チハル

鏡水 敬尋

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想定外

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 おもちゃ屋の紙袋を、大事そうに抱えて歩きながら、タカシは、あの日のことを思い出していた。

 学校から帰り、家に着いた。ドアを開けて、玄関に入ると、奥から母親の声が聞こえる。
「おかえりー」
 急いでリビングに向かうと、テーブルの上に、おもちゃ屋の紙袋が置いてあった。
「タカシが欲しがってたゲーム、買っておいたわよ」
 自慢げに母親が言った。
「ありがとう!」
 タカシは、紙袋を破かんばかりの勢いで開け、中身を出した。
「あ、これファイナルバトルじゃん!」
 タカシの口調に、怒気が含まれていたのを察した母親が尋ねた?
「あれ、これじゃなかった?」
「これは、上半身裸の市長が暴れるアクションゲームでしょ。僕が欲しいのは、ファイナルクエストだよ! 勇者が魔王を倒すやつ!」
「あらー、ごめんね。お母さん間違えちゃった」
 謝られても、タカシの怒りは収まらず、わざと不貞腐れてみせた。
「なんだよ! もう!」
「お母さん、すぐ買ってくるからね」
 母親は、そう言うと、タカシが投げ出したゲームソフトと紙袋を手に通り、玄関へと向かった。
 そのまま、母親は、帰ってこなかった。

 きっと、僕があんな態度を取ったから、お母さんは焦ってたんだ。ごめんなさい。ごめんなさい。
 タカシの心には、依然として、悲しみは深く残っていた。しかし、先ほどの母親とのやり取りを思い出すと、少しだけ、後悔の念は薄れていくようだった。
 タカシは、家に帰り、リビングへと向かった。
 あの日と同じように、おもちゃ屋の紙袋を、一度、テーブルの上に置いてみた。
 まだ、お礼も言ってなかったことに気付いたタカシは、わざと、大きな声で言ってみた。
「お母さん、ありがとう!」
 紙袋を開け、中身を取り出してみたタカシは、笑ってしまった。
「これ、ファイナルバトルじゃん!」
 中身は、やっぱりファイナルバトルだった。

 二日後、昼休みを待って、チハルが、ミキに言った。
「ヒデオさんの除霊、終わったよ」
「マジで!? すげー」
 ミキが、喜びと驚きを込めて笑う。
「上手くいって良かったよ」
「さすがチハル! 噂になってるだけあるねー」
「もう、その噂のことは良いでしょ」
「いや、何か新しい噂が広がってるよ」
「え?」
「なんか、幽霊を操ってたとか、狸を恐喝してたとか。ウケる」
「え!」
「チハルは、本当に、底なしのミステリアスガールだよねー。そういうところ、私、好きだよ」
「はは、ありがとう」

 交差点で、タカシの母親の幽霊を見た。そう言って騒いでいた僕たちは、その話をしているところを、タカシ本人に聞かれてしまい、それ以降、気まずい思いをしてたんだ。
 ある日、タカシは、学校が終わると、すごい勢いで教室を飛び出した。泣きそうにも見えたけど、少しだけ嬉しそうにも見えた。お母さんが亡くなってから、あんなタカシを見たのは初めてだった。僕たちは、タカシの後を付けたんだ。
 普通じゃない雰囲気を感じて、僕たちは、公園の横の塀の隙間から、中の様子を見ていた。
 公園の中には、タカシのお母さんが居た。
 お母さんに抱きつくタカシの後ろでは、制服を着た高校生のお姉さんが、タカシのお母さんに指示を出してるように見えた。
 その後にも、色んなことが起きた。
 タカシが帰った後も、不思議なことは起き続けた。
 でも、タカシはお母さんに会えたんだ。良かった。あのお母さんが、実は狸だったなんて、今度こそタカシには言わないようにしよう。
 でも、あのお姉さんのことは、面白いから言いふらそう。

 四人の子ども達は、タカシのことを気づかえるくらいには成長したが、やはり、そんなに面白い話を、誰にも話さずにいるには幼すぎた。

 学校が終わり、チハルとミキは、グラウンド横の通路を歩いていた。
 校門を通り過ぎたところで、声をかけられた。
「チハルさん!」
 不意を突かれて、驚いたチハルが振り向くと、タカシが立っていた。
「ありがとうございました」
 ミキは、興味深げにタカシのことを見ている。
 ああ、タイミングが悪い。ミキにはあまり、この話は聞かれたくないんだけど。
 そう思ったチハルが、止める間もなく、タカシは話を続けた。
 タカシは、すっかり心の中のわだかまりが無くなったらしく、亡くなる直前の母親とのやり取りを事細かに語り出した。
 話を聞く内に、チハルの顔がどんどん曇っていった。
「一昨日、お母さんからもらった紙袋の中身も、ファイナルバトルだったんだ」
「超ウケる!」
「でも、ファイナルバトルも面白いんだよ!」
 ミキとタカシが、清々しく笑っている中、チハルだけが、引きつった笑顔を浮かべていた。
 そういうことだったのか。ひとつ、引っかかっていたことはあったんだ。
 タカシは、母親は、ゲームを買いに行く途中で事故にあった、と言っていた。でも、私は、買って帰ってくる途中だと思い込んでいた。手に、ゲームソフト――ファイナルバトルを持っていたのが見えたから。もっと、ちゃんと確認すれば良かったな、とチハルは反省した。
「じゃあね! ありがとう!」
 タカシは、元気よく言うと、少し離れたところに待たせていた、数人の友達と合流し、遠ざかっていった。
「この後、うちでゲームやろうぜー」
「OKー」
「今日こそは勝つ」
「久しぶりだけど、負けないよ」
 子ども達の喧噪が遠ざかったところで、ミキが言う。
「チハルが買ったんでしょ? ファイナルバトル」
「やっぱり、分かる?」
 吹き出しながらミキが言う。
「チハルの顔見てたら分かるよー。ウケる」
 やっぱり顔に出ていたか、と改めて、先ほどのショックを振り返っていたチハルに、ミキが問う。
「結局、お母さんは、あの子にゲームを渡したくて、幽霊になってたの?」
「それも有ると思うけど、それだけじゃないと思う」
「っていうと?」
「私も、全部が分かるわけじゃないんだ。ただ、可能性が有りそうなことは全部やろうって思っただけで」
「そっか」
「ただ、やっぱり……タカシ君の笑顔が、あのお母さんを救った気がする」
 微笑みながら見つめてくるミキの視線に、少し気恥ずかしくなったチハルは、取り繕うように続けた。
「いやあ、でもファイナルクエストは見えなかったなあ」
「どうして、見えなかったのかな? 心の中とかも見えるんでしょ?」
「多分だけど……お母さんが、最後まで、ファイナルクエストの名前を覚えてなかったからだと……思う」
「あは。ウケる。でも、あの子があんなに喜んでるなら、良かったね」
「うん。良かった」

「私に付けられていた、監視は外れたようです」
「ご苦労だった。帰還の準備が整ったら指示を出す。しばし待て」
「承知しました」
 ヒデオは、聞きたいことがあり、尋ねた。
「狸作戦について、お聞きしたいことがあります」
「何かね?」
「あの作戦は、奏功したと言えます。しかし、地球には、本当に、そのような狸が居るのですか?」
「それは、分かっていない。地球、特に日本の伝承の中に、そのような狸が登場することは確認されているが、実際の存在は確認されていない。もしかすると、大昔に、日本に降り立ったニーウ星人が行った何かが、伝承として語り継がれているのかも知れんな。それを確認する術は無いが」
 上司との通信を終え、ヒデオは考えた。
 結局、あの監視者を付けたのがチハルなのか、それとも違う誰かなのかは、判然としていない。しかし、おそらく、チハルではないのであろう。チハルは、監視を外すために、尽力してくれたように見えた。
 今回の調査では、地球人の、新しい能力が確認された。一部の地球人は、肉体を乗っ取る能力を持っていることも分かった。あれらの存在が、母艦まで付いてきてしまったらと思うと、今さらながら、恐怖が湧き上がってくる。
 しかし、一方で、その恐怖は誤りであると告げる衝動もまた、存在していた。
 監視者に肉体を乗っ取られていた時、わずかながらに、監視者の想い、感情のようなものが流れ込んできたように感じる。そこには、攻撃的な意志は存在せず、ただひたすら、相手のことを大切に想う、そんな感情だった。
 それは、ヒデオが今までに、抱いたことのない感情だった。
 愛、慈しみ、といった言葉は知っていたが、あの感情がそうだったのかも知れない。いくら言葉を知ったところで、その本当の意味を体感することは難しいのだな、とヒデオは反芻した。
 地球人の特性は、まだまだ分からないことだらけだ。
 帰還する前に、チハルには礼を言っておいたほうが良いか。

 チハルは、母親に叩き起こされた。時計を見ると、8時10分。まずい、遅刻だ。
「どうして、もっと早く起こしてくれなかったの!」
「起こしたけど、あんたが起きなかったんじゃない」
 のんびりした口調で母親が応えた。
 少し、間を置いてから、チハルは言った。
「いつも……ありがとね」
 チハルの母は、少し驚いた顔を作った。
「まあ。この子ったら、急にどうしたのかしら」
「もう! せっかく感謝したんだから、素直に受け取ってよ!」
「はいはい。遅刻するわよ」
 いつもと違うことはするもんじゃない。今日一日の調子が狂ってしまいそう。
 チハルは牛乳を一杯飲み干すと、大急ぎで制服に着替え、家を出た。
 スクランブル交差点で、またもや赤信号に足止めされる。右下に視線をやると、ガードレール脇には、新しい花束が置かれていた。
 教室に滑り込むと、すでに担任が来ていた。
「遅刻だぞ」
「す、すみません」
 ホームルームが終わり、ミキが言った。
「珍しい。本当に遅刻じゃん。今日はどうしたの?」
「ちょっと、交差点で、馬鹿な狸に絡まれちゃって……」
「あれ、また狸ネター? チハル、腕落ちたんじゃない?」
 珍しく、本当のことを言ったら、この言われようだ。チハルは現実を恨んだ。

 信号が青になり、ダッシュで飛び出したチハルは、いつものように、学校目がけて、交差点内を斜めに突っ切っていた。
 渡りきったところに、高校の制服を来た女の子が居た。それがヒデオであることは、すぐに分かった。
「チハルさん、ありがとうございました! お蔭様で、帰ることができます。お世話になりました」
 そう言って、ヒデオは、花束を差し出した。
 チハルは、膝から崩れ落ちそうになった。
 花束には、ふんだんに菊が使われていて、ヒデオの後ろには、暗い目をしたサラリーマンが浮かんでいた。
「……一体、どこで拾ってきたの?」
「え?」
「また、憑いちゃってるじゃん」
「え! また付いてるんですか?」
 チハルは大きな溜息をついて、言った。
「次は、五十万円取るからね。それでも、ヨッシーよりは安いでしょう」

 こうして、母親の霊は浮かばれ、少年の心の傷は、少しだけ癒えた。
 チハルは、様々な方面で、その名を馳せ、日本のとある町に、新たな狸伝説が誕生した。
 ヒデオは、もうしばらく帰れそうにない。
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