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2章
26話 いや普通に白い恋人を買ってこい
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「ところで海江田くん、僕が贈った絵具は使っていますか」
「えっ? ええ、もちろん! えーと、クサカベのミノー、でしたっけ」
「はい。クサカベ社の油絵具は、混色しても色が濁らず、高い彩度を保てるのが特徴です。これまでの作品から、海江田くんは少ない色数をカンバス上で混色しながら、ライブ感覚で多くの色を生み出すことを得意とするアーティストだと見受けました。油絵具は他にも多くのメーカーが製造していますが、海江田くんのスタイルに照らすなら、やはりクサカベ一択だろう、と」
「……は、」
思いもよらないネタバレに漣は呆然となる。
確かに……馴染む、とは思っていた。漣がやりたいこと、描きたいものに絵具がいちいち応えてくれる。ここでこの色を出したい。するとカンバス上に、まさに漣が期待した色がそっくりそのまま現われる。
かつて漣は、たった四色のスプレーで思うさま色を生み出していた。それは多くの発見を漣にもたらした。陰影の主役は黒とは限らないこと。青や、時には赤を用いることで思いがけず瑞々しい陰と、そして光が生まれる。
そうした発見が、嶋野に贈られた絵具でさらなる加速を得た。
色、かたち、そして光。嶋野の絵具は十二色セットだったが、今でもメインで用いるのはやはり赤黄青黒の四色だ。そこに白を加え、思いつくかぎりの色と光とを漣は模索した。筆先にめまぐるしく生まれる色彩。その、刻々と変貌するカンバスに呼応する漣自身の魂――それは、漣にとっては何物にも代えがたい快感で、その感覚を味わいたいがためだけに、何枚もの画布を習作として使い潰したぐらいだった。
「ほんと……何でもわかっちゃうんすね、俺のこと」
「いえ、さすがに何でもは。少なくとも……これから君がどう成長するか、どういった表現を獲得するかは、今の僕にはわからない。こればかりは単純な演繹法では測れませんからね」
「えっ、そ、れって……」
つまり、これからも見守りたい、ということか。見守ってくれると――こんな、世界から拒絶された人間を。
「そのためにも、今現在の君を示す作品が欲しいんです。何十年後になるかはわかりませんが、そうして集めた君の作品を時系列順に並べて鑑賞したい。それはきっと、最高の眺めだと思います」
「……う、」
ううう、と、変な呻きが漏れてしまう。嬉しさが限界を超えると、人は唸ってしまうものらしい。
「大丈夫ですか? 気分が悪い?」
「いえ……めっちゃ大丈夫です。むしろ超元気……」
身を屈めて覗き込んでくる嶋野の視線を避けながら、辛うじて、それだけを漣は答える。
「とはいえ……協会としては、たとえ一枚でも個人所有に回すのは避けたいところでしょうがね。まぁそこは、何とか高階さんを説得するとして……あ、そうだ、高階さんに報告に行かなきゃ」
そして嶋野は、シャケを抱えていない方の腕に提げた紙袋をテーブルに置く。中身は白い恋人かなと空港のロゴが入った紙袋を覗くと、ゴツいフォントで『アザラシカレー』と記された箱がぎっしり詰まっている。……本当はただの物好きなんじゃないか、この人。
「これ、皆さんで分けてください。では」
言い残すと、嶋野はすたすたとエレベーターに向かってゆく。その背中を見送りながら、あ、あの人、シャケの木彫りを抱えたままじゃんと、割とどうでもいいことを漣は思った。
「あ、すみませんつい話し込んでしまって――」
振り返り、瑠香たちに詫びを入れる。ところが、すでに二人の姿は談話室から消えていて漣は焦る。一体どこに? いや、その前に……いつの間に。
とりあえず談話室を出て二人を探す。二人は、廊下の片隅にいた。そこは瑠香の部屋の前で、ただ、なぜか部屋に入る様子はない。そして……なぜか二人とも、ひどく沈んだ顔をしている。
「あ、よかった。あの、これ嶋野さんのおみやげ――」
「いらん!」
「えっ? ええ、もちろん! えーと、クサカベのミノー、でしたっけ」
「はい。クサカベ社の油絵具は、混色しても色が濁らず、高い彩度を保てるのが特徴です。これまでの作品から、海江田くんは少ない色数をカンバス上で混色しながら、ライブ感覚で多くの色を生み出すことを得意とするアーティストだと見受けました。油絵具は他にも多くのメーカーが製造していますが、海江田くんのスタイルに照らすなら、やはりクサカベ一択だろう、と」
「……は、」
思いもよらないネタバレに漣は呆然となる。
確かに……馴染む、とは思っていた。漣がやりたいこと、描きたいものに絵具がいちいち応えてくれる。ここでこの色を出したい。するとカンバス上に、まさに漣が期待した色がそっくりそのまま現われる。
かつて漣は、たった四色のスプレーで思うさま色を生み出していた。それは多くの発見を漣にもたらした。陰影の主役は黒とは限らないこと。青や、時には赤を用いることで思いがけず瑞々しい陰と、そして光が生まれる。
そうした発見が、嶋野に贈られた絵具でさらなる加速を得た。
色、かたち、そして光。嶋野の絵具は十二色セットだったが、今でもメインで用いるのはやはり赤黄青黒の四色だ。そこに白を加え、思いつくかぎりの色と光とを漣は模索した。筆先にめまぐるしく生まれる色彩。その、刻々と変貌するカンバスに呼応する漣自身の魂――それは、漣にとっては何物にも代えがたい快感で、その感覚を味わいたいがためだけに、何枚もの画布を習作として使い潰したぐらいだった。
「ほんと……何でもわかっちゃうんすね、俺のこと」
「いえ、さすがに何でもは。少なくとも……これから君がどう成長するか、どういった表現を獲得するかは、今の僕にはわからない。こればかりは単純な演繹法では測れませんからね」
「えっ、そ、れって……」
つまり、これからも見守りたい、ということか。見守ってくれると――こんな、世界から拒絶された人間を。
「そのためにも、今現在の君を示す作品が欲しいんです。何十年後になるかはわかりませんが、そうして集めた君の作品を時系列順に並べて鑑賞したい。それはきっと、最高の眺めだと思います」
「……う、」
ううう、と、変な呻きが漏れてしまう。嬉しさが限界を超えると、人は唸ってしまうものらしい。
「大丈夫ですか? 気分が悪い?」
「いえ……めっちゃ大丈夫です。むしろ超元気……」
身を屈めて覗き込んでくる嶋野の視線を避けながら、辛うじて、それだけを漣は答える。
「とはいえ……協会としては、たとえ一枚でも個人所有に回すのは避けたいところでしょうがね。まぁそこは、何とか高階さんを説得するとして……あ、そうだ、高階さんに報告に行かなきゃ」
そして嶋野は、シャケを抱えていない方の腕に提げた紙袋をテーブルに置く。中身は白い恋人かなと空港のロゴが入った紙袋を覗くと、ゴツいフォントで『アザラシカレー』と記された箱がぎっしり詰まっている。……本当はただの物好きなんじゃないか、この人。
「これ、皆さんで分けてください。では」
言い残すと、嶋野はすたすたとエレベーターに向かってゆく。その背中を見送りながら、あ、あの人、シャケの木彫りを抱えたままじゃんと、割とどうでもいいことを漣は思った。
「あ、すみませんつい話し込んでしまって――」
振り返り、瑠香たちに詫びを入れる。ところが、すでに二人の姿は談話室から消えていて漣は焦る。一体どこに? いや、その前に……いつの間に。
とりあえず談話室を出て二人を探す。二人は、廊下の片隅にいた。そこは瑠香の部屋の前で、ただ、なぜか部屋に入る様子はない。そして……なぜか二人とも、ひどく沈んだ顔をしている。
「あ、よかった。あの、これ嶋野さんのおみやげ――」
「いらん!」
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