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99.まだ戻ってこない

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 ラックトラートさんは、レヴェリルインに抱きしめられる僕を見て、ニコニコしながら手を振った。

「では、僕はそろそろ失礼します! コフィレ! 思う存分、愛されちゃってくださいね!」
「ま、待って……!」

 微かな声で呼び止めるけど、彼は部屋を出て行ってしまう。

 すると、レヴェリルインは、僕に振り向いて、微笑んだ。

「今日は俺がお前を離さないから、お前は俺のそばにいろ」
「……」

 いつもみたいに、はいって言えない。ずっと彼の甘い言葉に弄ばれて、もう、くらくらする。
 また逃げる僕を捕まえて、逃げられなくして、また嬲り続けてほしい。
 好きにしろ、なんて言っておきながら、僕は結局、僕の好きにしてほしいんだ。

 伸ばした手が、レヴェリルインの服を掴む。
 レヴェリルインも、すぐに気づいて、振り向いてくれた。

 愛されてろって……それは、僕と同じ気持ちですか?
 やっと聞ける気がした。

 それなのに、ドアを叩く邪魔なノックの音がした。レヴェリルインが返事をすると、部屋のドアを開けて顔を出したのは、デーロワイルだった。

 またあいつか……何で兄がレヴェリルインを呼びにくるんだ。

 僕は、すぐにその男から顔を背けた。

 今の僕を見られたくない。そばに来て欲しくない。一度僕から全てを奪った奴に。僕が、僕のままでいることを禁じた奴に。

 顔を背けるのに、僕は、まだ怖い。この人のことも。この人に対して今湧く、この感情も。

 もう、そばにいたくない。
 できれば、声も聞きたくなかった。

 けれど兄は、レヴェリルインの前で口を開いた。

「ドルニテット様が……禁書のことで話があると……裏庭の方です」
「……今行く」

 そう言って、レヴェリルインは、僕から離れてしまう。
 せっかく彼が、僕のそばにいてくれたのに。レヴェリルインが出て行っちゃうんだ。

 昨日あれだけ逃げたくせに、離れないでほしい。もっとそばにいてほしい。まだまだ、捕まり足りない。そんな奴のそばに行かないでほしい。

 レヴェリルインは、俯いてばかりの僕の頭を優しく撫でてくれた。

「……ここで待っていろ。すぐに戻る」
「……はい……マスター……」

 本当は、まだ足りなかった。まだ寂しかった。

 レヴェリルインはデーロワイルに連れられて、部屋を出て行こうとする。
 僕の何より大事な人が、あいつに連れて行かれてしまう。あいつと一緒に、部屋を出て行ってしまう。

 気づけば、僕はレヴェリルインの腕を掴んでいた。

「……コフィレ?」
「…………」

 振り向く彼に、僕は何も言えなかった。

 まただ。また僕は、僕の感情に振り回されている。さっきまであれだけ満たされていたのに、じわじわ湧いてくる、この恐怖に弄ばれている。

 そいつと行かないでほしい。僕の恐怖に、触れないで欲しい。

 だけど僕には、今僕を突き動かしたものを、レヴェリルインに説明することができない。だってこれには、名前がない。当然、明確な理由もない。
 何で今引き止めるのかって聞かれたら、行って欲しくないから、感情だけで、行って欲しくないだけ、それしか言えない。

 何も答えられない僕を、レヴェリルインはそっと、撫でてくれた。

「あ……」
「そんなに慌てなくていい。少し……待っていてくれ」
「…………」

 落ち着いた声だった。僕の心まで、撫でてくれるみたい。大事にされているみたい。それは僕の傷から噴き出ていた恐怖をおさえてくれる。

 頷いて、僕はレヴェリルインから離れた。

 まだ、気持ちがレヴェリルインを引き留めている。行って欲しくなんかない。だけどデーロワイルはレヴェリルインを呼びに来ただけ。ドルニテットが呼んでいるんだから、レヴェリルインを引き止めたらダメだ。

 我慢しなきゃ……

 レヴェリルインは、デーロワイルと一緒に部屋を出て行ってしまう。

 去り際に、兄が僕に振り向いた。

 それは一瞬で、その男は、微かに僕に振り向いただけ。

 けれど僕の中は、激しく乱れた。
 湧いてきた無茶苦茶な感情が広がる。

 怖かった。かつて僕を嬲った男のことが。
 憎かった。今更出てきて、僕のことを怯えさせるその男が。
 腹立たしかった。今、僕の前からレヴェリルインを連れていくことが。
 妬ましかった。僕はいつまで経ってもボロボロのままなのに、その男は、何事もなかったかのように平然と立っているんだ。
 悲しかった。こんな風にしか、立っていられないことが。
 悔しかった。こんな僕でしかいられないことが。

 焼けた感情の全部に無理やり蓋をするように、部屋のドアが閉まる。

 部屋の中には、僕だけになった。

 レヴェリルインがいなくなって、僕は、いつもの服に着替えてから、ベッドの端に腰掛けた。

 まだ心がざわついて苦しい。僕はひたすら、落ち着くように自分の胸を撫でていた。

 落ち着かなきゃ。なんなんだ。これ。また恐怖か? それとも、また別の感情か?

 心が激しく揺れて音を立てる。一斉に棘が転がっているみたいな音。

 デーロワイルは、レヴェリルインに何の用なんだろう……ドルニテットが呼んでるって……ドルニテットが、あいつにレヴェリルインを呼ぶように頼んだりするのかな??

 レヴェリルインと二人で……あいつは何の話をするんだろう。

 苦しい。

 いつまで経っても満たされない。さっきまで、レヴェリルインの気持ちに浸って、あんなに気持ちよかったのに。
 それなのに、どんどんおかしなものが噴き出してくる。塞がったはずの傷口から血が際限なく流れていくみたい。

 耐え切れなくて、布団の上で転がる。息が苦しくなりそうだ。

 レヴェリルイン、早く帰ってこないかな……

 あれだけ満たされていたのに、待っているだけの時間は本当に苦痛。苦しいだけの時間だ。苦しくて、息ができなくなりそう。

 ベッドの上でゴロンと転がる。

 まだ、レヴェリルインに押さえつけられた時の感触は、体にも心にも残ってる。
 僕を抱きしめている間、レヴェリルインは、僕を本当に大事にしてくれた。

 自分で自分の体に触れる。このベッドにいると、彼にまだ触れられているみたい。

「ますたぁ…………」

 あの時みたいに呟いて、布団を握る。まだ温かい気がする。マスターが寝た後みたい。マスターがここにいるみたい。

 自分の顔に、引き寄せた布団を押し付ける。マスターの匂いがまだ残ってる気がする。後で尻尾の毛くらい残ってないか探そう。

「んー…………」

 潜るみたいに布団に顔を埋めていく。

 マスター、僕の頭、いっぱい撫でてくれて、頬にも触れてくれた。涙を拭ってくれた。僕をずっと捕まえていてくれた。

 まだ、レヴェリルインは戻ってこない。

 僕のことはレヴェリルインの好きにしていい、そんなこと言って、僕はずっと、僕で彼の欲を満たして欲しかっただけなんだ。何でもいい。性欲でも支配欲でも、嗜虐心でも。何だっていいんだ。どんな欲だって、僕を捌口にしてほしい。そうして、僕のことを必要としてほしい。

 レヴェリルインは、僕の唯一。
 何をされてもいいから、僕も彼の唯一になりたい。

 彼を失いたくない。絶対に。

 レヴェリルインは、まだ戻ってこない。

 デーロワイルは、レヴェリルインに何を話しているんだろう。
 また心がざわつく。
 デーロワイルは、レヴェリルインを苦しめていないかな。僕のいないところで、レヴェリルインを傷つけてないかな。

 そうして、うずうずしていたら、足元で声がした。

「キモ……何してんのお前」
「うわっ……!」

 びっくりした。何かと思えば、足元にまた、ウサギ姿のロウィフがいる。なんでロウィフは、僕がびっくりするようなところにいつもいるんだ。
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