従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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4話 残念ながら犬ではありません 4【4話完】

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「抱擁はしてもいいのか」
「あ、はい」
 再確認をされて、ルスターは反射的に頷く。
 半ば、呆気にとられていた。
 そんな、抱擁程度で、ここまで喜ばれてしまうとは。
(アルグ様は一体今まで、どんな恋愛事情を経験されてきたのでしょうか)
 こんな状況だというのに、ルスターの頭にそんな疑問が浮かぶ。
 積極的になられるのは困るというのに、つい、身に染みた従者気質故に心配になってくる。
 いくら己に恋情を向けているとはいえ。あまりにも、健気と言いたくなる態度に、今まで、質の悪い悪女に騙されたりはしなかったのだろうかと思う。立場が立場だけに、アルグを利用しようなどと、考える輩もいるだろう。謀略に、女性の色香というものはよく使われる手だ。
 アルグにすれば、ルスターだからこそ、と言うところなのだが。
 自分がアルグに与えている影響力というものを、正確に把握できていないルスターは浮かんだ妄執に不安を募らせる。
 万が一、アルグが、心ない輩の魔の手に絡み取られてしまったら。
 オーグがその考えを聞けば、『大丈夫、大丈夫。兄貴は野生の感が半端無いから、絶対ないわー』と笑うところだが、残念ながら、そんな助言をしてくれる人物はこの場にはいなかった。
「ルスター」
 ぐるぐると、思考の渦に飲み込まれかけていたルスターを、アルグの声がすくい上げる。
 はっと我に返れば、アルグは緩やかに、両腕を広げた。
「良いか」
 なにがですか?
 と、首をひねりかけて、慌てて止める。
 抱擁、抱擁ですね。そう、抱擁をしてもいいといいました。
 だからその、広げた両腕の指す所はつまり、そこへおさまれと、そういうことなのだろう。
「……やはり、嫌か」
「い、いえ、そういうわけではないのですが」
 またもやしょんもり、と尻尾が垂れ下がっていく幻覚を見て、ルスターは首を振る。
 しかし、アルグに視線を止めたまま、腰掛けたソファアからはなかなか腰をあげられない。
 抱擁なら、同性同士でもすることだ。だから、抵抗はない、と思っていたが。
 カウチに座ったアルグに、抱擁を所望されているが、どう考えても、抱擁をするにも受けるにも、横に腰掛けることが願えそうにないのだ。
(なんだか、考えていた次元が違っているようです)
 望まれている答えを考えて、今度はルスターがぎゅっとドレスグローブに包まれた拳を握った。
 じんわりと、手に汗が滲む。
「主人の膝に乗るというのは、いささか問題が……」
「私たちは主従の前に、恋人同士ではないのか」
 抱擁を受けるために、アルグの膝に座ることを望まれていると、導いた答えが、勘違いであって欲しいと思いつつ口に出すが、淡い望みは綺麗にすっぱり、両断された。
(やはり、座れとおっしゃられるのですか、その膝に……!)
 己の、見通しの甘さにルスターは肩を落としたくなる。
(まさかそうくるなど、欠片も思いつきませんでした……)
 先送りしても、状況は変わらない。
 従者は根性と度胸!と、自己暗示をかけて立ち上げるが、アルグの正面に来て、はたと気がつく。
 正面からか、後ろからか。
 この期に及んで些細な問題かもしれないが、主人に背を向け、椅子のように座るのも、しかしながら、正面から膝を跨いで抱き合うような状況になる、というのも成し難い。
 立って頂けないだろうか、と思い、アルグを見れば、期待に満ちた目があって、あまりの眩しさに目を逸らした。
「あの……どちらがよろしいでしょうか」
 自分自身では決められそうにない。
 そう思い、失礼だと思いながらも、顔を見ないまま尋ねれば。
「正面からがいい」
 曖昧にしか聞かなかったというのに、即答された。
 あまりに早い返答に、狙っていたのですか、狙っていての、行動なのですかと、聞き募りたくなるが、答えを聞いったら後悔をしそうなのでやめておいた。
 ……ここまで来れば、もう、腹をくくらねばなるまい。
(一体、何故、こんなことに)
 三週間ぶりにそんな問いを自問して、ルスターは覚悟を決めてそろり、と膝をカウチへと乗り上げる。
 体が細かく震えてしまうのは、羞恥からか、恐れ多いからか、緊張からなのか、よくわからない。
 ルスターは今更、自分は何をやっているのだろうという混乱に襲われつつ、正面を見据えたまま、アルグの足を跨ぐようにカウチに膝立ちになる。
 後は腰を下ろすだけ。それで、ミッションは完了。しばし心を無にして我慢をすればいい、と、思った所で。
「っ!?」
「前々から思っていたが、やはり細いな。ちゃんと、食べているか」
 唐突に。
 がしり、と音がしそうな勢いで腰を掴まれて、思わずルスターはアルグの肩に手を付いた。視線を下げるが、残念ながら眼に入るのはアルグの旋毛で、その表情は窺い知れない。ただ分かるのは、その体格に見合った大きな手が、自分の腰をしっかり両脇から掴みあげているということで。
「な、ぁっ、ア、ルグ、様!?」
「お前の年を考えれば良いほうだろうが、これからのことを考えると、体力的に不安を覚えるな。筋肉のバランスは悪くはないようだが」
 驚いて声をひっくり返しつつ、所業を問えば、やや低くなった声が返って来た。
 どうやら、筋肉の付きを見ているらしい。アルグの言葉に、ルスターはやや落ち着きを取り戻し、なんだ、そうでしたか、と納得をする。
 ぐ、と、親指で脇腹の弾力を確かめるように何度も押され、ルスターはその感触にくすぐったさを覚えるが、ふつと、息を吐いて耐える。
「申し訳ございません、もう少し体力をつけるよう、努力いたします」
「いや、仕事は問題なくこなしている。だが、肉がつきにくい体質のようだな。しかも硬い。柔らかいほうが怪我をしにくい」
 そう言いながらアルグは、ぷつりとルスターの上着のボタンを外して、中に手を侵入させてくる。
 するりと指先が、腰から背骨を辿って、肩甲骨の形を確かめ、また脇腹を撫でて降りてくる。
 中にはまたベストを着込んでいるが、動きやすさを重視したそれはよく身に添っていて、ルスターの体の線をよくなぞることが出来た。
「ストレッチをするといい。無理なくはじめられる。今度簡単なものを教えよう」
「は、はい」
 この行動は、アルグの親切心からのはずだ。
 ルスターはそう思い込んで、いつの間にかやわやわと撫でるように動かされる手の感覚にも耐えて、アルグの言葉を頭に叩きこむことに意識を向ける。
 だからまさか、ルスターから見えないアルグの瞳に、じわりと情欲がにじみ始めていることなど気が付かない。
 アルグも、初めは純粋な確認と、忠告のつもりだったのだ。しかし、肩に置かれた手の縋るような仕草や、くすぐったさを堪えて上ずったルスターの声に、ここのところの我慢から来る欲がムクリと腹の奥で頭をもたげてしまった。
「筋が張っているな。辛くはないか」
「え、あ、アルグ様、なに、を!?」
 腰から滑ってきた手が、ルスターの太腿をつかむ。
 今度は紛れもなく揉みあげる手の動きに、ルスターは慌てるが。
「マッサージだ。風呂の時に自分でもするといい」
「そん、な、アルグ様自ら、して頂くなん…んっ!?」
 恐れ多いです、と上手く言葉にできなかった。
 器用に動く大きな手が、ふくらはぎから太腿まで、揉みしだいていく。足の付根の内側を、親指の腹で押されると、その動きに心地よさと、背中を這うような感覚を覚えて、おかしな声が漏れそうになり、ルスターは息を詰めた。
 アルグとて人の子だ。恋焦がれる相手に触れて、邪な感情を抱かないような聖人君主ではない。しかし、アルグを敬い倒す勢いのルスターは、目の前の男が無垢な犬ではなく狼なのだと気づくことが出来なかった。
 膝が力を失ってゆく。アレほど躊躇いを覚えていたというのに、否応なく、ルスターはアルグの太腿に腰を落とした。
 アルグはやっとやってきた太腿にかかる重みと、両腕に収まった体に、満足感を得る。
「気持ちがいいか。見習いの時、よく上官相手にしたものだ。悪くはないだろう」
 力加減に気をつけながら、ルスターの足や腰に手を這わせる。
 アルグは嘘を言ってはいない。
 ただ当時は性的な含みなど一欠片もなくこなしていて、今は正しいマッサージにやや余計なものを含ませて触れている、というだけで。
「っ……」
 腰骨をなぞる。ベルトのせいで、指はほんの僅かにしかズボンの中へと侵入が出来ないが、シャツ一枚越しの肌の弾力に、アルグは口を引き上げる。ほんの少し、シャツの裾を、引っ張りだしてしまったらどうだろうと、悪戯な感情が沸き起こるが、内側に篭る熱を冷ますようにため息をほそく吐いてやり過ごす。
 どうやら、脇腹が弱いようだ。
 浮き出た肋の溝を強めにさすれば、ルスターが小さく声を殺してアルグの肩へ額を押し付けた。
 目の前に晒された、日に焼けていない項に、アルグの喉が無意識に鳴る。
 そこへ吸い付いて、舐めて、噛み付いて、跡を付けたいと思う。
 しかしそんなことをすれば、この体はあっという間に怯え、こわばってしまうだろう。そう思って、ぐっと我慢をする。
 今日のところは、抱擁までだ。
 ほんの少し撫でさすってはしまったが、ルスターが可愛らしいから仕方がないと、言い訳をして、今度は本来の約束通り、ただの抱擁に留める。
 ルスターの背中を、邪な想いをなくして撫でれば、腕の中の体から力が抜け落ちてゆく。
 やっと妙な感覚を湧き起こすマッサージが終わり、混乱からくる気疲れやら何やらでルスターはくったりとアルグに体を預ける。
 もう、現状の体勢を気にかける余裕などルスターには残っていなかった。
 まさかただの抱擁のつもりが、こんなことになるなんてと、そんな言葉がぐるぐる頭の中を回っている。




 そんな、混乱忙しいルスターをよそに。
 アルグは、すっかり己に身を預けたルスターに、ここまでは大丈夫なのだな、と、非常に前向きな思考を展開していた。
 ゆっくりと、驚かせない様に、ルスターの肩口に己も頬を寄せて。
 すん、とその匂いを嗅いで、アルグは目を細める。
 その様子はルスターの考えるようにまるで犬を彷彿とさせるものだったが。
(さて、次は口づけを許してはもらえぬだろうか。……もしそれが叶わぬのなら、せめて肌を直接触れることはできると良いが……しかし、体が硬いのは心配だな、事の際に体を痛めては可哀想だ。これからよくよくほぐすとしよう。気持ちよくなれば、きっと、ルスターも怖いとは思わぬだろう)
 つらつらと脳内で考えられる内容は全く可愛らしいものではなくて。
 己を抱きかかえる人間が、非常に厄介な狼であることに、ルスターが気がつくのは残念ながらもう少し後になっての事だった。


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