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二歳児編

二度目の対峙

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 モォオオオ……!
 そこから聞こえてきた鳴き声は、つい二日前に聞いたものと同じだった。まさかとは思ったけど、もうこんな近くまで来てるなんて……!
 一昨日にも抱いた死への恐怖だけでなく、村の皆が襲われてしまうことへの恐怖も加わり、瞬時に頭がいっぱいになる。
「足を運ぶ手間が省けたね。向こうは丁度村とは反対側だし、ここで迎え撃とうか」
「簡単に言ってくれるが、勝算はあるのだろうな? 奴らの群れはかなりの規模だぞ」
 レイズの言葉を証明するかのように、黒い影は見る見るうちにその数を増やしていく。魔物の数に比例して不安が募る俺とは対照的に、その光景を見ても尚、ヘツェトさんは全く動じていないようだった。
「うん、特に問題ないかな。数に物を言わせるだけの相手なら、僕としてもやりやすいし」
 モォオオオ!
 そうしている間に魔物は群れを成して走ってくる。森を飲み込む黒い波のようにすら見える群れ、それを構成する魔物の赤い三つ目がはっきりと見て取れた。殺意の込められた夥しい数の視線に射竦められ、俺は内心震え上がっててしまう。
 本当に大丈夫なんだろうか。普通に考えれば、一体一体が自分より大きな魔物の群れなんてソロパーティーで太刀打ちできるわけがない。前世だったら近代兵器でも持ち出さなきゃ勝ち目はないだろう。例え爆発を起こすような魔法が使えたとしても、一度の攻撃で全滅させるなんてことは難しいだろうし、一体でも取り逃がして突進を受けたら、その後は数の暴力に蹂躙されて終わりだ。おまけに俺という足手まといもいるっていうのに……。
 ガッ
「えっ?」
「動かないでね。魔法を使うのも禁止」
 いつの間にか背後に回ったヘツェトさんに、強く肩を押さえられる。ど、どういうことだ?
(な、なあレイズ? これは一体……?)
(さてな。こやつの考えなど、我に分かるはずもなかろう)
(それじゃあ、どうすれば……?)
(どうすることもできぬよ。今はこやつを信じるしかあるまい)
(そんな……!)
 ……まさかとは思うけど、最初から俺たちの正体はバレていて、次期大魔王の最有力候補を殺めることが目的だったとか?
 いやいやそんな、と思い直そうとするも、想像は悪い方向にばかり膨らんでいく。ヘツェトさんは元大魔王の契約者と直接戦うのはリスクが高いと踏んでいたとしたら? そう考えればここまで迂遠な方法を取ったのも頷ける。それにこの状況なら、直接手を下す必要もない。犯行は全て魔物のせいにできるし、完全犯罪を行う絶好の機会だ。
 モォオオオ!
「あ」
 気付いた時にはもう、先頭集団はすぐそばまで迫っていた。町一つ蹂躙できそうなほどの物量が、そこから発せられる明確な敵意が、抗うことのできない死を実感させる。微々たる抵抗なんて意味をなさない。逃げようにも背後にはヘツェトさんがいる。完全に詰みだ。
 え、嘘だろ……? これでゲームオーバーなのか……?
「『デッド・ライン』」
 彼我の距離、約十メートルといったところで、初めてヘツェトさんが動いた。俺の肩を押さえていた手を離し、小さく前へならえ、をするかのように体の前に持ち上げた両手を、勢い良く左右へ広げる。
 モォオオ!
 その直後、先頭を走っていた魔物の体が上下に分かれた。首の下あたりから横に刃を入れられたかのように、鮮やかに体が二つになった。それを皮切りに隣の魔物も、後続も、次から次へと同じように斬られていく。さらには近くに生えていた木々さえ、切られたところから上の部分がバランスを失って倒れていった。
「な、な、な……!」
 視界を埋め尽くす魔物の死骸。響き続ける断末魔と倒木の音。立ち込める血の匂い。一瞬にして変わった世界に、頭の処理が追いつかない。できたことと言えば精々、吐き気を抑えることくらいだ。そして世界を変えた張本人は、終始その場から一歩も動かなかった。
 やがて、音が止んだ。前を走っていた魔物の死体も空気に溶けるように消えようとしている。命を失った魔物が見せる消滅現象というやつだろう。魔力が濃く含まれている箇所は残ると本に書いてあったけれど、この魔物は角がそれだったらしい。そんなことを観察していると、ヘツェトさんはようやく腕を下ろした。
「ふう、とりあえずはこんなものかな。どうだった? 僕の魔法」
「……大口を叩くだけはあるな」
 俺の口を借りたレイズが、素直な賞賛の言葉を吐く。その頭に、ぽんと手が乗る。
「ふふ、認めてくれたようで嬉しいよ。ああそれと、突然肩を押さえたりなんかして悪かったね。ちょっとした自己紹介というか、僕には少なくともこれくらいの実力があるんだってことを教えておきたかったんだ。気に障ったら謝るよ」
「我に対しては不要だ。が、幼いリンドに対しては、少々刺激が強すぎるもののように思えたがな」
「そうだね。無意識的にか、君から体の支配権を奪い取っちゃったくらいだから。彼には後で謝っておくよ」
「我の演技とは思わないのだな」
「若干だけど、魔力の感じが変わったからね。こうして触れられるほど近くに居さえすれば、嘘をついたって見破れるよ」
 笑顔で見下ろすヘツェトさんから、助けてもらったことによる安堵と、それを軽く上回る、言いようのない底知れなさを感じる。どうやらさっきの自己紹介には、俺の意識がちゃんと残っていることを確認する意味もあったみたいだ。
 ……これは、現状じゃ到底敵いそうにないな。どうにか敵対せずに付き合っていくしかなさそうだ。
「さて、いい感じに魔物の消滅も進んできているし、結晶の回収作業をするとしようか。あ、結晶って言うのは魔物の角のことね。魔物によって結晶化する箇所は違うんだけど、そこには魔力が多く含まれているから、放置しちゃうと色々と面倒なことになるんだ」
 そう言ってヘツェトさんは背負っていた籠を地面に下ろす。
「さ、頑張って集めてね。念のため僕もついていくけど、拾うのはアルファに任せるよ」
「何故だ?」
「そりゃあ体が小さいほうが拾いやすいだろう? それに僕は念のため周囲を警戒していないといけないからね。役割分担ってやつさ」
「………………」
 何か反論しようとしたのか、レイズは口を半開きにすると、
(リンドよ、お主に任せた)
(え?)
「わっ」
 突然俺に体を明け渡した。僅かに崩れたバランスを取ろうと、小さくその場で足踏みをする羽目になる。
「あ、もしかしてリンド君かい? さっきは怖い目に合わせちゃってごめんね! この通り謝るから、どうか許してくれないかな?」
 レイズに一言言ってやろうとする俺の目の前で、ヘツェトさんは両手を合わせて頭を下げた状態から、顔だけ上げて苦笑いを浮かべた。これもヘツェトさんの作戦なのだろうか。さっきとはまるで違う姿に毒気を抜かれた俺は、文句を言うのも忘れ、戸惑いつつも言葉を返す。
「えっと、はい、へいきですから、あたまをあげてください……」
「本当かい!? ありがとう! いやぁ、本当に良くできた子だなぁ。これもアルファの教育の成果なのかな?」
「まあ、そう、ですね。はい」
(ほほう、殊勝な心掛けだな)
(茶化すなよ。少しでもレイズへの心証を良くさせようとしてるだけだ)
「やっぱりそうか。ふむ、これを教育とみるか調教とみるかは判断しかねるけど、まあ失礼な態度をとるよりかはよっぽどいいよね。これからよろしくね、リンド君!」
「は、はい。よろしくおねがいします」
 お互いに頭を下げ合ってから、角拾いを始める。ヘツェトさんはさっきの言葉通り、俺の近くについてきはするものの、角を拾おうとは一切しなかった。
(カーネルよ、このヘツェトという男、どう思う?)
 作業中、レイズが心中で話しかけてくる。流石にヘツェトさんも俺たちの心の中までは読めないのか、特に何の反応も見せなかった。
(……少なくとも悪人ってわけじゃなさそうだけど、考えが読みにくくて油断できない相手って感じかな)
(そうだな。契約していることを隠す必要は無くなったが、アリーと共にいる時よりも気は休まらなさそうだ)
(だよなぁ。かと言って施設に収容となったら身バレの危険性も高まるだろうし、暫くは大人しくしているのが正解かな?)
(うむ。仕方あるまいが、それが良いだろうな)
 籠に角を入れて振り返ったところで、にこにこと笑うヘツェトさんと目が合う。この人の養子、か。はてさてどうなることやら……。
 先の見えない不安を抱きつつも、新たなステージへと進む予感に、小さな、けれど確かな期待を抱いている自分がいた。
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