触れるな危険

紀村 紀壱

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2部 本編のその後の話

2部 8話 現実逃避は上手くいかない

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「あ"~……これは、随分と変則的な魔素回路できてるな……?」
「魔素回路?」

 退勤時間間際のギルドマスタールームへ押しかけ。ざっくりとシャルトーの眼に起こった変化を話せば、ウォルトは首を捻って引き出しを漁り、レンズが淡い虹色に煌めくモノクルを装着したかと思えば、目をこらすようにじっとシャルトーとギィドを見つめて唸った。

「ちょっとお前たち、部屋の端と端に離れて……よし、次は元の位置に……はー、なるほど……そうなるか」
「一人で納得せずに説明をしてくれないか」
「いや、すまない。あまりにもイレギュラーで、素人相手に何て説明するか悩むんだが……」

 どうやら不思議な色をしたレンズの片眼鏡は、ギィドの魔知眼のような働きがあるらしい。
 しきりにギィドとシャルトーに眼をこらす様に見つめて首を捻るウォルトに、ギィドは苛立たしげに腕を組み顎を下げる。
 それにウォルトは苦笑して、モノクルを外ずし、眉間を揉みつつ説明する事には。
 本来、使われない魔力というのはため込めるうつわ以上のモノは汗のようにそのまま蒸発してしまう。しかしそれが、どういった因果かギィドから一旦シャルトーを経由しているというのだ。
 魔素回路というのは意識的に作りだし、双方が受け入れようとしなければ、個人同士の魔力が反発し、すぐ切れてしまうものなのだが。シャルトーは魔力を持たない。それ故、切れることなく繋がったまま、あろうことか一度できたみちは元からギィドの一部であったように自然に繋がっている。

「この状態によく似たモノと言ったら、使い魔とか、精霊なんかと従僕関係や契約を行ったときに出来る魔素回路なんだが……」
「あのサ、面倒な話は良いから、サクッと、問題がある部分だけでも説明してくれない?」

 あれこれと考察するウォルトに対して、知識の無いギィドとシャルトーには細々とした原理に興味は無い。あくまでも気にしているのは、自分たちに何の影響が起きるのか、と言う事だけで。

「サクッとなんて言われてもな。異例過ぎて、分からないってのが正直なところなんだが」
「あぁ゛?」

 あまりにも無責任な回答に思わずギィドはこめかみに青筋を浮かべる。
 それにウォルトは肩をすくめて。

「まあ落ち着け。コレが魔術師同士なら契約という名のルールが無ければ魔力の取り合いになるから問題だろうが、魔力のコントロールができないお前達にはその心配も無いだろう?」
「じゃあ、なんで俺の眼が魔知眼になってんノ?」
「そこは流れ込んでくる魔力の性質で擬似的に見える様になってるだけだ。シャルトー自身に能力が備わった訳じゃない。ちなみに――」

 そう言ってウォルトは再びシャルトーとギィドをそう広くない部屋の隅と隅に立たせて。

「シャルトー、まだ『見える』か?」
「……なるほど、距離をとれば影響は無くなるワケ」
「そう言う事だ。魔力を身体から離して維持するなんてソレこそ高度な技術が必要だからな。いくら回路があっても距離があると魔力は飛散するんだ」

 一時的で限定的な物らしいと実感をして、シャルトーはなるほどと頷く。
 ギィドはシャルトーの感情が己に流れ込んでいないか探るが、元より目に見えて分かるようなものでもないし、今のシャルトーがどんな感情を抱えているのか分からず、憮然としたまま。

「おい、その魔素回路というのを切る方法は無いのか?」
「……何もしなければ切れるのが普通だからな。わざわざ他人が無理やり切る方法は、どんな問題が起きるかわからん」

 質問にウォルトは気まずげに顎を撫でる。
 期待した回答が得られず、ギィドが思わず不満げに口の端を下げれば。

「嫌なら、適当に魔道具で魔力を使っちまえばシャルトーには行かないだろ。使い切らなくても、あくまでも溢れて飛散する分の排出先がコイツになってるだけだから」

 ウォルトの言葉はもっともだし、そもそもシャルトーに魔知眼の性質がうつったところでなんの問題などない。
 だかギィドが本当に気になっているのは、シャルトーの感情が感知できているという事なのだが、今ココでその事実をシャルトーに知られるのは不味い予感がする。
 だからこれ以上、ウォルトに『食い下がるのはおかしい』だろうと、一旦この場は引くことにしたが。

「……ちなみにだが、魔力の返還でまるで酒をかっ食らった様になることなんてあるのか」

 最後にこれだけは聞いておかなければと。
 あの異常な現象はあくまでも魔力の返還の所為で、今後は起きることが無いと安心したいと思ったのだが。

「あ~、それはなんだ、随分と稀な事がだが相性が良かった、としか。しかも魔素回路が繋がってるなら多分、共感覚で相乗効果が働いた可能性もある、な?」
「…………邪魔したな」

 聞かなければ良かった。
 恥は掻き捨てだが、思いのほか「予想外だった」と顔に書いてあるウォルトにギィドは重く深い溜め息を吐いて。シャルトーを置いて用事は済んだとばかりにマスタールームを後にする。
 ウォルトが「苦痛が倍増するよりはマシだったと思うぞ」と背中に投げかけた言葉は、なんの慰めにもならない。流石に空気を読んだのか、シャルトーは追ってこなかった。
 いつの間にか、外はすっかり夜も更けていた。昨日ギルドを出てから、丸一日以上が経過している事実に頭痛がする。もしも時間が戻せるのなら、昨日の自分自身に僅かばかりの罪悪感なぞ気にせず、シャルトーを見捨てろと止めに行くのにと思いつつ。
 何カ月かぶりで何回目か、ギルドを抜けるか本気で悩む。
 翌日の延長して貰った休暇中に、住まいを引き払って拠点をどの街に移すか、憂鬱に捕らわれて考えるギィドを、狙い澄ましたかのように『明日、出勤後にマスタールームへ。苦労をかけたから追加でねぎらいたい』という旨の便りがウォルトからやって来て盛大に舌打ちをする。
 こんな薄い内容の連絡なんて、明日ギルドに出勤した時に伝えれば済むことだ。
 ソレをわざわざ便りにして寄こしてくるウォルトの意図なんて、牽制しかない。シャルトーに加えて、どうしてギルドマスターにまで眼をつけられなくちゃいけないのか。
 面倒くさいと思いながら、諦めるならまだ手に入る物が多い方が良い。
 酒にも金にも罪は無い。と重い足を引きずる様にギルドマスタールームに赴けば。

「で、お前さんには他に何が起きているんだ?」
「……何がだ」
「この前はシャルトーがいるから聞くのをやめだろう」
「アイツは」
「気づいちゃいないだろうな、お前さんの機嫌が悪いのに気をとられてたから」

 デスクに肘をつき、組んだ手に顎を乗せ眼を細め嘯くウォルトに、ギィドはそもそもの失敗はこのギルドを選んだ事なのかもしれないと思う。

「アイツの感情が、なんとなくだが分かる気がする」
「それはまあ、あり得る話だな」
「あり得るのか」

 誤魔化すのも面倒で素直に話せば。首を捻ると思いきやウォルトは意外にも合点がいった、といった反応をする。

「使い魔や精霊と従僕契約を結ぶ魔素回路に似ていると言っただろう? 実は人間同士で結ぶ魔素回路と、意思疎通ができない相手との魔素回路はちょっと違うんだよ。ってまあ、詳しいことは省くが……」

 また専門的な話が続くのかと思わず顔をしかめたギィドに、ウォルトが苦笑する。

「要は言語や高い知能を持たない従僕相手との魔素回路では、供給側に従僕の感情が伝播するんだ。いくら契約があるとは言え、無茶な命令ばかりしていたら、流石に機嫌を悪くして契約の破棄をされることもあるからな。だがこれもアイツの魔知眼と一緒で、距離をとれば効果は無くなる」
「だが、近づけばまた感情が流れてくるんだな?」
「まあ、そう言う事になるな」
「効果を消す方法は」
「魔素回路の切断は前回言った通り、何が起きるか……」
「……」

 つまりは対処方法はなく、お手上げなんじゃないかと、げんなりする。
 なんだか頭痛がしてきた。
 溜め息を吐いてこめかみを押さえたギィドに、ウォルトが慌てた様に「いや、でもな」と声を上げた。

「あくまでも補助的な効果だからな。遮断する様なイメージを持って、流れてくる感情を意識しないようにすれば、そう感化はされないはずだ」
「元から無視はするつもりだが、うぜぇんだよ」
「同じ人間同士な分、感情が伝わりやすいのかもな」

 非常に微々たるアドバイスに眉間の皺は簡単に消えそうに無い。
 同情的な目線に、気持ちだけじゃ無くて態度で示せという視線を返せば、しばらくはシャルトーとの接点を減らすように働きかけてやるから、という言質と追加の報酬を受け取り、マスタールームを後にした。

 そうして。

 流石に少しはウォルトも配慮をしてくれたのか、それともシャルトー自身軽々しくギィドに近付くのは不味いと思ったのか。
 しばしの平穏がギィドには訪れて。




 油断というのは、いつも後悔が喉元を通り過ぎて忘れた頃にやってきた。

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