2時間近い内容であることは悠希には告げない。
 冒頭で野上監督は、このドキュメンタリー番組を制作しようと思った切っ掛けについて語っていた。

「ラルカンドというシンガーソングライターは、17歳とは思えない感性と人生観を持っていました。
 彼のドキュメンタリーを作ろうと思った切っ掛けは、彼の事務所の上司が私と友人で、彼が私の作った映画【空の色と海の色】のように、静かに最後を迎えたいと話していると聞いたからです。
 その話に興味を持った私は、彼が入院している病院に行き質問をしました。
 本当に誰にも病を告げず、静かに逝きたいのかと。

 彼は、【空の色と海の色】を映画館で見た時、あまりに身につまされて号泣し、好きな人を泣かせずに逝けたらと思った……と言ったんです。
 私は、君は強いんだねと彼の瞳を見て言いました。
 でも、返ってきた答えは予想と違っていました。

 いいえ野上監督。それは違います。弱いから周りの人が悲しむ姿も泣く姿も見たくないんです。
 まだ生きたい、死にたくないと誰かにすがりたくない。弱いからこそ、未練を残さないように予防線を張ってるだけですと答えたんです。

 そして、もうやり切ったと思ってる?って質問したら、ぜんぜん足りてない。貰った愛情を返す時間、欲しいものを考える時間、そして残り時間が足りないと、真剣な顔をして答えました。
 その瞬間、私はラルカンドという人間の魅力に引き込まれました」

 野上監督の話しが終わると、いきなり笑顔のラルカンド春樹が出てきて、高校のデジ部の部室で話しているシーンが映し出された。
 映像を流し始めて15分、悠希は静かに泣いていた。
 溢れ出る涙は止まることなく、それでも画面から視線を逸らさずに、一生懸命に春樹を見ていた。

 私はそっと立ち上がると、着替えのためにベッドルームに向かう。
 しばらくの間、悠希を一人で泣かせてやろう。
 春樹がメールで言っていた私の出番は、あと少し、もう目の前に迫っていた。
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