触れるな危険

紀村 紀壱

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12話 調子が狂って 【後】

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<シャルトー視点>



 ああ、もう一体何杯目だろうか。
 酒の色と同じく、濁りはじめた意識の中で。
 次のグラスに手を伸ばして、一体、なにがどうしてこんなコトを始めたんだろうかと思いを巡らす。
 すると唐突に、ゴンッと、グラスが置かれた時とは違う鈍い音が響いた。目線を上げると、そこにはテーブルに頭突きをするように突っ伏したギィドの姿が。
「おおおおおおおぉぉお! この勝負、にーちゃんの勝ちだ!!!」
 沸き起こる歓声と怒号。
 周りのざわめきが妙に遠い。右手を掴まれて高々と挙げさせられ、背中を叩かれる。
 うん、痛いんだけど。
「やぁ~、いい勝負だったなぁ、にーちゃんおめでとう!」
「あー、俺、勝ったの?」
「おう、勝った勝った! そして俺も勝ったわ! あんがとね~!」
 やたらテンションの高い返事と一緒にバシバシと肩が叩かれ「だから痛いって」っと、流石に抗議の声をあげる。
 掛金の精算が始まり一層騒がしくなった中、俺は目の前でテーブルに伏せた男を見た。
 潰れている。
 見事に、潰れている。
 ちょい、っとつつくと、正面からテーブルに突っ込んだ顔がごろりと傾いて顔が見えた。
 グラスをつかんだまま眉間にシワを寄せて瞳を閉じた、見事な赤ら顔。額が打ち付けたせいか、そこだけ更にちょっと赤い。
「………………どうすっかな」
 ぼんやりとした思考のまま、つぶやく。
 隣で「この勝負の代金は俺が払ってやるぜ~~!」と、上機嫌な男に、あぁうんアリガトネ、と生返事を返しつつ。勝った、と言うことは分かったが、酒のせいか一体何の話でこうなったのか、よく分からなくなっていた。
 そして正直な話、瞼が落ちそうだ。眠い。寝たい。熱い。それからうるさい。
 遠かった喧騒がだんだん頭に響くようになって、顔をしかめる。
 帰ろう。そして、寝よう。
 早くベッドに突っ込みたい。そう思って立ち上がれば、膝が馬鹿みたいに震えた。
 え、なにこれ、ありえない。
 そういえば、ここまで酒を飲んだのは初めてかもしれない。力がうまく入らない膝に軽く驚きながら、ここから家路までを考えて、その思考を投げる。
 どこか宿を取ろう。つか、この酒場の上に宿はないのか。あらかた精算が終わったのか、散り散りになり始めた取り巻きの中に先ほどこの場を取り仕切っていた男を見つけて、そう、声をかければ。
「あー、残念だな。ここは宿はやってねえんだよなぁ。でも通りを挟んで、ちょっと行ったところに、いい安宿があるぜ~」
「そう」
「って、あんた、このおっちゃん置いてくのかよ?」
 いやだって、そんな義理はない。それにだるいし。
 ギィドを置いていこうとする俺に男が驚いたように目を瞬かせた。しかしながら、ぐったりと落ちたギィドはいかにも重そうだし、大体、俺が世話をする必要性は無いだろうと軽く肩をすくめて応える。
「え~、まあ、別に転がしといてもいいか……?」
 頭をかきながら困ったようにぼやく男から視線を外して。さて、酒場を後にしようとしたところだった。
 俺の前を左からすっと、女が出てきて横切った。
「じゃあ私が介抱するわぁ。彼の家、知ってるから」
「お、まじでかねーちゃん。おっちゃんの知り合い?」
「えぇ、ちょっとした『お付き合いした』仲よぉ。 意外と優しかったから、ちょっと私も優しくしてあげようかと思ってぇ」
「あ~、あー、あー……なるほど、なるほどなぁ」
 やたら媚のにじむ声でウインクをする女は、やや妙齢を過ぎた明らかにその手の商売女だった。
 それに男も気がつくと、半分ニヤつくような、ほっとするような曖昧な笑みを浮かべて頷き、んじゃよろしくと手を上げる。女はそんな男に縁があったら貴方もよろしくねと微笑返しつつ、ギィドへその白い手を伸ばした。
「なに、オッサンの家、この近くなの?」
「あらぁ、貴方……?」
 俺と男のやり取りを見ていたのだろう。どうしたの、というような目で見つめられるが、俺は先ほどの問いをくり返す。すると、女はちょっと首を捻って。
「そこの通りを歩いてほんの2、3分かしらぁ? エンデってパン屋の裏手にあるアパートなの」
「そう。じゃあ、このオッサンは俺が連れてくから。アンタ、もう行っていいよ」
「え……?」
「このオッサンの家がそんな近くにあるのに、わざわざ金払って宿取るなんて馬鹿みたいでしょ」
 違う?と、首を傾ければ、俺は間違ったことを言っていないはずなのに女はなぜか少し戸惑った顔をした。
「でも、貴方……」
「いいって、言ってるじゃん。アンタの手間も省ける、俺の無駄な金は払わなくてすむ。なにが不満なの? ほら、ギィドも、ちょっといい加減起きなよ」
「あ゛……?」
 力任せにギィドの二の腕を掴んで持ち上げる。
 椅子を足で蹴って無理やり立たせるようにすれば、意識が浮上したらしくギィドがうめき声を上げ、わずかに顔を上げた。
 意識は取り戻したものの覚醒はまだ遙かに遠いらしい。
 視線がふらふらと定まらない状態にため息を付いて、俺はギィドの腕を自分の肩に回して引き上げる。
「な、んだぁ……?」
「アンタ、少しは自分で立ちなよ。重い」
 俺だってあんまり膝に力が入らないっていうのに。
 此方に体を預けるように寄りかかって来るギィドに苦情を言えば、生返事のあと、わずかに負荷が減った。
「ちょ、ちょっと、ねぇ」
「なに、まだいたの?」
「まだいたの、って……ああ、私も手伝うわ」
「いいよ、そこ、どきなよ。邪魔」
 なにをもたついているのか。
 邪魔だ。
 目にちらつきを覚えさせる白いその腕が、ギィドに絡みつく前に足を踏み出す。
 別に、手を借りても良い。
 だが女の、妙に甘い香水の匂いが酒気と混ざって吐き気がしたのだ。
 だから、だ。
 それ以外に理由なんて無い。
 ギィドを引きずるようにして、さっさと酒場を後にする。
 脇に抱えている『これ』は、少し大きな、酷く触れる部分が熱を持った、だが『ただの鍵』だ。
 それ以上でもそれ以下でもない。
 ちょっとばかり膝が落ちそうになりつつも、目当ての建物を見つける。
 強引に揺り起こして、聞きだした部屋の扉を開けさせる。そして部屋に入ればこのオッサンなんてもう、用なしだ。
「むしろ、ここまで運んであげた事に感謝されてもいいくらいだし」
「んぁ……」
 相変わらず泥酔状態から抜け出していないのか。
 ぱっと、肩に回していた腕を離せば、ギィドは不明瞭な声を呟いてズルズルとその場に座り込んだ。
 もぞもぞと熱いとか何とかいいながら、うごめくギィドを、一瞥して。
 俺は、ぐるりと部屋を見渡して壁際に置かれたベッドに向かう。
 ぞんざいに上着とブーツを脱ぎ捨てると、シーツの乱れたままのそこに、そのまま倒れこむように四肢を投げ出した。
 なんだか酷く疲れた。
 精神的にも、肉体的にも。
 目を閉じれば、襲ってくる睡魔。
 アルコールも手伝って、すぐにぼやける意識を手放そうとして――
「っ!!」
 上から襲ってきた気配。反射的に体を壁に寄せて避ける。
 どん、っと、ベッドが揺れる。
「な、に……?」
 目を見開いたそこには、ほんの先程、打ち捨てた男の顔。
 驚いて目を覚ました此方に対してギィドは今にも寝息が聞こえそうな、なんとも言いがたい、初めて見る、ゆるんだ面で。
「ちょっと、なに。アンタ、狭いんだけど」
 どうやら半ば無意識にベッドにたどり着いたらしい。
 いつの間にか上着を脱ぎ捨てたのか、上半身裸の肩を押してベッドから落とそうとする。
 狭くはないが広くもない寝床に、オッサンと添い寝する気なんてさらさら無い。
 しかし、ぐいっと押した所で。
「ぬぅ……」
「!」
 手を不煩わしそうにはたき落とされる。
「……いい度胸してんじゃないの」
 こっちだって眠いのだ。しかも、糞重いオッサンに肩を貸して、わざわざ家まで運んでやったのだ。
 ベッドを譲るぐらい当然の権利だろう。
 蹴り落とそう。そう、足を曲げた所で。
 ごろり、と。
 ギィドが仰向けに寝返りを打った。
 すっかり寝入って力の抜けた、なんともだらしないその格好。
 なのだが。
「………そういえば、結局触ってないな…………………」
 じっと、露出した上半身を見て、思う。
 おぼろげに初めのシナリオではたしか今日は久しぶりに頭を触るつもりだったと思い出す。
 思い出せば早いもので、片手をそのままギィドの頭に伸ばした。
 短いのにチクチクしない、腰の柔らかい髪質が指に絡む。
 するりと、撫でる。フワフワとした、その感触に満足を覚える。
 だが、なぜか。
 ――足りない。
 頭から、もみあげをたどって顎に手をかける。
 髭の感触は5日前と同じだ。
 顎裏の髭は少しカールしていて、髪とは違う感覚を指先に伝える。
 人差し指で、くるりと撫でれば、ギィドがむずがるように顔をそらす。
 顎をつかめば、むにっと音がして口が開いた。
 だらしなく開いた口元から覗く、赤い舌。
 数日前味わったそれは女と変わらない柔らかさだった。
 喉が鳴る。
 ……いや、違うし。
 触りたいのは体毛だ。それだけ、だけど。
 ギィドの口元から視線を外して、もう片方の空いた手を胸に這わせた。
 思ったが、毛だけじゃなく、胸毛の下の肌の感触も悪くなかった。
 女と違う、弾力の薄い硬い皮膚の感触。
 汗で少し湿った肌。オッサンの汗なんて気持ち悪いだけのはずなのに、うっすらと汗の浮いた肌がいやらしくみえるのは何故だ。
 さわさわと胸もとから腹筋まで繋がった体毛をたどる。
 へその縁を撫でると、ひくりとギィドの体が揺れた。手をスライドさせて脇腹の、肋骨の形をたどれば、さらに、また。
 そこには毛なんて生えていないのに。
 じわりと、下半身が違和感を訴える。
 待て、待てよ、自分。
 なんで、たったこれだけでこっちがその気になりかけているのか。
 最終的には俺にいいように扱われて、プライドをへし折られ、ヒィヒィ情けない悲鳴を上げるギィドを嗤うのだ。
 そこが目標で、決して俺がこんなオッサンに欲情なんてする必要なんてないのだ。
 突っ込める穴があるから、それを使おうというだけの話で。
 脳内でここは冷静になったほうがいいのでは、という声が上がるが手は勝手に動き続けていた。
 所詮、俺も酔っ払いだった。
 とっくに理性など抜け落ち、衝動に突き動かされるように、腕を、肩を、首を、胸を、腹を、脇腹を。
 形を確かめるように、手を這わせて。
 夢うつつの中、俺の手から体を捻って逃げようとするギィドに、いつの間にかのしかかるようにして。
 ギィドが、ぐぅっと、唸って眉間にシワを寄せた。
 気がつけば俺はギィドの上に馬乗りになっていた。
「あれ、この光景……どこかで見たような」
 つい最近こんな感じで、ギィドを見下ろした気がする。
 アレはいつだったのか。五日前か、それよりずっと前か。
 考えるが、よく思い出せない。だが、すぐにそんなことはどうでもいいことだと思った。
 それよりもギィドの目が開かない。そのことの方が重要だ。
 多少の反応を返すものの酔いのせいで眠りが深いのか、顰めっ面をしつつも眠ったままなのが気に食わない。
 その目を開けて現状に驚き見開かれる様が見たい。
 ちろり、と俺の中で好奇心の火がつく。
 どうせなら、ただ驚いた瞳よりも。
「オッサンの喘ぎ声なんて、うるさいだけだけど。アンタの声なら少しは笑えるかもね」
「んぅっ……?」
 ギィドの腹の上に陣取ったまま。背後に手を伸ばし、ギィドの「そこ」をズボンの上から強めに引っ掻いてやれば、先程よりも色よい反応が帰ってきた。
 ザリザリと布地を掻く、その微妙な刺激がいいのか、見なくてもその質量が変わってきているのが分かった。
 ギィドの顔が今まで見たこと無い表情で歪む。寝息が荒くなって俺の下で腰を揺らす。
 おかしくて口の端が上がる。
「腰揺すって、アンタ、男にさわられて気持ちいの?」
 返事がないのをわかっていても言わずにはいられなかった。
 俺のその声に反応したのか偶然か。ギィドの右手が腕がゆるりと上がる。どうするのかと見ていれば、まあ当然だが、もどかしい刺激に無意識に耐えかねたのだろう。己でそこに触れようとするから腕を掴んで制した。
 俺の拘束に抗うようにギィドの腕に力が入る。
 このオッサンが自慰をするところを見て、それを嗤うのもいいが。
「もうちょっと、大人しくしときなよ」
 後ろ髪を纏めている紐を解く。一見ただの編み紐に見えるこれは、クソババァ折り紙つきの逸品だ。靴ひもほどの太さしか無いが、下手な鎖より強いそれで。
 掴んだギィドの腕をベッドの桟へ結びつけ、動きを封じようとした。




 その瞬間。




「……っ!?」
 横殴りに頭部を襲う衝撃。
 揺れる視界に、握られた拳をみて、舌打ちをした。
 なんていう初歩的なミスだろう。
 片腕に気を取られて、もう一方への意識をおろそかにするなんて。
 急激に狭まっていく視界に、当たり所が悪かったか、と馬鹿に冷静に思いながら。
 体が、横に傾いてゆく。
 遠のく意識の中で、ギィドの喉元が目に入って。
 イかせたら、どんなふうにその喉元がそらされるんだろう、そんな感想を最後に。
 俺は意識を手放したのだった。


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