従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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4話 残念ながら犬ではありません 1

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 我慢が、まだ必要なのだと、分かってはいるのだ。




 想いが通じて、初めての逢瀬。
「兄貴、ガッツキ過ぎ。ちょっと今後のつきあいを躊躇ったって言ってたぞ」
 ソレを、弟に邪魔をされた日のことだ。
 指示された診療鞄なるものを、診療所から持ち帰ったものの。アルグは部屋に顔を出すなり、オーグから肩に腕を回されて、また部屋の外へと連れ出された。
 一体なにをするのだと、非難の声を上げる。すると対する応えは冒頭のものだった。
 オーグの言葉に、一瞬、アルグの思考が止まる。
 ちょっと、その頭の中へ入れてくださいな、とノックをされて、渋々と言葉を受け止めれば、脳に意味がしみ入るのに比例して、じわりと背中に汗が滲んだ。
「どういうことだ」
「あのさ、俺も男だから兄貴の気持ちは痛いほど分かるぜ? だけどさ、兄貴はもう少し考えて行動しろよな」
 深いため息をつくオーグに、アルグは先ほどまでの端然とした表情を僅かにひきつらせる。
 なにが悪かったのか、口づけだけ、と思ったのに、やはり早々に押し倒してしまったのはよろしくなかったか。
「口づけぐらいならと思いっていたが……つい、歯止めが効かなかった」
 考えを巡らせて、重く口を開けば、オーグはその返答に低く唸って。
「つい、じゃねぇだろ……兄貴さ、もしかして問題は手の早さだけとか思ってる? それ、大きな間違いだかんな?」
「ほかにもあるのか」
「あるよ、ありまくりだよ。男同士でヤるとき、受け身のほうが負担がでかいのは分かってんだよな?」
「そのへんは一応、準備、手順等、基本的な知識は持ち合わせているが」
 実践は無いが、予備知識としては十分な情報は手に入れているはずだと頷くが、その答えはオーグを満足させるものではなかったらしく。
「んじゃ、その基本的な知識でもって、しっかり自分とあのおっさんとの体格差とか体力差とか、ちょっと冷静に考えてみ? はっきり言って、やばいから。もし俺があの従者のおっさんの立場だったら間違いなく兄貴を蹴って逃げるね。威圧感とか半端ねえし、愛とか恋いとかいう前に、生命の危機を感じるわ」
「それほどか?」
 いささか、大げさすぎる表現ではないのか。いくらなんでも、抱き殺すような事にはならないと、そうアルグは眉を潜めるが、オーグの纏う雰囲気に、そこは口をつぐんでおいた。
「それほどなんだよ、馬鹿。そもそも、相手は女でもねえし、若くもねえし、初めてだってのに、勢いだけでうまくいくと思ってんの? あと、気になってたけど兄貴って娼婦以外に経験あんの?」
「それは……」
 痛いところを突かれて、ぐっと言葉に詰まる。そんなアルグの様子に、オーグは内心、天を仰いだ。兄の性格的に、有り得そうだとは思っていた。そこそこモテるだろうに、遊ぶという事を知らない。いや、考えついてもいないのだろう。
 おそらくこの分だと、娼館でもきっといつも同じ相手を指名して、なおかつ支払った金額以上の要求などしていないのではないだろうか。そう、己の兄の下半身事情を冷静に分析して、ふとオーグは我に返って乾いた笑いをこぼす。
「なにはともかく、兄貴ははっきり言って経験不足だ。嫌われたくなければ、下手な手出しは控えとけ。相手は初なお嬢ちゃんじゃなくて、年上の、男なんだからな? 相手を立てて、兄貴は勝手な予想で雰囲気読んだりせずに、あの従者のオッサンが、『自分から』、『明確なアプローチ』をするまで我慢しろよ」
「だが……」
 オーグの言葉に、アルグの口の端がぐぐっと引き下がる。
 簡単には納得が出来ないのだろう。ほんの数分前までは脳内はバラ色、ファンファーレが鳴っていたはずだ。
 それなのに、一転して天国から地獄に蹴り落とされれば、そんな顔の一つや二つ、したくなるものだろう。
「まあ、早々に別れを切りだされたいなら、好きにすりゃいい。俺のアドバイスが信用出来ないならな」
 だが、重ねる様に言われた、弟のやけにはっきりした物言いに、さすがのアルグも不満を滲ませていた顔を、やや心もとなさげに曇らせる。
 そんなにか。そんなに、ダメだったのか。
 何やら自分がいない間にルスターと言葉を交わしたらしい様子と、真剣な態度に。弟を疑うという考えを捨てて、アルグは落ち込みはじめる。
 その様子に、オーグはやりすぎたかと一瞬逡巡するが、時折、この兄は暴走癖があるからいいか、とひとりごちた。
 少々嘘を塗り固めて牽制したが、下手をすればこのままアルグが振られるという未来は嘘ではないのだ。両思いのつもりで調子に乗った行動を取るより、大人しく、普段通りの行動を取らせるほうが、あの従者の好感度は上がるだろう。
 そう、考えて。
 もう二三言、注意事項を付け足し、オーグはアルグに忠告を送って。
 更に、ルスターがアルグの屋敷に来ることが決まった折には、二重三重に言葉をよく包み、慣れない生活に苦労するんだから、絶対に手をだすなよと叩きこむ。
 その警告をアルグは苦労しつつ、だが素直によく噛んで、飲み込んだ。
 ……飲み込み、はしたのだが。


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