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夢の果て
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7月21日、金曜日の昼、上杉ノボルは、鈴木ユミに告白をしていた。
「俺、ずっとユミちゃんのことが好きだったんだ」
ユミは、驚いて少しの間、身体を硬直させた後、恥ずかしそうに視線を逸らした。気まずい沈黙が流れ、張り詰めた空気が満ちていく。
「私も、ノボル君のこと、前から……好きだった」
やった。やった。ノボルは、その名の通り、天にも昇る気持ちであった。
「ユミちゃん! ありがとう!」
「ありがとうって言うのも、何か変だよ。えへへ」
「大人になったら、結婚しようね」
「うん。おっきなお家に住もうね」
ノボル、小学3年生の、夏休み直前のできごとであった。
ノボルは、幼馴染であるユミと結婚することが、小さい頃からの夢だった。いつから、その夢を描き始めたのかは、覚えていない。物心ついた頃には、その夢が、確かに心の中に存在していた。
そして、夢は他にも有った。歌手になりたい。
夢の実現のため、ノボルは努力を惜しまなかった。小さな頃から、ボイストレーニングに通い、ピアノを習い、音楽理論を学び、歌手としての下地を築いた。
ノボルは、面白いように知識、技術を習得した。そのスピードは、他の誰よりも速かった。ノボルは、自分が優秀であることを自覚した。他の人間には申し訳ないが、努力の量が同じであれば、自分が勝ってしまうのだ。それであるならば、他の誰よりも努力すれば、必ず夢は叶うはずである。そう、ノボルは確信した。
この才能を存分に発揮し、ユミのハートも射止めたのである。
ノボル、18歳の秋。とあるオーディションに参加し、見事グランプリを勝ち取り、歌手としての道を歩み始めた。
小さい頃から積み重ねてきた、盤石の基礎に支えられ、ノボルはたちまち大人気となった。
「史上最高の歌手」「千年に一度の逸材」「神の歌声」
メディアは、様々な言葉でノボルを讃えた。
ノボルは、天にも昇る気持ちを味わい続けていた。努力が実った。夢が叶った。自分の歌は、他の誰の歌よりも素晴らしい。
家では、美しく成長したユミが、全霊でノボルを愛してくれる。
「私、ノボルのお嫁さんになれて、本当に幸せ」
そう言って、抱きついてくるユミを、ノボルは抱き返し、至福を感じていた。自分は、勝ったのだ。小さな頃から、努力を積み重ね、勝ち取った。自分の夢を、ユミを、幸せを。こんな時間が永遠に続けば良い……。
気が付くと、ノボルは、薄汚い工場のような場所に居た。目の前では、ズタボロの白衣を来た老人が、下卑た笑いを浮かべている。
「どうだった? 夢を勝ち取った気分は」
「え……。あれ、ここは……?」
「やっぱり忘れちまったか。無理も無い。あんたは、そこのマシーンを使って、20年ばかり、文字通り、夢の人生を送っていたんだ。こっちの世界じゃ、5秒ほどだったがね」
「ああ……ああ……」
「思い出したかい? あんたは、1990年の時代から、2500年の時代に連れてこられたんだよ」
「……思い出しました」
ノボルは、自分がもう40歳過ぎであり、歌手の夢破れ、平凡なサラリーマンをしている現実を思い出した。そして、実際に1990年に生きていたことも。
「あんたらの時代の人間達が、夢を追えだの、夢を叶えろだの、繰り返した結果がこれだよ。多くの人間が、勝つことでしか、幸せを感じられなくなっちまった。夢を叶えるという行為は、大抵、席数の決まった椅子取りゲームなんだ。そこには、絶対に、敗者が生まれる。そして、勝者よりも、敗者のほうが圧倒的に多いんだ。一握りの勝者が、幸せを手に入れ、夢を追うことは素晴らしい、と声高に説く一方で、大多数の敗者が、夢の叶わなかった人生を背負って生き続ける。これが、本当に人類の幸せと呼べるかね?」
「……」
「その結果生まれたのが、このマシーンだ。このマシーンを使えば、その中の世界で、人は永遠に勝者で居られる。各個人に与えられた世界の中で、絶対的勝者として、他者を蹴散らし、夢を叶え続け、幸せで居続けられる。もう気付いてると思うが、あの世界の中に、本物の人間と呼べる存在は、あんたしか居ない。つまり、あんたが勝ち続ける一方で、実質的には敗者が居ないんだ。敗者の居ない世界、これが、人類が辿り着いた答えだよ。おかげで、地球上から人間がすっかり減っちまってね。今じゃ、数百人しか残ってないよ」
「数百人? 他の人間は、どうしたんですか?」
「勝てるかどうかも分からない、こんな現実世界で生きるより、このマシーンの世界で生きたほうが幸せだってんで、みんな、早々に、肉の身体を捨てちまったよ」
「肉の身体を捨てるとは?」
「自らの意識を電子データに変換して、このマシーンの中に移住したのさ。彼らは、このマシーンの中で、永遠に、勝利の美酒に酔いしれてるってわけだ。今こうしている間にも、200億近い人間の意識が、このマシーンの中で勝ち続けてるよ」
「肉体を捨てて、意識を電子データに? それは、生きていると言えるのですか? 私には、自殺と変わらないように聞こえます」
「あんたからすれば、そう聞こえるかも知れないな。だがね、人間の意識なんてものは、電気信号でしか無いんだ。それが有機的な脳内で発生しているか、無機的なマシーンの中で発生しているかの違いしか無い。それを、生きていると呼べるかどうかは、あんたが判断すれば良い。自殺して、永遠に続く勝利の天国に行ったと捉えてもらっても構わんよ」
「……」
「ついでにひとつ教えておくと、あんたが、あの世界で出会った人間たちは、このマシーンの中で生きている本物の人間の意識のコピーだ。いちから人間を作るよりも、既存のデータをコピーしたほうが、コンピュータの負担が小さいものでね」
「つまり、このマシーンの中で、本物のユミは生きているということですか?」
「そういうことだ」
老人が、その年齢を感じさせない、しなやかな動きで、キーボードを操作すると、モニターにユミが映し出された。モニターの中のユミは、ノボルよりも背が高く、筋肉質なサッカー選手に、全霊で愛を囁いていた。
「ああ、本物のユミちゃんは、歌手はお好みじゃなかったみたいだね」
老人は、再度、下卑た笑いを浮かべた。
「あなたは、何故、肉体を捨てずに、ここに留まっているのですか?」
「まだ分からないのかい。勝たなくたって、楽しめる生き方を知っているからだよ。そうは言っても、この人類の惨状は、見るに堪えん。なので、あんたには、過去の世界に戻って、夢を追うことは、人類の幸せにはならない、と警鐘を鳴らして欲しいんだがね」
ノボルは、試しに歌を歌ってみた。しかし、その歌声は、あの世界のそれと比べると、ぎこちなく、拙く、色褪せたものだった。自嘲と諦観が混ざった笑いを漏らした後で、ノボルは言った。
「僕の意識を、電子データに変換してください」
老人は、遠い目をしながら嘆息すると、再びキーボードの上でしなやかに指を踊らせた。
抜け殻となって足元に崩れ落ちた、ノボルの身体を見ながら、老人は独りごちた。
「ふう。また、過去の世界から、誰かさらって来ねばならんな」
「俺、ずっとユミちゃんのことが好きだったんだ」
ユミは、驚いて少しの間、身体を硬直させた後、恥ずかしそうに視線を逸らした。気まずい沈黙が流れ、張り詰めた空気が満ちていく。
「私も、ノボル君のこと、前から……好きだった」
やった。やった。ノボルは、その名の通り、天にも昇る気持ちであった。
「ユミちゃん! ありがとう!」
「ありがとうって言うのも、何か変だよ。えへへ」
「大人になったら、結婚しようね」
「うん。おっきなお家に住もうね」
ノボル、小学3年生の、夏休み直前のできごとであった。
ノボルは、幼馴染であるユミと結婚することが、小さい頃からの夢だった。いつから、その夢を描き始めたのかは、覚えていない。物心ついた頃には、その夢が、確かに心の中に存在していた。
そして、夢は他にも有った。歌手になりたい。
夢の実現のため、ノボルは努力を惜しまなかった。小さな頃から、ボイストレーニングに通い、ピアノを習い、音楽理論を学び、歌手としての下地を築いた。
ノボルは、面白いように知識、技術を習得した。そのスピードは、他の誰よりも速かった。ノボルは、自分が優秀であることを自覚した。他の人間には申し訳ないが、努力の量が同じであれば、自分が勝ってしまうのだ。それであるならば、他の誰よりも努力すれば、必ず夢は叶うはずである。そう、ノボルは確信した。
この才能を存分に発揮し、ユミのハートも射止めたのである。
ノボル、18歳の秋。とあるオーディションに参加し、見事グランプリを勝ち取り、歌手としての道を歩み始めた。
小さい頃から積み重ねてきた、盤石の基礎に支えられ、ノボルはたちまち大人気となった。
「史上最高の歌手」「千年に一度の逸材」「神の歌声」
メディアは、様々な言葉でノボルを讃えた。
ノボルは、天にも昇る気持ちを味わい続けていた。努力が実った。夢が叶った。自分の歌は、他の誰の歌よりも素晴らしい。
家では、美しく成長したユミが、全霊でノボルを愛してくれる。
「私、ノボルのお嫁さんになれて、本当に幸せ」
そう言って、抱きついてくるユミを、ノボルは抱き返し、至福を感じていた。自分は、勝ったのだ。小さな頃から、努力を積み重ね、勝ち取った。自分の夢を、ユミを、幸せを。こんな時間が永遠に続けば良い……。
気が付くと、ノボルは、薄汚い工場のような場所に居た。目の前では、ズタボロの白衣を来た老人が、下卑た笑いを浮かべている。
「どうだった? 夢を勝ち取った気分は」
「え……。あれ、ここは……?」
「やっぱり忘れちまったか。無理も無い。あんたは、そこのマシーンを使って、20年ばかり、文字通り、夢の人生を送っていたんだ。こっちの世界じゃ、5秒ほどだったがね」
「ああ……ああ……」
「思い出したかい? あんたは、1990年の時代から、2500年の時代に連れてこられたんだよ」
「……思い出しました」
ノボルは、自分がもう40歳過ぎであり、歌手の夢破れ、平凡なサラリーマンをしている現実を思い出した。そして、実際に1990年に生きていたことも。
「あんたらの時代の人間達が、夢を追えだの、夢を叶えろだの、繰り返した結果がこれだよ。多くの人間が、勝つことでしか、幸せを感じられなくなっちまった。夢を叶えるという行為は、大抵、席数の決まった椅子取りゲームなんだ。そこには、絶対に、敗者が生まれる。そして、勝者よりも、敗者のほうが圧倒的に多いんだ。一握りの勝者が、幸せを手に入れ、夢を追うことは素晴らしい、と声高に説く一方で、大多数の敗者が、夢の叶わなかった人生を背負って生き続ける。これが、本当に人類の幸せと呼べるかね?」
「……」
「その結果生まれたのが、このマシーンだ。このマシーンを使えば、その中の世界で、人は永遠に勝者で居られる。各個人に与えられた世界の中で、絶対的勝者として、他者を蹴散らし、夢を叶え続け、幸せで居続けられる。もう気付いてると思うが、あの世界の中に、本物の人間と呼べる存在は、あんたしか居ない。つまり、あんたが勝ち続ける一方で、実質的には敗者が居ないんだ。敗者の居ない世界、これが、人類が辿り着いた答えだよ。おかげで、地球上から人間がすっかり減っちまってね。今じゃ、数百人しか残ってないよ」
「数百人? 他の人間は、どうしたんですか?」
「勝てるかどうかも分からない、こんな現実世界で生きるより、このマシーンの世界で生きたほうが幸せだってんで、みんな、早々に、肉の身体を捨てちまったよ」
「肉の身体を捨てるとは?」
「自らの意識を電子データに変換して、このマシーンの中に移住したのさ。彼らは、このマシーンの中で、永遠に、勝利の美酒に酔いしれてるってわけだ。今こうしている間にも、200億近い人間の意識が、このマシーンの中で勝ち続けてるよ」
「肉体を捨てて、意識を電子データに? それは、生きていると言えるのですか? 私には、自殺と変わらないように聞こえます」
「あんたからすれば、そう聞こえるかも知れないな。だがね、人間の意識なんてものは、電気信号でしか無いんだ。それが有機的な脳内で発生しているか、無機的なマシーンの中で発生しているかの違いしか無い。それを、生きていると呼べるかどうかは、あんたが判断すれば良い。自殺して、永遠に続く勝利の天国に行ったと捉えてもらっても構わんよ」
「……」
「ついでにひとつ教えておくと、あんたが、あの世界で出会った人間たちは、このマシーンの中で生きている本物の人間の意識のコピーだ。いちから人間を作るよりも、既存のデータをコピーしたほうが、コンピュータの負担が小さいものでね」
「つまり、このマシーンの中で、本物のユミは生きているということですか?」
「そういうことだ」
老人が、その年齢を感じさせない、しなやかな動きで、キーボードを操作すると、モニターにユミが映し出された。モニターの中のユミは、ノボルよりも背が高く、筋肉質なサッカー選手に、全霊で愛を囁いていた。
「ああ、本物のユミちゃんは、歌手はお好みじゃなかったみたいだね」
老人は、再度、下卑た笑いを浮かべた。
「あなたは、何故、肉体を捨てずに、ここに留まっているのですか?」
「まだ分からないのかい。勝たなくたって、楽しめる生き方を知っているからだよ。そうは言っても、この人類の惨状は、見るに堪えん。なので、あんたには、過去の世界に戻って、夢を追うことは、人類の幸せにはならない、と警鐘を鳴らして欲しいんだがね」
ノボルは、試しに歌を歌ってみた。しかし、その歌声は、あの世界のそれと比べると、ぎこちなく、拙く、色褪せたものだった。自嘲と諦観が混ざった笑いを漏らした後で、ノボルは言った。
「僕の意識を、電子データに変換してください」
老人は、遠い目をしながら嘆息すると、再びキーボードの上でしなやかに指を踊らせた。
抜け殻となって足元に崩れ落ちた、ノボルの身体を見ながら、老人は独りごちた。
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