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第八章、二人の夜
37.深夜
しおりを挟むひどく頭痛がする。どこかでクラジュが叫んでいる声が聞こえたような気がして、それに叩き起こされるように、セリューは目を覚ました。ベッドから起き上がろうとすると、激しく体が痛む。
「いっ……」
起き上がった体には、特に目立った傷などはなかった。けれど、体はずっとズキズキと痛む。かなり広い範囲の結界を張ったせいかもしれない。
しばらく胸を押さえてじっとしていると、なんとか痛みは治まった。
ここはどこだろう、最初に辺りを見渡した時、セリューは今自分がいる部屋がどこなのか、すぐには分からなかった。
そこは、セリューの部屋だった。
けれど、いつも散らかっているはずのそこは、今は綺麗に片付いている。まるで他人の部屋のようだ。
セリューが起きたことに気づいて、落ちていた本を本棚に戻していた男が振り返る。後ろ姿の尻尾を見て、ダンドかと思ったが、それはクラジュの兄のディフィクだった。
彼のそばにいた犬がわん、と鳴いて、彼は犬と一緒にセリューに駆け寄ってくる。
「セリュー様! よかった……」
「ディフィク……? なぜここに……」
「セリュー様、覚えていませんか? 眠っちゃったから、ここに運んだんです。よかったあああ……目が覚めて」
心底ほっとした様子で、彼は微笑んだ。おそらく、気絶したセリューを、ずっとみていてくれたのだろう。
「セリュー様、城全体に結界を張ったせいで、ずっと眠っていたんです……オーフィザン様が疲れたんだろうっておっしゃってました。体は……どうですか?」
彼の隣にいた犬が近づいてきて、起きたばかりのセリューの手をぺろっと舐める。さっとその手を引いて、セリューは微笑んだ。
「だ……大丈夫です……まだ、体が痛いですが……」
「あっ!! これ、オーフィザン様から薬です!」
彼から受け取った薬を飲むと、少し楽になった。
ディフィクは空になった瓶を受け取り、頭を下げる。
「ありがとうございました……クラジュを助けていただいて……」
「助けたつもりはありません。私は城を守っただけです」
「そ、それでも、本当にありがとうございました!! あんな奴ですけど、俺にはたった一人の兄弟で……あいつ、ドジだから、受け入れてもらえないことも多かったのに、ここに迎えてもらえて……あいつのこと、拒絶しないでいてくれてる皆さんには、本当に感謝してるんです!! とりわけ、セリュー様には……もし、セリュー様がいなかったら、多分あいつ、ここでやっていけなかったと思います……あ、あいつなりに努力はしてるんです! クラジュは……せ、セリュー様のことすごく怖がってるし、めちゃくちゃ苦手だけど……それでも、そういうことちゃんと分かってて……か、感謝はしてるはずです!! ドジを直すのは……何があっても未来永劫絶対無理ですが…………本当に、いつも……ありがとうございます……」
「……………………」
少し不本意な気もしたが、彼は嘘をつかない。すべて本心なのだろう。
昼間はあれだけ腹が立ったのに、そんなふうに感謝されると、何も言えなくなってしまう。
クラジュが城に来て間もない頃は、どんな手を使っても追い出してやると意気込んでいたが、ディフィクがあの弟を大切に思っていることは知っているし、もうあれを本気で追い出そうとしていないことには、自分でも最近気づいた。それでも、そんな本音を話すことはできない。なんとなく、癪だ。
「気にしないでください。それより、今は……」
時間を確かめようとして、気づいた。窓の外はもう真っ暗だ。時計も、すでに深夜を指していて、城も静まり返っている。
(夜は……約束をしていたのに……)
もうすっかり、そんな時間ではなくなってしまっている。
ディフィクも立ち上がり、自分の荷物を持って振り向いた。
「じゃあ……俺は、部屋に戻ります……あ! この部屋、勝手に片付けちゃって、すみませんでした……」
「これは……あなたが?」
「はい……その……部屋に入ったら、足の踏み場がなくて幾つか踏んじゃって……全部拾って、まとめてテーブルの上です」
「…………すみません……」
セリューの部屋はいつも散らかっている。この部屋に他人を入れることはまずないのだが、いざ彼にあの状態を見られたのかと思うと、かなり恥ずかしい。
セリューが謝ったと思ったのか、ディフィクは首を横に振る。
「い、いや……俺こそ勝手にしちゃって……あ、まだ動いちゃダメですよ!」
ベッドから起き上がろうとしたセリューを、ディフィクは押し戻すように止める。
「セリュー様、怪我してるんです! 体を拭いて、包帯を巻いておきました。あれからオーフィザン様が帰ってきてくださって、暴走した猫じゃらしを処分してくださいましたし、セリュー様のことは今日一日、ゆっくり休ませるようにって、俺、言われてるんです! ちゃんと……寝ててください……」
「は、はい…………」
ディフィクのあまりの勢いに押され、セリューは大人しくベッドに戻った。
「じゃあ、俺は部屋に戻りますけど、セリューさん、今日はゆっくり休んでください。食事は後で料理長が運んでくれるそうです」
食事、と言われて、再び時計を見上げる。もう深夜。当然ダンドも、もう寝ている時間だ。
「…………ディフィク……ダンドは……どうしたんですか? あれから……」
「ああ、ダンドさんなら、あの後、夕飯の準備してました。すごいですよね。あんなのと戦った後なのに」
「…………そう……ですか…………もう、部屋に戻ったでしょうね……」
「多分そうだと思います。今日は遅くまでかかったから、疲れてるはずだし……あ! もしかして、お腹空きましたか!? 俺、厨房行ってきます!」
「ま、待ってください! 食事は結構です……」
「え!? でも……」
「料理長にも、そう伝えてください……」
「そ、そうですか? じゃあもし、お腹空いたら厨房に行ってみてください。今日は猫じゃらしのかけらがもうないか、警備の人たちが見回っていて、彼らの夜食作るために、料理長が残ってるはずです」
「分かりました……ありがとうございます」
「気にしないでください。クラジュを止めてくれて、本当にありがとうございました」
彼は、もう一度丁寧に頭を下げて、部屋を出ていく。
一人になると、ますます落胆だけがセリューを襲いにくる。
(なぜこうなるんだ……)
脱力してしまう。今日はダンドと酒を飲む約束をしていたのに、そんな時間はとうに過ぎてしまった。
結果的に自分が約束を破ってしまった気がして、胸が痛んだ。
今日は会いたかったのに。
クラジュ騒動でこうなることは珍しくない。そういう時は、ダンドが愚痴を聞いてくれて、次の約束をするのだが、今はもう誘えそうになかった。
ダンドに聞きたいことは、幾つもあった。けれども、今朝はあまり乗り気ではないようだったし、確かに会いたいが、あまりしつこくするのも、嫌がられてしまうかもしれない。
だからと言って、今度はいつなら誘っていいのかもわからない。
今朝はちゃんと言おうと決意していたはずなのに、その決意すら、簡単に揺らぐ。
なんとなく今日は、避けられていた気がする。本当はもう、嫌われてしまったのかもしれない。そんな気すらしてきた。
(私が……いつまでもぐずぐずしていたから……)
彼は向き合ってくれたのに、自分は逃げてばかりいて、彼を傷つけてしまったのかもしれない。そう思うと、ひどく胸が痛んで、すぐにでも彼に会いに行きたいのに、拒絶されてしまう気がして動けない。
それでも、我慢できずに立ち上がろうとするが、窓の外を見ると、また足が止まる。外は真っ暗だ。もう起きているはずがない。
(こんな時間に行っても……迷惑か……)
彼も疲れているはずだ。
セリューはあの後ずっと寝ていたが、ダンドは夕飯時の戦場ともいえる厨房にずっといたのだ。こんな時間に行ったら、彼にまた負担をかけてしまう。
テーブルの上には、今朝渡されたドーナツがまだ残っていた。そっと手に取ると、キラキラした砂糖が指に触れた。彼が作るドーナツはいつも甘い。その味がセリューは好きだった。
会いに行っても、意味がない。そう思って、ベッドに戻る。けれど、寝付けるはずもない。
セリューは上着だけを羽織って、外に出た。
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