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とうとう玄と別れの時が来た。

まだ少し風が冷たい三月。

玄が恐ろしい位の泣き顔で抱きついてくる。

「空! 俺たち別々の高校行っても、ずっと友達だからなあー!」

「玄……暑苦しい」

「空! 大好きだああああ!!」

「玄……その気持ちには答えられない」

なんだかんだで結局笑いあってしまうこの友人とも、もう同じ校舎で学ぶことはない。

僕と玄はお互い第一志望の高校に合格し、今日めでたく卒業式を迎えた。

とはいっても学区が同じということは、要するに近所なわけで。

いつもの帰り道、いや、今日で玄と帰るのは最後か。

「じゃ、今夜連絡するよ!」

ケロっとした顔で走り去る玄を見送りながら笑いがこみ上げる。


「まったく」


さて、僕はこれから入学式までの間ずっと……



入学式の後、僕は誰よりも早く校舎を出た。

父の介護のせいもあるけれど、実は入試の時につい全力で頑張り、どうやら受験生トップの成績を収めてしまったようで

「是非! 特待生で!!」

という話をいただいてしまったのだ。

特待生は一日七時間授業で土日は自習という名の強制補講。

介護の話もして断ったのだけれど、しつこく勧誘されるのも面倒だったので急いで出てきたわけだ。

校舎を出てしばらくは足早に歩いていたけれど、段々と速度を緩める。

小学校の頃から父の車椅子を押し、友達とも離れ何度も引っ越して、行きたくもない進学校に行って。

僕は何をしたいんだろう。

ずっとこのまま僕は……



「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」

ハッと我に返ると、学生服を着た女の子が大きな声を出している。

中学生くらいかな?

よく見ると、女の子の足元に誰かが倒れている。

いけない!

「無理に起こさないで!」

僕は慌てて二人に駆け寄った。

「君はこの人が倒れるところを見たの?」

「ううん。今、倒れてるのを見つけたの」

「そうか」

僕は手際よく脈を計り、顔色を確認し、意識の有無を確認した。

「どうしたの? 何か手伝えることある?」

今度は僕と同じ学校の制服を着た女の子が近寄ってきた。

「電話を持っていたら救急車を呼んでください」

「わかった!」

女の子はすぐに電話を取り出し一一九番に通報をしてくれた。

もう一人の女の子にゆっくりと話しかける。

「倒れた時に頭を打っているかもしれない。脳梗塞とかかもしれない。どうして倒れたかわからないからね、安全な場所であれば下手に動かさずに救急車を呼んだ方がいいと思ったんだ」

泣きそうな女の子に向かって続ける。

「君はこの人の顔色を見ていて。僕は大きな傷がないか確認するからね」

救急車はすぐに来た。

その音で気が付いたのか、倒れた人の家族らしき人が慌てて向かいの店から出てきた。

「お父さん!」

奥さんらしき人が駆け寄る。

僕たちは救急隊員に状況を説明し、夫婦らしき人を乗せた救急車を見送った。


「ひまちゃん、大丈夫?」

「茜ちゃん!」

どうやら今出会ったこの二人は知り合いのようだった。

「お兄さん、ありがとうございました」

『ひまちゃん』と呼ばれた女の子が丁寧に頭を下げた。

「あ、別に……」

言いかけたところで、『茜ちゃん』と呼ばれた女の子がキラキラした目で話しかけてきた。

「ねぇ! どうしてあんなにテキパキできるの? かっこいい!」

「え……」

そんなことを言われたことがないから、どう返して良いかわからない。

とまどっていると、『ひまちゃん』が僕たちに申し訳なさそうに話しかけた。

「ごめんなさい。私、用事があるので……」

「あ、デート? 急げー!!」

茜さんがからかうように腕を振って急ぐマネをする。

『ひまちゃん』は真っ赤になりながら頭をペコリと下げて走っていった。


遠ざかる『ひまちゃん』をボンヤリ見ていると

「ねぇ、どこに住んでるの? うちの制服だよね? 私は茜! あなたは?」

茜さんは突然矢継ぎ早に話しかけてきた。

強引な雰囲気を、誰かに似てるなあと感じながら、僕は質問に丁寧に答えていった。

「僕は東方(ひがしかた)空といいます。旭高に今日入学しました。下沢に住んでいます」

すると茜さんはにっこり笑いながら僕の手を引いて

「下沢! うちと近い! 一緒に帰ろっか!」

必然的に手をつないで歩く。

というか、引っ張られて連れられている僕。



玄!玄!! 一大事だ!

どどどどどうしよう!!!



戸惑ってはいるけれど何故か心地良いのは、

この強引さがどことなくアイツに似ているからなのか。



手を引かれてグングン進む。

「ここらへん?」

「もう少し駅寄りだよ」

「喫茶アモールの近く?」

「あ、近い近い」

「じゃあ今度はアモールでデートかな?」

「え?」

なにやら聞きなれない言葉が耳に入ってきたけれど気のせいだろうか。

僕が軽く戸惑っているうちにアモールを過ぎて細い路地に入る。

「あ、もうこの先行ったらすぐだから」

「どこ?」

路地の出口から自分のアパートを指差す。

「あのアパートだよ」

そう答えた途端、路地に連れ戻される。


繋がれていた左手が熱い。

でも、今繋がれた右手はもっと熱い。

「ねぇ?これも何かの縁だからさ! 私と付き合っちゃわない?」

唐突に、本当に唐突に。

笑いながら、でも繋いだ手を小刻みに震わせて。

うつむいた僕の視線と、僕を見上げて返事を待っている茜さんの視線とが交わった。

「茜さん、僕は父を介護していて、その、付き合うとかっていう時間を取ることができ……」



突然茜さんの顔がアップになり、そしてゆっくりと唇が離れる。



「既成事実を作ったので、拒否権はありません! どうしても嫌なら、私のことを『さん付け』で呼んで手を離して!」


強引だ……強引すぎる……でも……



僕の手は

今まで車椅子を押すためにあった

この人は

僕の状況なんて何も知らないけれど

僕の手を

車椅子から解放してくれている

これからもしも

本当に少しだけでも……



「茜、僕で良いならよろしく」

僕は繋いだ手を強く握った。

茜ははじけるような笑顔で今度は頬に顔を近づけた。

「今度はアモールでお茶しようね」

そう囁くとサッと離れ、来た道を走っていく。

「また明日ね! 空!!」

頬と唇と、そして両手に残ったぬくもりに包まれ、僕は路地裏の夢とアパートの現実の間でほんの少しだけ浮遊していた。

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