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二歳児編

レイズ式メソッド

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 レイズから魔法を習い始めてから、さらに一ヶ月が過ぎた。ちなみに五月はの月と呼ばれている。
 月を跨いだ三十日間みっちり学んだ俺は、今ではすっかり初級魔法をマスターし、肉体強化魔法を使って畑仕事も朝飯前!
「はぁ、ひぃ……」
「ほらリンド、もっと気張りな!」
 なんてことはなく、今でも体一つで一日の仕事をこなしている。
 レイズ曰く、肉体強化魔法はそれほど難しい魔法じゃないそうで、本来一ヶ月もあればレイズの補助付きで扱える程度にはマスターできているはずだった。
 だというのに未だ使えないのは何故か?
 その原因は俺にある。そこについては疑いようがなかった。
「よし、よくやった! 近頃は大分お前も慣れてきたねえ」
「……はい……」
 最近は水運びにも慣れてきて、最後までやり通せることが増えてきた。褒められて嬉しい気持ちもあるけれど、圧倒的に疲労感が勝っている。すぐにでも休みたい俺は用意された夕ご飯をすぐに、けれども味わって平らげると、真っすぐに寝床へと向かった。
(さあ、今夜もやるぞ)
(……ああ……)
 そして一日の最後の日課、壮絶な眠気との戦いが幕を開ける。
(カーネル、もう一度魔力を集中させろ)
(ああ……)
 レイズの指示に従い、体の中で力が流れるイメージをする。しかし目を閉じて何度も同じことを繰り返しているうちに、意識は段々と眠りに落ちていった。頬の内側を噛む力も抜け、魔力の流れなんて全く頭に入ってこない。
(カーネル、集中が乱れているぞ)
(ああ……)
 えーっと、右手に魔力を……。
 ………………。
「ほらリンド、朝だよ!」
「はっ!」
 気がついたら翌日になっていた。いつ目を閉じたか、いつ意識を失ったのかさえ分からぬまま一日が始まる。
 そう、これこそが魔法の習得が遅れている最大の原因だ。今日こそは途中で寝落ちするものかと思っていたのに、結局この有様である。こんなことでは予定通りことが進むはずもなかった。
 わざわざレイズが教えてくれている間に寝落ちする俺が悪いというのは理解している。申し訳なくも思っている。
 思っては、いるのだが……。
(カーネル、このところ集中力が欠けているのではないか?)
(いや仕方ないだろ!)
 水を汲みに山に向かう道中、一ヶ月近く試行錯誤した結果をレイズに告げる。
(やっぱり無理があったんだって! そりゃ最初は魔法を学べると思ってわくわくはしたよ? けど一刻も早く寝たい状態で集中力を維持するなんてまずできるもんじゃないって!)
(肉体の疲れに精神が引っ張られるのは我も理解しているが、日中の活動で頭を酷使しているわけではあるまい。起きようと思っていれば起きていられるはずだ)
(前にもそう言われて色々試してみたけど、結果は知っての通りだ。魔法は魅力的だけど、習得は今じゃなくてもいいんじゃないか?)
(何を言う。一生というものは今の連続だ。今やれることを今やらないでいれば、この先の『今』でもやれないままだぞ)
(名言っぽい!)
 しかしどんな名言も所詮はただの言葉だ。反論なんていくらでもできる。
(できることを先送りにすべきじゃないっていう意見には全面的に賛同するよ。それを踏まえて、非効率的な魔法の習得よりも、確実に休息をとることを選択すべきだって言ってるんだ)
 睡眠をとるという行為も『今』にしかできないことだ。眠りに入るのが遅くなるだけでできなくなるわけじゃないけれど、そのツケはいつか必ず返ってくる。疲れを先送りにするくらいなら、魔法の習得を先送りにした方がマシだ。
 若いうちは体が資本だ。この世界の医療環境がどれだけのものかは知らないけれど、俺自身暫く昏睡していた経験もあるし、魔法一つでどんな病気も完治! なんて都合のいいものじゃないのは確かだろう。もう二度とあんなことにならないためにも、ただでさえ過酷な労働環境に置かれているこの健康体はどうにかして維持しなければ!
(非効率的とは言うが、一度魔法を覚えさえすれば体力だけでなく魔力も使えるようになるのだぞ? 体力しか能動的に使えない現状の方が余程非効率的だと思うが)
(どうあがいても起きていられないほどの疲労を十分に解消しないまま次の日を迎えたら、魔力は勿論体力も十分に発揮できないだろ。そんな状態を続けることこそ非効率の極みだ。とにかく魔法の習得は少し待ってくれ)
(では訊くが、いつなら魔法の習得が可能だと考えているのだ?)
(え? そりゃあまあ……この仕事に慣れてきて、あまり疲れを残さずに一日を終えられるようになれたら、かな?)
(考えが浅いぞ、カーネル。仕事に慣れてきた頃には、より難しい仕事を頼まれるに決まっておるではないか。疲れを残さずに一日を終えるなど、少なくとも十年は先の話だろうな)
(う……)
 それはそうだ。簡単な仕事がこなせるようになってくれば、要求される仕事量は増えて当然だろう。
(それに、我とて鬼ではない。翌日の仕事に差し支えるほどお主に負担を強いることなどせぬさ。我の見立てでは、床に入ってから三十分ほどなら起きていても問題ないはずだ)
(どんな見立てだよ)
(一年以上お主の体に宿らせてもらっておるのだ。その程度の判断はできる)
 すごいな、そんなことも分かるのか。まあこうして心の中で会話ができるくらいだしなぁ。
(けどどうあがいても意識が落ちるってことは、頭がもう限界だって判断しているってことじゃないか?)
(体に痛みがあるからといって、お主は畑仕事を途中で投げ出すのか? それと似た話で、何としてでも起きようという気持ちがあれば、そう易々と睡魔に負けたりなどせん。事実、始めた頃は仕事をやり遂げられるようになったばかりだというのに、今よりも長く起きていられたではないか)
 うぐ! 痛いところを……。
(あ、あの時は、もっとこう、魔法に対して憧れがあったというか、単純作業の繰り返しをやらされるとは思わなかったというか……)
(うむ、つまりはそういうことだ。お主は起きようと努力をしていたのだろうが、心のどこかで魔法の習得をつまらぬものと感じていたのだろう。その隙を突かれ、毎夜睡魔に敗北していたというわけだ)
(………………)
 そんなことないと反論しそうになるも、レイズの言葉が正しいと認めてしまっている自分がいた。手応えを感じられず、一日の疲れも相まって、今できなくてもしょうがないって気持ちが湧いたことも、確かにあった。
(とは言え、お主の気持ちも分かる。どんなに才能があろうと、二歳児が魔法を使うなどということはまず不可能なことだ。四歳児並の働きをした後にしか時間が取れないとなれば尚更な。しかしお主は普通ではない。その知性は勿論、境遇もな。今でこそ命の危機に晒されることなく日々を過ごせてはいるが、いつまた昨年のような状況に陥るとも分からん。もしそうなってしまった時、また自己犠牲のような選択をせずとも済むためにも、前例のない早さで魔法を習得してほしいのだ)
(……そう、だな……)
 魔王になるのはごめんだけど、いつか両親に元気な姿を見せるためにも、安全が確保されている今のうちに魔法を習得すべきというのはその通りだ。今夜からまた、より一層気を引き締めて睡魔との戦いに臨まなければ。
(うむ、理解してくれたようで何よりだ。これで我も心置きなく魔法を教えられる)
(ああ。悪いけど、これからもよろしく頼む。もし寝落ちしそうになったら、叩き起こしてくれて構わないから)
(ほう。叩き起こしても構わないのか。それは良いことを聞いた)
 意気込んだからこその言葉だったけれど、レイズの反応に一抹の不安を覚える。
(あの、叩き起こすと言ってもあれだぞ? 本当に叩くとかじゃなくてな?)
(分かっておる分かっておる。我に任せておけ)
 本当に分かっているんだろうか……。早くも先程の発言を撤回したくなるも、丁度川に着いたこともあって、それ以降は仕事に集中することにした。
 そして、夜。
「はぁっ!?」
 いつの間にか眠っていたらしい俺は、素っ頓狂な声を上げて目を覚ました。
(よし、続きを始めるぞ)
(待てレイズ! 今のは何だ!?)
 起きる直前、あろうことか俺は、前世の夢を見ていた。それも授業中眠ってしまった俺を教師が指摘し赤っ恥をかくという内容の悪夢だ。まさかレイズが見せたものなのか!?
(まあ夢に近い幻といったところか。お主の記憶を刺激し、睡眠にまつわる失敗を想像させたのだ。これから途中で意識を失うたびに今のことを繰り返すぞ)
(悪魔か!)
(なぁに、安心しろ。あくまで想像であるし、そこまでひどい内容にはならぬ……はずだ)
(はずって!? レイズにも分からないのか!?)
(ええい、ごちゃごちゃうるさい。それが嫌なら眠らなければ良いだけの話だ。さあ、続きを始めるぞ!)
(いっそ物理でいいから精神衛生に悪くない方法で目覚めさせてくれ!)
 その日から俺は、眠るのが少し怖くなった。
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