窓野枠 短編傑作集 4

窓野枠

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平八郎

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 サラリーマン・平八郎は家から長い坂道を下って駅に向かう。15分ほど歩いて駅に着いたとき、携帯を取りだした。
「練馬の朝倉様宅へ直行せよ」
 係長の山川からメールが届いた。平八郎の会社は1人が係長、1人は平社員で2人1組のコンビで勤務している。収益世界1位の優良企業だ。大学を卒業して直ぐこの会社へ就職し、以来かれこれ35年になるが、万年平社員である。ポストを当てられることがないから、責任を持つこともなく気は楽である。しかし、何かむなしいのは何故であろう。それに、今朝、出掛けに見た自分の顔は20代の頃の顔に見えたが、気のせいか。歩きながら考えていた。
 朝倉邸の前に到着した彼は辺りを見回した。立派な造りの家が並ぶ住宅街である。朝倉という表札の下にインターホンがある。ボタンを押した。
「あら、やっと来たのね。早く入ってくださいな」
 甲高い女性の声が応答した。自動で開いた門から玄関に立った。玄関の扉がすうっと静かにスライドして開いた。朝倉邸の中に招き入れられた平八郎は、不安が募った。こういうことは、何度も経験していることなのに未だに慣れない。経験豊富なはずなのに、記憶が定かでないから不安なのか。
「昨日、うちの子が大学の試験に落ちましてねえ。それで来ていただいたの。コウイチさん、来てくれたわよお」
 女は大きな声でコウイチを呼んでいた。平八郎は不安が増した。コウイチらしき男がゆっくりした動作で平八郎の前に現れた。右手には金属バットが握られていた。コウイチがにたりと笑った。平八郎の不安が極度に達した。逃げなくてはいけない。しかし、そう思っても体は動かない。
「この野郎! 畜生!」
 家中に響く大きな声を張り上げたコウイチが頭上高くバットを振り上げて平八郎に駆け寄ってきた。よけることができない。バットが彼の額に直撃するのをまるで人ごとのように見ていた。ボコリと言う鈍い音がした。空き缶がつぶれた時の音と同じかな、と思いながら、平八郎の意識はやがて遠のいていった。
  *
 デスクの前に座った山川がモニターをにらんでいる。
「あ、今、逝ったな」
 携帯を取り出すと、メールを打つ。
回収開始。
朝倉邸の前にトラックが停車していた。男が2人ボックスを持って朝倉邸に入っていった。
 コウイチが息を荒くして、倒れた平八郎の前に仁王立ちしていた。
「ああ、かあさん、ありがとう。すっきりしたよお」
「そう、良かったわねえ。ぼうや」
 平八郎の手足は無惨にも胴体からはずれていた。
「いかがでしょうか。当社のストレス発散ユニット・サービスは。お気に召していただけたでしょうか」
「ああ、最高だったよ。もう、やみつきになりそうだ」
「今後のサンプルの参考にさせていただきたいので、この顔のタイプをご希望された理由を差し支えなければお聞きかせ願えますでしょうか」
「ああ、それね、きのう、受験会場で前の席にいた奴さ。そいつ、受かってやがんのよお。めちゃ、むかつくじゃん」
  *
「回収完了」
 山川のデスクのモニターに文字が現れた。平八郎は工場へ運ばれ、元の体に修復される。記憶も人間と同じに修正される。リアルさをより増すためである。こうして新品の平八郎はまた何も知らずに働くしかなかった。


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