夢の果て

鏡水 敬尋

文字の大きさ
上 下
1 / 1

夢の果て

しおりを挟む
 7月21日、金曜日の昼、上杉ノボルは、鈴木ユミに告白をしていた。
「俺、ずっとユミちゃんのことが好きだったんだ」
 ユミは、驚いて少しの間、身体を硬直させた後、恥ずかしそうに視線を逸らした。気まずい沈黙が流れ、張り詰めた空気が満ちていく。
「私も、ノボル君のこと、前から……好きだった」
 やった。やった。ノボルは、その名の通り、天にも昇る気持ちであった。
「ユミちゃん! ありがとう!」
「ありがとうって言うのも、何か変だよ。えへへ」
「大人になったら、結婚しようね」
「うん。おっきなお家に住もうね」
 ノボル、小学3年生の、夏休み直前のできごとであった。

 ノボルは、幼馴染であるユミと結婚することが、小さい頃からの夢だった。いつから、その夢を描き始めたのかは、覚えていない。物心ついた頃には、その夢が、確かに心の中に存在していた。
 そして、夢は他にも有った。歌手になりたい。
 夢の実現のため、ノボルは努力を惜しまなかった。小さな頃から、ボイストレーニングに通い、ピアノを習い、音楽理論を学び、歌手としての下地を築いた。
 ノボルは、面白いように知識、技術を習得した。そのスピードは、他の誰よりも速かった。ノボルは、自分が優秀であることを自覚した。他の人間には申し訳ないが、努力の量が同じであれば、自分が勝ってしまうのだ。それであるならば、他の誰よりも努力すれば、必ず夢は叶うはずである。そう、ノボルは確信した。
 この才能を存分に発揮し、ユミのハートも射止めたのである。

 ノボル、18歳の秋。とあるオーディションに参加し、見事グランプリを勝ち取り、歌手としての道を歩み始めた。
 小さい頃から積み重ねてきた、盤石の基礎に支えられ、ノボルはたちまち大人気となった。
「史上最高の歌手」「千年に一度の逸材」「神の歌声」
 メディアは、様々な言葉でノボルを讃えた。
 ノボルは、天にも昇る気持ちを味わい続けていた。努力が実った。夢が叶った。自分の歌は、他の誰の歌よりも素晴らしい。
 家では、美しく成長したユミが、全霊でノボルを愛してくれる。
「私、ノボルのお嫁さんになれて、本当に幸せ」
 そう言って、抱きついてくるユミを、ノボルは抱き返し、至福を感じていた。自分は、勝ったのだ。小さな頃から、努力を積み重ね、勝ち取った。自分の夢を、ユミを、幸せを。こんな時間が永遠に続けば良い……。

 気が付くと、ノボルは、薄汚い工場のような場所に居た。目の前では、ズタボロの白衣を来た老人が、下卑た笑いを浮かべている。
「どうだった? 夢を勝ち取った気分は」
「え……。あれ、ここは……?」
「やっぱり忘れちまったか。無理も無い。あんたは、そこのマシーンを使って、20年ばかり、文字通り、夢の人生を送っていたんだ。こっちの世界じゃ、5秒ほどだったがね」
「ああ……ああ……」
「思い出したかい? あんたは、1990年の時代から、2500年の時代に連れてこられたんだよ」
「……思い出しました」
 ノボルは、自分がもう40歳過ぎであり、歌手の夢破れ、平凡なサラリーマンをしている現実を思い出した。そして、実際に1990年に生きていたことも。
「あんたらの時代の人間達が、夢を追えだの、夢を叶えろだの、繰り返した結果がこれだよ。多くの人間が、勝つことでしか、幸せを感じられなくなっちまった。夢を叶えるという行為は、大抵、席数の決まった椅子取りゲームなんだ。そこには、絶対に、敗者が生まれる。そして、勝者よりも、敗者のほうが圧倒的に多いんだ。一握りの勝者が、幸せを手に入れ、夢を追うことは素晴らしい、と声高に説く一方で、大多数の敗者が、夢の叶わなかった人生を背負って生き続ける。これが、本当に人類の幸せと呼べるかね?」
「……」
「その結果生まれたのが、このマシーンだ。このマシーンを使えば、その中の世界で、人は永遠に勝者で居られる。各個人に与えられた世界の中で、絶対的勝者として、他者を蹴散らし、夢を叶え続け、幸せで居続けられる。もう気付いてると思うが、あの世界の中に、本物の人間と呼べる存在は、あんたしか居ない。つまり、あんたが勝ち続ける一方で、実質的には敗者が居ないんだ。敗者の居ない世界、これが、人類が辿り着いた答えだよ。おかげで、地球上から人間がすっかり減っちまってね。今じゃ、数百人しか残ってないよ」
「数百人? 他の人間は、どうしたんですか?」
「勝てるかどうかも分からない、こんな現実世界で生きるより、このマシーンの世界で生きたほうが幸せだってんで、みんな、早々に、肉の身体を捨てちまったよ」
「肉の身体を捨てるとは?」
「自らの意識を電子データに変換して、このマシーンの中に移住したのさ。彼らは、このマシーンの中で、永遠に、勝利の美酒に酔いしれてるってわけだ。今こうしている間にも、200億近い人間の意識が、このマシーンの中で勝ち続けてるよ」
「肉体を捨てて、意識を電子データに? それは、生きていると言えるのですか? 私には、自殺と変わらないように聞こえます」
「あんたからすれば、そう聞こえるかも知れないな。だがね、人間の意識なんてものは、電気信号でしか無いんだ。それが有機的な脳内で発生しているか、無機的なマシーンの中で発生しているかの違いしか無い。それを、生きていると呼べるかどうかは、あんたが判断すれば良い。自殺して、永遠に続く勝利の天国に行ったと捉えてもらっても構わんよ」
「……」
「ついでにひとつ教えておくと、あんたが、あの世界で出会った人間たちは、このマシーンの中で生きている本物の人間の意識のコピーだ。いちから人間を作るよりも、既存のデータをコピーしたほうが、コンピュータの負担が小さいものでね」
「つまり、このマシーンの中で、本物のユミは生きているということですか?」
「そういうことだ」
 老人が、その年齢を感じさせない、しなやかな動きで、キーボードを操作すると、モニターにユミが映し出された。モニターの中のユミは、ノボルよりも背が高く、筋肉質なサッカー選手に、全霊で愛を囁いていた。
「ああ、本物のユミちゃんは、歌手はお好みじゃなかったみたいだね」
 老人は、再度、下卑た笑いを浮かべた。
「あなたは、何故、肉体を捨てずに、ここに留まっているのですか?」
「まだ分からないのかい。勝たなくたって、楽しめる生き方を知っているからだよ。そうは言っても、この人類の惨状は、見るに堪えん。なので、あんたには、過去の世界に戻って、夢を追うことは、人類の幸せにはならない、と警鐘を鳴らして欲しいんだがね」
 ノボルは、試しに歌を歌ってみた。しかし、その歌声は、あの世界のそれと比べると、ぎこちなく、拙く、色褪せたものだった。自嘲と諦観が混ざった笑いを漏らした後で、ノボルは言った。
「僕の意識を、電子データに変換してください」
 老人は、遠い目をしながら嘆息すると、再びキーボードの上でしなやかに指を踊らせた。
 抜け殻となって足元に崩れ落ちた、ノボルの身体を見ながら、老人は独りごちた。
「ふう。また、過去の世界から、誰かさらって来ねばならんな」
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

森茶民
2019.06.23 森茶民

感受性……ですかねェ……
乳幼児期~第一次成長期迄にウマイ具合で教育出来れば御の字ですよねェ……

さてはて、種の保存として、危機感を覚えている数百名(推測)は何をしているのか。
他の数百名は態々「有機的な脳」に留まっているらしいので、翁(仮称)の様に「無機的なマシーン」に入らなくても楽しみを見出だしているのかな?
それとも、「無機的なマシーン」に入る為には二人以上必要なのかな?

「過去に戻って」過去に戻る技術があるという事なのだろうけれど、
何故翁は過去へ行かないのか?
「1990年代の」というのが重要なのかな?その当時を直接見た事がなければならない とかの制約があるのかな?
過去が変わるとどうなるのか……?
時の流れは、
過去が変わっても、今居る未来では観測できないもう一つの独立した時が流れるのか……。
過去が変われば今が変わるのか……。

「有機的な脳」を保持している数百名は、翁と同じ事をしているのかな?
しているとして、時の流れが「過去が変わっても、未来からでは観測できない」だとしたら、
もうすでに過去を変えている者が居るかもしれませんね。

何にしても、分からない訳ですが。

何やら沢山愚文を連ねてきましたが、
「楽しい」って、探すのではなくて、
「楽しい」そう自分に暗示させて、本当に刷るのが良いのではないか?
って思うんですよね。

楽しいって良いですよね。心が跳ねます。


面白いです。
(上の暗示云々の後の「面白い」程、胡散臭いモノは無いですよね。)小声

本当に面白かったです。

解除

あなたにおすすめの小説

【完結】タイムリープするのに代償がないとでも?

白キツネ
SF
少年・山田圭は、ある日、連絡が途絶えた彼女・本間雛を助けるためにタイムリープを経験する。けれど、タイムリープできた過去は、圭が望む過去ではなかった。 圭はより理想的なタイムリープを望み、ある人物と出会う。 圭は何を犠牲にして、理想を望むのか?その理想は本当に、圭の理想なのか? カクヨムにも掲載しております。

いつかの相転移

きもとまさひこ
SF
世界が塩になっていく。変化する世界のニュースがテレビで流れる中、この街は変化しなかった……違う、すでにすべての人が塩になってしまったのだ。 私以外は。 私が住む街は、同じ日を繰り返す。私はそれを壊さないように、同じことを繰り返す。毎日、毎日。慎重に、慎重に。 ある日私は見知らぬ少年に呼びとめられた……いつもと違う? ※ 過去にpixivで掲載したものの再掲です ※ これはSFの分類だろうと考え、ジャンル変更しました。序章っぽい位置づけなので、元気があったら続きを書きたいです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

宇宙を渡る声 大地に満ちる歌

広海智
SF
九年前にUPOと呼ばれる病原体が発生し、一年間封鎖されて多くの死者を出した惑星サン・マルティン。その地表を移動する基地に勤務する二十一歳の石一信(ソク・イルシン)は、親友で同じ部隊のヴァシリとともに、精神感応科兵が赴任してくることを噂で聞く。精神感応科兵を嫌うイルシンがぼやいているところへ現れた十五歳の葛木夕(カヅラキ・ユウ)は、その精神感応科兵で、しかもサン・マルティン封鎖を生き延びた過去を持っていた。ユウが赴任してきたのは、基地に出る「幽霊」対策であった。

高校生とUFO

廣瀬純一
SF
UFOと遭遇した高校生の男女の体が入れ替わる話

ナイトメア ~希望の在りか~「事故」

透けてるブランディシュカ
SF
白銀の契約を読んでいないと分かりづらい話。(※重複投稿作品)仲仁へび

私の部屋で兄と不倫相手の女が寝ていた。

ほったげな
恋愛
私が家に帰ってきたら、私の部屋のベッドで兄と不倫相手の女が寝ていた。私は不倫の証拠を見つけ、両親と兄嫁に話すと…?!

母は姉ばかりを優先しますが肝心の姉が守ってくれて、母のコンプレックスの叔母さまが助けてくださるのですとっても幸せです。

下菊みこと
ファンタジー
産みの母に虐げられ、育ての母に愛されたお話。 親子って血の繋がりだけじゃないってお話です。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。