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10 氷の魔女は再会する
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マットソン少佐は全く事態を掴めていない様子で、視線を周囲へと巡らせている。しかし私はこの状況の原因に当たりが付いていた。
「リンドマン室長ね」
「どういう事だ?」
「ここまで迅速な術式の使用は、室長にしかできない芸当だもの」
「……なるほどな」
「何がなるほどなの?」
「いいや。実に優しい、気の良い人達だと思っただけだよ」
マットソン少佐がまたしてもよく分からないことを言う。いきなり中庭に転送されたら普通は怒りそうなものだし、実際私も困惑気味なのだ。室長が何を考えているのかさっぱりだが、ともかく二人でさっさと昼を食べて来いということだろうか。
リリーさんは私の持参した弁当も同時に渡してくれたようだ。私は腕の中にある二つの包みを確認すると、目線ですぐ側のベンチを示した。
「リリーさんのお陰で二人分あるから、いかがかしら」
「……! ああ、頂こう!」
強制的に転送されたにもかかわらず、マットソン少佐は実に眩しい笑顔で頷いてくれた。二人してベンチに腰掛けたところで、私は手にした二つの包みを差し出した。
「好きな方を選んで。おすすめは料理上手のリリーさんのお弁当よ」
リリーさんは私の弁当をマットソン少佐に差し上げろと言ったが、やはりハムとチーズだけの適当なサンドイッチでは申し訳ないように思える。だから選んでもらうのが一番だろうと考えたのだ。
「ほ、本当にいいのか?」
「もちろんよ」
何故だかマットソン少佐が噛みしめるように問いかけてくるので、私は訝しみつつも頷いた。
「では、こっちをいただこう」
するとマットソン少佐は、なんの迷いもない動作で私の弁当を手にするではないか。私は面食らって、満面の笑みを浮かべる彼をまじまじと見つめてしまった。
「…もう一度言うわ。私のよりリリーさんの方が」
「俺はこちらがいい。さあ、時間がなくなってしまうから、頂くとしよう」
マットソン少佐が澱みない手つきで包みを解いていくので、私も戸惑いつつも手提げの中身を取り出すことにした。
恐る恐るといった動作でサンドイッチを取り出したマットソン少佐は、そのままの姿勢で静止してしまった。そんなに気合を入れて食べなければならないほど、悲惨な出来ではないと思うのだけど。
彼が意を決したようにサンドイッチに噛り付いたのを確認して、私もリリーさんのサンドイッチを頬張る。
ああ流石はリリーさん。茹でたチキンにバジルソースを絡めてスライストマトとチーズと共に挟み込むとは、手間の掛け方が半端ではない。
「……美味いっ!!!」
やけに長い咀嚼の後、マットソン少佐から吐き出された感想はシンプルなものだった。しかしそれは彼らしい飾り気のない言葉で、嘘を言っているわけではないのは、その紅潮した頬を見ても判るような気がした。
「質素でしょう。切って挟んだだけだもの」
「うん、素材の味といった風情だな! 美味いよ!」
マットソン少佐は素直な方なので、「素材の味が美味いよ」と本心からの感想を仰ったわけで、それがそのまま賞賛の言葉になると思っているのだろう。褒め言葉に聞こえない褒め言葉に、私はなんだか可笑しくなった。
「随分素直な感想ね」
しかしそこで、マットソン少佐は完全に動きを停止してしまった。深緑の瞳は見開かれ、私の顔を凝視している。
彼が再び動いたのは、流石に気安かったかと反省し始めた頃の事だった。ものすごい勢いで肩を掴まれ、私は突然のことに目を瞬かせる。
「今! 笑ったよな⁉︎ そうだろうっ!」
笑った? 私が?
手を頬に当ててみる。既に笑みの余韻はなく、つるりとした肌の感触が指先に触れるのみだった。
「わからないわ。実感が無いの」
「笑うことにいちいち実感など伴わないさ。人は楽しければ自然と笑うものだ。ああ今笑っている、なんて感じながら笑うなんてこともないだろう?」
確かに言われてみればそういうものかもしれない。
しかし彼の方がよほど嬉しそうに笑うので、私も何だか嬉しくなってくる。
「ようやく笑ってくれた! 俺はずっと、もう一度君の笑顔が見たかったんだ!」
「もう一度?」
彼の言葉に引っ掛かりを覚えて、私は思わず復唱していた。すると彼はハッとしたように口元を手で覆い、みるみる顔を赤らめていく。
「いっ、いや、違う。間違えた 。一度でいいから、と言いたかったんだ」
彼の否定に反して、私は妙な既視感に囚われていた。
この弾んだ声に、さらさらと木の葉が揺れる音。彼の言ったもう一度という言葉。記憶の底にしまい込んだ思い出が刺激されるようなこの感覚は。
「私、あなたと——」
問いを最後まで口にする寸前。昼休みの終了を告げるチャイムの音が鳴り響いたのは、その時の事だった。
「しまった、これじゃあ遅刻だ! 戻らないと」
俄かに立ち上がったマットソン少佐に、私は質問を諦めることにした。前に会ったことがあるか、なんて荒唐無稽な事を口にするのは、今更ながらに躊躇われたのだ。
「ではすまない、送ってやれないが」
「いいのよ、そんなこと」
私達は別々の方向へと歩き始めた。一度だけ振り返ると、偶然にもマットソン少佐もこちらを振り返ったところだった。
彼が満面の笑みを浮かべて手を振るので、私も照れ臭さを感じながら小さく手を振り返す。
この時、私は決意を固めていた。
次に会った時には絶対にこう言うのだ。もう既に充分すぎるほどあなたを信頼している、と。
それでどうなるのかは予想がつかない。何せ彼の考えていることは判然としないのだ。もしかすると、どうして生じたのか解らないこの不思議な関係は、終わってしまうのかもしれない。
けれどこれ以上楽しい時間を無為に引き延ばすわけにはいかないのだ。何故なら、私は彼に対して誠実でありたいのだから。
なので今度は私から彼に伝えてみようと思う。これからも仲良くしてほしいということを。
そして同時に何かしらのご恩返しをするのだ。私にできることはあるだろうか。何かプレゼント、とか? 彼はどんなものが好きなのだろう。ああそうだ、たしか空を飛びたいと言っていたから、箒に乗せてあげるというのはなかなか良い案かもしれない。
しかしその瞬間が訪れることは終ぞなかった。
仕事を終えて寮に帰宅すると、寮母が興奮した様子で私への来客を告げた。応接室へと歩く道すがら、頬を染めた女性達が口々に囁き合っている。
「すっごいイケメンだったわあ! いったい誰の来客かしら」
「いやああ! お近付きになりたーい!」
その華やいだ様子に首を傾げつつドアを開けた私は、その瞬間彼女達の興奮の理由を知ることとなった。
「やあ、久しぶりだね。フレヤ」
ゆったりとソファに座って待ち受けていたのは、実に1年ぶりに対面する、最愛の兄その人だったのだ。
「リンドマン室長ね」
「どういう事だ?」
「ここまで迅速な術式の使用は、室長にしかできない芸当だもの」
「……なるほどな」
「何がなるほどなの?」
「いいや。実に優しい、気の良い人達だと思っただけだよ」
マットソン少佐がまたしてもよく分からないことを言う。いきなり中庭に転送されたら普通は怒りそうなものだし、実際私も困惑気味なのだ。室長が何を考えているのかさっぱりだが、ともかく二人でさっさと昼を食べて来いということだろうか。
リリーさんは私の持参した弁当も同時に渡してくれたようだ。私は腕の中にある二つの包みを確認すると、目線ですぐ側のベンチを示した。
「リリーさんのお陰で二人分あるから、いかがかしら」
「……! ああ、頂こう!」
強制的に転送されたにもかかわらず、マットソン少佐は実に眩しい笑顔で頷いてくれた。二人してベンチに腰掛けたところで、私は手にした二つの包みを差し出した。
「好きな方を選んで。おすすめは料理上手のリリーさんのお弁当よ」
リリーさんは私の弁当をマットソン少佐に差し上げろと言ったが、やはりハムとチーズだけの適当なサンドイッチでは申し訳ないように思える。だから選んでもらうのが一番だろうと考えたのだ。
「ほ、本当にいいのか?」
「もちろんよ」
何故だかマットソン少佐が噛みしめるように問いかけてくるので、私は訝しみつつも頷いた。
「では、こっちをいただこう」
するとマットソン少佐は、なんの迷いもない動作で私の弁当を手にするではないか。私は面食らって、満面の笑みを浮かべる彼をまじまじと見つめてしまった。
「…もう一度言うわ。私のよりリリーさんの方が」
「俺はこちらがいい。さあ、時間がなくなってしまうから、頂くとしよう」
マットソン少佐が澱みない手つきで包みを解いていくので、私も戸惑いつつも手提げの中身を取り出すことにした。
恐る恐るといった動作でサンドイッチを取り出したマットソン少佐は、そのままの姿勢で静止してしまった。そんなに気合を入れて食べなければならないほど、悲惨な出来ではないと思うのだけど。
彼が意を決したようにサンドイッチに噛り付いたのを確認して、私もリリーさんのサンドイッチを頬張る。
ああ流石はリリーさん。茹でたチキンにバジルソースを絡めてスライストマトとチーズと共に挟み込むとは、手間の掛け方が半端ではない。
「……美味いっ!!!」
やけに長い咀嚼の後、マットソン少佐から吐き出された感想はシンプルなものだった。しかしそれは彼らしい飾り気のない言葉で、嘘を言っているわけではないのは、その紅潮した頬を見ても判るような気がした。
「質素でしょう。切って挟んだだけだもの」
「うん、素材の味といった風情だな! 美味いよ!」
マットソン少佐は素直な方なので、「素材の味が美味いよ」と本心からの感想を仰ったわけで、それがそのまま賞賛の言葉になると思っているのだろう。褒め言葉に聞こえない褒め言葉に、私はなんだか可笑しくなった。
「随分素直な感想ね」
しかしそこで、マットソン少佐は完全に動きを停止してしまった。深緑の瞳は見開かれ、私の顔を凝視している。
彼が再び動いたのは、流石に気安かったかと反省し始めた頃の事だった。ものすごい勢いで肩を掴まれ、私は突然のことに目を瞬かせる。
「今! 笑ったよな⁉︎ そうだろうっ!」
笑った? 私が?
手を頬に当ててみる。既に笑みの余韻はなく、つるりとした肌の感触が指先に触れるのみだった。
「わからないわ。実感が無いの」
「笑うことにいちいち実感など伴わないさ。人は楽しければ自然と笑うものだ。ああ今笑っている、なんて感じながら笑うなんてこともないだろう?」
確かに言われてみればそういうものかもしれない。
しかし彼の方がよほど嬉しそうに笑うので、私も何だか嬉しくなってくる。
「ようやく笑ってくれた! 俺はずっと、もう一度君の笑顔が見たかったんだ!」
「もう一度?」
彼の言葉に引っ掛かりを覚えて、私は思わず復唱していた。すると彼はハッとしたように口元を手で覆い、みるみる顔を赤らめていく。
「いっ、いや、違う。間違えた 。一度でいいから、と言いたかったんだ」
彼の否定に反して、私は妙な既視感に囚われていた。
この弾んだ声に、さらさらと木の葉が揺れる音。彼の言ったもう一度という言葉。記憶の底にしまい込んだ思い出が刺激されるようなこの感覚は。
「私、あなたと——」
問いを最後まで口にする寸前。昼休みの終了を告げるチャイムの音が鳴り響いたのは、その時の事だった。
「しまった、これじゃあ遅刻だ! 戻らないと」
俄かに立ち上がったマットソン少佐に、私は質問を諦めることにした。前に会ったことがあるか、なんて荒唐無稽な事を口にするのは、今更ながらに躊躇われたのだ。
「ではすまない、送ってやれないが」
「いいのよ、そんなこと」
私達は別々の方向へと歩き始めた。一度だけ振り返ると、偶然にもマットソン少佐もこちらを振り返ったところだった。
彼が満面の笑みを浮かべて手を振るので、私も照れ臭さを感じながら小さく手を振り返す。
この時、私は決意を固めていた。
次に会った時には絶対にこう言うのだ。もう既に充分すぎるほどあなたを信頼している、と。
それでどうなるのかは予想がつかない。何せ彼の考えていることは判然としないのだ。もしかすると、どうして生じたのか解らないこの不思議な関係は、終わってしまうのかもしれない。
けれどこれ以上楽しい時間を無為に引き延ばすわけにはいかないのだ。何故なら、私は彼に対して誠実でありたいのだから。
なので今度は私から彼に伝えてみようと思う。これからも仲良くしてほしいということを。
そして同時に何かしらのご恩返しをするのだ。私にできることはあるだろうか。何かプレゼント、とか? 彼はどんなものが好きなのだろう。ああそうだ、たしか空を飛びたいと言っていたから、箒に乗せてあげるというのはなかなか良い案かもしれない。
しかしその瞬間が訪れることは終ぞなかった。
仕事を終えて寮に帰宅すると、寮母が興奮した様子で私への来客を告げた。応接室へと歩く道すがら、頬を染めた女性達が口々に囁き合っている。
「すっごいイケメンだったわあ! いったい誰の来客かしら」
「いやああ! お近付きになりたーい!」
その華やいだ様子に首を傾げつつドアを開けた私は、その瞬間彼女達の興奮の理由を知ることとなった。
「やあ、久しぶりだね。フレヤ」
ゆったりとソファに座って待ち受けていたのは、実に1年ぶりに対面する、最愛の兄その人だったのだ。
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