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一歳児編

お世話役候補の女の子、一人目

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「カーネルさま、こっちこっち!」
 少し耳が尖っている赤い短髪の女の子が、スカート姿のまま子供部屋の中を走り出す。活発な子だなぁと思いつつ、俺はハイハイでその後を追いかけた。一応もう歩けはするものの、まだバランス感覚がうまく掴めないのと、一歳児にして完璧に歩けるようになって周りから持て囃されるのが困るという理由から、必要以上に歩きはしないことにしていた。
 前に一度、ウィンさんに歩く姿を見せたらとても驚かれたんだよな。すぐにわざと転んだけど、それでも嬉しそうだったし。果たしてあれは子供の成長を喜んだのか、一歳児にしては早すぎる成長に驚いたのか、どちらだったんだろう?
(前者だろうな。程度の差こそあれ、一歳児ともなれば立ち上がることくらいはできる。歩くのはまだ難しいだろうが)
(そうなのか。ありがとう)
 ようやく武勇伝を出し尽くしたのか、近頃は色々と教えてくれるレイズに感謝する。歩行能力の成長に関しては、魔族は前世の人間と同じくらいみたいだ。
(言葉はどれくらいで覚えるんだ?)
(単純な模倣程度なら、今のお主くらいの年の子でも可能だ。それ以上は学習環境に左右されるが、五歳にもなれば、日常生活を送る分には問題なくなる)
(そうか……)
 ハイハイで追いつくと、笑顔を振り撒く女の子を見上げた。確か、ヴァネッサだっけ? この子は五歳のはずだから、言葉には不自由しないみたいだ。
「はい、よくできました! いいこだねー。じゃあつぎ! あたしのなまえをよんでみて! ヴァ・ネ・ッ・サって!」
 発音難度高いな。一応言えなくはないけど、それっぽく崩すか。
「あ、ね、ん、さ」
「そう! カーネルさまのおせわやくになるの! いってみて、お・せ・わ・や・く!」
「お、せ、わ、や、く」
「そうそう! じゃあそれをつづけて、ヴァ・ネ・ッ・サ・は・お・せ・わ・や・く! はい!」
「あ、ね、ん、さ、は、お、せ、わ、や、く」
「すごい! とってもいいこだね! こんどおとうさんのまえでもちゃんというんだよ!」
 ヴァネッサは相当嬉しかったようで、俺の頭をしきりに撫でてくる。いや、ちょっと手荒いんだが……。
(ふふ、苦労が絶えないな、次期大魔王殿?)
(茶化さないでくれ)
(しかし良いのか? この娘の言われるがままで)
(大貴族の娘みたいだし、下手に機嫌を損なっても面倒だからな)
 ヴァネッサはかなり強い力を持つ貴族の娘さんだそうで、この子と会うとき、ウィンさんもかなり緊張していたみたいだった。その時この子の父親にも会ったけど、あまり家にいない父さんと同じような、仕事ができるって感じの人だった。仕事があるとかで、すぐに帰っちゃったけど。
 とにかく、そんな大事な子に何かあったら両親に迷惑をかける。それは俺の望むところではない。
(それに、子供の相手をするのは嫌いじゃないし)
 思っていることをちゃんと言葉にしてくれる分、非の打ち所がないベテラン執事なんかを相手にするよりよっぽど気楽だ。会ったことないけど。
(ふふ、これではどちらが世話をしているのか分からぬな)
(世話をしているつもりはないけどな)
 気分としては、ゲームのイベントシーンを体験しているようなものだ。いつもとは違う状況で、ここでの行動が今後に影響するかもしれない重要な出来事が、今まさに俺の周りで起きている。うん、そう考えると悪くない。
「ふふふ、これでおとうさんもほめてくれるわ。おにいちゃんたちよりもできがいいって」
 お、情報が舞い込んできたぞ!
「お、に、ちゃん?」
 たどたどしく繰り返す俺に、ヴァネッサは笑顔で頷く。
「そう! あたしにはおにいちゃんがさんにんいるんだ! おにいちゃんたちはすごいんだよ? すっごくおおきなほのおをだせるの!」
 おお、炎! ゲームにおける魔法の定番と言ってもいいだろう。絵本の中で見たことはあったけど、やっぱり実際にあるんだなぁ。
「でも、あたしはまだ、ちいさいほのおもだせないの。おにいちゃんたちは、あたしくらいのとしにはもう、ほのおをだせてたっていうのに……」
 ヴァネッサはため息をついて、その場に腰を下ろす。出来のいい家族と自分を比べてしまっているみたいだ。
 その気持ち、よく分かる! 俺はゆっくりと立ち上がると、どうにか手を伸ばして、ヴァネッサの肩を撫でた。
「だい、じょぶ」
「なぐさめてくれてるの? ありがとう」
 ヴァネッサは小さく笑った。
「でもいいんだ。あたしなんてどうせ、すえっこだし、おちこぼれだから。おにいちゃんたちには、いっしょーかてないから」
 むむ、明るい子だと思ってたけど、内心では自分に自信を持ててないみたいだ。
(全く、まだ五歳だというのに、諦めが早すぎるな)
(まあ本人にとっちゃ、今まで生きてきた五年間が人生の全てだからな。どうしても勝てないって一度思い込んじゃうと、なかなかそこから抜け出せないんだ)
(ほほう、経験者が言うと重みがあるな)
(……レイズには過去も筒抜けになるのか)
(お主が意識しているものならな。……なんと、そんなことをしでかしたのか)
 うわぁあ! 記憶の中に眠っていた黒歴史を意識しちゃったぁあ!
(と、とにかく、ここは心の年長者としてこの子に教えてあげないとな。先は長いんだから、諦めるのは早いって)
(うむ。しかしどうする? 普通の一歳児が五歳児を説得するなどできはしまい)
(そうだなぁ……。あっ!)
 俺はハイハイで、部屋のすみにある本棚まで移動する。本棚といっても一段だけの小さなもので、ウィンさんが読んでくれた絵本が収められている。俺はその中から目当ての一冊を引っ張り出すと、ヴァネッサを呼んだ。
「あねんさ!」
「ほんがよみたいの?」
 ヴァネッサがやってくる。俺はこくこくと頷きながら、本の表紙を指差した。
「うん、いいよ。えっとね、『よわむしまおうさま』」

 むかしむかし、よわむしなまおうさまがいました。
 よわむしなまおうさまはよわむしなので、ぼうけんしゃがやってきても、たたかわないで、にげたりかくれたりしていました。
 わたしはずっとよわむしなままなんだ。よわむしまおうさまはそうおもっていました。
 あるひ、よわむしまおうさまのもとに、ひとりのゆうしゃがやってきました。
 ゆうしゃはにげるまおうさまをおいかけました。
 ゆうしゃはかくれるまおうさまをみつけました。
 とうとうおいつめられたまおうさまは、どうにかゆうしゃをおどろかせようと、まほうをつかいしました。
 そのまほうは、つかったまおうさまもおどろくくらいおおきなまほうでした。
 それをみたゆうしゃは、おどろいていいました
 どうしてかくれたりしたの? こんなにすごいまほうがつかえるのに。
 よわむしまおうさまはこたえました。
 わたしはよわむしだから。
 ゆうしゃはくびをよこにふりました。
 よわむしのままでいるなんてもったいないよ。ぼくがなおしてあげる。
 そういってゆうしゃは、まおうさまにおまじないをおしえました。
 りょうてをあわせて、しんこきゅうするんだ。そうすれば、こわいきもちがどっかいっちゃうんだ。
 まおうさまはさっそくためしてみました。するとふしぎなことに、こわいきもちがなくなっていきました。
 よわむしじゃなくなったまおうさまは、おおきなまほうをつかって、ぼうけんしゃたちをおいはらいました。
 やがてまおうさまは、どんなぼうけんしゃもおいはらえる、とてもつよいまおうさまになりましたとさ。
 めでたしめでたし。

 ヴァネッサが読み終わると、俺は拙い拍手をした。
「おもしろかった?」
 俺はこくこくと頷く。
「よかった! あたしもおもしろかったなぁ。これ、はじめてよんだ」
 ヴァネッサが本の表紙に目を移すと、ため息をついた。
「あーあ、あたしもすごいまほうがつかえたらなぁ」
 うーん、このまおうさまと自分を重ねてくれればと思ったけど、流石にそう上手くはいかないか。
(失敗か?)
(かもな。けどこの話が初めて読んだものなら、少しは気持ちが変わるきっかけになるかもしれない)
(ふむ、そういうものか?)
(多分な)
 かくいう俺も、物語に触れて気持ちが楽になったんだ。あのRPGも名作だったなぁ。何度も周回したのはいい思い出だ。この世界じゃもうできないけど、今でも鮮明に思い出せる。そういう記憶が一つでもあれば、きっとそれが心の支えになってくれるはずだ。
(さて、次はどの本を読んでもらおうかな)
(……お主、まさか自分が本を読んでもらいたいだけではないだろうな?)
(はは、まさかぁ)
 これはヴァネッサの気持ちを少しでも軽くするためだ。一人じゃページをめくるのが面倒だからとか、そんな理由では断じてない。
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