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三歳児編

だから魔法を使わない

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(まったく。先程はどうなることかとヒヤヒヤしたぞ)
 記念すべき第一回目の授業である算数の時間はいっそ寝てしまおうかと思ってしまうほど退屈だったので、レイズからそう声をかけられたときはかなり救われた気持ちになった。
(といってもなぁ。俺があの三人に媚びを売ってる姿はレイズも見たくないだろ?)
(無論だ。未来の大魔王があのような愚劣な輩に対して下手に出るなど、到底許されることではない)
(未来の大魔王かはともかくとして、俺もああいう、ザ・いじめっ子ってな感じの子供には弱さを見せたくないんだ。標的にされるからな。だから口先だけでも只者じゃないって思わせる必要があったんだよ)
(その言い分は分かるが、わざわさ挑発することもないだろう。そもそも口先でなくとも、魔法を使えば奴らに対抗できたであろうに)
(まあそれはそうなんだけどさ……)
「それじゃあこの問題は、リンドくん、答えてくれる?」
 名前を呼ばれ、意識を教室の前へと向ける。そこには単純な足し算引き算の問題が五つ並んでいた。
「はい。こたえはうえから、5、7、9、2、4、です」
 返事と共に席を立ち、答えと共に席に座る。さてレイズとの話の続きっと。
「……えっと、一番上の問題だけで良かったんだけど……」
「あ、ごめんなさい!」
 しまった。もう少し授業に意識を向けておくんだった。クラスメイトたちからは笑いが漏れ、結構恥ずかしくなる。
「でもすごいわ、リンドくん。もう五個全部解いちゃうなんて。とても頭が良いのね」
「あ、ありがとうございます」
「それじゃあ、今の問題がどうしてそういう答えになったのかを説明していくわね」
 ジュディ先生の言葉に、教室内の空気が元に戻った。少し悪目立ちしちゃったけど、頭の良さをアピールできたし、結果オーライかな。先にそう印象付けていた方が後々面倒が起きないだろうし。
(やれやれ、魔法の使用を控えてまで目立つまいとしているというのに、なにをしておるのだ)
(このくらい、魔法を使うことに比べれば全然だろ)
(魔法とて、そうと悟られない範囲で使う分には問題あるまい。それに教師には我の存在を知られているのだから、例え魔法の使用が露見しても大した騒ぎにはならぬ)
(かもしれないけど、先生方の立場からしてみたら、魔法を使える生徒っていうのは危うく映ると思うんだ。些細なことで魔法を使い出したら、ますます不安にさせるかもしれない。それは俺の望むところじゃない)
 ただでさえこのクラスには胃痛の種があるっぽいんだ。教師としての経験が浅そうなジュディ先生にこれ以上心労はかけたくなかった。それに魔法に頼ってばかりだと、ヘツェトさんから良く思われないだろうし。
(ていうか、転入する前に魔法は使わないって決めたのに、どうして蒸し返すんだよ)
(お主の身に起きていることが些細なことではないからだ。考えてもみろ、今のお主の体は人魔族の三歳児のものだ。対して相手は悪魔族の六歳児が三人。数でも体格でも勝る奴らと魔法抜きで渡り合うことなど不可能だ。そしてお主はそんな奴らに目をつけられた。最悪、後遺症が残るような大怪我をさせられるかもしれないのだぞ)
(んな大袈裟な。ここは無法地帯じゃないんだぞ)
(甘いな、カーネルよ。子供は無知で残酷だ。規則よりも自身の幼いプライドを優先することはままある。そしてその手段は、時に大人よりも残忍なものになるのだ)
(……マジか?)
 レイズの忠告に自然と体が震える。前世でも子供が事件を起こすことはあったからある程度は分かっているつもりだったけど、こっちはその比じゃないってことか? 小学一年生がクラスメイトを大怪我させることなんて日常茶飯事的な?
(我は知識として持っているだけで、学校になど通ったことはないから、この環境がどれ程の抑止力を発揮するかは知らぬ。だが彼我の体格差は大きい。奴らにとっては大したことない行動が事故に繋がることもあるだろう。故に、奴らが我らに余計な手出しをしないよう、早い内に魔法を使ってこちらの実力を見せるべきだ)
(んー、本当に危ない時は魔法を使うって方針じゃダメなのか?)
(何かあってからでは遅い。それにヘツェトも、魔法を使えることを前提に我らをここに通わせているはずだ。降りかかる火の粉を払うのに魔法を使ったところで、目くじらを立てたりはせぬさ)
(むむむ……)
 腕を組んで少しの間考える。確かにこちらから仕掛けるならともかく、向こうから絡んできたなら魔法を使って対処しても問題にはならないだろう。何かあってからでは遅いというのはその通りだし、その何かも十分起こりうるものだ。今の内に手を打つべきだろうか……?
(……いや、やっぱり魔法は使わないでおこう)
(何故だ? 何故そこまで頑なに拒む。死にたがりはまだ治っていないのか?)
(そういうんじゃないよ。ただ、そう、暴力に対して暴力で返してたら、結局はそれが全てだって認めることになるからさ)
(……どういうことだ?)
(何て言うかな)
 俺はさっき言いかけた言葉を思い出す。
(レイズの言う通り、俺は魔法なしじゃあの三人には力では敵わない。だから魔法を使って、力でも立ち向かえるって分からせるのは悪くないと思うよ。でもそれだと今度は俺以外の、力がない別の誰かが標的になるだけだ。そうなるのは嫌なんだよ)
 ちらと横目でオードくんを見る。さっきのやり取りから察するに、多分俺の前はオードくんが絡まれていたんだろう。
(であれば、お主が守ってやれば良いではないか)
(いや、それはできない。目についたときに咎めるくらいはできるだろうけど、いつも守ってやれるわけじゃないし。標的にされた子につきっきりになるわけにもいかないしな。それに、俺に守ってもらえばいいやって甘えるようになったら、お互い不幸になる)
(お主も面倒だな。それで? 他人が傷つくのを見るくらいなら自分が傷ついた方がマシだとでも?)
(それは……確かに、そういう思いもあるかな。でも一番は、暴力以外の強さもあるってことを教えたいからだよ。問題が起きたとき、力を振るうだけが答えじゃないってね)
 暴力が通用するのは、狭い社会でだけだ。そのことをなんとなくでも、早い内から理解するのには大きな意味があるはずだ。
 いじめられっ子にとっても、そして、いじめっ子にとっても。
(そんなこと、それこそ教師共に任せれば良いだろうに)
(先生と生徒じゃ立場が違うからな。同じ生徒だからこそ伝えられることもあるんだ)
(かもしれぬが、それはお主が体を張る理由にはならんな。お主が伝えるべきは、我らに危害を加えようとするならばタダでは済まさない、そのことだけで十分だ)
 うーむ、レイズも強情だな。俺はただ、いじめとかがない環境で穏やかに過ごしたいだけなのに。でもこのことをそのまま言ったら、ではお主が教室を力で支配すればよい、なんて言い出しかねないからな。
 さてどうするか……そうだ!
(レイズにしては考えが浅いんじゃないか?)
(何? どういうことだ)
(魔法を使うのを躊躇う理由は他にもあるってことさ。ほら、前にレイズも言っていたじゃないか。支配するときは完膚なきまでに倒さないといけないって。で、それを実現するためにはもう一年くらい待たないといけないって)
(確かに言ったな)
(つまり今の俺たちじゃ、力による支配は難しいってことだろ? そんな状態で力を見せて、手の内を晒すのは悪手だと思うんだ)
(む)
 お、好感触か? ならこのまま!
(確かに今の実力でも、このクラスだけなら力で支配できるかもしれないけどね。でもレイズの武勇伝にもあっただろ? どこかの勢力が中途半端な実力を見せたことで、これ以上強くなることを警戒された他の勢力から攻められたって話。それと同じさ。今の俺じゃ、噂を聞きつけた上級生がやってきたら太刀打ちできない。だから迂闊に魔法を使わない方がいいと思うんだ)
(ふむ、だが、むむ……)
 よしよし、悩んでいるな。小学校でそんなトンデモイベントが発生することなんてまずありはしないが、戦いに明け暮れていた元大魔王様にとっては警戒すべき展開だろう。とは言え俺もこっちの世界の小学生事情なんて知らないので、話している内にもしかしたらなんて思い始めてきたのだが。まあ何にしろ魔法を使わずに済ませられるならそれでいい。
(だから一先ずは、多少危なくても大人しく牙を研ぐべきだと思うんだ。勿論、本当に危ない時は魔法を使うけどな)
(……分かった。そこまで言うなら、今しばらく様子を見るとしよう)
(ありがとう)
 と、丁度話が終わったところで、鐘の音が鳴り響いた。算数の授業は終わり、先生が教室を出ていく。
 さて、次の休み時間はどうなることやら。授業が終わるのを惜しむ自分に内心で苦笑しつつ、教科書を閉じた。
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