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3話 思考の小道で迷子中 4【3話完】
しおりを挟む「やはり、慣れ、しかないのでしょうか……」
回想しているうちに、眉間にしわを寄せ封筒を睨んでいたことに気がついて、ルスターは眉間を揉みつつ天井を見上げた。
アルグと誠実に向き合う。
そう改めて決意したものの。
いまいちルスターの意志が揺らいでしまう原因は、あの、アルグの豹変にあった。
普段のアルグと言えば、端然として、あまり表情を顔に出さない人間だった。俗物的な物にどこか一線を画し、達観した雰囲気を纏う。時折、騎士由来のその漢ぶりに、ある種の色気が有るとも言えるが。
『ルスター』
「っ!」
情欲を含んだアルグの、目を、声を思い出して。
反射的にルスターの身が引きつる。
まるで、見知らぬ別人であるのではないかと錯覚を覚えるほどに、性的な色をぶつけてくるアルグはルスターにとって衝撃的な物だった。
正直、アルグは両思いだと思っているのだから、互いの年齢的にそういった面を見せてくるのは仕方がないと頭では理解しているのだ。しかしながら、理性で分かっていても、感情はついてこない。そして思考はさっぱりついてこないどころか、急停止、または制御不能に陥るのだ。
彼の立場からすれば、ルスターに対して、いろいろ配慮している方だと思う。
だが、だからといって、この年になって、そう易々と未知なる扉を開けるのは怖いのだ。
始めてアルグに迫られたときは、それこそ混乱もあってうっかり腹をくくりかけてしまったが、冷静になった今では、なんと無謀なことを。と自分の行動に震えが走る。
自分はノーマルなのだ。抱かれるより抱きたい。胸はムチムチよりフニフニが良い。間違ってもあそこにあれを入れられるなんて経験をしたくはない。熱っぽい視線を投げかけられても、ただ困るだけなのだ。
そう、ただ、困る、のだ。
「全く、自業自得としか言いようのない……」
問題は、やはり自分なのだろうと、ルスターはこめかみを押さえた。
アルグから向けられる感情を、おぞましいと、形容できればおそらくこれほど己は悩まなかったのだろう。アルグの人柄を知らなければ、考えなければ、もしくは、強引にでられたら。こちらの戸惑いも、抵抗も、意志も、意に介さず迫られていたら、はっきりと否定の言葉を投げかけることが出来たかもしれない。もしくは、ただの理不尽な暴力として割り切れたかもしれない。
しかしそれが出来なかったのは、すべて己の弱さゆえだとルスターは考える。
自分とは違う意味の好意ではあるとはいえ。自分に向けられた感情を無碍に切り捨てるのは非常に難しい。アルグを敬愛している故に、傷つけたくはないと思う。たとえ傷をつけるのであっても、できるだけ浅いものとなるようにしたい。
そんな、都合のいい話はないというのに、無理に望んでしまったのがいけなかったのか。
結果的に自体はさらに複雑になってしまって。
幸か不幸か、現状に頭を悩ませているのは己のみということは救いかもしれない。
そう思い直して、ルスターは荷物を取り出して空になったトランクの中に封筒を入れた。
ここなら、意図せず目に入ることはないだろう。
次にトランクが必要になるのは、おそらくここを出て行くときだ。そしてそれは同時にこの封筒の中身が己には無用の物となる時だろう。
可能な限り、アルグに応える努力はしたい。だがこういった感情ばっかりは、努力でどうにかなるものではない。出来れば時間が解決してくれればいいのだがと、思いつつ、ルスターはトランクを閉めて鍵をかけ、クローゼットの奥へとしまい込んだ。
部屋を見回して、片付け忘れはないか確認する。
少しよれていたベッドメイキングを整え、箒で角にたまった埃を掃いた。
(ふむ、完璧ですね)
通された時よりもすっきりとした部屋を見て、ルスターの心が幾分か浮上する。
引っ越し作業でわずかに乱れた服装を、姿見で確認しながら改め、外していたドレスグローブをはめ直し、ふと、思う。
(さて、部屋が片付きましたが、これからどうしましょうか)
本来なら先に働いている使用人に倣い、アルグの戻りまで何かしらの手伝いで時間をつぶすという手はいくらでもあるのだが。
うかがい知った話では今この屋敷の中には自分ひとりしか居ないのは間違いない。
それはアルグがルスターにそれだけ信用を置いているのだろうとも考えられるが、シエンの屋敷とはあまりにも違う状態になんとも落ち着かない気持ちになる。
「まあ、仕事がないのなら、自分で見つけるまでですね」
アルグには、事前に「時間が空けば好きに屋敷の中を見て回ってくれ」と言われている。ぼんやりと部屋で待っておく、といった発想はないルスターは、アルグが帰ってくる前に屋敷の現状を把握しておこうと、部屋を出た。
そして、10分もしないうちに。
「……これは、なんということでしょう……」
右手には洗濯物、左手にはごみ籠を抱えて、ルスターは嘆息した。
屋敷の存在をもてあましているとは聞き、多少の覚悟はしていたものの。
基本的に使われていない部屋や、目の届かないところには、もれなく埃がつもり、書斎らしきところには書類が散々たる有様で積みあげられ、ところどころに脱ぎ棄てられた服が落ちている。
まったく目も当てられない惨状、とまではいかないが。
あくまでも表面上をそれなりに繕っただけで、ルスターの考える紳士という言葉とは差がありすぎる生活。洗濯物を持ち込んだランドリールームにすら、ここ数日分の洗い物が手つかずで残っているのを目にして、ルスターのなかで、かちりと、スイッチが入った。
「このような生活を、アルグ様にさせてはいけない……!」
ぐっと、こぶしを固めて、ルスターは決意する。
シエンの憧れであり、己も尊敬をするアルグが。このような環境で生活をするなど、許せなかった。
ルスターにとって、屋敷とは主人にとって心許せる、癒しの場であり、従者とは主人に幸せを提供するために行動するものだという理念があった。
その理念ゆえに。
彼の頭の中を先ほどまで大きく占めていた悩みは、ギュッと圧縮されて脳みその片隅に追いやられる。
そして、考えるべき、行動すべき優先順位が次々と組みあげられてゆく。
「ひとまず快適な居住空間の確保のためにメイドの手配を……いや、まずはアルグ様の生活について把握するのが優先でしょうか……そもそも、この有様はもしや財形が……」
きびきびと目についた場所を片付けながら、ルスターは考えを巡らせる。
すでに脳内には一つの目標が掲げられ、意識はその目標に向かって一直線だった。
まずは、アルグ様にふさわしい生活と、またそれを提供できる従者にならねば。
裏に有る思惑が何であれ、召し上げられたからには、最大限の努力を持って応じなければならない。さもなくば、「子爵家に媚びを売って、役に立たない老いぼれ使用人を引き取った」など、やっかみも多い立場、そんな噂など立てられてもおかしくはないだろう。
そんなことになったら、アルグにも、シエンにも申し訳が立たない。ましてや己のプライドにもかかわる。
時折、盲目的なのが玉に傷であるルスターは気がつかない。
確かにアルグに使える従者としてはそれは最良の選択肢だが、アルグに恋情を向けられる者としては、最凶の選択肢だと言うことを。
懸想する相手に尽くされて、舞い上がらない者などいない。
それは当然新しき主人、アルグももれなく当てはまるものなのだ。
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