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第一章

居場所は過去となって1

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 最初に森から出たのは、私が推定年齢七歳のときだった。
 街を見、世情を知り、奇異の視線に晒されて、一転して別人のように振る舞う私を、じじいは珍しく驚きに満ちた顔で見ていたっけ。
 そして、森に戻っても明るく振る舞う私に、これまた珍しくはっきり明言したのだ。

 『どうか、森の中でだけは、自分を偽ってはいけないよ。お前が辛そうだと、僕が悲しくなってしまう』

 そう言って枯れ木のようなかいなで抱きしめてくれたじじいを抱きしめ返せなかったことを、今でも悔いている。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい、ただ驚いてしまったの。
 ずっと怖かったから。自分が何なのかなにひとつ分からないままで、その日生きることで精一杯で。でもここにいていいのか分からずに、誰を信じていいか分からずに、何処に帰ればいいのか分からずに。
 その時初めて、心からじじいを信じたいと思えた。
 その時やっと、私は帰る場所を見つけたのに。
 
 ありがとうと言えなくて、ごめんなさい。


 * * *


 「そんな顔をしないでくれ」
 心なしか戸惑っている彼が言った言葉に、私は何と返せばいいというのか。
 ごめんねと言えたなら、どんなにいいだろう。

 「たくさん詰ってくれていいよ」
 そんなことしないだろうと分かっているのに言うのだ。

 「そんなことはしない」
 彼の眉がへにょりと崩れた。困っているのだろうか? どうして困ることがある? あなたはただ、認識を正すだけで良いはずなのに。
 
 「どうすればきみを安心させられるのだろう」

 半ば俯いていた顔を上げる。思っても見ない言葉だった。
 ……そんなこと。
 私はへらりと笑みを浮かべた。

 「私、最初から、安心しきっているよ。さっきのだって、あなたが私と友達になるのをやめないと分かっているから言ったんだよ。だから、」
 ーーあなたがそんな顔、しなくていい。そう続けようとした。其れなのに。
 「だったら、そんな辛そうな顔しないでくれ」

 そう被せられては、もう。
 降参だ。

 自分の顔がぐしゃりと崩れるのがわかった。

 (じじいみたいなことを言わないでよ)

 私に踏み込んでくるのだ。それでいて、途方もなく純粋で、人がよくて、ぼくがどれだけ自分勝手に振る舞っても、この私を見抜いてくる。案じてくる。
 それが震える程嬉しくて、死にたい位に怖い。

 「私、謝らないからね。私にはもう、守ってくれる人がいないんだから。ずるい事とか、冷血な事とかもしていかないと生きていけないから」
 「ああ」
 「だから、」

 「あなたはこんなひどい私に、幻滅していいんだよ。優しくしないで、いいよ」

 「それは出来ない。俺はそんなきみと、友達になりたいから」

 すまない、と、言われて。彼のまっすぐな目が急速にぼやけていく。
 謝ったのは彼なのに、許してもらったのは私だ。
顔を見られたくなくて俯くと、控え目に肩に手が添えられる。最早どっちが年上かわからないな、と思う。
 震える肩を宥めるように緩くさする手を、振り払う気にはもうならなかった。

 優しい沈黙がかえっていたたまれなくて、涙声のまま話しかける。


 「そもそもどうして友達が欲しいわけ」
 どうして私なのか、とは流石に聞けなかった。語弊がありすぎる。

 「俺の名前には、ともがらをたくさんもつという意味があると、母に教えられたことがあって……それから、友達とはどんなものだろうと、ずっと思っていた」

 「ともがら……」
 確か、仲間とか、同士とか、そんな意味の言葉だ。
 (……あれ? ジークハルトって、『苦労して得た勝利』って意味じゃあなかったっけ……)
 この国の言葉ではその意味しかない筈だ。もしかしたら、宮廷言語などの何かなのかも。そこら辺は知識がないからわからないが。

 「当時はうまく想像できなかったが、今は、何となくわかる気がする。きみと早くこの感覚を共有できないだろうかと、思うよ」

 そう言う無表情な彼の目がいつになく輝いているのは、気のせいだろうか?
 「もしかして浮かれている?」
 思ったまま呟くと、彼はぴたりと静止した。八の字になる眉。これはどうやら無意識だったようだ。

 「……わからない。浮かれているのだろうか」

 途方に暮れた様子は年相応で、やはりこういうところは可愛いと思う。

 「私、あなたとなら友達になれそうかも」

 ありがとうもごめんねも言えなくて、代わりに精一杯の本心を口に出す。自然と上がった口角に、彼が表情を変えずにほっとしたのが感じ取れて、その日は存外近くにある気がした。
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