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3.婚約しろ
しおりを挟む訓練場から城に戻ると、入ってすぐの廊下で、一人の男が待ち構えていた。僕の父上だ。その人は厳しい目で僕を睨みつけ、憎悪と怒りに満ちた声で言う。
「討伐隊を辞めるように言われたのだろう?」
「…………」
なんで……知ってるんだ?
多分、ここに来る前から聞いていたんだろう。僕は今、初めて知ったのに。
「……はい」
「そうか…………」
父上は、それだけ言って、僕を殴り飛ばした。
「このっ……一族の恥晒しめっ……早く殺しておけばよかったっ……!」
「……申し訳ございません…………」
機械的に謝る僕の言葉なんて、きっと父上は全然聞いていないんだろう。
僕の方も、もう体に力が入らなかった。
だけど、そばにさっきまで僕が抱きかかえていた剣が落ちている。必要なくなったそれに手を伸ばして大切に抱えると、父上はそんな僕をひどく気味が悪いものを見下ろすかのように睨んでいた。
「…………それは王子殿下の剣だ。返してもらおうか?」
「…………」
無言でいる僕から剣を奪い取って、父上は吐き捨てるように言う。
「もう貴様に用はない。今すぐに首を切って死ね」
「…………」
「できないのか? だったら婚約しろ」
「…………え?」
「婚約だ。婚約。そんなことも分からないのか? お前は」
苛立ってきた様子の父上が頭をかいている。
僕はまた、「申し訳ございません」とだけ口に出した。
父上がこうして僕を怒鳴るのはいつものことだけど、婚約なんて初めて言われた。
なんでいきなりそんなことを言うんだ? そもそも僕と婚約する人なんていないだろ……
不思議に思う僕だけど、父上はもう説明するのも面倒らしい。僕を睨んで言う。
「二度と一族に近づくな。一族の名を名乗ることも許さん! 面汚しめっ…………もう貴様の顔は見たくない」
「……はい…………」
僕は父上に向かって頭を下げた。
父上は一度も僕に振り向かずに去っていく。
これで……僕は一族からも捨てられたんだ……
肩を落とす僕には、もう何もない。討伐隊も辞めるように言われて、一族からも追い出された。
すでに体は麻痺したかのように動かない。何も考えられなくて、ただ茫然と、そこに立っていた。
「……フォルイト」
声をかけられて、体がビクッと震えて、僕は振り向いた。
そこに立っていたのは、先ほど僕を責め立てていたランギルヌス殿下の部下の魔法使い、レグッラだ。ずっとランギルヌスに仕えていて、王家からの信頼も厚く、部隊ではランギルヌスの護衛をしている。ランギルヌスには忠実だけど、部隊の魔法使いたちにはひどく厳しいから、みんなに恐れられていたはずだ。僕も、この人のことは苦手。ランギルヌス殿下の命令を伝えにくるのがいつも彼だからだ。
「一族からは、勘当を言い渡されたようだな」
「はい……」
「……そんな顔をしなくとも、お前はまだ、この城の役に立てるぞ」
「え…………?」
「ランギルヌス殿下の魔物退治の腕が落ちているなどという、ふざけた噂が流れているのは知っているか?」
「……噂……?」
「ランギルヌス殿下は最近、魔物退治がうまくいっていない。失敗ばかりで、他の部隊が出向くことが増えた。せっかく部隊の隊長に就任なさることが決まったのに、これでは台無しだ。その上、キディアス様までもが、魔力の薬を使いランギルヌス殿下の魔力を狙ったなどと言われているようだ。そんなはずがないのに……」
「……………………はい……」
僕が適当に同意すると、レグッラは僕を睨んで言う。
「適当な返事をするな。そもそも、こんな噂が立ったのはお前のせいだぞ」
「……え?」
「ランギルヌス殿下は、お前がその地位を利用し部隊の仲間を傷つけたことに、いたくショックを受けておられる……それどころか、武器の整備もせず討伐隊に居座って、部隊の優しさに甘えサボってばかりいるお前がいるのでは、ランギルヌス殿下は実力を発揮できないのだ!!」
「…………僕……そんなつもりは……」
「そんなつもりはないと言うのか? では、今起こっているこの事態は、誰のせいだ?」
「…………」
そんなことを言われても、僕はそんなの知らない……だって、僕がそんなことをする理由がないじゃないか。
だけど、僕がそう言ったところで、レグッラは全く聞く気はないらしい。
「近々、ランギルヌス殿下が隊長に就任されるパーティーが行われる。国で最強と謳われた王子と、それを支え続けた部隊の祝いの日に、醜聞などあってはならない……というのが、ランギルヌス殿下のご意見だ。そこで、お前にはこれから、リールヴェリルス伯爵と婚約してもらう」
「…………リールヴェリルス様?」
なんでいきなりそうなるんだ……
突然すぎて、意味が分からない……
リールヴェリルス様といえば、ここから離れた辺境の地にある砦を管理している伯爵家の一族で、魔物退治で名を馳せたけれど、王家とは馬が合わないのか、度々対立していたはず。
部隊の訓練中ランギルヌス殿下が伯爵のことを口汚く罵っているのは、この城にいる魔法使いなら、みんな知っている。
だけど、僕はその人に会ったこともないし、なんでそんな人と僕が婚約するんだ?
レグッラは胸を張って言う。
「もちろんお前の一族も全て了承している。どうぞ使ってください……だそうだ」
「…………」
僕の意見はまるで聞かれていないけど……最初から聞く気ないんだろうな……
彼は、さっさと話を進めていく。
「リールヴェリルスは近々竜族の国にある魔法の力を持った剣を手に入れる旅に出かける。それに同行し、死ぬほど足を引っ張ってこい」
「……あ、足を? なぜ……そんなことをする必要があるんですか?」
リールヴェリルス様が竜族の国へ赴く話なら、僕も聞いた。彼は、辺境の地に領地を持つ領主の弟で、領主の一族は、その魔法の威力では右に出る者がいないと言われている。その魔力を有効に使える剣を、竜族の国に探しに行くらしい。
だけど、それをよく思わない貴族は多い。彼らが力をつけて、いずれ王家に牙を剥くのではないかと噂されているらしい。特に伯爵の一族には、竜族の血を引く人も多く、竜族たちと手を組んで王都を襲うんじゃないか、なんて言われているんだ。根も葉もない噂だけど。
それはレグッラだって知っているはずだ。それなのに彼は、ニヤリと笑って言う。
「お前がいれば、リールヴェリルスは、剣など手に入れることはできずに、奴のパーティはすぐに全滅するだろう。婚約者ともなれば、途中で捨てるわけにもいかないはずだ。お前がこの城から消えれば、ランギルヌス殿下の魔物退治も必ずうまくいく!」
「…………」
「それに比べて、お前がリールヴェリルスと婚約し共に向かった旅がまるでうまくいかなければ、ここ最近のランギルヌス殿下の魔物退治の失敗は、全てお前の妨害のせいだと証明することができる! ……というのが、ランギルヌス殿下のお考えだ」
「…………」
そんな無茶苦茶な……僕、妨害なんかしてない……この人は一体、何を言っているんだ……多分、殿下が言ったことをそのまま話してるんだろうけど……
婚約? 僕が? そんないきなり? しかも、婚約の目的が相手の旅の妨害だなんて。できるはずがない。
そんなことのために、僕はリールヴェリルス様と婚約するのか?
「…………あの……それでは、リールヴェリルス様はどうなるのです?」
「……どうせ、反逆の噂がある男だ。死んできてくれた方が、ちょうどいい」
「……そんなっ…………」
「分かったら行け。これが、お前がこの国のためにできる、唯一のことだ」
「……」
そんなの、できるはずがない。知りもしない伯爵を陥れるようなことに協力できるはずがないじゃないか。
「…………待って……ください」
「……何か言ったか?」
「……いくら殿下のご命令でも、それは……できません。どうか、冷静になってください。だ、だいたいそんな企み、すぐにリールヴェリルス様に気づかれてっ…………!!」
言いかけた僕の頬が、激しくぶたれた。今日は殴られてばかりだ。
レグッラは、冷たい目で僕を見下ろして言う。
「リールヴェリルスとて承知の上だ」
「まさかっ……!」
「竜族の国へ魔法の剣を取りに行くためには、国境の砦の門から出なくてはならない。そこを開くために、王家が出した条件だからな」
「…………」
王家とは言っているが、あそこを管理しているのは、キディアスの一族だったはず。ただの嫌がらせじゃないか。リールヴェリルス様は、それが分かっているのか?
「そんな顔をするな。反感を買っているリールヴェリルスの一族に手を貸すことにもなるんだぞ」
「……なんでそんなことが手を貸すことになるんですか?」
「伯爵の一族が力をつけることをよく思わない家は多い。ほとんどが、ランギルヌス殿下と懇意にしている貴族たちだ。だが、ランギルヌス殿下がすすめた縁談に応じたとなれば、少しは彼らからの敵意を削ぐことにつながるだろう?」
「…………」
「そんな顔をするな。向こうも、お前のことは、最初から敵だと思っている。当然だろう? 敵対する勢力からの回し者なのだから」
「……そんなもの……連れて行かないと思います」
「連れて行かなければ目的は達成できないのだから、仕方があるまい。あの男は、王家に歩み寄ったという証拠が欲しいのだ。それは、竜族の国からの要望でもある。この国の王家と完全に対立している一族の男が、魔法の力を持った剣を手に入れにきたと竜族の国の貴族たちが知れば、竜の王は他国の反逆者と手を組むつもりか、などと疑われるかも知れないだろう?」
「…………」
だから、どんなに嫌でも僕を連れて行くって?
リールヴェリルス様にしてみれば、僕は彼の一族を反逆者扱いして冷遇している王家と貴族の回し者ってことになるじゃないか。
何より、足を引っ張れだなんて、そんなことができるはずがない。
「でも……」
「わざと足を引っ張るだなんてできない、か?」
「……っ!」
「だが、お前がそうしなければ、困るのはリールヴェリルスの方だぞ。あの男は、王家に賛同する貴族から疎ましく思われている。王家からの刺客がいるうちは、他の一族も刺客を送ったりはしないが、お前が行かなければ、次々にあいつの元には刺客が送られることになる。そんなことになれば、旅どころじゃないだろうな」
「そんな……」
「それでも断ると言うのなら、それでいい。お前が断るなら、別の者が行くだけだ」
「…………」
「リールヴェリルスからは、お前がいいと言われているのだがな」
「…………僕を……? リールヴェリルス様が?」
なんで、僕を……?
何かの間違いかと思って聞き返すけど、レグッラは自信満々と言った様子で言う。
「リールヴェリルスが、お前がいいと、はっきりと言った。だからこうして、お前に話しているんだ」
「僕……を……?」
どうなっているんだろう……なんで、僕なんだ? 僕なんかを指名したって、いいことなんか何もない。
いつも、邪魔者扱いばかりされてきた僕なのに……なんで……僕を……
迷い始めた僕を見下ろして、レグッラはニヤリと笑う。
「おかしな話だろう? どこからも邪魔者扱いされているお前がいいらしい。いらなくなったら、すぐに殺せるからかもな」
「え…………?」
「そうだろう? 剣を手に入れたら、お前など用済みだ。邪魔になったら心置きなく殺せる貴族の男など、ほとんどいない」
「…………」
「安心しろ。死んだら死体は回収してやる。魔法の実験道具としてな」
「……………………」
「……お前のような役立たずが、今なら役に立てるんだぞ。これまで、さんざん俺たちに迷惑をかけておいて、こんなこともできないのか?」
「……でも……リールヴェリルス様は、それを知ってるんですか…………?」
「だから、そう言っているだろう……仕方がない……ついてこい。向こうでお前を説得してやる」
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