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三歳児編

反省

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「あ、お前たち!」
 校舎の外、狭くて陰になっている場所でうずくまっていたオードくんを見つけ、手を繋いでそこから出たところで、耳の長い中年の男性教師に声をかけられた。
「お前たちだな、授業を抜け出したのは。まったく、先生たちがどれだけ心配したと思ってるんだ!」
「っ……ごめんなさい」
 叱られた俺は素直に頭を下げる。理由はどうあれ、先生方には迷惑をかけちゃったしな。後でジュディ先生にも謝らないと。
「り、リンドくんはわるくないです。わるいのは、ボクで……」
「いいから早く教室に戻れ。それから、担任の先生にもちゃんと謝るんだぞ。いいな?」
「はい。オードくん」
「う、うん……」
「ダメだよ」
「えっ」
 そのまま行こうとしたオードくんを止める。
「このせんせいに、あやまって」
「あ、ご、ごめんなさい!」
「ん、ああ……って、おい、血が出てるじゃないか!」
 男性教師はそこで、俺とオードくんの手の間から僅かに血が流れているのに気づいたようだ。慌てて俺とオードくんの手を離すと、怪我をしているのは俺の方だということを確認する。
「そうか、お前が例の……」
「あぅ……」
 視線を落とすオードくんの手のひらから、また小さな棘が生える。予想通り、オードくんが痛がったり、怖がったりすると出てくるもののようだった。多分、防衛機能のようなものなんだろうな。
「友達を傷つけるなんて、どういうつもりだ!」
「ご、ごめんなさ――」
「せんせい」
 頭ごなしに叱る先生を、袖を引いて止める。
「わざとじゃないんです。あまりおこらないであげてください」
「……う、わ、分かった」
 男性教師が驚いたように俺を見る。確かに小学一年生らしからぬ言葉だったかな。もう少し気を付けるか。
「それより君、早く保健室に行きなさい。場所は分かるか?」
「はい」
「よし。それじゃあ校舎の中まではついていくから、そこからは一人で行くんだぞ。お前は先生と一緒に来い」
「は、はい……」
 そして男性教師に連れられ、俺とオードくんは校舎へと戻った。俺は校舎に入ってすぐ、教室がある方とは別の廊下に進む。
「じゃあ、またね」
「あ、うん、また……」
 別れ際、男性教師に手首を握られたオードくんに手を振ると、オードくんも掴まれていない方の手を振り返した。オードくんに少し元気が戻ったことを確認した俺は保健室へと向かう。確かこっちだったっけ。
(まったく、お主は自分を傷つける癖でもあるのか?)
 静かな廊下を歩いていると、レイズが呆れたように話しかけてきた。
(そんなものあるわけないだろ)
(だったら何故、あやつと手を繋いだままでいた。一度刺されていたにも関わらず同じ行為を繰り返すなど、ただの自傷行為ではないか)
(まあ、そこは否定しないけど)
 俺は上を向けた右手に視線を落とす。血が広がったそこには、最初の傷とは別にもう一つ、刺された痕があった。
(ああでもしないと、オードくんが立ち直れなさそうだったからさ)
(それは教師の仕事であろうに)
(いいや。これは俺の仕事だ)
(何?)
(オードくんは、俺を傷つけて、傷ついたんだから)
 こればっかりは、傷をつけられた俺本人から大丈夫だって伝えなきゃいけない。下手に大人が介入したら、嫌々許したと思われるかもしれないしな。
(……一理あるが、そこまでする必要はなかろう。ヘツェトになんと説明するつもりだ?)
(それはまあ、あったことをそのまま伝えるしかないかな)
 嘘をついてもバレそうだし。
(あやつの言葉を思い出してみよ。ヘツェトはお主に小学生らしい振る舞いを、ひいては自分本意な行動を求めておるのだぞ。だというのに自分を傷つけてまでオードとやらを励ますなど、あやつも望んではいまい)
(そこは初日だからってことで許してもらうさ。しかし意外だな、レイズがヘツェトさんのことを気にかけるだなんて)
(当然だろう。下手をすれば強制的に契約を解除されるかもしれぬのだぞ?)
 あ、と自然に声が出た。それに気づいて慌てて周りを見る。近くの部屋から誰かが出てくるということはなかった。俺はほっと息をつく。
(それもそうか……ごめん、そこまで考えてなかった)
(分かったのなら良い。これからは気を付けるのだな)
(うん……)
(では改めて、この学校を支配する方法だが)
(だから今は興味ないって)
(何? 先ほどは乗り気だったではないか)
(あれはレイズの望みの視点から魔法使用のリスクを説明しただけ)
 まったく、少しでも隙を見せるとこれだ。レイズの望みはこれ以上ないほど自分本意ではあるけれど、小学生らしさからはかけ離れてるってことを自覚してほしい。
 しかし、自分本意に見える行動、か。改めて考えると難しいな。手っ取り早いのは、他の子の振る舞いを真似ることだろうけど、精神年齢十九歳には厳しいものがある。とりあえず休み時間は外で走り回っていればいいかな。こういうこと考えなくて済みそうだし。
 一応の方針を決めたところで、俺はようやくレイズに本題を訊ねる。
(ところでさ、レイズはああいう子には会ったことあるか?)
(誰を指しているのだ?)
(あ、ごめん。オードくんだよ。まさか手の平から棘が出るだなんて思ってなくてさ)
 そう、今回の件の一番の原因は、俺の魔族に対する知識の無さだ。今まで見てきた他人がほぼ普通の人間のように振る舞っているから忘れかけていたが、ここは魔法が存在するファンタジーワールドであって、普通の人間であれば考えられないような体質を持っていて、その体質のせいで苦しんでいる人だっていて然るべきというものだろう。だというのに、そこまで考えが至ってなかったせいでこんなことになってしまった。
 俺は精神的に年長者だし陰で子供たちの面倒でも見ようかな、なんて思っていた矢先のこれだ。右手を握って、痛みと一緒に反省を意識する。
(ふむ、確証はないが、恐らくは会っていたと思うぞ)
(覚えてないってことか?)
(それもあるが、ああいう体質は外から見れるものでもないのでな。奴も常に棘が出ているというわけでもなかっただろう?)
(ああ、言われてみればそうだな)
 前世でも、手に汗をかきやすいだろうな、なんて一目で分かったりするもんじゃなかったしな。レイズの武勇伝でもたまに不思議な体質の相手が出てくるけど、それもあくまで戦いの場だから表に出していたってことなんだろう。
(しかしそうなると、危なそうな体質について知る手段は、あらかじめ訊いておくしかないって感じかな)
(それが一番手っ取り早いだろうな。もっとも、敵対しているわけでもなければ相手の方から知らせてくるはずだ。お主の傷も、オードから一言でもあればつかずに済んだものを)
(……いや、それでもきっと、ついてたさ)
 痛みの滲む赤い手を見ながら、俺は苦笑いした。
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