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一歳児編

お世話役との日常

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「カーネルさま、おいかけっこしよ!」
「おいかけっこはさっきもした。いまは本をよんでるの」
「そのほんだって、このまえもよんでたでしょ!」
「それを言うなら、きのうもおいかけっこしてた」
 またか……。本に書かれた文字に目を通しながら、俺は心中で溜め息をつく。
 この子たちがお世話役になった翌日から、俺の身柄は実家から郊外にある屋敷に移されることになった。これから当分の間はそこで過ごし、家庭教師などを招いて英才教育を受けるのだという。勿論、お世話役の三人も一緒だ。あまりの手際の良さに、俺にお世話役がつくことは最早決定事項だったのかと疑った。
 脚が六本ある馬に引かれた馬車の中で、ウィンさんにされた説明をそんな思いで聞いた俺は、ふと窓の外を眺めた。それは丁度目的地についた頃で、敷地を囲む長大な塀が見えた。俺たちを守るためのものなのだろうが、俺にとっては刑務所のそれにしか見えなかった。
 そしてその次の日から、新しい環境に慣れる間もなく新生活が始まったわけだが、当然の帰結として、俺の周りはとても賑やかになった。
 それについてはある程度覚悟をしていたからまあいいのだが、困るのはこういう風に、喧嘩に発展しそうになることだ。騒がしいのはともかく、険悪な雰囲気にされると息苦しくなる。
 誰がお世話役になるか決められるって時にはあんなに協力しあっていたのに、三人に決まったあとは、自分が一番だと認めてほしいのか、他の二人を出し抜こうと躍起になっているように見える。子どもらしいと言えば子どもらしいけど、一番になりたいならお世話をする相手に居心地の悪い思いをさせないでほしい。
「ただいまもどりましたわ、カーネルさま!」
 二人が火花を散らしているところに、別の部屋で家庭教師から授業を受けていたメアリーが帰ってきた。これで少しでも状況が好転すればいいんだが……。
「さあカーネルさま、わたくしといっしょにゲームをしましょう」
「ダメだよ。カーネルさまはあたしとおいかけっこするんだから」
「だから、いまは本をよんでるって言ってるでしょ」
 俺の願いは届かず、状況は悪化の一途を辿る。俺は今日何度目かも知れない溜め息をついた。新生活初日でこれじゃ、先が思いやられるな……。
「カーネルさまはだいまおうさまになるんだよ? だったらたくさんうんどーしてつよくならないと!」
「つよくなるためには、あたまもよくなくちゃいけない。ちからだけじゃダメ」
「おとうさまは、ゲームをすればたたかいがうまくなるっていってましたわ!」
 三人とも一歩も引かず、自分の意見を曲げようとしない。俺の意見を聞こうという考えもなさそうだ。
 彼女らの持つ理想の大魔王像に近づかせるために、俺が嫌がることでもやらせなくてはと、幼いながらもお世話役を拝命した三人が心を鬼にして、主のことを第一に考えた末の行動だと考えれば……うん、無理があるな。
 少しでもこの状況を好意的に捉えようとするも、なかなかうまくいかない。いや、俺のことを考えてくれてはいるんだろうけどな。ただその思いが強すぎるせいか、自分が絶対に正しいって信じ込んでいて、思考に柔軟性がなくなってる。それじゃあただの押しつけだ。相手を思ってるのなら、ちゃんと他人の言い分も聞かないといけない。
 勿論、五歳児にそこまで求められるわけもない。寧ろ五歳児にしては三人ともかなり頑張ってるんじゃないだろうか。お世話役を強く望んだだけはあるということか。
 そうだ、三人とも良く頑張ってるんだ。だからこの口喧嘩一歩手前な状況だって、仕方のないことなんだ……。
(カーネルよ、こやつらの喧しい口を止められぬか? いい加減飽き飽きしてきたぞ)
(どの口が言ってるんだよ)
 一人でも騒々しいレイズが、自分のことを棚に上げてそんなことを言い出す。
(我の偉大な功績と幼子の下らぬ口論を同列に扱うな)
(聞き手の気持ちにお構い無しって意味じゃ同じだよ)
(何を言う。これでも最近はお主に気を遣って抑えておるのだぞ)
(ああ、確かに最近はマシになったかもな)
 思い返してみると、時折は止まるようになった気がする。それはそれで気になるけど。そう言えば拷問とかも、その状況に慣れさせないよう変化を加えた方が効果的って何かで言ってたような。
(む、なにか失礼な例え方をされている気がするぞ)
(気のせいだろ。話を戻すけど、この三人を俺が止めることはできないから、我慢してくれ)
 説得が上手くいかない可能性があるというのもそうだが、いつ誰が見ているかも分からない状況で、この姿の俺が三人の五歳児を説得しようとする行動自体、リスクが高すぎる。ただでさえ一歳児離れした行動を多く見られているんだ。これ以上目立ったら頭脳が大人だとバレてしまう。それだけはなんとしても避けたい。
(そうだ、それなら今こそレイズの偉大な功績を語ってくれよ。お互いに気を紛らわすことができるだろ)
(おお、確かにな。では心して聞くがいい。あれは我が地方に視察で出向いていた時――)
「もう! おせわのじゃましないでよ!」
「じゃましてるのはそっち。あとで言いつけるから」
「ふたりともまちがっていますわ! つぎはわたくしのばんですのよ!」
「じゅんばんなんてかんけーないよ!そんなおあそび、ひつよーないもん!」
「メアリーはいいね。あそぶことがゆるされるいえに生まれて」
「なっ! わ、わたくしは……!」
「ナイトブルム、だっけ? そんななまえきいたことないし、どーせたいしたことないいえなんでしょ。そんなんじゃカーネルさまのおせわなんて――」
「あねんさ!」
 突然の俺の声に、三人が驚いたように俺を見た。俺は少し間を空けてから、ヴァネッサに顔を向ける。
「あねんさ、ダメ」
「あ、あたし? だって……」
「ダメ」
「……あぅ……」
 ヴァネッサは何か言いたげだったが、自分が間違っていたと思えたのか、やがて小さく頭を下げた。
「……ごめんなさい、カーネルさま」
「ちがう」
「………………」
 俺の意図を察したヴァネッサはばつが悪そうな表情をしながらも、改めてメアリーに頭を下げる。
「ごめん、なさい……」
「ふ、ふふん! それであやまってるつもりですの? もっとせいいをこめて――!」
「めあり、ダメ」
 今度はメアリーの番だった。俺に庇われたことで自分が正しいという思いをますます強めたのだろう。仕返ししたくなる気持ちは分かるけど、それじゃあさっきのヴァネッサと同じだ。
「か、カーネルさま……?」
「ダメ」
「……ごめんなさい、ですわ……」
 メアリーもヴァネッサに対して頭を下げた。俺は手を伸ばして二人の頭を撫でる。
「……やっぱり、カーネルさまはすごい」
「えりぜ」
「は、はい!」
 自分も怒られると思ったのか、エリーゼの声が上擦った。そんな彼女に対し、俺はメアリーが持ってきたボードゲームを指差して見せる。
「あそぼ」
「え?」
「あそぼ」
「……分かった」
 さっきは否定的だったけど、この流れで俺の希望を断るという選択はとれなかったのか、エリーゼは不承不承という感じでゲームの用意を始めた。
 それは前にメアリーとやったものとは違うゲームで、レイズから聞く限り、将棋やチェスのようなものみたいだ。
 運要素も非公開情報もない、実力だけがものをいうそのゲームにおいて、俺はエリーゼに十連勝してみせた。
「………………」
 エリーゼは勝敗の決した盤上の駒を無言で見つめる。その表情からは悔しさや諦めが滲み出ているようだった。
 最初は乗り気じゃなかったエリーゼも、二連敗してからは火がついたのか、負ける度にもう一度とせがんでくるようになった。おかげで三回で終わらすつもりが十回もする羽目になったけど、遊びの奥深さを知ってもらえたみたいだし、結果オーライだ。
「またかった……」
「これが、てんさいですの……?」
 試合中静かだった二人も、信じがたい現実を確認するかのように呟く。彼女らも、エリーゼが負けても騒ぎ立てたりしなかったし、とりあえずはこれで、ギスギスした空気は収まったようだ。俺は小さく息をつく。
(三人を止めることはできぬのではなかったのか?)
(そのはずだったんだけどな)
 つい口を出してしまった。あとはもう、毒を食えば皿までというか、破れかぶれだ。最悪更に状況が悪くなる可能性もあったけど、そこは三人とも素直で助かった。
(……十連勝は言い訳できないよな……)
 しかしこれで、俺は益々注目を浴びることになるだろう。どうせ前のゲームも見られてただろうし、なんて考えでやってみたけど、蓋を開けてみたらそれこそ将棋やチェスのように、かなり奥が深いゲームだった。子ども向けに単純化されたものならともかく、大人でも十分やりごたえのあるこのゲームでの十戦十勝は、まぐれとして見られることはあるまい。
(相手も幼子なのだし、大した騒ぎにはならぬさ。寧ろホラ話として扱われるやもしれぬぞ? ルールも理解できない一歳児が勝てるわけがないとな)
(……それはそれでなんか嫌だな。この子たちがウソつきみたいに扱われるなんて)
(くく、この期に及んで他人の心配をするとはな。そんな考えでは、大魔王の地位からは逃れられぬぞ?)
(逃れてやるさ)
 とその時、部屋の扉が開き、笑顔のガイアさんが入ってくる。
「騒ぎは落ち着いたようですな。いやはや、カーネル殿には恐れ入った」
 やはり別の部屋から覗いていたらしい。まあ考えてみれば、何かあったとき五歳児三人じゃどうしようもできないのだし、当然と言えば当然か。
「しかしお世話役同士で喧嘩をするとは……。これは今からでも考え直した方が良いか?」
「あ、あたし、これからはなかよくします!」
「もう、けんか、しません……!」
「おねがいですわ! もういちどチャンスを!」
 考える仕草をするガイアさんに、三人が必死に声を出す。それを見たガイアさんが僅かに口角を上げたのを、俺は見逃さなかった。
「ふむ、まあまだ初日ではあるし、今回は不問にしよう。今後は気をつけるように」
「は、はい!」
「ありがとうございます!」
「にどとしませんわ!」
 真面目な顔でそう言うガイアさんに、三人は力強く返事をした。
「よろしい。カーネル殿、これからはこの子らも真面目になるようなので、どうか許してあげてください」
「がいあ、ダメ」
 俺に微笑みかけてくるガイアさんに対して、俺はそっぽを向いて答えた。
「おや、何か私に、お気に召さぬところでもありましたかな」
「がいあ、ダメ」
 とぼけるように言うガイアさんにもう一度不満を口にすると、俺は三人のいる方へと向かった。
「おいかけっこ、しよ」
「う、うん!」
「なら、わたしもさんかする」
「わたくしもですわ!」
 そして子どもだけで遊び始めると、ガイアさんは静かに部屋を出ていった。
 その後は特に大きな問題も起きず、新生活初日が終わった。
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