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49 はじめての夜

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 年明けと同時に、伯は東京へと居を移した。
 伯が転校する学校は私立大学の付属高校で、普通の受験でも入学するのが難しい学校だが、転入者を受け入れることは稀だと言われている。
 進学校である山見高校での成績が、常に15位以内だったからこその転入だった。
 しかし、歌舞伎役者やプロ棋士、芸能界等で活躍している者も多数在学しており、学力・スポーツなどの才能重視で、自由な校風でも有名な高校だった。

《春樹》 伯おはよう。いよいよ新学期だね。新しい学校に早く慣れるといいね。
《伯》  おはよう春樹。不安でいっぱいだけど頑張るよ。今日も午後から仕事が入ってるから、先輩たちと一緒だよ。
《春樹》 13日には仕事で事務所に行く予定。夜には皆に会えると思う。14日の土曜日に時間が取れたら、一緒にホテルに泊まらない?
《伯》  それは嬉しいお誘い・・・今度こそ俺は期待していいのか?
《春樹》 伯の予定が合えばね。
《伯》  元気でた! 14日を楽しみに頑張る。大好きだ春樹。
《春樹》 俺も大好きだよ。アルバム頑張れ!

 いつもの【おはようライン】で、寂しがっている伯に俺は宿泊のお誘いをした。
 もう我慢の限界だ!って訴える伯から、いつまでも逃げてはいられない。
 伯に抱かれたら、きっと俺は寂しくなったり切なくなったり、今よりもっと伯を好きになる。そして毎日会いたくなるだろう。

 もしも俺が大学生になれたら、伯と同棲するのもありだし、最低でも同じマンションに住みたい。そんな妄想を抱きながら、いつものスクールバスに乗り込む。
 あれから【青虫騒動】はすっかりなりを潜めたが、俺がリゼットルと友達であることが噂され始めると、今度は妙に馴れ馴れしく「おはよう」とか「おはようございます」と挨拶されるようになった。
 正直言って面倒くさい。だから俺は無表情で挨拶だけは返している。
 これで俺がラルカンドだと知れたら、いったいどうなるのかと考えると頭が痛くなる。シークレット活動にしていて本当に良かった。

「春樹、大丈夫か? 先月から変に注目されてるから、時々仕事で休むことも噂になるかもしれないぞ」

クラスメートで俺たちの仲間に入った原条が、心配そうな顔をして訊いてくる。

「うん、大丈夫だと思う。もしもの時は東京の学校に替わるか、出席日数ギリギリで通学する。最悪の場合は保健室登校するよ」

俺はフウーッと長い溜息をついて、学校以外で外出する時は、カツラと色付きのメガネを着用するよう、事務所から通達が出たことを小声で原条に教えた。

「大変だな。まあ田舎だから、悪意はないにしても大騒ぎするのは間違いないな。俺だって3日くらい興奮状態だったから。もしも分かったら、リゼットルどころの騒ぎじゃ済まないだろうな。春樹が思っている以上に、あの名前は有名だから。【今夜こそ君と】がオリコン1位になったし」

原条は周りを見回し近くに誰も居ないのを確認し、小さな声で呟いた。

「あぁ、予想通りで嬉しいはずだけど、俺は常に前を向いていたいから、頭を切り替えて次に行く。今日は放課後、悠希先輩と一緒に税理士さんに会うから部活は休む。3年生になったら部活出来るかどうか分からないから、副部長は降りるよ。だから次期部長は任せる」

「いやいや、俺は医学部を受験するから、6月の文化祭が終わったら引退するぞ。だから、俺は副部長が精一杯だ。よし! 後輩を鍛えよう」

原条の言葉に俺も同意して、3学期は後輩を鍛えることにした。




 13日、買ったばかりの黒髪のカツラと、色付き伊達メガネを着用し、予定通りに事務所で打合せをしていると、社長から話があると言われて社長室に呼ばれた。

「春樹、君がシンガーを目指していないことは重々知ってはいるんだが、創英テレビの【世界の秘宝】の担当者が、先日春樹が歌っていた映像を見て、春樹の、いや、ラルカンドの曲と声でいきたいと頼まれた。久し振りのオール海外ロケで力を入れている番組から、是非にと頼んできたら……事務所としては断れない。九竜副社長は無理だと断っていたが、制作部長が再度私に連絡してきた」

すまないと言いながらも、契約出来るチャンスを逃したくないという思惑は隠さず、レコーディングはしないからと言って、説得という体裁は取っているが、ほぼ決定事項になっていた。

 ……いやいやいや、あのボーイソプラノもどき? なんで? 理解できない。

「なんというか、私も思ったが、ラルカンドの独特な高音は、妙に人を惹き付ける魅力のようなものがある。女性ではないからこそ【神秘の扉】という曲が生きると、制作部長が言っていた」

「レコーディングしないということは、スタジオで歌うだけでいいんですか?」
「まあ……正直なところ、本当はCDでもアルバムでも出したいところだ」
「はい? 絶対に嫌です!」

 ……俺は人見知りのヘタレなんだよ!冗談じゃない!

「う~ん……そ、そうか。普通ならCDを出したいと考えるものだが……嫌か……う~ん、なら音は作るから歌だけ頼む。もったいないなあ」
「社長、俺は今年3年で、受験生なんです! もしも俺の正体がバレたら、海外で生活して、大学生になるまで曲は作りませんから!」

俺はプリプリ怒りながら、シークレット厳守できないのなら、活動を止めると脅して部屋を出た。契約書にもシンガーとしての活動はしないと書いてある。特記事項として、本人が希望した場合に限り、シンガーソングライターとして活動すると書かれている。



 13日の夜はリゼットルのアルバム収録が押して、結局伯とは会えなかった。
 14日土曜、俺は早速創英テレビに連れていかれ、【世界の秘宝】の制作部長と、昨年も会ったことがある北城部長……いや、北城専務取締役と一緒に昼食を食べた。
 いったい何の拷問なんだ!と心の中で叫びまくったが、大人3人に囲まれての食事などの、殆ど喉を通らない……かと思ったが、カツラと色付きメガネのお陰か、意外にも俺はランチを完食した。

 ……ヘタレで人見知りな俺は何処へ行ったんだ? だんだん肝の据わった変な高校生になってないか?

 ああ、そう言えば前世のラルカンドは、16歳の後半に公爵家に養子に入ってから、祖父に連れられ国王とか他の公爵家当主に挨拶したり、お茶会に誘われて出掛けたりしてたな。だから、偉い人(主に50代とか60代)との会合や食事会には慣れていた。
 寧ろ、若い世代の貴族や女性には免疫がなかったから、妙に華やかな若者中心の舞踏会とかパーティーは苦手だった。

 食後のコーヒーを飲んでいると、7月から始まるアニメ【あの日の夕焼けを忘れない2部】の楽曲提供を、さらりと依頼された。
 いい曲が出来たらリゼットルが歌っても構わないと言われたので、俺に断れるはずもなく、嬉しそうに社長が引き受けていた。う~ん……なんか釈然としない。 



 午後5時、俺の泊まっているホテルに伯がやって来た。
 俺はもしものことを考えて、昨日からツインの部屋に泊まっていた。印税も入ったので、高校生が宿泊するには贅沢過ぎるかとも思ったが、専用ラウンジのあるフロアを取っていた。
 予約してくれたのは、ホテルの会員である九竜副社長で、安い部屋でも10万円前後だけど、チェックインや軽食も専用ラウンジでサービスが受けられるから、人目につきにくいし出歩かなくて済む。今後はこのホテルを利用することが増えそうだ。

「お疲れ春樹、今日は何してたんだ?」
「お疲れ様伯。今日は創英テレビで契約してた。確定じゃないけど【あの日の夕焼けを忘れない】の第2部の曲を、任せてもらえるかもしれない。いい曲ができたらの話だけど、リゼットルが歌える曲を作るよ」

俺はとっておきの情報を伝えながら、ラウンジで飲み物を貰って部屋に伯を案内する。
 なんだか緊張してきたけど、夕食を午後6時半で予約してあるので、それまではリゼットルのレコーディングの様子を聞くことにした。

 食事の時間が近付いてきたので、レストランへ移動するためカードキーを持つ。
 リゼットルが顔出ししたら、迂闊にイチャイチャもできないし、芸能活動の話もできなくなる。
 伯は油断すると直ぐに触ろうとするから、意識して注意が必要だ。仲のいい友達に見えるかも知れないけど、油断してはならないと、俺は一俊先輩から厳しく言われている。
 注意するのは俺ではなく伯の方だろうと抗議したら、伯に注意しても役に立たないからと一俊先輩に言われた。それってどうなんだ?

「伯、部屋に戻るまで俺に触るなよ!」
「ええ~っ、仕方ない。でも、部屋に戻ったら抱きしめてもいいんだよな? フフフ、まだ部屋を出てないからキスしよ」

伯はそう言うと、甘々の嬉しそうな顔をして俺にキスをする。こうなると、真面目な優等生の仮面が一気に剝がれて、甘えん坊に変身する。
 ま、まあ、俺だって甘えてるから人のことは言えないけど、俺は人前では態度に出したりしない。でも、伯は油断すると顔に出る。
 食事中は大学の話を中心にした。悠希先輩と同じ大学に行く予定なのが気に入らない伯が、俺も同じ大学に行くと言い出し、理系の学部も無いのに、何しに来るんだ?って訊いたら、泣きそうな顔をしてフイと顔を横に向けた。

「大学が違っても、一緒に暮らせばいいじゃん。嫌なのか?」って澄ました顔で俺が言うと、ぱあっと嬉しそうに目を見開いて「嫌じゃない!」と言って笑った。
 この場に啓太が居たら「本当に鬱陶しい奴だな」と伯に言っただろう。


 こんなやり取りをしていると、前世とは性格が違う部分が多いことに気付く。
 エイブはどちらかと言うと命令口調で話す方が多かったし、ラルカンドは「うん」と頷いて、殆ど反論せずに従っていた。
 現世では完全に俺が尻に敷いている?ような気がする。
 確かに二人きりで甘い雰囲気の時は、エイブの声は優しい声に変わっていたし、好きだと何度も言ってくれた。でもエイブの甘さが増し体に触れてくると、ラルカンドは逆に甘さを消し、流されないように理性を保っていた。

 エイブは何度もラルカンドに抱きたいと言って懇願していたけど、ラルカンドはそれを頑なに受け入れなかった。
 エイブが抱きたいと本気で言い出した頃、ラルカンドは公爵家に養子に入り、エイブより身分が上になっていた。だから、ラルカンドを襲おうとしていた、侯爵家や伯爵家の子息から守る必要がなくなっていた。
 しかも祖父である公爵は、騎士学校の悪しき風習を良く思っていなかった。

 では、ラルカンドの本心はどうだったのかと思い出せば、好きな男に抱かれてもいいとは思っていた。
 でも、エイブの両親や婚約者から、自分の存在を完全に否定され、汚いものを見るような視線を向けられ、男娼だと罵られた辛い記憶を消すことができず、ラルカンドはずっと苦しんだ。
 自分の女のような外見が嫌いになり、他者からも同じように思われているのではと不安になった。だからエイブの束縛だけが原因ではなく、ラルカンドは同期の友人とも距離を置いた。

 ガレイル王子への想いも、エイブに抱かれることを拒んだ要因ではあったが、ラルカンドの真の望みは、自分は守られる存在ではなく、大事な人を守ることができる存在になることだった。
 エイブは付き合う演技を始めた頃、呪文のように「強くなれ!」とラルカンドに言い続けた。だからラルカンドは懸命に努力し弓の腕を磨き、剣の練習も頑張った。体型的なハンデはどうしようもなかったが、強くなることを願い懸命に努力した。

 ……なのに本気になったエイブは、二人になるとラルカンドを女のように扱いたがった。俺が守るからと言って、今度は従順で弱い男を求めてきた。だからラルカンドは混乱し、抱かれることを拒絶したんだ。


「春樹、何を考えてるんだ? さっきからずっとぼ~っとしてるぞ」
「ああゴメン。ちょっと前世のことを考えてた。コーヒー飲んだら部屋に戻ろう」
「いいよ。専用ラウンジで、飲み物とおつまみを貰ってから部屋に戻ろう」

伯は少し大人の顔をして、微笑みながら言った。
 なんだか伯がオスとしての男に見えて、俺は急に不安になった。
 悠希先輩とキスした時は、完全に流されてもいいと思ったけど、伯とはどうだったっけ?と考え始めた。
 始めて俺の家でキスした時は、勢いで流されそうになったけど、母さんがご飯だと呼んだ時点で熱が冷めた。
 悠希先輩に抱きしめられて耳元で囁かれた時は、体中が熱を帯びて、ふわふわしてるけどじれったくて、我慢できないと感じた。

 ……伯とは何度もキスしたけど、キスだけで満足だった。なんでだろう? やばい・・覚悟が揺らぎそうだ。
   
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