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第二十四話

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 祖母が焼けて行く姿は、とても不思議だった。
 死んだのだと妙な実感が心を占めているのに、ふわふわと浮いているかのように現実味が無い。そんなことは知らない、自分で何とかして。そう電話を叩き切った母の言葉が、脳の隅に響いた。祖母は死んだのだ。
 神道の納骨は、葬儀から五十日後だ。それまで保管しておく祭壇は、リビングに置いてもらうことにした。笑っている遺影だけでも、よく見えるところにいてほしかったのかも知れない。まだ入学式まで時間はあって、光子はぼんやりと家の中で過ごすしか無かった。
 久しぶりにテレビを付けると、ニュースが花見客の迷惑行為について騒いでいた。薄ピンク色の世界の中、アナウンサーが少し困った顔で、ゴミ問題や酔っ払いの事件などを語っている。
 あれ。光子はふと外に出た。森をさくさく突っ切って神社の方へ進むと、神社に隣接するように桜の木が数本立っていた。数本とも丁度八分咲きで、まるで枝に桜色の雲がかかっているかのような、堂々とした風貌だった。ああ、春だ。光子は桜を見上げながら呟く。雲からはひらひらと、同じ色の雨が舞っている。
「……春になってた」
 光子はもう一度呟いてきびすを返し、来た道を戻った。この順路はマサや俊三に教えて貰ったもので、神社への近道兼一番の桜スポットだと、光子が来てから毎年通った道だった。そんな慣れた道の筈なのに、途中地面を盛り上げる根やふかふかとした地面、目の前を通る何かに何度もつまずきそうになる。あ、外に出るの久しぶりだ。つまずいて、光子はそれに気付いた。
 家に帰って来て、まず米を炊いた。炊きあがった米を丼にうつして、種からとっておいた梅肉とじゃこと刻んだしその葉を混ぜ、熱いのを我慢しつつ握って海苔を巻き、重箱に押し込む。マサがよく作ってくれたレシピだ。そんなことを考えていると五つも出来て、重箱は風呂敷に包んだ。水筒には麦茶を入れ、弁当を抱え水筒を持ち、また桜へと戻る。
 何度もつまずきそうになりながら桜のふもとに立ち、光子はビニールシートを持ってくるのを忘れたことを思い出す。まあいいか。少し見渡して、桜の根に座ることにした。どっしりとした木を背もたれに、膝の上に弁当箱を広げ、水筒は脇に置く。まだ散るには早いらしく、花弁は地面を埋め尽くしてはいない。
 おにぎりを一つとり、しっかりと噛んで食べる。うまく出来た。そう、美味しく出来たのだ。ご飯を美味しいと、味を感じたのは久しぶりだった。美味しい。呟いて食べる。こんなに食べられないのに沢山作っちゃったなあ、とまだ四つ重箱に鎮座するおにぎりを見下す。
 桜がときたまに、ひらりと目の前を散る。あんなに密集して咲いているのに、春の日差しは柔らかく隙間を見付けて地面に降り注ぎ、光子を照らしている。その風景も目の前を歩く妖怪たちや虫たちも、全部全部、光子はおにぎりをゆっくりと咀嚼しながら眺める。
 そう言えばお彼岸にぼた餅作るの忘れてた、おじいちゃん好きだから怒ったかな。来年はきちんと作ろう。桜はまだまだ綺麗だし、明日またお昼ご飯は、ここでお花見しよう。あれ、毎日小早川くんのおばさんが来てくれていたような?よく覚えていないけど、お花見、誘ってみよう。おばあちゃんと作った料理、一人でうまく出来るかな、
 今日、凄く天気が良かったんだ。光子は流れる涙に気付きもせず、おにぎりを飲み込んだ。ご飯がおいしくて、目の前が眩しくて、思い出す賑やかな思い出の中今の自分は一人で、光子はすがるようにおにぎりをもう一つとった。
「みっちゃん!みーっちゃん!」
 ぱちんと音がして、そこではっと意識が戻る。夏美が頬を膨らまし、手を叩いたらしい両手を合わせたまま、目の前に立っていた。見渡すとそこは桜でなく、教室の自分の席だった。
「……あら」
「あら、じゃないよ!もーどうしたの?みっちゃん、廊下に立ちっぱなしだったから、私が引っ張ったんだよ?もしかしてホームルーム中も一時間目も、ぼーっとしてたの?」
 その通りだ。光子は黒板の上の時計を見てもう一度、あら、と呟く。ごめん。まだ少しぼんやりしたまま夏美に謝るが、膨らんだ頬は萎んだものの、夏美の眉は険しくよったままだ。
「なんだか、目の前がちかちかして……ごめんなさい」
「ごめんって、言って欲しいわけじゃないよ!」
 夏美の声は怒りを含み、その言葉は光子の心臓を大きく跳ねさせた。夏美の怒った顔を見るのは初めてだ。ふざけて怒ることはあるが、それとは違う雰囲気がある。光子はぎくりと体が強張り、冷や汗が出た。言葉が出ず、目を見開いてじっと夏美を見る。
 夏美は顔を更にしかめて、だああ!と叫んで両手で頭をかきむしり、顔を上げた。
「みっちゃん、何かあったの?今日、おかしいよ」
「え、あ」
 ぎくりと喉に言葉が張り付いて、出てこない。怒っているかと思っていた夏美の顔は、苦しげに歪むものに変わっていた。
「私じゃ、相談出来ない?一人暮らししてる話も、詳しく聞いてないよ」
 むしろ、夏美は泣いてしまいそうだ。光子の脳内に言葉が巡る。
 母親が光子を憎んでいるから、祖父母が亡くなった今も一緒に住めず、他に身寄りも無いし家を守りたいので、一人暮らしの道を選んだ。あの眩しく暖かい場所を離れたくはなかった。
何故、母親が実の子である光子を憎んでいるのか?それは、みえてはいけないもの、が見えるからだ。
 全ては光子が見えることから始まっていて、それを言わないと何も語れない。言うの?全てを?そう考えるだけで、内臓が絞られるような圧迫感を感じた。光子の唇が薄く開き、微かに震える。
「……ごめん。ちょっとだけ具合悪くて、いらついてるみたい」
 ふぅと、光子の詰まったと呼吸の代わりに息をつくように、夏美は溜息混じりに呟いた。そう言われてみれば、顔色が悪いかもしれない。光子はすぐさま首を振る。喉は変わらず声も何も出してはくれず、ただただ首をぶんぶん振った。
 違う。違うわ。私が悪いの。そう思いを込めて強く振った。夏美は優しく苦笑して、自分の席に向き直ると鞄をあさって、また戻ってきたときには、いつもの明るい夏美の表情に戻っていた。それが尚更、心が痛む。
「見て!これね、昨日の帰りに駅前で買ったんだ!」
 光子の机に置いたのは、可愛らしい小さな紙袋だった。置く時にカツと音がしたところをみると、中身は堅い物が入っているらしい。
「露店で買ったの!前も言ったけど、駅前に露店がたまーに出てるのよね。もー練習しんどくて、買っちゃった。みっちゃんに買って来たのあるよ」
「……私に?」
「うん!ヘアピン!見て見て」
 そう言いながら、夏美が紙袋をひっくり返した。
 花畑をくりぬいたかのような、ピンクやオレンジ色の花々が描かれているヘアピンが、二つ転がり出てきた。綺麗な色合いに思わず、わあ、と目を丸くする光子に夏美は満足して、光子の右側のこめかみに付けてやった。
「うっほう、可愛い!似合う!私天才だわ!鏡見てほら!」
 結局夏美は自分の鞄を光子の机にのせ、中から折り畳み式の鏡を取り出し、光子に押しつけるように掲げた。鏡の中の光子は右側の耳が見えていて、少し顔をずらすと綺麗な色合いのヘアピンが見える。それだけでいつもより何十倍も自分の表情が明るく見えて、光子は突然気恥かしくなり顔を伏せた。
「あ、ありがとう」
「ちょー可愛いよ、みっちゃん」
 にっこりと微笑む夏美の顔は心から嬉しそうだけれど、やはり少し顔色が悪いように見える。練習がつらいと言ったばかりだ、もしかしたら疲れで風邪をひいたのかもしれない。ごそごそと自分の鞄の中を覗き込む夏美の顔色は、少し伏し目がちになって余計に悪く見える。
「夏美、大丈夫?疲れてるんじゃない?放課後の練習、休みなよ」
「えー、大げさだよ。あ、あったあった。これはね、おまけしてくれたんだよー、どんな露店商さんかは忘れちゃったんだけど、いい人だよねー」
 じゃーん、ともう一つ出した紙袋はまた違うデザインで、ただ茶色いだけの紙袋だ。そっちはプレゼント用、こっちは私用。夏美は短く説明しながら、紙袋を開いてひっくり返す。出てきたのは、赤いガラス玉が金色で縁取られたブローチだ。赤いガラス玉にはこどもの横顔が黒いインクで描いてある。丸い頬が可愛らしい、あどけない外国のこどもの横顔だ。
 ぞわ、と光子の背筋に嫌なものが走る。この感覚は最近知ったものだ。
 家に黒い影がやってきたときに似ている。
「これはね、鞄に付けようかと思って……」
「な、夏美、待って」
 夏美がつまんで見せてきたそれを取り上げる為に、光子は夏美の手に自分の手を重ねた。ぐわ、と体の中で何かが湧き立つような感覚に襲われ、瞬間、いつものようにスカートのポケットに入ったアメシストの腕輪が、かあっと熱を持つ。
 パアン、と大きな音が響いて、夏美と光子は弾かれるようにブローチから手を引いた。一瞬ブローチが砕けたのかと思ったが、こつんと机の上に落ちて転がったブローチは無傷だった。ただ一つ、こどもの絵が消えている。
「え、ちょっとなあに?」
「今の音なんだ?まさか爆竹?」
「悪ふざけしすぎだろ、誰だよ」
 さっきとは違い、驚きでばくばくと心臓が跳ねる。どっと汗が噴き出て、光子は呆然とブローチと夏美を交互に見た。夏美は驚愕の顔でじっとブローチを見ているばかりで、音に驚いて集まって来たクラスメイトに話しかけられても、うんともすんとも言わない。
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