極上の女

伏織綾美

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八章

8-2

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………
………………
………………………


藤木さんが家を訪ねてきたのは、それから3日後のことだった。


「よかった、今日はお休みなんだね」

「はい。今日と明日はお休みです」


ニコニコと整った笑顔を浮かべ、ゆっくりと右手を伸ばしてきた。その指が頬に触れた瞬間、悪寒が走ったような気がした。とても冷たい手だった。


「元気?」

「まあ、はい」


もちろん嘘だ。あまり心配をかけたくなかったのと、所謂、構ってちゃん、な自分を想像したらあまりにも恥ずかしくて、正直に言えなかった。


「嘘だね」


言われて、頬を軽く摘まれた。「そんな暗い顔してたら、バレバレだよ」見上げたところにある優しい笑顔に、思わず見とれた。心が洗われる気分だ。


「最近、色んなことを知ったり、思い出したりして、ちょっと気が滅入ってしまいました」


でも、大丈夫です。口角を持ち上げて、笑顔のような表情を作った。自分でも解るくらい、笑えてない。それでも、大丈夫だと伝えたかった。そして、放っておいてほしかった。

話したいことは沢山あるが、それは話しにくくもあった。何をどう話せばいいというのだ。以前この家で起こった事件のことか?「前にここで5歳児が餓死したらしいですねぇ」とヘラヘラ話せばいいのか?
それともこうか?───「私、父親を刺したことがあるんですよ。でも殺せなかったんですよ、悔しいなぁ、殺したかったなぁ」

そんなやつ、まず頭が大丈夫じゃない。
確かに私は欠陥品だが、人を不愉快にさせたくてそうなったわけではない。


仲良くなったら、好きになったら、その人のことをもっと知りたくなる。現に今、藤木さんのことを知りたくてたまらない。どんな家庭で育ったのか、子供の頃はどんな子だったか、趣味や、好きな食べ物や、嫌いなものも。
藤木さんが私のことを好きなら、きっと私のことを知りたがる。それはとても嬉しいと思うが、知られたら最後、こんな不気味な女とは関わりたくなくなる。


「こら。目の前に僕が居るのに1人の世界に入らないの」

「すいません」

「今日これから予定は?」

「ないですけど……」


予定ではないが、希望ならある。部屋に戻ってベッドで寝たい。
藤木さんとも、もうあまり関わりたくはなくなった。異性とキスをするのは彼が初めてだし、本当はもっと近い関係になりたいけれど、その先の未来に自分が捨てられたり、嫌われる可能性を考えると、怖くてたまらない。

傷付くのは嫌だ。
でも、


「じゃあ、良かったら僕の家においでよ」


そんな誘いに、嬉しくならない理由がなかった。さらに藤木さんは「心配しなくても、襲ったりはしませんよ」と、冗談めかして言う。顔が熱くなった。全身から湧き上がる幸福感に、気が遠くなる思いだ。自制心の低下した今の私には、どうしてもにやけてしまうこの顔を隠しきれなかった。


ついさっきまで、自分を知られたくないだの傷付くのがなんだのと、自分に言い訳をして及び腰だったことを綺麗に忘れてしまい、私はつい、頷いてしまった。







藤木さんの住んでいる隣家を、以前「お化け屋敷」のようだと形容したことがある。

三階建てで、屋根が高い、大きな家。窓のカーテンは全て閉ざされており、人が住んでいるようには思えないような静寂が辺りに漂っている。


「僕しか住んでないから、ちょっと辛気臭いよねぇ」

「えーっと、はい。辛気臭いと思います」


あんまり嘘を吐くのも良くないと思う反面、歯に衣を着せる必要もある状況も時にはあると理解している。今回は、どちらを尊重すべきか解らなかった。足りない頭をフル回転させた結果、前者を選んだ。でも、なんか今のは「外した」って感じがする。


「あはは。でもほら、池にはちゃんと鯉も居るし、毎日ちゃんと餌やってんだよ。庭も月1、整備してもらってるし。お化け屋敷だったら、そうはいかないでしょ」


気を悪くした様子を微塵も見せずに笑いながら、家の門を開いた藤木さんは右腕を伸ばして庭の一角を指差した。そこには日本庭園らしい見事な池があり、赤や白、色鮮やかな鯉が悠然と泳いでいた。「うわぁ!」思わず感嘆の声が漏れる。


「綺麗だなぁ」

「でしょ。──こういうの、好き?」

「はい。癒されます」

「解るよ……。池に閉じ込められてるのに、不自由なはずなのに、ゆったりと泳いでる」


池の淵にしゃがみこむ私の隣で、同じように屈んだ藤木さん。そんな言葉を呟く声が妙に無機質で、底知れない何かを感じた。彼の横顔は相も変わらず端正で惚れ惚れするほど綺麗だったが、表情は欠片も浮かんでいない。虚ろな目で、池を泳ぐ鯉を眺めていた。


「そんなふうに……考えたことはなかったです」

「気にしないで。僕がひねくれてるだけだから」


再び彼がこちらに向けた笑顔は、いつも通りの綺麗で人懐っこいものだった。


「中、入ろっか」

「はい」


藤木さんが立ち上がるのと同時に、ジーンズの尻のポケットに入れた携帯が震えた。しばらく振動は続いてるようだったが、無視して藤木さんの後をついて行った。母さんからの着信だろうか。






「携帯、鳴ってるよ」

「多分、母さんからです」


玄関先で立ち止まり、携帯を取り出して画面を見る。


「…………切れました」


画面に表示された名前は、『 堀さん』だった。電源ボタンを押して着信を切断して、ドライブモードにした。そうすれば、着信が来てもメールが来ても、もうバイブレーションにはならない。


「さ、入って」


玄関の扉を開いて、私に手招きする藤木さんに軽く微笑みかけて、中に入った。


入ってすぐ、不思議なにおいがした。
畳を張り替えたばかりの、あのい草のいい香りに似ていた。不思議とそれは胸の奥を擽った。なにかの感情を掻き立てるようなにおいだ。

玄関の扉には小さなガラス窓が嵌められていて、扉が閉まるとその窓から差し込む外の光が足元に落ちて、四角く影を切り取っていた。

藤木さんが先に革靴を脱ぎ、靴箱を開けてそこからスリッパを取り出した。一瞬しか見えなかったが、靴箱の中はそのスリッパ以外何も入ってないように見えた。


「大きい、家ですね」


心の片隅で妙な違和感があった。だが一体何に対する違和感なのか、それまでは解らない。

玄関ホールは軽く10畳はありそうだ。右手側に階段があり、3階まで吹抜けになつている。採光のための小窓がいくつかあって、明るいはずなのに、どうしてか空気が重たくて暗い印象を受けた。


「大きすぎて1人じゃ寂しいぐらいだよ。────おっと」


無機質な電話の呼出音がして、藤木さんがシャツの胸ポケットを探る。「ごめん、出なきゃ」取り出した携帯のディスプレイを見て、顔をしかめた。


「そこ、階段の脇にある扉入ってすぐにリビングがあるから、そこで待ってて。隣はキッチンだから、喉乾いたら冷蔵庫のやつ飲んでていいよ」

「え、あ、はい」


ため息混じりに「はい、藤木です」と電話に出ながら、早足で玄関から外に出て行った。ポツンと残された私は、いたたまれない乍らも気を取り直し、とりあえず言われた通りにリビングに行く事にした。

階段はすぐそこにあった。木製の手すりが付いた、立派な階段だ。

そして、扉は二つあった。
一つは、階段の下で、黒くて重そうな、金属製の扉。もう一つは、上半分に格子状に硝子がはめられた木製の扉。硝子越しにソファのある、明るい部屋があるのが見える。明らかに後者がリビングである。
仮に前者だとしても、南京錠が付いてるので入れるわけが無い。




「……………」


胸騒ぎがする。どうしてだろう。
外からは電話をする藤木さんの声が聞こえる。

それ以外に、何の音も、声も聞こえないはずなのに。
なんだろう、誰かが叫んでるような気がする。


────気のせいだ。


独りごちて苦笑しながら、リビングへの扉に向かって歩き出した。

床がギシギシと鳴る。さっきまで有頂天だったのに、どうしてこんなに怖いんだろう、他人の家だからだろうか。





ガチャッ







「え……?」


階段下にある扉を通り過ぎた。不意に何かが落ちる音がして、振り返ると扉に付いていた南京錠が足元に転がっていた。









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