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第一章

桐乃の長い一日2

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 必要ない、子どもじゃないのだからと何度も説得したが、「ではひとりで謝れるのか」と言われては黙るしかなかった。

 なんとか理屈をこねようと口を開くと、もう決めたと言わんばかりにハルトが私の袖をひいた。途端、白昼夢のように、過去・・の友達が彼にダブって現れて、私は言葉を忘れて何度もまばたきをする。光の溢れる昼下がり、電子音のチャイム、ドラマと本の話で黄色い歓声の上がる、かしましい教室。
 ――今いる場所の全てが紛い物だと叫ぶこと、そんな拒絶は駄々でしかないと、わかっている。そんな私をちょっとだけ無理やりに、引っ張っていく私の友達は、あの日々の慕わしさをすっかり背負って、まっすぐに私を見ていた。
 愛していた何もかもを思い出させるのに、過去の何にも似つかない、銀と青の色彩を持つ男の子。教室で「桐乃」と呼んだ時点で、きっと何かを決めたつもりだった。

 向かった先は衆人環視の教室ではなく、人通りの少ない棟の準備室だった。リンチにするにはもってこいだけど、ハルトがいてはそんな勇気も持てないはずだ。……これは確かに、彼がいてよかったかもしれない。 
 目の前には少し悄然として、淑やかさが二割増になったクレアが立っている。私を取り囲む少女の魚群はなんと、ハルトの手の一振りでうやうやしく退場していった。
 自分たちが誰の味方なのか、わかっているのだろうか? クレアが漏らした「え」の音を、魚群は拾えなかったみたいだ。
 私の隣にはハルトという、誰より高貴な青年がいて、彼は真っ先に頭を下げた――クレアが目を見開く。私も、同じような顔をきっとしている。

 「クレア、昨日は俺の友達がすまなかった」

 私たちが固まるのをわかっていたに違いない、ハルトはすぐに顔を上げた。

 「アンダーウッドは謝罪を望んでいるが、個人的な事情で、俺が付き添っている。俺の同室を許してくれるか?」

 ハルトの口から私の名が出てクレアの眉がつり上がったが、瞬きのうちに元に戻った。

 「ええ、もちろんです。ジーク様」
 「ジークでいい。敬語もやめてくれ」

 クレアはぽかんとした。一拍して、やや控えめに言う。
 「ジーク、せめて敬語は使わせてください。父に何と言われるか……」
 「わかった」

 クレアは敬語で話すと、格段に品がよく理知的だ。
 昨日の二軍女子みたいな、恋愛脳なムーブは彼女の一面でしかなかったのだと、嫌でも気付かされる。今のクレアは良家の子女として申し分なく、それでいて無理をしているようにも見えなかった。いつもの傍若無人な様子よりも、ずっとあるがままであるように映った。
 旧領主で現区長の娘であるこの少女も、ハルトとはまた違った形で、公私の仮面を持っていたのかもしれない。
 
 クレアの内面に驚いていた私は、彼女がはっと肩を揺らしたのを見て、無意識に一歩近づいていた自分に気づいた。鏡のように、私の身体も強張りを持つ。
 胸の内にさまざまな思いが入り混じって、濁ったパレットのように収拾がつかなくなる。誰とも打ち解けるつもりはなく、どう思われたって関係なかった。崖の対岸にいる者に近づくことも危害を加えることもできないように、全てのことは私に関わりがなかった。
 なのに、この男が来て、ほころび、彼女と見苦しい口論をした。挙句、筋違いな癇癪を起こした――ほんとうにうんざりする。馬鹿みたいに変わらない自分自身の、友達に頼りっきりな情けなさも、いまだに謝るのに理由が必要な幼さも。
 
 私は俯いて一歩下がり、そっと顔を上げる。クレアと視線が交錯した。圧迫感で視界の淵が暗くなるなかで、クレアの目の中に私と同じくらいの恐怖と、私以上の驚きを見つける。彼女も十三歳の女の子なのを、いま思い出した。ようやく、身体が軽くなる。

 「……ごめん。八つ当たりをしてた」
 言葉は幼く、なんてつたない。
 クレアはひとつため息を落として、ぽつりとつぶやいた。

 「機械人形という噂は、嘘だったのね」
 「機械人形?」
 「あんた、いえ……あなたは、マクシミリアン翁のつくった機械人形だと。もっぱらの噂でしょ?」

 知らないの? と言わんばかりのクレアは、いまにも見えない扇子を仰ぎそうだ。驚いた私に気をよくしたのか、途端に遠慮を捨てて話し出す。

 「実際あなたはお人形みたいに気味悪い態度だし、あたしはそんなあなたのことがずっと気に入らなかった。人形なら何言ったって怒らないと思ってた。……でも、いくらなんでもあの怒りようはおかしいわ。許してあげるから教えて、あなたって何でそう・・なの?」 

 問われた私は、さっきのクレアのように全身を強張らせた。聞いたって受け止められやしない。聞き流されることは、もっと耐え難い。私の私たる所以を、この少女に打ち明けられるはずがない。
 「教えない」

 クレアは断られるとは思わなかったのか、やや驚いて、それから語気を強めた。
 「どうして? まさか、自分で自分のことを"特別なお人形"だと思っているわけじゃないでしょう」

 「どう思ってもらってもいい」
 顔を背けると、ざらついた感情を隠そうともしない言葉が、いくつも投げられる。すぐに我慢できなくなって私は言い返した。

 「そもそも、あなただって私に謝ることがあるよね。私、あなたの謝罪を聞いてない」

 私の発言を待っていたクレアは喜色を隠さず、唇の端をつりあげて言葉を返した。

 「急に変わった言葉遣いと表情の理由を白状したら、いくらだって出してあげるわよ」
 「謝罪のことをお金だと思ってるの、笑えるんだけど。あなたこそ特別なお人形ってわけ? それも年代物の」
 「森暮らしの野蛮人には、お金よりも木の実がお似合いかしら。気が利かなくてごめんなさいね」

 また、森番を貶めた。すっと頭の後ろが冷たくなった私が言い返すために息を吸い込むと同時、隣から低い咳払いが響いた。 
 ハルトだ。
 ……もちろん。忘れていたわけではない。 
 二人ぶんの注目を集めたジークハルトが、真顔のまま目を細める。極めてやわらかな声色で、彼は口を挟んだ。

 「俺がこの場を設けたのが何のためか、説明が必要か? クレア、きみと、桐乃、きみのためだ。次期森番と麓の領主のご息女がそれぞれの未来を閉ざさない・・・・・・・・・・・・・ために、対話が必要なんだ。今、ここで」

 それぞれに目を合わせながら言われては、ばつが悪くなって仕方がない。否応なく空気の重さが増して、静聴を強いられていた。

 (この場を設けたの、別にハルトじゃないよな……)
 そんなことは到底言えない空気だった。

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